第3章
  2、枯蟷螂 三角でもの 考える

  <その10> エピローグ                      2005.12.31〜
                                        


枯蟷螂/三角で/もの考える                2005.12.31.

 これは古い友人が私に奉った戯れ句だが、万事素直に丸く収まらない私の性分をからかったに違いないと咎めたところ “それそれ、案の定始めやがった。お前はすぐこれだからカマキリなのだ” と笑うのである。言われてみればそのようでもあり、顎をなぜなぜ引き下がるより仕方がない。それならいっそ本書もその三角頭とやらで 締めくくることにしたい。

 私たちがせっかく裁判をするのであったら、存命中の昭和天皇を相手に訴えればよかったと、今頃気が付いた。「シベリア抑留」の責任を求めたいのであればなおの事、このターゲットを外す手はなかったのである。出来る 出来ないは別にして、これは後々のためにも思い切ってやっておくべきことであったのにと、いささか心残りに思う次第である。

1、裁判とは・・・・

 カマキリの訴えが認められなかった理由をかいつまんで言うと、次の通りになる。

1)敗戦は憲法の予期しないところであって国に責任はなく、また多かれ少なかれ国民が蒙った戦争被害に対しても国は一切賠償の責任を持つ必要はない。

2)国家が補償する、しない、またその裁量は立法府の仕事であって司法の知ったことではない。

 以上は裁判官の建前であって、その実は

1)司法は正しいか、正しくないかを裁く処ではなく、それを裁く便利な法律があるかないかを調べるのが仕事である。

2)いつ、誰が、どの法律に触れたのか(どんな悪いことをしたか、ではなく)を、原告がはっきり示さない限り、裁判官は裁くすべがない。

特に大事なのは 2)のしぼりこみで、ただ単に国という漠然とした法人の責任や、定めが無いうえに、強制抑留などのようなつかみ所のない大災害は判断の仕様がない というのである。国というのは厄介なもので、無機質のシステムは迷宮のように複雑ではっきりしない。特にわが国の責任の所在は陽炎のように追えば追うほどつかまらない。また仮に特定できた人物と事件がどんな大災害を引き起こしたところで、良かれと思って行い、その行為に当てはまる法律が見当たらなければ罪にはならない。善意の無能や愚かさも網にすくえない。国民に損害をかけたにしろ、法律を犯したわけではないのだ。

結局ものになりそうなのは 「結果責任」 の有無を争うだけのことになり、そうなると陸軍二等兵は上官のトップであられる大元帥陛下を特定して、「シベリア抑留」の「結果責任」を訴える他はないのであったのだ。

2、それでは立法府は・・・・

 最高裁という司法の頂点にまで争いを持ち込んだ結果は以上のとおりで、“この問題は諸般の要素を勘案する立法府の裁量に委ねるべきで、司法の仕事ではない” と体良く逃げられてしまった。なるほど靖国違憲のように裁判官によって天と地ほど判断が異なる法廷では、シベリアはいかにも荷の重い事案であったらしい。しかしその立法府はどうかといえば、戦後一貫して自民党の一党独裁の下にあり、これこそが戦争責任を問われている張本人の後裔なのである。この遺伝子の先祖こそ軍とともに戦争を指導した宮廷派と言われる木戸、近衛、吉田などの系統であり、これが戦後をしぶとく生き延びて自民党の本流となっている。この天下が代りでもしない限り、戦争の反省だの償いが出来る体質ではない。

3、行政は・・・・

 「天皇の官僚」の伝統を受け継いだ行政府の体質はここに改めて申すまでもなく公僕は依然官僕であって、股肱の臣の残党はいまも手厚い恩賞を保証されている。特に軍人恩給制度は終戦直後マッカーサーに潰されたものの、独立後はいち早く復活し、戦後処理費の82%を独占して、すでに43兆円を超える血税を手にしているのである。高級軍人優先の序列、年功制で、一銭五厘で召集した下層兵への配慮などは一切なく、戦争責任の重い者ほど多額を取るという不可解な現象が罷り通っている。これら積年の不条理はついに靖国、憲法改悪の流れにまで肥大し、いつか来た道への足音が急速に高まっているのである。

 戦後60年、これら歪んだナショナリズムの台頭は、実に危険な風潮といわざるを得ない。その原因はただ一つ、前大戦の反省不足と後始末を避けた戦後処理の怠慢である。

4、日本人は戦争の被害者であるのか、加害者であったのか

 アジアの各地で2000万の人々を殺め、同胞300万有余を犠牲にした前大戦の、貴方は被害者であられるのか、加害者であるのか? 靖国論議を聞きながら私は不思議でならないことが一つある。なぜ戦犯を敬うのか、これだけひどい目に会わされながらその加害者たちを崇拝する、物事これではあべこべではないか?たとえば大阪の大空襲で家を焼かれ、家族を失った人の場合、この耐え難い苦しみがどうして起こり、誰がやらかした犯罪であるのか? 戦争だか仕方がないと諦めるのか、または憎むべきは爆弾を落としたアメリカ空軍の兵士であるのか、いったい遺族は誰を恨んでいるのだろうか?

  私の答えは簡単で、すべては無謀な戦争をやりだした連中の罪であり、または一日も早く負け戦を止めなかった指導者、大空襲の前に降参する勇気を欠いた連中のせいであり、靖国にはこれらの一部が祀られているのである。お国のためと銃を手に出征した父や兄は、これ以上拙劣な作戦は無いと言われる大本営の命令で殆どは戦う前に飢えて死に、海に沈んで尊い命を失った。反面、中国や多くの戦場では無辜を殺し、犯し、家々を焼いた。日本と日本兵は残念ながら狭くは国に騙された被害者であっても、広い意味では鬼のような酷い加害者であった。

 ハワイがなければ太平洋戦争はなく、盧溝橋がなければ日中戦争もなく、柳条溝なくば満州事件も何事も起きなかったのであり、これらのすべてに手を出したのは日本軍である。狭い国土に溢れる人口、多少の進出は止むを得ない との強弁も、軍備撤廃と農地改革の二つを改めただけで有数の富裕国に伸し上がった戦後を見れば、侵略の弁解にはなりそうもない。世界、特にアジアの平和を大きく損なったのは軍国日本の一方的な犯罪であり、弁解の余地は全くない。いま急ぐべきは謙虚な反省とその償いなのである。

5、日本人は自らの手で戦争の後始末が出来ない民族か

 以上の通り我が民族があわや亡国の淵に追い詰められたのは無謀な戦争を引き起こした権力であり、早々に見切りを付けられなかった勇気に欠ける連中である。幸いソ連を除く戦勝各国の温情により辛うじて亡国の憂き目を免れ、償いは殆ど棒引きという厚遇に甘えて再建に取り掛かれたのである。東京裁判も最小限の形だけの処分で終わり、有史以来の珍しく寛大な処分で済んだことは遅い神風の到来と申しても過言ではあるまい。負けて始めて目が覚めた我々は、ドイツのように自らの手で自らの肉を裂き、徹底した病根の切除と反省を、その償いを行うべきであった。それこそが再生への最も正しい近道であったのである。しかし残念なことにわが民族にはその英知と勇気にまで恵まれなかったのである。

  6、のどもと過ぎれば熱さ忘れる

 その再生手術が出来なかった理由として次が挙げられよう

1)米ソの冷戦とアメリカの現実主義による反動的占領施政

2)敗戦日本の茫然自失と功利性

3)“その罪を憎んで人を憎まず” “暴に酬いるに徳を持ってす” の中国の温情

4)したたかな日本保守派の渡世術

5)朝鮮戦争の僥倖

 1951.9.8.わが国は東京裁判の裁定に従うことを条件にサンフランシスコにおいて連合国と平和条約を結んだが、これで戦争の責任はすべて免責されたものと安心し、自浄作業を放棄してしまった。幸か不幸か戦争は実に安い戦争で済んだのである。以後50余年、一旦は深い絶望と共に国民の大半が悟った戦争への反省は “のどもと過ぎれば熱さ忘れる” の諺の通り 忘れられ、いまその弊が一挙に現れて世界のひんしゅくとアジアの緊張を招いている。

7、国家百年のために自浄は必須であったこと

 「もしも」 は禁句であるらしいが、もしも昭和天皇を訴えていたとすればどうであったか? 私にもよくわからないし無事生きておられたかどうかも判らないが、少なくとも民主国家のもと、戦後の憲法下では訴えは成立していたはずである。しかし天皇を裁くという裁判官が居たかどうか、また戦争責任を問うても「国家無答責の法理」によって有罪は難しいものであったと思われる。しかし大型弁護団の編成、激しい準備書面の応酬などで戦争の根源、様相、経緯などが明らかになり、実相は赤裸々に解明されたであろう。問題は戦争の「結果責任」で、この人が大元帥として軍の最高位にあられたことは隠れもない事実であり、旧憲法下での「発生責任」は免れても悲惨で広範囲の戦争結果の責任までは逃れようのないことと思われる。

 度重なるNHKの失態は末端のそれぞれが責任を問われて処分を受けたが、トップが涼しい顔というわけにもゆかないのが世間である。どこの企業であっても不祥事には責任をとって進退を明らかにするのが世間というものだ。ある人は言う、“わが国が辛うじて亡国を免れたのは、朕はどうなっても厭わないから とポッダム宣言を呑まれた大御心のお陰である“ と。それは正しくその通りである。原爆2発とソ連参戦はいかに陸軍が頑迷であってももう終わりであり、しかしこの人に踏み切って貰わない限りケリがつかなかったのだ。

 それならどうしてサイパンでタオルを投げて下さらなかったか、そうすれば大空襲の地獄はなく、またレイテの敗戦でなら沖縄が救われ、沖縄でなら広島、長崎が助かり、シベリアへは行かないで済んだのである。もう一度だけ敵に大打撃を与えてから和を・・・・とのためらいが結果として断末魔を迎えてしまったのだが、この勇気を欠いた決断の遅れが「結果」を問われる大きな責任となろう。

 これらをただし相応の処理を民族自らの手で成しえなかったツケがいま一挙に到来して、またしても国家の大計を誤ろうとしている。東京裁判を他人任せにして戦争責任の総括を逃げた酬いである。

 もう一度「もしも」が許されるなら、 もしもカマキリが面を冒してこの自浄作業をやっていたとすれば、少しは何とかなっていたのかもしれない。           < 完 >          


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