<その7> その日は突然やってきた 2003.10.21〜
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日露平和条約と「シベリア抑留」 2003.10.21. 「シベリア抑留」と引き換えに北方領土を取り戻せ。老兵の命を生け贄に 腰を据えた外交を・・・・ 1、 はじめに 10月17日の読売新聞は “日露平和条約締結の事前協議加速” を報じている。 いよいよ決着の時期であるが、戦後60万の兵士を連行され長期に渉って役務賠償の屈辱を強いられた「シベリア抑留」は、領土問題と並んだ二大懸案であるに拘わらず、政府は既に解決済みと称して闇から闇へ葬りたい意向のようであるが、これはまさに歴史の暗殺である。なぜ両国は事実をひた隠しに隠し、被害者の言を恐れるのか。 一つは 国体護持のために関東軍を敵国ソ連に引き渡したと言う外聞を憚る事実。 “日本国がいずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理または戦争請求権処理を行ったときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼされなければならない” 6月14日の第3回会議においてヤコブ、A,マリク全権委員は12箇条の草案中に請求権の相互放棄を示しているが、その3項においてソ連の賠償請求権、並びに請求権を、4項においては日本の請求権を共に放棄すると言うものである。 1)“ソ連が大きな利益を得たのは事実でありましても、法的に我国として、これを賠償の一つの形態として認めることはないわけであります。” *昭和53年6月8日、参議院内閣委員会における政府答弁より これが我国の一貫した見解であるが、認めるべきを認めようとしないだけのことである。事実あっての法か、法あっての事実であるのか。国の見解は逆転している。 3)「日ソ共同宣言」の交渉に臨んだ我が方の心情は察するに余りあり、「シベリア抑留」の 屈辱は言うに及ばず、強奪し尽くした火事場泥棒的なソ連の強欲、非戦闘民にまで悪 逆の限りを働いた非道、またその憎むべき相手に和平の仲介を依頼していた己の不明 と悔い、それらを抑えて“役務賠償ではない” とするのは如何にも無念、はらわたが煮 え返る思いであったに違いない。しかしそうでもしない限り他の国々とのバランスが取れ ないのであり、従って兵士への支給も給料であって、労働賃金ではない。(なお給料は 帰還時に戦前価格で支払われた) 5、捕虜の労銀は支払わるべし 1)両国必死の努力も国際法の前には消滅の他はあるまい。我々は日本兵であると同時に国際法に基づく捕虜の身分をも持つものであり、労働の形態が役務賠償であると否とに拘わらず、その代償として賃金が払われるのは動かし難い鉄則である。またその支払人は日本であることに何の疑いもない。 2)戦争の後始末をする場合の第一条件は双方捕虜の送還とその貸方勘定の清算である。特に労役による未払い賃金の決済は優先されるが、これが「日ソ共同宣言」において相互放棄の形となったのは、先行したサンフランシスコ条約の条件に倣ったものである。即ちどの国も自国民自国補償であり、支払義務者は捕虜の所属国である。 3)捕虜の個人的請求権が相互に放棄された以上、ソ連が立て替えていた捕虜の食費を含む給養費と、日本が請求すべき捕虜の未払い賃金は双方が支払いを免れたことにより、給養費はソ連負担、捕虜の賃金は当然のことながら日本の負担となる。 4)従って我々の未払い賃金(南方帰還者と同様に給養費を含めて)は日本国が支払わねばならない。 6、内にも外にも支払わない日本 ところが我国は “放棄したのは外交権と外交保護権であり、個人の請求権まで放棄したものではない” と称して「シベリア抑留」の未払い賃金を支払わないのは、仔細あってのことではなく、カネが惜しいためである。それであるなら立場が反対の敵国捕虜の賃金は払うのか と言うと、これまた一度たりとも払ったことはない。“君たちの請求権は条約により完全かつ最終的に放棄されているから・・・・” との主張がその理由である。この二枚舌で内にも外にも払わないと言う 世にも不思議な破廉恥が、我国では堂々と罷り通っているのである。 7、 日露平和条約に「シベリア抑留」の老兵が望むこと 1)双方の請求権を相互に放棄した以上、「シベリア抑留」から生じた未払い賃金の支払い義務は法的にはロシアにはない。しかし、人道的、道義的責任まで消えたわけではなく、スターリンの悪業、ソ連の無法はいまもロシアの良心を咎める心のトゲである。この弱点を鋭く追及し、同時に北方領土の返還を強く要求すべきである。「シベリア抑留」の生々しい犠牲がこの交渉に生かされてお役に立つのなら、これこそ老兵の本懐であり生き長らえた身を誇りに思うであろう。 2)政府は「シベリア抑留者」に対し、未払い賃金に差支えがあるのなら、これに代わる誠意ある補償を実施することである。自らも血を流し共に苦悩を分け合うこと、これをやらない限り交渉に迫力がかからない、そうでないと 相手に以下のような一笑を買うだけだと肝に銘じて頂きたい。 “お話はよく判りますが、気の毒なのは捕虜の兵士であって、貴国は一銭もソンをされていないではありませんか?” と。 3)賃金が未払いであることは現職の大臣も認めた所であり、また“その支払責任もソ連であろう” という以上、ロシアの誰が、いつ、どのように支払うのか。性根を据えて交渉されたい。 中野寛成議員への提言 2003.10.25. いよいよ総選挙、私は地元市民として非力ではありますが周辺に呼び掛けて、極力先生の応援に力を尽くしたいと思います。めでたくご当選の暁には引き続き「シベリア抑留」解決にお知恵とお力を頂きたいのでありますが、取り敢えず緊急の事として「補償法案」改良について、以下ご検討下さいますようお願い申し上げます。 民主党立法の「戦後強制抑留者に対する特別給付金に関する法律案」は、貴党の並々ならぬご理解の下 次の通常国会に出されますことは一同感謝に堪えぬ所であります。しかし、仔細に検討いたしますと、惜しむらく若干の瑕瑾あり、本来の精神が充分に生かされていない憾みがあります。残された僅かの時間に党として修正賜り、折角の法案が万人の感謝と喜びの中で成立できますよう、ご再考を願う次第であります。 1) 要綱骨子(案)に基づく試算は以下の通り 民主党立法案・・・・・・・1,000億円 (3年分割) < 遺族 ゼロ > 〜 昭23.12.31まで 30万×225,235人 = 675億7050 昭24.1.1.〜昭25.12.31.まで 50万× 65,978 = 284億8900 昭26.1.1.〜昭27.12.31.まで 100万× 5 = 500 昭28.1.1〜昭29.12.31.まで 150万× 730 = 10億9500 昭30.1.1.〜 200万× 811 = 16億2200 *総帰還者472,934人×生存率60%試算 計 283.759人 987億8150万円 2) 改善をのぞむ諸点 A,5段階の上位3つは殆ど対象者がなく、有名無実ではありませんか。 B,制度が別とは言え、長期の人々の殆どは軍人恩給の受給者であり、均一にしてもさして公平を欠くことはありません。 C,この区分は未払い賃金に代わる給付金であることを暗示する趣旨と思われますが、1000億規模ぐらいで賃金支給の意義付けは無理ではないでしょうか。 D,遺族ゼロは致命的、本人を削っても遺族50%支給を基本となされたい。 E,1000億では一律で本人30万、遺族15万であり、抑留月あたり1万円未満ではとても賃金とは言えなく、そうなると何のための給付金かの趣旨が判りにくい。 A,これらの瑕瑾を満たすためには最小限2000億規模が必要で、その細部は抑留者側とも協議下さいますようお願いいたします。 B,最も判り易い案としての均一制 * 総帰還者47,3万×生存率60%×歩留まり90%として 生存者25,5万人×60万円=1530億、 遺族17万人×30万円=510億 計2040億円 *実施の場合は趣旨または前文で “受給者の愛国的譲歩により、寡少ながら未払い賃金に代わるもの” との明示が必要 C,其の他 以下のモデルも参考に 4)軍人恩給とのバランスについて 其の他のモデルを提示する前に軍人恩給とのバランス案についてひと言。この公表は好ましくないが、立案作業のためには必須の要素としてぜひ取り上げて頂きたい。 A、 抑留者は抑留者、捕虜は捕虜である以上、軍恩受給者を本案から排除する謂れは全くない。しかし、国は推定60%が節約できるとなればおそらく彼らの失権に手を染めるであろう。現に国は1988年8月、「平和祈念事業」において10万円を惜しむの余り、軍恩受給者に差別をした実例がある。 B、 軍恩受給者は該当年数が長く ランクも高いので、彼らを適用外とすることが可能なら 多いと思われる次のプランも2000億以内で済むことになる。 C、 これには二者選択性の導入が良策。即ち今回の給付金を取って、軍恩の受給権を放棄するか、またはその逆。 おそらく殆どは後者の軍恩受給の権利を残し、給付金を捨てるであろう。 D、 それらを踏まえ、予め「のりしろ」として組み入れた法案を審議の途上で充分に叩き、2000億以内に落とし込めば さしもの難問もきれいに解消する。 B、 抑留月×4万円、 遺族×2万円では 4248億。同じく60%引きで 1700億円 C、 抑留月×5万円、 遺族×2,5万円では5312億。 〃 2124億円 *因みに北洋拉致漁船の抑留船員の補償は一日当たり3千円(月額9万円)である。 起草者はぜひ軍恩バランスの採用を検討され、弱い立場の者に力点を置いた効率の良いプランを立案頂きたい。 19 2003.12.20. 明々白々な国の不法を正すのにこんなに時間がかかるとは・・・。今年も最高裁の判決がないまま2003年も過ぎようとしています。来年はきのえさる、一陽来復の「萌動甲申」の年と言います。勝訴を楽しみに元気で新年を迎えましょう。 1、与野党の勢力分野に大きな変化はなく、総選挙は「シベリア抑留」に限っては良い結果ではありませんが、直前に行った議員アンケートは9割以上が前向き回答と、立法運動には力強い数字を齎して呉れました。 (資料1)
2、特別国会に合わせた第3回の座り込み行動は11月21日に決行され、新議員全員に「シベリア立法化推進」を強く訴えました。 (資料2)
3、民主党起案の「戦後強制抑留者に対する特別給付金支給に関する法律案」は既報のとおり大幅に圧縮され、とても満足できる内容ではありません。カマキリはせめて遺族分を・・・と力説したのですが 力関係、特に時間が乏しい老人では最後の機会すら失う恐れあり、とにかく国会に出すことが先決 との現実論を超えられず、多数意見に従うことになりました。遺族分は一度ではとても無理だから、今回風穴をあけた所で間髪をいれず追加上程する計画となりました。 (資料3)
4、法案は1月の通常国会に出し、衆院内閣委員会に付託され、審議入りは早くて4月、採否の決定は6月に終われば上々。すぐ閉会、参院改選となります。
5、さて成立の可能性ですが、第一関門の内閣委は委員30名、(自民16、公明2、民主11、共産1、)で、数字で見る限り採択は難しい。しかし元来は与党だから反対 と言う問題ではない筈で、関係者はいま水面下の工作に懸命です。
6、自民党を母体とする相沢派の協力があれば成立も夢ではなく、夏以来幾度か合意の申し入れを行いましたが中々受け入れられません。長年の確執と意見、方向の違いが深いのですが、いつまでも小異に拘って大同出来ないのは誠に残念なことです。相沢英之という「シベリア抑留者」最後の議席を選挙で失ったいま、前を向いた新しい協力が是非必要です。その傷の深さとカマキリの願いを(資料4)でお汲み取りください。 *年末年始のご挨拶は省かせていただきますが、皆さまどうぞ良いお年をお迎え下さい。 「平和祈念基金解散へ」以後の提言 2004.1.13. 山はついに動き出した。 長い人生を振り返るとき “あァ、あの時に手を打っていれば・・・・、滅多にない勝機だったのに。” と悔やむことの一つや二つは誰しも持っている筈である。読売記事以後の現在、我々は一見最悪の闇の中にいる。しかし これこそ天が与えた数少ないチャンスではなかろうか。その理由を言っている暇はない、カンである。それには青木泰三を口説くことだ。その前に以下を参照されたい。 < 時の流れ > 2003.8.21. 土岐会談・・・・ 鈴木善三と石元、池田会談 9.09. モスクワ、シンポジウム・・・・青木、鈴木参加 9.24. 土岐会談纏まらず白紙に 10.29. 東京、九段会館講演会・・・・青木発言 11.05. サンケイ新聞記事・・・・・・・・青木発言 11.09. 相沢英之落選 11.中旬? 青木泰三、上坂冬子対談 12.05. 〃 「諸君新年号」に掲載さる 12.23. 佐藤剛男パーティで寺内氏が青木に接触 2004.1.07. 政府「平和祈念基金」解散を発表 1.08. 読売新聞に掲載さる 青木泰三が政府筋から解散を知らされたのは察する所11月下旬から12月上旬の間であろう。政府、自民党は1)相沢失脚2)議員連盟の衰弱3)民主党立法、其の他の事情から、我々の覚悟と同じように6月までにケリをつける決意をし、青木にも引導を渡したものであろう。この幕引きはシベリア老兵切捨ての止めを打つためのものであり、血も涙もない冷酷な処置である。 青木に激震走り、佐藤パーティで寺内アピールを拒否しなかったのも落胆と、一種の弱気であろう。 青木を口説け この際懇談を申し入れ、どんな手段を駆使しても二者会談を実現されたい。辞を低くして新情勢の教えを請うとするもよし、有力議員を入れるもよし、兎に角今は会って話すが一番。あとは寺内氏の器量一つ、理屈は無用、決して異は立てず、立てるのは相手の顔で。 最低の目的は民主党法案の成立 *青木をして議員連盟を中心に与党採択を強く要請、これは「財団」を潰し、青木に恥を欠かせた代償である。 *このまま政府方針の押し付けではさすがの自民党も忸怩たる心境だろうから、ここで古証文を蒸し返す必要がある。昔の自民党議員立法の補償法案である。約束した慰藉が出来ないと言うなら補償の復活である。 *軍恩加算はどうしてくれるのだ! その自然減の年700億をどうするか。 *400億の基金は三団体のためのもの、シベリアだけで処分はできない。一旦は国庫返済が筋だがこれらを纏めて法案の嵩上げ、内容の改善を。 *最悪の場合で原案の採択である。 悪いのは相沢一人、青木、鈴木には花道を これが「財団」派に残されたタダ一つの道である。そうでないと「シベリア抑留の裏切り者」の汚名を末代まで残すことになる。悪いのは相沢だけよろしいのだ。 6月には我々の努力に正比例した結果を受け取ることになる。いま死力を尽くして闘わない以上、国の書いた筋書きの通り 踏んだり蹴ったりの惨めな敗北が待っている。 20 2004.1.31.
1月18日、カマキリ訴訟の代理人である江藤事務所に「判決言渡期日通知」が送達されました。1月27日午後1時30分、最高裁第3小法廷。上告人の木谷丈老、池田幸一は上京し、江藤弁護士はじめ「シベリア立法推進会議」平塚光雄世話人など多くの支援者とともに隼町へ・・・・箱根の寄木細工を思わす最高裁ビルに入り、御殿のような法廷で運命のときを待ったのであります。 最高裁 カマキリの上告を棄却 平成16年1月27日 最高裁第3法廷は不当にも「シベリア抑留」最後の訴えを充分な審議も尽くさず棄却しました。三くだり半のごとき判決文は以下の通りです。
平成14年(オ)第1553号 判 決 当事者間の大阪高等裁判所平成13年(ネ)第118号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成14年6月28日に言い渡した判決に対し、各上告人から上告があった。よって、当裁判所は、次のとおり判決する。 主文 本件各上告を棄却する。 上告費用は上告人の負担とする。 理由 1、上告代理人江藤洋一の上告理由書第1及び第2について シベリア抑留者が、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言6項後段に定める請求権放棄により受けた損害及び長期間に渉る抑留と強制労働よって受けた損害は、いずれも第2次世界大戦及びその敗戦によって生じた戦争犠牲又は戦争損害に属するものであって、これに対する補償は、憲法11条、13条、14条、17条、18条、29条3項及び40条の予想しないところといわざるを得ない。したがって、上告人らが、被上告人に対し、憲法の上記各条項に基づき、その補償を求めることはできないというほかない。このことは、最高裁昭和40年(オ)第417号同43年11月27日大法廷判決、民集22巻12号2,808頁の趣旨に徴して明らかである。(最高裁平成5年(オ)第1751号同9年3月13日第1小法廷判決、民集51巻3号1,233頁参照)。上告人らが被った犠牲又は損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても、他の戦争損害と区別して、憲法の上記各条項に基づき、その補償を認めることはできないものといわざるを得ない。 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。 2、その余の上告理由について 論旨は、違憲及び理由の不備をいうが、その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって、民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。 最高裁判所第3小法廷 裁判長裁判官 濱田邦夫 裁判官 金谷利廣 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 *なお元同志の松本 宏は別途に単独で上告中でしたが、俗に言う門前払いの不受理に終わっています。
しかし事は終わりました。カマキリは引き続き補償法案の成立を目指して立法府での運動に余力を捧げる所存ですが、一旦はここらで残務を整理し、解散するのが筋であろうと思います。折角のご縁の解消は誠に心寂しい限りですが、広く皆さまのご了承を願う次第であります。
年が明け「シベリア抑留」は急転直下の様相で、漸く山が動き始めました。民主党の法案上程の先を越すように自民党は突如「平和祈念事業特別基金」の解散を言い出し、いよいよ本年は老兵に止めを刺す気のようであります。これら新情勢の詳細については次号でお知らせいたしましょう。 長年のご支援を感謝し、取り急ぎご報告まで |
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