第3章
  1、最高裁判決まで

  <その1>  舞台は東京へ・・・                 2002.9.26〜

相沢派というゴースト集団
について
慰霊、鎮魂の儀式に
一歩踏み込もう
徳留絹枝氏への書簡
「シベリア抑留」はソ連に対する
役務賠償であること
個人請求権考

       相沢派というゴースト集団について          2002.9.26.

  なぜ「シベリア抑留」の運動は真っ二つに割れて争われるのか、目的は同じであるのにどうして仇敵のように憎しみ合わねばならないのか、この “豆殻で煮られる豆”の ような愚はいい加減にやめねばならない。ところがこれがなかなかに難しい問題で、両者はいまや犬猿どころではない仇敵同様の間柄になっている。

 裁判でケリをつけようとする一派と自民党に頼もうとする勢力に分かれたのが原因のようだが、この分裂の仕方がいかにも馬鹿げている。ときの県連代表が自分の好みで支部の去就を決めているのだ。俺の県は「左幕」、うちは「勤皇」で、会員個々の意思と期待は無視されている。原子で分裂すべきを分子で分けてしまったこのマイナスは大きく、以後補償運動はその半分が「死に県」になってしまったのである。従って大阪は全員が相沢派、京都は纏めて「斉藤派」と、全国は府県別の二色に色分けされ、私がいくら裁判を叫んだところで大阪では相手にしてくれない。その両派も老獪な政府に操られて共に傷つき、精一杯戦って敗れた斉藤派はまだしも、政府の御用組合に変身した相沢派は哀れ以上に罪が深い。

 この相沢派との接点を探るべきではないか の声を聞くが、彼らは既に役所の一部になり、その実態は有名無実のゴースト集団に化している。運営は幹部数名と役人だけの、組織図はあっても動く会員はなく、看板だけの相沢一家になっている。会費不要の会員名簿と 政府からの補助金のほかには何一つ実体のない集団で、抑留者の要求をスポイルするための下請け機関に成り下がっている。この集団は「戦後強制抑留者補償要求推進協議会」と言う 長い名前の任意団体であったものが、政府の肝いりで作った「財団法人全国強制抑留者協会」の二重構造となり、現在は二足の草鞋を履いた蝙蝠組合になっている。財団法人の運営はスポンサーの意のままで、そのスポンサーとは5億円を拠出している政府(平和祈念事業基金)であり、その目的は役人天下りの受け皿機能と補償要求の焦点ずらし以外ではない。平和祈念事業は個人の補償要求や反政府行動などを平和祈念という大風呂敷で包み込んで消滅させるのが目的の官製事業団だからである。

 政府与党は相沢派を操ることによって まんまとシベリア抑留補償要求の激しい炎を消し止めることに成功した。もう数年もすれば補償々々と口うるさく逆らった不逞の輩はこの世から絶滅するからで、これらを見ると私は 終戦直前の近衛要請の一件が思い出されてならないのである。和睦の仲裁をこともあろうに悪党スターリンに依頼しようとした話、これと同じようにシベリアで苦労を共にした多くの友たちが、最も望ましくない相沢を頼むと言う最悪の誤謬を犯したことに気が付いていないのである。

  相沢派の営業品目

この団体の機関紙には扱い品目が100円均一ストアのように並んでいるが、しかし肝心な商品は何一つ置かれていない。シベリア抑留者の必需品は

 1)シベリア抑留の真実の解明

 2)労苦に対する顕彰と、正当な補償

主にはこの二つであり、それ以外はさして暮らしに困る品物ではない。

 平和祈念事業のカラクリ

慰霊碑建立、労苦調査、語り継ぐ集い、抑留史、墓参団・・・・。形を作り、品数を揃え、一所懸命やっていますよ と、すべて国の税金を使ったこれらバーゲンセールが、個人補償を免れるための虚構なのである。この泥舟に乗り、さも自分の手柄のように言う人々こそ、実は抑留者本来の願望をもみ消そうとしているのである。慰安婦に対する処置として「女性のためのアジア平和国民基金」というのがあるが、「平和」の文字には眉毛に唾をつけたほうが良いようだ。しかしこれらにいくら励んだからと言って未払い賃金を払わなくても良い ということには繋がらない、それとこれとは全く別の問題なのである。未払い賃金を我々の手で勝ち取ったとき、初めてこの人たちの売名行為とピエロのような見せ掛けの演技が無駄であったことを知ることであろう。

 相沢派の鉾先は狂っていた

この人々は抑留者が受け取るべき未払い賃金や補償金の支払い義務はソ連(ロシア)にありとして毎年国費で訪ロし、シンポジウムをひらいている。補償を受け取る鉾先をモスクワに向けるためである。この主張の根拠は相沢英之質問主意書に対する小渕恵三答弁書によるもので、“日ソ共同宣言第6項による請求権の放棄については、国家自身の請求権を除けば、いわゆる外交保護権の放棄であって、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。”を信じ込んでのことであるが、この理屈が国際社会に通用する筈はなく、残念ながらロシア側の苦笑を買う以外の効果は挙がっていない。

 それをやるなら更に一歩を進め、是非ハバロフスク辺りでロシアに対する補償要求の裁判を提訴されるべきであった。国際法ではとても勝てる主張ではなく、棄却されるのは確実であろうが、これは価値ある敗訴となるであろう。何故なれば、支払い責任は必然的に日本政府に確定するからである。それでこそ相沢先生の賢明ではないが勇気ある行動としての令名が末代まで残ったことであったのに・・・・・・・。

  相沢派の破綻

昨年10月、東京高裁が“請求権のすべて放棄” を判示したことによって この相沢イズムは完全に破綻したのであった。支払い義務者はロシアではなく、日本であることを日本の裁判所が明示したのである。今迄の指導方針は根底から狂い、多くの支持者の期待を裏切った責任は重大で、執行部は即刻辞職されるものと思ったが今のところその報道はない。

 また恩給加算のたな晒しも久しく絶望的だが、今に至っても七色の虹のような幻想を振りまくのは罪の深い話である。抑留者の夢と願いは 最早加算運動には一欠けらも残ってはいないのである。

 未払い賃金要求の会へ集まろう

 折りしもテレビは北鮮に拉致された5人の帰国を報じている。国民よ、今こそシベリア抑留という桁外れの拉致を思い出して頂きたい。そして受難者がどのように遇されているかを聞いて貰いたい。シベリアの老兵は口が重く、あまりにもうぶであり過ぎた。世界のどこの捕虜も既に相応の補償を手にし、その上今なおアメリカ、オランダの元捕虜は日本政府を相手に法廷で争っている。補償は天から降ってはこない、声を出さないことには何事も始まらない。

 この7月28日に相沢派の地盤である大阪で新しく「近畿地区シベリア抑留者未払い賃金要求の会」が発足した。“この運動に相沢派も斉藤派もあるものか、目的が一つなら会も一つだ。” の呼びかけに200人が結集したが、これは事務局長石元砂雄の功績である。一部の幹部は別にして相沢派の人々が何を願っているのか この際もう一度運動の原点に立ち帰ることが必要ではないか、意見の違いには目をつむり、合う点だけでも力を合わそう、小異を捨て去り大同につこう。この大阪の呼びかけを全国にアピールしたいものである。

    慰霊、鎮魂の儀式に一歩踏み込もう       2002.10.11.

 本年5月、中央アジア ウズベキスタン共和国において、強制抑留で死亡した日本兵の慰霊事業として、9箇所に鎮魂碑、5箇所に記念碑が建立され、盛大な除幕式が行われたことは この地で苦労を共にした一人として感に堪えない処であります。

 旧ソ連のくびきを脱し、独立11年のこの国は、遥かパミール奥地の辺境にあるとは言え、シルクロード以来悠久の文化と豊かな資源国として知られ、更には近年米軍駐留など国際環境の急変から とみに経済、文化の交流を望む声が盛んでありますが、いかんせん お付き合いの実績に乏しく、きっかけがまったくない中から見直されたのが抑留の死者であります。鎮魂事業発起の趣意書によれば “・・・いわゆる「シベリア抑留」により2万人以上もの日本人が抑留され、過酷な条件の中で石炭の露天掘りや鉄道、道路、建築工事など強制労働に服し812名の尊い犠牲を生みました・・・・” のであり、“その献身と犠牲に対してウズベキの人々は、いまだに深い尊敬と親愛の情を日本人に抱いている・・” のだそうであります。ウズベキと日本を結ぶ絆はこれであり、復活させたい としたのが美挙の理由であろうと思われるのであります。

 この国とのささやかな交流は発起人の一人である渡部恒三議員の言の通り、出身の福島県が草分けで、1979年以来20余年に渉って営々と続けられた善意と、それに加えるに この地に抑留された日本兵捕虜の協力によるもので、乏しい浄財によって漸くタシケントとアングレンに二基の慰霊碑を建立するまでに至ったのであります。それが今回は今までさほど関心を示されなかった方々の思わぬご助力で、一挙に全墓地が整備されましたことは誠に奇特なことでありますが、これを推進されました中山恭子前大使のご尽力と、国のため再度に渉る尽忠報国を果たした死者たちの功績は顕著であり、忘れることはできません。

 しかし私はこの美挙の陰に どこか一抹の危惧と疑念を隠すことができません。死者は果たして心から喜び 成仏したであろうか、これが本当の鎮魂と言えるのか、私はさまざまな心の違和を覚えるのであります。何故なら“君は何のために此処に眠っているのか”を国は言わず、真になすべきことをしていない、彼らが地下で望んでいるのは“君はソ連への役務賠償を果たすため、祖国と国民の身代わりとなって尊い命を捧げてくれた護国の英霊です。” のひと言ではないでしょうか。

 ところが国はシベリア抑留を“実際上、ソ連が利益を得たといたしましても、我国は法的に役務賠償として認めたことは一度もない” と賠償を否定し、それではあの苦労は一体何であったのか と聞いても、 ひと言も答えないのであります。これは抑留者への補償金を恐れてのことでしょうが、これを国が言わない限り君たちは犬死です。兵士に犬死させたままで追悼する空しさを前総理三名を含む七人の発起人議員各位はどのようなお考えをお持ちでしょうか。 私は国政を担う方々に訊ねたいのであります。

* 国の新しい利益のために死者を利用するのは許されてよいことでしょうし、死者もまた祖国のため後裔のためならば納得してくれることでしょう。しかしそのためには充分な供養を尽くすことが前提です。いろいろなことをするよりも、まず第一に“俺は何のために死んだのか、教えてくれ” と叫ぶ声なき声に、その真相である役務賠償のための犠牲を告げ、心からの感謝を捧げること、そして遺族への充分な補償が給付されている事実を知らせてやることであります。これが行われてこそ初めて鎮魂の美挙は画竜の点晴を見るでありましょう。

* 鎮魂の碑には死者の氏名が刻まれていますが、これらの死は参列された大使、また国が確認したものであり、遺族には当然恩給法の公務扶助料が 漏れなく給付されていることでありましょう。私の抑留されていたアングレンには133の墓標がありますが、これら遺族に万に一つの給付漏れがあってはならないのであります。

アングレンとは土地の言葉で悪霊の谷の意と聞きました。死者の怨みがこの名の谷にならないためにも、どうか扶助料給付の実態をお確かめ願いたいのです。

* 7月17日 厚生労働省社会援護局外事室からの通達によれば、「ウズベキスタン共和国における小規模慰霊碑の建立計画について」として、昨年9月民間団体が建立する慰霊碑への補助要求があったが、これを退け、将来的には日本政府としてウ国国内に小規模慰霊碑を建立することは可能である旨説明し、納得を得た、とし、また7月29日 日ウ両国政府は共同発表とし“日本国政府は先の大戦後、ウ国において抑留中に亡くなられたすべての日本人を偲び、平和への思いを込め、かつ、両国の恒久の友好と親善を深めるために慰霊碑を建立する旨の意図を表明する。 と言う。 要するに国は、民間には一銭も出さないが、すべてが出来てしまってから屋上に屋を重ねようと言うのであります。国は本気で死者を偲ぶ心があるのでしょうか、慰霊、墓参に名を借りた形だけの振舞で糊塗するよりも、死者のためにやるべきは ロシアに対する抗議と責任の追求であります。

* また鎮魂費建立の発起人が厚生労働省に補助を依頼したところ、“8月15日以降のロシアでの犠牲者は気の毒ながら戦死の対象ともならず、即ち一銭も出ない”旨の確認を得たと言いますが、これは聞き捨てならない言葉です。遺族に公務扶助料を払っている以上、死者は公務死であり、戦死でなくとも同様の死であります。このような言葉が役人の口から出るのも 国が「シベリア抑留」を役務賠償、即ち公務とハッキリ位置付けしないことが原因であります。

* 「シベリア抑留」と言う公務に従事した兵士に、抑留中のめし代を含む給養費を今になっても払わないのは不当です。ソ連はタダで食わせるほどお人よしではありません。これらは強制労働の賃金のなかから兵士自身が払ったもの、即ち自腹で、公務である以上当然国が負担すべきであります。

* 北鮮拉致は日夜国民の心を痛める悲劇ですが、「シベリア抑留」は桁違いの拉致事件であります。今からでも遅くはない、墓参、慰霊もさることながら、政府はその真相の解明と責任の追求という本来の任務に勤めて貰いたいのであります。

   徳留絹枝氏への書簡 1                 2002.10.12

 唐突の不躾をお許し下さい。 

 私はかねがね貴女のレポートに啓発を受けているシベリア抑留の老兵であります。

 レスター、テニー氏らの訴訟については共通する体験から深い関心を持っておりましたが、9月26日朝日新聞の・・・下院における初の公聴会・・・なる記事を読むにつけ、同じ民主主義を標榜する国でありながら その関心度の懸隔に憮然たるを得ない心境であります。何故なれば私も添付資料のとおり国を相手に訴えを起こし、ただいま最高裁において係争中の身であるからです。残念なことに非力なわれわれは世論の支持もなく、政党の理解も得られず、残り少ない時間を孤独な闘いに費やす日々ですが、貴国捕虜諸君のがんばりは私たちの大きな励ましであります。特に貴女によって伝えられた“・・・パンドラの箱を開けるのなら、私たちはシベリア抑留問題など歴史のすべての不正義に取り組む心構えが必要だと思います。” のジョン、ダワー氏の言葉にどれほどの喜びを与えられたことでしょう。

結果はともかく、再びこのような悲劇のおこらないよう 捕虜の名誉と権利を確立するために余力を捧げようと思いますが、折あれば当方の敬意と熱いエールを彼たちにお伝え下さるよう お願いするものであります。

捕虜請求権の有無についてお尋ねしたいことがあります。

 日ソ共同宣言6項後文は“・・・国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。”としておりますが、我国はわれわれの裁判で“放棄したのは外交保護権であって、個人の請求権まで放棄したわけではない。” として、原告らの憲法29条後文による請求を退けました。

 その反面、東京高裁「オランダ人元捕虜補償請求訴訟」(2001.10.11.)においては“放棄したのは外交保護権だけ・・” とする従来の判例に変えて「全請求権放棄論」を展開し、“「サンフランシスコ平和条約14b」ですべての賠償権は、無条件放棄された。” との判断を示し、オランダ捕虜の請求を棄却しております。

 アメリカでの被告主張は後者のようでありますが、一方シベリア捕虜に対しては全く逆の判決により棄却し、われわれはいまだ一円の補償も得られないのであります。

 この内にも外にも支払わないという横着さの根拠がどこから来ているのか、どうも我国は “個人の請求権は残っているが、しかし賠償の義務は負わない” 即ちかって J,ダレス氏が呟いたとされる “・・・捕虜は権利あれども救済はなしか” の立場にあるものと思われます。私はこのアイマイさはシベリア捕虜への補償を免れようとの遠謀ではなかったかと考えます。その急所を突かれたのが吉田、ステイッカー書簡によるオランダ特約(サ条約26条最恵条項)で、ひいては近隣諸国に引火した激しい訴訟攻勢であろうと存ぜられます。

 この二重基準は神聖にして公正なるアメリカ法廷でどのように論じられているのでしょうか、被告の “完全かつ最終的に決着済” との主張はシベリア捕虜にきちんと払うべき補償を払ってから言える台詞ではないでしょうか。

レスター、テニー氏は金銭的な次元に止まらず、主には人道的不法行為に対する謝罪を求めた訴えのように思います。われわれの願いもシベリア抑留という悲劇の真実を解明したいこと、捕虜に対する偏見と蔑視の解消、それから国際法の無理解への警鐘の3Kにあります。これらが日米双方の法廷で正されることを願うものであります。

 どうか貴女におかれましても日本の小さな存在をも視野の中にお入れ下さって、ますますのご健筆を期待いたします。

敬具

  シベリア抑留はソ連に対する役務賠償であること 2002.10.25.

 実際上ソ連がこのような強制労働により利益を得たと言う事実があったといたしましても、法的に申し上げれば、我国といたしましては これを賠償の一形態として認めたものではないわけでございます。” との国会答弁の通り “事実は賠償のように見えても、法的にはそうではない” というのが国の一貫した弁明である。 まさにその通りであって 国は法的に賠償を認めることを極力避け、意図的に怠っているのは それを一旦認めれば60万の受難者に相応の補償が避けられないからで、国の果たすべき賠償の義務を 国や国民に代わって果たして呉れた抑留者に補償するのは当然のことであっても、実のところはカネが惜しいのである。 この事件がシベリア出兵以来、我国がソ連に与えてきた損害を償うためのものであることは 実際上であり事実であることをわれわれは縷々立証してきたところであるが、更に以下を追記する。

1) 第154回衆議院厚生労働委員会における小沢和秋議員の 「1947年3月18日、通牒番号1857号による労働証明書持ち帰り要請文書(以下朝海文書と言う)」を巡る質問に答えた角崎政府参考人の答弁は “この文書がソ連側に伝えられたか否かを含めまして、GHQによりいかに伝えられたかは明らかでないということでございます。” と答えているが、これは重大な虚言である。

 この朝海文書を巡っては以後対日理事会において論争を生じ、ソ連側は “旧日本軍人及び軍属が戦時捕虜として抑留の間に貯めた金銭並びに私物を没収した事実はない。” として我が方の申し出を拒否している。 このことは朝海文書がGHQを経てソ連側に確実に伝えられ、その回答も明白になされていることを証明する。

2) 角崎政府参考人はまた “戦時捕虜として抑留中に貯めた金銭、私物が没収された場合に、個々に正式の受領書を発給すべきであるということを 確かに申し上げたものでございますが、これは労働証明書というものを持ち帰るようにしてほしい ということと少し違うということでございます。” と言っている。 少し違うのは呼び方が違うだけであり、またこの人物が勝手に思うだけのことであって、文書の内容は全く同じものである。連行された時 1ルーブリも持たない者が、持ち帰るルーブリのすべては抑留中の労働による賃金であることは 誰が考えても明らかなことで、抑留中に貯めた金銭とはすべてが労働賃金のことであり、その計算基準は( 抑留月−1ケ月)×105ルーブリのそれ以外ではない。 尚 南方帰還の日本兵捕虜も同様、貯めた金銭とは給養費を含んだ労働賃金に外ならず、朝海文書はそれの交付を要求しているのである。

3) 貯めた金銭とは血の出るような労働賃金であり、またそれは日々発生増加してゆく性質のものであって その受領書(労働証明書)がない、また支払うべき勘定がないなどのことがあり得ないのを百も承知の上で、なぜその理由を厳しく追及しなかったか、持参している南方組の例を挙げて どうして執拗に交渉を続行しなかったのか、ただ一度の拒絶を幸いに以後一度も要求しないのは怠慢ではなく犯罪である。

4) ソ連は捕虜の労働を役務賠償として 労働賃金、給養費のすべてを差し押さえたのである。ソ連が法的根拠とするのは ヘーグ陸戦法規第6条後文による “俘虜ノ労銀ハ、其ノ境遇ノ艱苦ヲ軽減スルノ用ニ供シ、剰余ハ解放ノ時給養ノ費用ヲ控除シテ之ヲ俘虜ニ交付スベシ。” であり、抑留国の義務を果たさなかったのは没収したのではなく、講和会議での清算の時まで賠償との見返りに留保したのである。

5) 我が方は朝海文書3のaにおいて “‥‥ソ連当局発行の受領書を持ち帰っている場合にあっては、日本政府はソ連政府に代わって受領書に対して支払う。” と表明した。このことは外のソ連に対しても、内のシベリア捕虜に対しても未払い賃金の支給を約束したものである。

6) 但し 朝海文書3のCにおいて “上記金額(支払った金額)は、ソ連領土ないしソ連管理地区からの物品の将来の輸入及びその他の目的のため引き当てる。” としているが、これは明らかに国際法、国際慣習法解釈の無知によるものである。労働証明書による支払いこそ 各国通貨の流出を防止するため、講和条約までの自国捕虜自国支払い方式として 当時既に確立して実行されていた国際慣習法に他ならないものであった。南方捕虜に支払ったのもこれであり、我国は立派にルールに従って実行しているのである。将来の貿易勘定の立て替え金である との幼稚極まる解釈の間違いを漸く悟った我国は、以後この主張を引っ込めたが、角崎政府参考人は今日に至るも “この証明書に基づいて抑留者の所属国たる我国が、当該抑留者に対しまして労働賃金の支払いを行う国際法上の義務と言うのは負っていないということでございます。” と弁明するのは時代錯誤も甚だしい。 上記のヘーグ陸戦法規は1949年ジュネーヴ条約第135条により補完され、その第66条後文の “捕虜が属する国は、捕虜たる身分が終了した時に抑留国から捕虜に支払うべき貸方勘定を当該捕虜に対して決済する責任を負う。” に相互乗り入れ的に連続し、労働賃金の支払い義務者は所属国であることを明示しているのである。

7) 朝海文書の主張は以後一切鳴りをひそめ、差し押さえられたままの抑留者貸方勘定は 1956年の日ソ共同宣言に持ち越され、その交渉においても役務賠償の事実は無視され、未払い賃金は要求されず、ソ連の賠償との相殺の取り決め 即ち法的に賠償の一形態として位置づける作業も逃避したまま、請求権の相互放棄をしたものであり、政府の言う法的に認めたものではない処か 当然認めるべきを認めず逃避した敵前逃亡と言うべき、 これは憲法第17条に言う公務員の重大な不法行為である。

 シベリア抑留はソ連に対する役務賠償であったと言う当たり前の事実を 国は潔く認めるべきである。そうではないと言うなら それではあの事件は一体それ以外の何であったのかを明白にせねばならない、国家は歴史に責任を有するからである。

      「個人の請求権」考               2002.11.01.

 最近の戦後補償裁判で「被害者個人の請求権の有無」は重要な争点の一つとなり、同様の訴えをするカマキリとしても黙過し難い問題であるので、以下私見を述べたい。

1)カマキリはソ連に対して次の「個人請求権」を持っている。

  A.抑留中の強制労働により発生した賃金の未払い分とその他の貸方勘定

  B.抑留中にソ連の犯した非人道的不法行為の責任に基づく人道上被害の補償

2) その「個人請求権」は日本政府により、1956年の日ソ共同宣言で放棄された。

 第6条後文 “日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、其の団体及び国民のそれぞれ他方の国、其の団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。”

3) 従ってカマキリは勝手に相談もなく放棄した国に対し、当然その分を補償する責任があると、憲法第29条後文を根拠に訴えている。

 “私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。”

4) このことは1956.11.30.参議院外務審査会において千田 正議員の “もし請求権を放棄したものだとすれば、国内的に何とか補償しなければならないのは当然であります。総理大臣の将来のこの問題に対してのご所信を・・・” と問われ、総理大臣鳩山一郎は “・・・国内問題として考慮したいと思っております。”と述べている処である。

5) ところが国は “放棄したのは外交権と外交保護権であって、抑留者個人の権利そのものではないから、直接補償の責任は生じてこない。”として「個人請求権」の放棄を否定するのである。つまり “日ソ両国ともこの件に関してのみ相手の違法、不法に対してクレームをつける権利を失ったのであって、実際上それと同じようになったとしても、決して「個人請求権」まで放棄した訳ではない。” と言うのである。実にややこしい話で、さすが老練を以って鳴る J.ダレス氏も “つまり救済なき権利と言うことか” と呟いたのも当然、それでは “誠意不要の義務、または口先だけの責任” などもあり得ることになる。

6) これは1951.サンフランシスコ平和条約の前後に我国が立てた独特の見解であるが、その19条a項は “・・・・日本国及びその国民のすべての請求権を放棄する。”であり、前述の日ソ共同宣言も同じく “すべて放棄” を明文している。

 因みに1972年の日中共同声明は国のみの放棄であり、国民の「個人請求権」は放棄されていない。

7) 条文には “すべて放棄” と明記しながら、別の解釈を立てるとは二枚舌であるが、どうしてわざわざ玉虫色を用いたか、その理由はシベリア補償と在外資産補償など国内責任を免れんとしたためであり、内にも外にも効く二股膏薬を狙ったのである。

8) この小賢しい知恵のツケは早速オランダの付け入るところとなり、1956.「日本政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国民のあるタイプの私的請求権」と言う長々しい書簡を認め、1,000万ドルを支払う羽目に立ち至ったのである。

9) 以後、外からの訴えは陸続と上陸し、従軍慰安婦、強制連行、外国兵捕虜等々 戦後補償を求める集団に裁判所は応接に暇もない有様である。

10) 一方、内の補償裁判に於いては、この理屈は功を奏し、在外資産は値切り倒し、シベリアは抑留者の分裂や一部反動にも助けられて首尾よく切り抜け、一見老化衰滅を待つばかりのようになっている。

11) 国はこれら津波のように押し寄せる外国勢の訴えには「国と国とで決着済み」論と、「個人は加害国に直接請求する権利は認められていない」論で辛うじて退けているものの、その判示は明快を欠くものであったが、遂に2001.10.11.に至り東京高裁は従来の判示に代えて「全請求権放棄」論を展開し、元オランダ捕虜たちの訴えを棄却するに至った。

12) この革命的判示は1999.7.カリフォルニア州に成立したヘイデン法により続出している日本国と企業を相手にした裁判に触発されたものと言われている。前の大戦において強制労働などで著しく人権を傷つけられた人々が一斉に立ち上がった謝罪と補償を求める訴訟はその数50とも言われ、求める額も天文学的で、シカゴで提訴したメルビン、ローゼン大佐にいたっては1兆ドル(120兆円)と言う。アメリカの人権は高いのである。因みに同じ訴えでもカマキリは4人で1,200万円だが、ゼロがいくつ違うか、時間と才能の豊かな方は計算して頂きたい。

13) 前述のオランダ捕虜や慰安婦たちは日本の裁判所で日本の法律で争うが、アメリカの諸君たちはアメリカでアメリカの法律によって闘っているのであって、この点カマキリ裁判と同じであり、祖国のために受難した者に国がどのような見解を持ち、どのように裁くかはその国のかたちを示すものとして極めて興味ある事件である。何故なれば国民は国に万全を尽くし、国はそれにどう酬いるか、この絆こそ国家形成の根幹をなすものであるからだ。カマキリがアメリカ訴訟に深い関心を寄せる理由の一つである。

14)“この裁判は日米間の友好を損なうものである。” との国務省の勧告は上下院を刺激し、果然捕虜処遇の問題は政治化して全米的な論争を呼ぶに至ったが、この現代の元寇とも言うべき危機感が我国政府、国会から殆ど聞こえてこないのは政治音痴かアルツハイマーか、これは恐るべき亡国の兆しではあるまいか

15) 矢面に立つ被告日本は “すべて放棄で最終的且完全に決着済” の一本槍。捕虜側は“個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたと言うものではありません。” との柳井俊二条約局長(1991.8.27.参院予算委発言)を根拠として「個人請求権」の存在を主張し、ここアメリカ法廷に於いても焦点として浮上したのである。簡単に申せば「請求権有り」なれば原告の、無しなれば被告の勝ちである。

16) 繰り返すが、日本政府は「個人請求権」をシベリア捕虜には放棄していない と言い、アメリカ捕虜には放棄した と言う。

17) 放棄したのであればどうしてシベリア捕虜に補償しないのか。(前述4の鳩山一郎発言) 内にも外にも払わないのは始めから払う気がないのである。そのような国は裁判当事者として失格ではあるまいか。

18) 公正を重んずること顕著なアメリカ法廷において二枚舌は許されない。“すべて放棄” を言いたいなら一本に徹し、その証として即刻シベリア補償を実行して身辺をハッキリすることである。

19) 若しくは「個人請求権」の存在を認めて潔く負けるべきである。身から出た錆で巨額を失うが、国としての道義は回復されるであろう。原告の一人レスター、テニー氏は「赦し」を言う。「責任」を持って答えるならば赦そうと言う。同じ屈辱を舐めた私にそれが出来るであろうか、広い心には心からの謝罪で酬い、恒久の友好を得るべきである。

20) 終わりに

 日米彼我の法廷に違いがあるのは、カマキリの場合、「個人請求権」の争いは第二の争点であって、第一がある。「個人請求権」を補償せよ は憲法第29条を根拠とした国内法であるが、これはあくまで補助的なものであり、第一は“捕虜の労賃は支払わるべし”とする国際法の実行、これこそがカマキリ裁判の根幹である。(詳しくは省く)

 もう一つ。 

 国は従来の「個人請求論」危うしと見て第二の弁明で逃れようとする。即ち「一般戦争被害論」と「憲法免責論」である。“シベリア抑留も広い意味で戦争被害であり、国民は大なり小なり受忍すべきである。また戦争損害の補償は憲法29条の予測しない処である” と言うが、詭弁である。われわれは法的に一般人ではなく、国内的には軍人、国際的には捕虜であり、本件は国際法の規範の下で裁かれて然るべきである。またシベリア抑留は戦争損害ではなく、明らかに戦後の強制連行被害であり、憲法発令後も長々と屈辱を受けた憲法の予測どころか現実下の生々しい事件であり、国の主張は悉く不当である。 

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