第3章
  2、枯蟷螂 三角でもの 考える

  <その9> 小泉台風吹き荒れて、天下暗転           2005.7.31〜
                                        

松本篤子さんへの悔やみ状 大阪夏の陣異変
捨てられた「シベリア抑留」 イラク派兵と「シベリア抑留」
クーパー氏への返信

松本篤子さんへの悔やみ状              2005.7.31.



松本 宏遺影、横浜光洋台の自宅前(2004.8.24)

 この度は偲草に続き鄭重なお便りを頂き、改めて深い哀惜に浸っております。

心にゆとりのない私は自説を譲らず、ご主人様とは喧嘩ばかりでしたが、心底では一目も二目も置いておりました。もうこのタイプのサムライは絶滅で、事実 大正気質は世間に珍しくなりました。

 「シベリア問題」も同封の通り、とうとう国会へ持ち込まれて今からが一勝負となりますが、自民党の蒙を開く所までは無理な話で、数で押し切られて幕引きとなりそうな雲行きです。しかし私はこれで良いのでして、死ぬまで国に逆らった愚直も少しは居たらしいと、後世が知って呉れれば本懐と思っています。

 ご主人の最後の宿が落合楼だったとは驚きました。実は私たちもその頃、同じ湯ヶ島の木太刀荘という国民宿舎に一泊していたのです。今年は金婚と言うことで、思い出深い伊豆へ、修善寺から天城を越えて今井浜まで歩きましたが、その途次泊まったのが1月27日のことでした。いくら不信心者の私でも不思議を感じます。

 シベリアも今回で一応の幕引きとなりますが、これで老兵にとっても区切りとなりましょう。私も只今左脚腫瘍切除のため入院中、幸い術後良好で今日からキーボードが叩けるようになりました。いずれ故人に倣い拙文でも纏めて上梓し、後世にカマキリの殻だけでも残して置きたいと準備に掛かっています。“死ぬという仕事が残る枯蟷螂”です。

 どうかご一家さまご健勝のほどお祈り申し上げます。

      大阪夏の陣異変                      2005.8.5.

 一に団結、二に団結の「近畿地区シベリア抑留者未払い賃金要求の会」はそのモットーに反し、激しい内紛の末クーデターを惹起した。

 7月8日の常任幹事会に突如「代表不信任案」が動議され、緊急票決を強行、即座に代表罷免が成立した。それを不当とする代表の反攻、後任人事をめぐるトラブル、飛ぶ怪文書など混乱は場外へ波及し、ついに7月30日の総会にまで持ち込まれ、満場騒然の中で怒号罵声の交代劇となった。団結とは裏腹の、これ以上まずくは出来ないであろう幕引きである。これらは昨年以来再三警告したことであるから驚くには当たらないが、主たる原因として以下の三つが挙げられる。

1、自民党にまんまと騙された愚

 口では看板の「未払い賃金要求」を言いながら、内心は自民党5役の「平和祈念事業基金解散に伴う慰労金」に目がくらみ、貴重な時間と金を消耗するという誤謬を犯したのである。すなわち2003.12.19.に新聞が報じた「シベリア抑留者」に20万円、「恩欠者」に10万円支給を信じ込み、野党連合の「捕虜補償法案」を頼むより与党の実力に期待する方がよほど賢明だと、自民一辺倒の陳情に乗り出して今回まんまと裏切られた結果がこれである。

 “はじめに400億ありき” の残飯分配基金が、とても公表の内容を充たす額ではないことぐらいは少し検討すれば判ること、その忠告にも耳を貸さず、更に遺族分までおねだりするという愚かさ、自民党がどんな政党かの本質の見誤り、左藤 章、中山泰秀の両議員にはカネを取られて振り回され、大手柄だと喜んだ森 喜朗面談では幼児をあやすように愚弄され、挙句の果ては平沼赳夫面談で、“再考いたしましょう” の言質を取ったと喜んだ結果が旅行券。ここまで馬鹿にされてやっと目が覚めたのだろうが、こんなことは運動の基本線さえ知っておれば誰にでも判る筋書きであった。その都度指摘し警告し続けた私は団結を乱す者と嫌われて敬遠され、ついには敵視されるに至ったのである。ただし多少のブレーキ効果は、さらに操られて相沢派の亜流にまでは落ちなかった点、これは僥倖というべきか。

2、地方議会意見書取り作戦の破綻

 「シベリア抑留」の早期解決についての各府県議会から意見書を出させる作戦の推進は基本戦略の一つであるが、これを積極的に展開した執行部の努力は数少ない功績である。ただしこれは、出さないよりは出したほうがよいという程度の作戦で、法的に何ら政府を義務付け出来る性質のものではない。本来の狙いは中央に繋がる国会議員を巻き込みたい、運動を永田町に繋げたいのが主眼で、せっかく意見書を取ったからには直ちに地元出身議員に運動協力を呼び掛けてこそ本筋なのである。執行部はこの忠言も聞き入れず、深部を掘り下げるよりは横への拡大に目が行った、俗に言う俗手を本手と読み違えたのである。

 中国5県に広げた運動は大向こうを意識した冒険主義に陥り、計画の杜撰、地元工作の慢心等で頓挫し、そのため当初予算を大幅に超えてついには財政破綻を来たして完敗に終わってしまった。戦い済んで日は暮れて、荒涼たるあとに残ったものは失意と不信、不和、中傷であり、そして執行部の崩壊が待っていた。

3、陰の司祭は・・・・

 これら二年有半にわたるコップの中の「団結」が失ったものは数知れないが、特に地方意見書作戦のために献身し、相当の費用まで提供した善意の方々に与えた失意と不信は大きく、その責任は問われるべきであろう。それにも増して終局の醜態を内外に暴露した不名誉は計り知れない。更迭がやむを得ないというのであれば、どうして禅譲という安楽死の道を取らなかったか、後に遺恨を含まないよう、去る者には礼を尽くして花道を用意すべきでなかったか。それを任期中に闇討ちをかけ、石もて追うがごとき非礼は常軌を逸している。労組型組織とは恐ろしいものだ。私はこの組織被害者第1号であり、代表には言われなき迫害を多々蒙ったが快哉を叫ぶつもりはない。

思うに代表も捨てられた犠牲者の一人であるからだ。使うだけ使われ非情にも蜥蜴の尻尾のように切られたのであるが、この舞台を廻している陰の司祭は誰か、表に出ず決してソンをしない利口で冷血な奥の院、その存在を私は感じ取っている。この会の底が割れた今、そろそろ正体が見えてくるかもしれない。

 朝日新聞<語りつぐ戦争>原稿

     捨てられた「シベリア抑留」             2005.9.30.

 終戦後パミール高原山麓に抑留された私には、容易に拭い取れない心の傷がある。ある日痛めた眼の治療で村の医院へ通うとき、突然警護するソ連兵に身ぐるみ剥がれ、肌身離さず持っていた写真まで取り上げられてしまった。“これがお前の女か” と聞くから “そうだ、返してくれ” と答えると、この男はいきなり自分の前をはだけて浅はかな振る舞いを始めるではないか、やがて写真に大量の白い液を吹き散らし、えへへ と笑って捨てるのを私は黙って見ているだけであった。何もせず何一つ出来ずに である。これに似た数々の屈辱はいまに傷跡を残したままである。ひもじかった、寒かったは時を経れば癒されても、これら内なるトラウマは老いるにつれて心を蝕み続けるのである。自由を奪われ心を壊された苦しみは、やられた者でないと判らない。

 「シベリア抑留」は地獄であった。人間は簡単に餓鬼に落ち忽ち阿修羅にもなる。腹を満たすため、人より一日でも早く帰りたいためには盗みや密告、心ならずも友を売りときに吊るし上げなど、苦い自虐を持たない者はいない筈だ。しかしこれらの泣き言だけで「シベリア抑留」を済ませてよいものだろうか、私は“今日も暮れゆく異国の丘”の真実が、“辛かろ 悲しかろ” の上っ面だけで葬られるのがいかにも無念でならない。中身の大事なところを是非社会や次代に判って頂きたいのである。この悲劇がなぜ起こり、どう解決されたのか。 肝心な現代史の解明がまるで欠落したままなのだ。

受難者の一人としてこのなぜを要約すると、一つは亡国の淵に立っての国体護持のためであり、ソ連への役務賠償の人柱であった。そして国と国民の身代わりとしての犠牲に、祖国はどのように顕彰し労に酬いたであろうか、これが殆どゼロである。

我々は非力を挙げて真相の解明とその償いを求めたのだが、戦後60年を経た今日に至っても国は応じようとはしないのである。蒙ったシベリアでの屈辱よりもまたソ連への憎しみにも増して、いまも祖国に腹を立てるのには理由がある。赤紙一枚で徴集し都合が悪いとみれば弊履のように捨てて顧みない薄情な国に誰が忠誠を捧げるか。

 奴隷でもない普通の人間は働けば囚人であれ 捕虜であれ賃金を得る、これは世界のルールであって仮に貴方がそうなら貴方はどうされるだろうか。捕虜の受け取る賃金はそれぞれの母国が負担するのが国際法の決まりであり、各国の捕虜は戦勝国、戦敗国を問わず賃金やそれに代わる手厚い補償を受けている。わが国でも南方や中国から帰還した捕虜には漏れなく賃金を支払い、独り「シベリア捕虜」に限って賃金はおろか抑留中の食費すらも払わないのである。国にもいろいろ言い分はあろうが現在これが補償問題紛争の実態なのである。

 私の恥は取りも直さず日本がスターリンに蒙った民族的恥辱に他ならない。まもなく生涯を終える秘事を言うは辛いが、どうか次代に「シベリア抑留」の真相を明らかにして関東軍60万将兵の名誉回復を講じて貰いたい。

    大阪地裁への意見陳述書

      イラク派兵と 「シベリア抑留」              2005.10.10.

                         

“何よりもまず正しい道理の通る国にしょう、この我らの国を・・・・”

 これは松川事件での広津和郎さんの言葉ですが、裁判長、「シベリア抑留」の老兵も同じ言葉を貴方に捧げたいのです。

1、「シベリア抑留」はシベリア出兵以来のソ連に対する役務賠償であり、わが民族始まって以来の屈辱となりましたが、今回のイラク派兵はかっての軍国日本が犯した暴挙と、その酬いの再現であります。1918年、何の大義名分もないアメリカ、ウイルソン大統領の覚書に乗ってシベリアへ出兵し、罪なき多くを殺し、列強の干渉軍が撤兵した後も最後まで居残って6年余の泥沼に踏み入り、遂には野望空しく敗残の兵を引いた事件を我が国は忘れたのでしょうか? そのときのロシア人の憎しみと報復がいかに激しく厳しいものであったかを、僅か27年後の「シベリア抑留」が物語っています。地獄の苦しみを蒙った抑留体験者はその犠牲にも堪えて、日本や世界の平和を祈り、再び国家の命令による殺し合いや拉致、強制連行が起きないよう願って参りました。この尊い歴史の教訓を忘れたイラク派兵を私は容認することができないのです。

2、「自衛隊」と自称し、戦わないと弁明したところで国際法では紛れもない「軍隊」です。「復興支援」「人道援助」「国際貢献」等を言ったところで、武器を持って他国へ出てゆけば国際法の規範に属することは明らかで、すべてヘーグの「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」以来、一貫して戦争に関するルールを定めた「ジュネーブ条約」の範疇です。

3、撃たれれば撃ち返し、そうなれば戦後初めて外地で人を殺さねばなりませんし、逆に命を落とせば犬死です。何故なら国際法のルールには違反しなくても、“ 武力の行使を永久に放棄し、国の交戦権を認めない” とした憲法第9条に違反するからです。

4、また不運にも私たちのように捕虜になった場合、誰が引き取り交渉をし、捕虜の安全を守って呉れるのでしょうか? 現地には国連も赤十字国際委員会も誰もいません。こうなると各人の国際法熟知だけが頼りですが、隊員諸君は捕虜の権利や義務についてどれだけ教わっているのでしょうか、シベリアでは教育充分なドイツ兵に比べ、わが軍は何一つ知らず、それがためどれだけ不利を強いられ、多くが命を亡くしたか。

5、抑留中の給養費や労働賃金等国際法が定める捕虜の権利は保障されるのか、また一体誰がどのように支払ってくれるのか。因みにシベリアの抑留者に対し、国際法が支払を義務付けている母国日本はこの犠牲に何を酬いたでしょうか? 僅か10万円と銀杯1個のみでお茶を濁し、血と汗と涙の労働賃金も食費すらも払おうとせず、凍土に眠る遺骨でさえ放置したままであります。我が国は国内的にも国際的にも20世紀の戦争の後始末をろくにしないまま、イラクに派兵しているのです。

6、逆に、捕らえた敵の捕虜をどう扱うのか、“生きて虜囚の辱めを受けず” の誤った軍国主義から、国際人道法を無視して捕虜を虐使した結果がどうであったか。多くのBS級戦犯を生み、刑死させた反省を隊員の一人一人に教えているでしょうか? 国際法に基づく国内法規は整備されているのか、これら彼我の捕虜に関する措置を私は寡聞にして聞かないのであります。言わば自衛隊の諸君はこれら知識や法律を装備せず丸裸の状態で派兵されているのであります。これが完備されれば派兵はオーケイと言うものでは決してありませんが、現状このままでは言語道断の暴挙と言わざるを得ません。

7、戦争は止むを得ないにしろ、せめて人権人道に立脚したルールを と言うのが国際人道法の精神で、平和日本が憲法第9条を守る限り積極的必要はない性質のものであります。それを飛んで火にいる夏の虫のような暴挙で、好むと好まざるに拘わらず国際法の範疇に組み入れられれば、以後自分勝手な解釈は一切通用しなくなると言う認識が足らないのでは と危惧いたします。

 世論の反対を押し切り、ブッシュに雷同して無責任なパフォーマンスを重ねる前に、我が国はかっての戦争加害国の責任としてやるべきことは多々ある筈です。私たちシベリア抑留の老兵は、自衛隊のイラク派兵に断固反対し、改めて日本が犯した戦争の後始末に速やかに取り組むことを要求いたします。

 このような道理の通らない派兵に対して、裁判所は「憲法の番人」として糾す責任があるとともに、立法や行政の違憲的行為をチェックし、バランスを図るのは司法の使命だと信じます。

 クーパー師への返信                        2005.12.27.

エブラハム・クーパー師の控え目な、その実 内容の厳しいメッセージに促されてひと言述べたくなりました。それは、私が前大戦の捕虜の一人であるからです。

60年前の貴方がた「退役軍人の日」には、私たち関東軍の兵士らは飢えと寒さのシベリアで、奴隷のような重労働に喘いでいました。停戦後天皇の命令により銃を捨て、2年乃至長きは10年余に及んだ「シベリア抑留」のためです。その数60万死者は6万ともまた10万とも 未だに数字さえ定かでない事件の私は被害者であります。

人類の英知により近世以来捕虜の扱いは寛大を旨として、人類愛を以って遇されるのは国際法などで定められたことですが、戦争の最中では美徳を発揮するのも容易なことではありません。ましてや軍国日本やスターリズム下での対応は、言語に絶する酷いものでありました。ソ連で私がこうむった体験から、元米兵捕虜諸氏の憤りと訴えは身にしみて共感することができます。

私も2003年の春、L.テニー博士から次の言葉を聞いて心を打たれました。戦時中3年にわたって奴隷労働を強いた三井鉱山を訴えたテニー博士は、「和解には赦しと責任のどちらが欠けても無意味である。もし日本政府と企業が迫害の責任を認めるならば、私は赦そう」 と言ったのです。

この人や私が蒙った屈辱と憎しみは、そう簡単に赦す気になれるものではありません。しかし許さなければ彼自身が救われない、また私にとっても、いま国と和解しないことには、私自身も心なごむことなく人生を閉じなければなりません。この仏教でいう「弥陀の本願」に通ずる博士の呼び掛けは、そのままが私の心になりました。

太平洋をはさんだ両国元捕虜の求めるものの第一は、クーパー師の言にもあるとおり 「問題は責任と名誉の回復であり、人道に反する扱いをした者たちがその責任を認め、悲劇の歴史に両者のために名誉ある終幕を引くこと」であります。

私も同じ思いで、抑留中の血と汗と涙の結晶である労働賃金の支払いを求め、日本国を相手に裁判をおこしました。しかし残念なことに、日本企業を相手取ったテニー博士の訴訟と同じく、日本政府はそれを退け、裁判官もそれに同意したのです。

でも、これには二枚舌の疑いがあります。日本政府は長い間、私たちシベリア捕虜に対して、放棄されたのは日本国が持つ請求権のみであり、君たち個人の請求権まで放棄したわけではない” として、私達の訴えを退けてきたからです。ところが、アメリカの諸君には “平和条約で、個人の請求権を含めたすべての請求権を放棄して貰ったから、支払いの責任はありませんよ” と。つまり正反対のことを言って内なる捕虜にも外なる捕虜にも両方ともに支払わない と言うのであります。

私とテニー博士が蒙った屈辱と苦難は良く似ていますし、訴える趣旨も同様ですが大きく違っているのがその相手であります。テニー博士は当然のことながら迫害を与えた抑留国の日本ですが、私たちは、ソ連ではなく愛する祖国の日本を相手に戦っています。シベリアでの辛さよりむしろ祖国の冷たさ酷さの方に腹が立つ、この複雑な相克は深刻です。

その「シベリア抑留」がどうして起こったのか・・・。「ポツダム宣言」を無視して拉致したスターリンの暴虐によるもので、60万の労働力をソ連の国土復興に投入するための暴挙でした。これは事実上の役務賠償であり、この犠牲はまた国体護持(天皇助命)の人柱でもありました。賠償である以上ソ連は、賃金を払う気は全くなかったのです。双方暗黙の了解のうちに成立したのが1956年の「日ソ共同宣言」で、その第6項で 「すべての請求権はサンフランシスコ条約同様、相互放棄」するとして手が打たれました。

従ってソ連は法的に捕虜への債務を免れましたが、人道上の負い目はさすがに良心を揺さぶり、ゴルバチョフとエリツインの両首脳は日本国民の前で「シベリア抑留」の非を認め、遺憾の意を表明して深々と首を垂れたのであります。かくしてロシアは1ルーブルの償いもせず、陳謝だけで済ませたのです。

それにしてもソ連(ロシア)の非道と狡知はいささか度が過ぎてはいないでしょうか。軍国日本のために甚大な被害を受けた各連合国、特に主戦の貴国やアジアの国々が、史上まれに見る寛容の精神で賠償を棒引きにし、固有の領土をも保全して呉れた温情の中で、わずか旬日の介入だけで樺太、千島を取り、あまつさえ北方四島まで占領しました。その上「シベリア抑留」による8兆円は下るまい という莫大な利得を独り占めした強欲は、目に余る不条理と申せましょう。この専横は、サンフランシスコ条約の第26条で、「日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行ったときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼされなければならない。」 と定めた最恵事項に、抵触の疑いがあります。

日本政府は、「これによりソ連が大きな利益を得たのは事実でありましても、法的にわが国としてこれを賠償の一つの形態として認めることはないわけであります。」と、答弁しています。わが国がシベリア捕虜に労働賃金の支給を頑なに拒否する理由は、ここにあります。応ずれば労働の事実を認めたことになり、ソ連への役務賠償が法的に成立して、各国の賠償要求に火を付けるからであります。

事実がどうであれ法的に尻尾を掴まれなければそれで良い、良心や道義などの奇麗事や人道人権主義にも目をつむって横を向く、このてんとして恥じない邪悪はいったいどこから生じたものでしょうか?今年は日露戦争100周年の年でしたが、当時はサムライの武士道が生きていて、捕虜の扱いでは世界一立派であると各国の絶賛を浴びています。それが一転して悪くなったのは悪しき軍国主義のせいで、その残さがいまに残っているのであります。

法律にさえ触れなければ、また法網をうまく潜り抜ければ安泰と、この功利主義から目を覚ますことが第一のポイントです。法的にどうであれ良心に立ち返り、胸に手を当てて考えることです。過ちは謙虚に反省し、赦しを乞い、誠意あるつぐないを急ぐこと。100年前の誇り高い日本人に一日も早く戻ることです。

カリフォルニャ州で成立した「ヘイデン法」は結果としてアメリカ国務省の介入で充分に機能しなかったようですが、ドイツに対しては見事な成果を挙げています。「記憶、責任、未来基金」の創設という義挙はクリントン大統領の尽力もさることながら、被告ドイツの、法的責任ではなくて道義に基づく対応が実を結んだものと思います。従って悪いのは「ヘイデン法」ではなく、裁かれる者(日本企業と政府)自身の道義心如何によるのではないでしょうか。

クーパー師はまた 民主主義国になった日本が、前身である軍国日本の人間の規範にもとる行動があったことを、「他のアジアの犠牲者の誰にもきちんと謝らない日本の態度」と指摘しています。日米捕虜の訴えを無慈悲に拒み続ける者が、まさにご指摘の勢力であり、靖国へ大手を振って参拝する者もこれであります。彼たちこそ戦後60年をしたたかに生き延びた軍国主義の残党で、いまや憲法を改悪して夢よ もう一度を企む分子であります。

もうお判りかと存じますが、私や貴方がたの望む赦しを拒み、犯した罪を忘却の彼方に埋葬しようとする者は、日本の中枢にはびこるナショナリズムであります。靖国の戦犯を賛美し、過去の罪業に目を塞いで一切の償いを拒否する邪悪であります。

私たちの多くは老い、時間も金銭も乏しく非力ですが、幸い支えてくれる市民を持っています。草の根といわれる人々ですが、この破廉恥な国にあって心から内外の戦争被害者を支援し続けています。日本が辛うじてかつての被害者たちと友情を繋いでいるのは、この良心派の献身的努力のおかげだと思います。

結論を急ぎましょう。私たちは次のことに力を注いでいます。


  1. ロシアへの主張・・・来るべき日ロ平和条約には「シベリア抑留」の非を改めて謝罪し、その貢献に報いる心の証として、北方四島を即時返還すること
  2. 日本への要求・・・「シベリア抑留」60万の犠牲を踏み台に、北方四島の即時返還を強く主張すること。そのためには受難者に対し、未払い賃金に相当する補償金を給付すること。

私たちの仲間は韓国にも中国にも健在でともに戦っていますが、目的を一つにするアメリカの諸氏とも連帯し、共通の相手に共通の申し入れを行い、宿願の実現を図りたい。クーパー師の仰せの通り日本の中枢に 一瞬倫理感覚を澄まさせて 誠意ある謝罪と戦後処理の徹底を要求したいと考えます。

新しい年が、貴方たちを歴史のうちに特別の場を提供する年でありますよう・・・・

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