第3章
  2、枯蟷螂 三角でもの 考える

  <その5> カマキリに / 担い切れない / むしろ旗      2004.9.11〜
                                        

軍団とパルチザンについて リーダーの資質と「シベリア抑留」
古賀 誠議員への書簡 保坂正康氏への書簡 2
権威ある補償法案であるために・・・

軍団と遊撃隊について                   2004・9・11・

 電話の中で団結の大事さについてのお話がありましたが、私は少し違和感が残りました。以下こんな考え方もあるのだな と参考になさって下さい。

 闘う集団の形を大きく分類すると軍団型パルチザン型(ゲリラ)があり、後者は遊撃隊とも言う筈です。全抑協や未払いの会は前者であり、カマキリや江口さんの「記録する会」、李さんを支援する「グングン」などは後者、大きくは 共産党などは前者、「ベ平連」や「勝手連」は後者だと思います。申し忘れましたが「戦後処理フォーラム」のA氏はれっきとしたパルチザンで、彼には軍団型を辟易している向きが多分に見られます。陰に陽にこの両者の協同がいかに大事かは前大戦のフランス、ユーゴー、中国等のレジスタンスの活躍ガが物語っています。「シベリア問題」も同様で、その比重は戦況により変化しますが斉藤六郎時代はともかく、現状ではどちらのスタイルが適合するのかは微妙です。軍団は戦機と卓抜な指揮に恵まれれば大きな戦力を発揮しますが、一旦戦況が傾けば小回りが利かず、自分自身の重みに身動き一つ出来なくなって自壊の恐れが生じます、マンモスの自滅のように・・・・。現状では軍団よりも身軽で変化に素早く対応できるパルチザン型の方がベターではないでしょうか。鶴岡、東京、大阪とそれぞれが自らの維持に懸命で、カネとエネルギーの殆どを組織のマイナス部分に費やされ、敵を攻める作戦に充分機能していないように思います。

 大阪の混迷の原因もこれにあり、代表信条の “ 何はさておき団結を・・・・” の実態はどうか、私(連絡会議)との亀裂、事務局との疎外、とても団結どころか分裂の危機さえ危ぶまれ、その自浄能力をも失っています。

先代の緋田さんがあれほど見事に纏め上げた軍団が、一年を経ずしてかくも哀れな姿に陥ったのは、後継執行部の力量不足は別として次の二つが顕著です。 もっとも酷い病因は「団結病」で、組織は目的の達成のためにあるのではなく、“団結のために存在する" のだという組合病症侯群の一つであります。組織の運営は特に重要なことでなければ三役に一任され、一々相談せずとも代表の判断で執行し、事後役員会に報告のうえ了承を得るというのが通常で、一々持ち帰って役員会に諮らないと返事一つできない とはおかしい、しかしこの会はそれを忠実にやっているのです。“何事も役員の了承と団結が第一」” がその理由です。だから即答できない、子供の使いのようにすべては相談の上後日に返事で、これでは相手にされなくなる。「連絡会議」の共同代表を外されたのも当然です。忠告をしても “君は組織というものをご存じない。そんなやり方ではすぐ分裂です” と笑われる。運動の目的や方向がどうであろうと 「みんなでにこにこ仲良しクラブ」であり、ことごとに主客が転倒しているのです。

もう一つは「会議ごっこ」病です。運動をするということは会議をするということで、たっぷりと会議を楽しんでおられる。内容はともかく、独特のセオリーに従って時間を潰すことの快感、「会議は踊る」です。これも組合病症侯群の一種でしょうが、この会は年に一度の総会を組織の神聖な制度に則って粛々と開催し、会の無事安泰を祈るためが目的であり、役員の任務はこの式典の厳粛な演出にあるように見受けられます。私は組織のセクト主義の典型をここに垣問見る思いがいたしました。いったん踏み込んだが最後容易に抜け出せない幻覚と沈滞、これはわれわれ運動の目指すものとは全く異質のものであります。

さてその団結度ですが、これだけ多くの負の代償を貢ぎながら団結は果たして守られているでしょうか? 悪しき組合病症侯群に毒されたこの会は、まず私の忠誠心を根こそぎ奪ってしまいました。早晩「団結」とは「分裂」と同義語であることを予言しておきましょう。

貴論の団結の重要性は傾聴いたしますが、私はそれほど大事だとは実のところ考えていないのです。これでお判りのように私のコンセプトは「ベ平連」にあり、組織は苦手にしております。私はいま「9条を守る会」にも関わっていますが、この仲間たちは進退自由で団結は特に問いません。

 今日はこの系統の集会で「シベリアからイラクへの道程」と題して講演を致しました。

     リーダーの資質と「シベリア抑留」            2004・9・13・

 9月9日貴信の “この運動の指導者が60万人を超える被害者全体をまとめ、日本の政治を変える力量、資質に欠けていたというところに皆さんの不幸があり・・・・” は我々の泣き所を突いた指摘だけに胃に苦く、耳が痛い思いです。ただ仮に理想のリーダーを持っていたとして果たしてうまくいったかどうか? なるほど一部そうではあっても 私はこの失敗の主な原因が人物の資質だけではないように思うのです。

1、人物の資質が決め手か?

この現象はシベリアだけではなく、日本人はこの所人材払底で、近世の各界各層に殆ど逸材を見ることが難しいのではないか、私の乏しい経験でも “あぁこの人にはとてもとても・・・・” と自然に頭が下がり、分厚い存在感を感じさせる人物はごく少なく、僭越ながらダモイ後は特に記憶にありません。(政界では野中広務さんに少し、古賀 誠さんにいたっては皆目) いろいろな層の中で生を得てきた私が、私淑する数人の畏友はすべてシベリア仲間であり、何れもリーダー性とオーラを持った勝れた先輩たち、でしたが、彼らは例外なく運動には乗り出さず、陰からの支援役に廻りました。人それぞれに求めるものの違いでしょう。どこでもそうでしょうが我が国の野の遺賢の多くは悠々自適の道を好んだようです。

残念なことの二番目は高級軍人の無関心と反動です。運動に立ち上がったのは下層兵士ばかりで、殆どの将校は横を向き、時によっては燃え上がる炎を消す方向に廻りました。これは真に部下を愛し兵士の苦労を労わる気持ちが全くない証拠で、諸外国の上官の先導的献身と、人間としての出来の著しい違いです。

特に戦後混乱の我が国には、シベリア関係者だけでなく各層に傑出した人物は不在で、いくらシベリアが立派な訴えをしたところで相手や世間が聞く耳を持たない感度の悪さでは、所詮は同じ結果に終わったのではなかったでしょうか。

適当な例ではありませんがカマキリがもっと勝れた原告で、より良い弁護陣に助けられ、更に聡明で勇気のある裁判官に恵まれていたとしても、私は勝てなかったと思います。問題の大半はこの国がもっと別な要素で左右されたように思えるからです。

それは何か、私は冷戦という不幸な時期と、次に述べる国家の体質が織りなす歴史の必然、そのうねりに勝てなかったのだと思うのです。

2、国家の体質

 @ まァまァ、なァなァ の曖昧性・・・・敗戦責任の糾明と反省の著しい不徹底

 A 尊大なナショナリズムとその裏返しのアメリカ隷属

 B 偏狭な反共体質

 C 戦後補償より経済再建への国策優先3、大きな勝利と “もう少し何とか”について

 私の言う 勝てなかったとは “優秀なリーダーが居ればもう少し何とかなっていたのではないか・・・・”ではなく、冒頭の “日本の政治を変える” の方で、その意味は「シベリア抑留」が何故起こり、それは一体何であったのか の実相が、公開の場で総括されてきちんと顕彰され、ドイツのように適正な国の補償を受けること、そしてあらゆる戦争責任と贖罪が国民の真心でもって実施されること を言い、これが実現に到らなかったことであります。

 大きな勝利の、われわれが生きているうちの実現は不可能でしたが、リーダー性に充分でなかった指導者たちの献身で「シベリア抑留」の問題性を国に訴え、その解決に至らない実態を明らかにしてくれました。特に累次の裁判記録は不滅で、次代への貴重な礎であり、抗議の確かな資料となりましょう。より勝れた力量、資質の後世人によって「シベリア抑留」は初めて正しい評価を、大きな勝利を勝ち取ることができるでしょう。

 もしこの勝利なき闘いすら無かったならば 「シベリア抑留」は、ひもじい、寒い、辛らかったの情けないシベリア哀歌で終わり、惨めな敗残の哀れと屈辱だけが歴史に残った筈でした。

 私はもう少し何とか が得られなかったことは残念ですが、この困難な時代によくぞ次代への勝利の足掛かりを残し得たという満足と、完全でない資質をいとおしく思っています。

   衆議院議員 古賀 誠氏への書簡              2004.9.21.

秋の国会を控え、先生にはいろいろと国事研鑽にお取り組みのことと拝察申し上げます。

 私は去る1月28日にご多用の中を面談ご指導頂いたシベリア抑留者でございます。その節は誠に有難うございました。

  私どもの「シベリア抑留」問題も漸く与野党の解決法案が出揃い、近く審議される由に承っておりますが、戦後のブラックホールとも言われる奴隷労働の実相が国会の場において明らかにされますことは望外の喜びでございます。

  本件は発生以来実に59年の歳月を経過し、受難者の多くは世を去り辛うじて生き残った者の高齢化も著しい今日では、ことの是非は兎も角、その解決は歴史に対する共通の責務であろうと存じます。そのため我々は両者の最終的接点として次の二点を提案し、全党一致の審議、ご採択を願う次第であります。

                < 提案 >

1、慰労金が強制労働に対する未払い賃金の支払いを意味するものであること。

 国際法に基づく労働賃金が支払われていないことは国の認める処であり、(平成15.3.13.総務大臣片山虎之助答弁) たとえ僅かの象徴的な慰労金であれ、この点を明示しない限り紛争の根は永遠に切れません。単なる掴み金的慰労金である与党案に比べ、未払い賃金の支払いを趣旨にうたう野党立法を我々が支持するのはこのためであります。

 2、「シベリア抑留の日」の制定と顕彰、慰藉事業の実施

   戦後スターリンの大量拉致によりソヴィエト連邦及びモンゴルに抑留され、飢えと寒さと強制労働により甚大な忍苦と犠牲を蒙ったいわゆる「シベリア抑留」は事実上の役務賠償であり、平和日本再建の礎となりました。国と国民の身代りとして殉難した60万同胞の功績を称え、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキに続き国家として長く慰霊、慰藉を行うための記念日の制定を、超党派の総意で採決願いたいのであります。

 @ 「シベリア抑留」の日の制定

 8月23日はスターリンが不法にもソ連領への強制連行を命じた日であります。国は「シベリア抑留」が始まったこの日を国民の記念日に制定し、殉難の同胞に対し感謝の意を捧げ、毎年その功績に深甚なる顕彰の誠を表して頂きたい。

 A 慰霊、墓参、収骨、顕彰事業

 1)「シベリア抑留」の日に国家行事として慰霊祭を執行

 2)慰霊碑、慰霊塔の建立

 3)内外の慰霊碑、慰霊塔の整備保全

 4)墓参事業の推進と援助

 5)遺骨収拾事業の充実

 6)其の他付帯する事業

 B 次代継承事業

 1)「シベリア抑留」の実相、労苦に関する資料の収集とその保管及び展示

 2) 〃                     調査、研究、記録

 3) 〃                     出版物の刊行と頒布

 4) 〃                     講演会及び催事の実施

 5) 〃                     教科書への記載と次代への伝承

 6)其の他付帯する事業

 来年は「シベリア抑留」発生以来満60年を迎えますが、奇しくも日露戦争の100周年の年でもあります。各位に於かれましては共に祖国存亡のために戦った兵士の運命を想起願いたいのであります、戦火が収まって後に発生したシベリア抑留が、激闘の日露戦役戦死者総数を遥かに上回る犠牲を生じておる事実を、またその調査ですら、その顕彰ですらも放置されたまま、強制労働による賃金さえも払わない国の非情を であります。

この未解決の国民的課題を良識の府であられる方々が世界と後世に恥じない円満解決を講じて下さいますよう、老兵一同切望するものであります。

先生には特に恩欠問題に関心がお深いように承っておりますが、どうか我々シベリアにもご英断を賜り、折角のお計らいが死に金にならないご配慮を偏にお願い申し上げます。

  
 保阪正康氏への書簡
 2
                       2004.12.28. 

“中国から見た昭和という時代” を拝読し、心を打たれました。

戦前三年を「満州」と呼ばれた地に住んだ私が、その後訪中するときには必ず “戦争では大そう酷い事を致しまして申し訳ありません。深くお詫びいたします。” と決まり文句を述べたものですが、返ってくるのはハンコで押したような周 恩來さんの言葉でした。“いや先生、悪いのは一部の軍国主義者であって、決して貴方の責任ではありませんよ” こうして便利なビザのような免罪符を手にしないことには安心が出来ない、またこの儀式さえ済ませば〆たものだと大手を振って歩いたものでした。内心は少し虫が良過ぎはしないかと思いながら・・・・。しかしこれが日本人向けのサービスではなく、自国民の暴発を防ぐ深慮だったと聞き、背筋が寒くなりました。中国には底の知れない恐ろしさがあります。

安倍晋三氏などが代表する一連の単細胞的発言は実に憂うべき大事であり、それを鋭く指摘された先生の卓見は一大警鐘であろうかと存じます。

 私は「シベリア抑留」を基盤に前の戦争の後始末を忘れた我が国のやり方を批判し、また中国や韓国、アジアの人々への謝罪と補償の推進を訴える立場から以下を申し述べたいと思います。

1、日本人は忘恩の徒か

 350万の同胞と2000万のアジアの民を殺めた15年戦争が、侵略戦争以外の何ものでもありえないことは弁解の余地のないことで、この罪業はそう簡単に消え去るものではない筈です。被害を蒙った人々やその周辺の心に深い傷跡を残したまま、陳 立夫のいう永久戦争は未だ休戦に到っていないのであります。なぜか、この原因は下手人としての反省と償いが極めて不充分な我が国の対応にあり、この点同じ敗戦国であるドイツに比べ著しく見劣りがするのは歪めない事実であります。“その罪を憎んで人を憎まず” の一言をもって甚大な戦禍を棒引きにしてくれた中国の寛大を日本人は忘れたのでしょうか? そのときの荒 正人氏の述懐を我々はもう一度思い出す必要があります。“この勘定もできない莫大な借りを一銭も払わないなど、天が赦すはずがない.それを思うと空恐ろしくて夜も眠れない”

 あまつさえこれら惨劇の歴然たる事実に眼を瞑り、その声にも耳を貸さず自虐史観として誹謗するに到っては、この忘恩を恥じない徒輩を同胞に持つことにこそ私は自虐を覚えるのであります。

 1972年締結された日中共同声明は “・・・・過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについて責任を痛感し、深く反省する。” ことにより中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、“日本国に対する戦争賠償の請求を放棄すること” を宣言したのであります。従って道義的はともかく、法的には国と国との貸し借りはありません。しかしそれは国のレベルの話であって、中国人民の持つ請求権は今も生きていて、これが両方とも放棄されている他国民と大きく違う点を忘れないことです。“喉元過ぎれば熱さ忘れる” と言いますが、大恩ある中国及び中国人民に面と向かって言える台詞であるかどうか、安倍晋三氏は考え直す必要があります。

2、靖国考

 中国を語るとき、いまや避けて通れない問題として「靖国」がありますが、私は参拝すべきではないと考えます。 戦前、戦中の占領統治政策は、老獪なイギリスなどに比べ実に拙劣で、我が国は何のトクにもならないことを相手が最も毛嫌いする形で強制する癖がありました。宮城遥拝、創氏改名、日本語強要など、その一つに神社遥拝がありました。鳥居の前に来ると 誰れ彼れ構わず頭を垂れさせるのですが、馬車であれ電車の中であろうと怠る人を見ると容赦なく撲りました。この愚行がどれだけ現地人の自尊心を傷つけたか、人には人の心があり、相手が嫌がることは避けるのが礼儀ではないでしょうか。ましてや「靖国」は侵略戦争の申し子で、近親を殺めた下手人を神と崇める神社を彼らが赦すわけがない、わが身に立ち返って考えれば誰にでも判ることであります。

 中国戦線に加担した兵士の多くは自らが犯した蛮行の数々を語りませんが、天網は疎にして漏らさないのであります。殺す、犯す、焼く、戦陣に仆れた兵士は戦争の被害者であると同時に加害者であったことは、多くの事実が証明するところです。

 更に言うなれば「靖国」はこれら被害者を殉国の神として崇める場ではなく、非命に斃れた死者の怨恨を鎮める場であります。前大戦でこの場に祀られた兵士の六割は餓死と水没によるものと聞いた事がありますが、人命軽視と暗愚による作戦から、また大義名分の定かでない戦いで死なねばならなかった多くの怨霊に詫び、謝るためであり、決して神と崇めたり英雄として阿ったりはすべきでないと思うのであります。

3、国がこうなら草の根で

 来年は戦後60年、私たち戦争を知る者の多くは世を去り、また老いた今日、「中国に親しみを感じる日本人が激減している」 との調査結果が報じられています。我々にとり戦争とは何であったのか、その体験は次の世代に生かされているか? まことに残念なことに国の反省と償いは極めて不充分であり、報恩の誠意が示されているとは思えないのであります。それがため各国の人々が陸続と我が国司法の門を叩き、謝罪と償いを求めるのですが、被告である我が国はその殆どを退けています。

 そのような心の痛む中で私は一つの光明を見たのです。それは天声人語が報じたある中国女子大生の作文でした。

・・私が15歳のとき、父が日本人女性と再婚した/結婚式の日には、シロという犬を連れて家出した。「母といいたくなければ小母と呼んでもよい」と父は言ったが、冷たく拒否した。継母には自分の持ち物やシロに触れさせなかった/音楽学院の入試を控えて大病にかかり入院した。継母は自分の血を輸血してくれた。意識が回復し、疲れた彼女を見て心が大きく動いた。シロの世話を彼女に託すことにしたら継母は涙を流した。冬休みに帰ったら、お母さんと呼ぼうと心に決めた/冬休みに帰宅しても「お母さん」はいなかった。シロを連れて娘を迎えに出たとき、急に走り出したシロを追いかけ、車にはねられて亡くなった。残された日記には、その日を楽しみにしていたことが書かれていた。「お母さんの遺志を継いで中日の架け橋になりますよ」 と作文は結んでいます。

 逆風とも言うべきいまの日本で、これらを闘う外国の人々を支援し、辛うじて友好を繋いでいるのは非力な草の根の市民であります。日本国が忘恩の謗りを受けようとも、この薄幸の継母のように一人一人の日本人はそうではない、中国はもとより韓国やアジアの人々、また抑留されて強制労働の苦難に耐えたアメリカの元捕虜の諸君とも交流し、励ましあい、何よりも先ずこの国を 一日も早く道義の正しい、憲法の理念に則った国にしたいものと願う今日この頃であります。

 

権威ある補償法案であるために・・・・           2005.1.3.

 我々の弛まない運動の成果により、総務省は遂に「シベリア抑留」の生存者を12万5千人(2003年度末現在)と発表しました。

その推定根拠は生存率37.75%、請求率70%であります。

 そのため昨年上程された民主党の「戦後強制抑留者に対する特別給付金の支給に関する法律案」は衆議院法制局の指導監修を受けていたに拘わらず、政府、自民党より不利な計算根拠を強いられていた事実が暴露されました。即ち民主党は生存率を60%、請求率ゼロで計算させられ、従って生存者を283.760人、支給総額を988億円と試算したのであります。

 

 今回の総務省試算通りの12万5千人で計算すればどうなるでしょうか?支給総額は435億円と半分以下に収まります。

 多年念願の補償法案上程が現実のものとなりましたのは偏に民主党のお陰であり、一同の深く感謝するところでありますが、このままでは法案と貴党の権威を損なう恐れあり、状況の急変に伴って適確な修正をご配慮下さらんことを切望いたします。

1、修正についての私見

 法案の趣旨と予算規模を尊重し、別表1の通り試算いたしました。


 <別表 1> (人) (人) (一人当) (万円)  (人)
抑留期間 帰還者数 生存者 給付金 遺族数
〜23.12.31 375393 99218 ×40万 3968720 276175
〜25.12.31 94963 25100 50万 1255000 69863
〜27.12.31 8 2 100万 200 6
〜29.12.31 1217 322 150万 48300 895
30.1.1.〜 1353 358 200万 71600 995
472934 125000 5343820 347934

@大幅な余剰を埋めるため最低額30万円を40万円に増額。 生存者支給総額推定534億3820万円

A帰還後死亡の遺族にも法案趣旨が行き届くようご配慮を・・・・。遺族数34万7千人×請求率50%×50%給付での推定支給総額は302億8090万円ですが、遺族の方は抑留期間までご存知ではないと思いますので、一律20万円が妥当かと存じます。遺族支給総額推定 347億9340万円

  B“抑留者は何処にいても抑留者”であり、皇軍として徴兵された外国籍の兵士を拒む  理由は立法趣旨から  して何一つない筈です。帰還総数2162人、生存判明者は僅  か40名弱、もはや詮索するほどの数ではあり  ません。外国籍支給総額推定2億円 

  C以上の概算合計は884億円。予算規模以内で一段と濃い内容が組めるものと存じ  ます。

  D修正された民主党法案は政府、自民党法案にはっきり差を付ければ付けるほど採  択其の他総てに有利かと思います。

2、超党派採択を目指して・・・・

 政府、自民党案に比べ立法趣旨の高さ、条理の正しさ、内容の優劣は誰の目にも明らかでありますが、採決は至難でありましょう。数で押す与党をどう説得し、理解を得るか、それらを以下、ご参考になれば幸甚です。

@ “03年の「平和祈念事業」で個人補償は総て決着済” は一方的な言い方で、決してそうではありません。

 A,「平和祈念事業」には以下全会一致の付帯事項があります。“戦後強制抑留者に対する措置について、引き続き検討を行うこと”

 B,片山虎之助総務大臣と坂口 力厚生労働大臣は所轄の委員会に於いてそれぞれ次の発言をしています. “未払い賃金が支払われていないのは事実であり、それを国会で論議を尽くすことは大いに結構”

 C,司法の判決においても“補償の要否及び在り方は、国政全般にわたった総合的政策を以って決し得るものであり、立法府の裁量的判断を求める。”としています。

 D,未払い賃金を払っていない債務者が、自分勝手に債権者に向かって解決済みを言うのは無茶苦茶で、ローンを借りた男がサラ金屋に言って通る理屈かどうか、先生方はどうお考えでしょうか?

A 自民党へ

 相沢英之氏が言うとおり昭和61年には加藤六月議員が起草し斉藤邦吉幹事長が推進した自民党議員立法の「シベリア補償法案」がありました。不幸にして政府の圧力により日の目を見ずに消えましたが、自民党の先生方、その提案理由を是非思い出して頂きたい。19年前に比べ、今回は掌を返す変心ですが、これでは天下党としての信義が疑われます。参考までに当時の「被抑留者等に対する特別給付金の支給に関する法律案」を今回基準に合わせて試算すれば別表 2の通りです。推定総額1641億円強。今回がいかに謙虚な要望であるか、ご理解の材料としてご覧に供します。


<別表 2>  (人) (人) (一人当) (万円 (万円)
抑留期間 帰還者数 生存者 給付金 遺族支給
昭和21年末迄 1322  ×50万 66100 46000
22年末迄 200771 53065    65万 3449225 2400223
23年末迄 169615 44830    80万 3586400 2495720
24年〜 97548 25783   100万 2578300 1794200
472934 125000 9680025 6736143

B公明党へ

 昭和62年には野党共同提案として「シベリア補償法案」が上程され、当時は野党であられた公明党も参加されています。残念なことに自民党に押し切られて不採決廃案となりましたが、この場合も実に立派な提案理由でありましたが、今回も是非そのお気持ち通りのご採決をお願い申し上げます。また当時公明党の竹内勝彦、鈴切康雄、井上和久の各先生は衆議院内閣委員として法案成立に献身努力を賜りました。先生各位におかれましてもどうか先輩のご意思達成に尽力賜りますよう期待いたします。

 戦後60年、全世界は平和を望み人類の幸福を願わないものは誰一人居ないでしよう。特にアジア圏諸国は争いのない繁栄と友好を求め続けています。そのためには前大戦の誠実な反省と後始末こそが我が国の義務として求められるでしょう。急がば回れ、この戦後処理の推進こそが新しい平和の国策として、新しく政権を担う党の使命であり、「シベリア問題」はその魁として真っ先に解決されるべき試金石であろうと思います。

シベリア立法推進会議 世話人 池田幸一
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