第2章
  2、上告前夜

  <その2> 思い新たに最高裁へ・・・                 2002.9.5〜

保坂正康氏への書簡1 カマキリれぽーと9
国会議員への三つの提言

保坂正康氏への書簡  1                  2002.9.5.

 

判決の日には遠路私たちの裁判にお越し下さいましてまことに有難うございました。

 失意と焦燥の原告団や傍聴の仲間たちにとって、貴方の心強い激励はこの上ない勇気と希望を与えるものでした。その場で上告を決意し、闘いの続行を誓いあったのもその表れでしょう。但し其の後の方向は決して順調とは言い難く、屈折した複数上告の形となりましたことをお知らせせねばなりません。

国の不当を訴える心は同じでありましても、その主張が真っ二つに分かれ、一本に絞り込むことが出来なくなったのが原因です。四人の委任を受けた江藤弁護士の外に松本 宏氏が単独で届け出で、つまりカマキリ上告は一本ではなく、二本出されたのであります。この現象は一見仲間割れのように見えますが決してそうではなく、お互いの討議の上で、費用もすべてカマキリの経費から、つまり二本ともカマキリ訴訟団の上告であります。

この訴訟は1999年4月1目の訴状に基づいて始まり、今日に至っておりますが、途中高裁控訴の頃から原告の主張に少しずつ違和が生じたことはお気づきのことと存じます。(全員署名でなく一名欠署名の出現) これについて事務局は釈明の義務を避ける理由はないでしょう。

その1・…“占領下においては我国に主権はなく、その間に発生した「シベリア抑留」を裁くに日本の憲法、法律は不適当。すべからくマッカーサーが認めたであろう基準で裁くべし、判らないことはアメリカに聞け。”  これが松本異説の始まりでした。

<事務局の考え>・…日本の裁判所で裁判をする以上、日本の憲法、法律で裁かれるのは決まり切ったことであり、マッカーサーやアメリカに聞け は如何にも不適当。

“それがご希望ならアメリカの裁判所へどうぞ“ と忽ち棄却の危険が生じ、とても同意できないことです。 以後割れ目は更に広がり

その2・・・・ “「シベリア抑留」はソ連だけの計画ではなく、アメリカをはじめ連合国全体の合意で進められた行為であり、その事実を隠匿し続ける国は重大な憲法違反である。'' これを上告理由の第二としたい。

<事務局の考え>・…“日本国の軍隊は、完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし。” このポッダム宣言9項を掲げる連合国 (ソ連を除く) がシベリアの強制連行に加担した事実もその理由もありません。松本説は何の証拠もない推論で、れっきとした証拠があってもなかなかウンと言わない国が認めるとは考えられず、かえって虚構の妄言として責任を問われる恐れがあります。「シベリア抑留」は従来の主張の通り、あくまで主犯スターリン、共犯我国中枢であり、アメリカその他の関与はなし。これがカマキリの立場です。

その3…・“我々は捕虜ではなく連合国の要請による役務賠償用の労働者集団であるから国際法は関係なく、労働力提供者責任として労働賃金を支払え。”

このような論になると当初の訴状趣旨に全く反対の主張に変化しています。

<事務局の考え>・…無条件降伏の兵はすべて捕虜であり、カマキリは国際人道法、慣習法の定める身分と権利に則って訴え続けて参りました。決して一般労働者などではなく軍人兼捕虜であります。

*松本説は全く正反対の主張であり、割れ目もここまで広がると一本化可能な線を遥かに越えるものとなりました。先生のご懸念も当然で、前便でも以下のご指摘を頂いております。

“……これは決して松本様への攻撃ではなく、正直な感想です。”

) 本筋が何かという点が暖昧になっている。(つまりこの訴訟はある意味で歴史的、法理的ですので、私感や情緒的見解とは一線を引くべきで、それらは別の次元になります。)

) この訴訟は国家が戦争処理にどのような論点をだすのか、それを次代の者はどのように受け止めるか、ということだと思いますが、国家が恐れることはこれまでの判決文を読んでも明確にわかります。当誌の一読者(大学生)が 「シベリア抑留」の怒りがよくわかる反面、論点を混乱させているのは原告の側にもあり、国の思う壷にはまっているのでは・…、) 松本様のお考えはしだいに迷路に入っているとの感がいたします。もとより私は松本様の情熱とその努力には敬意を表しますが、「事実」と「推測」がしばしば混合しています。

* 上告するに当たっては練達した弁護士の助力を との思いは切実な願いとなりました。憲法の違法性を争う純粋法理の展開となる最高裁はもう素人の限界です。それもさることながら事務局の本心は上告の一本化で、助っ人探しに八方手を尽くした結果、幸いにも江藤洋一氏の義侠心による快諾を得るに至った次第でありました。事務局は早速原告それぞれの意見を法的第三者である江藤氏に集め、取捨選択の上一本に纏めて頂くよう委任を提案致しました。討論の末、四人の合意を得ましたが松本氏は同意せず、あくまで我が道を行くことを主張、やむを得ずこれも次善の方法であろうと複数上告を合意したものです。

* しかし問題はそれからでした。江藤弁護士に委任した四名に対し、松本氏は自分の上告にも参加の署名を求めたのであります。“両方の馬に乗れ、勝つチャンスが二倍になる。” と言うものです。相反する訴えの両方にハンコを押させるとはどういうことか、長と半の両方に賭けることはできません、精神分裂として当事者能力の失格です。またこのような二重委任は誉められた行為ではなく、結局は松本氏独りの上告となりました。

“以後はともに闘う仲間から外れますが…・” と離脱声明のような文書が一部の方々に出されたように聞いております。この裁判の発起以来カマキリの代表としてリーダーシップを担ってきた人がここにきて同志の同意を得られず、さぞや意に染まぬことであろうと推察いたしております。しかし意見の相違は世の常、国の不当を正そうの心の通ううちは同志であり、引き続き代表としての責務を果たされるよう要請しております。

二本のうちのどちらかが不運にも失権したとしても、大団円まで仲間として力を尽くそう、助け合おう、これがヵマキリの立場であります。どうか事情ご寛容賜り引き続きご支援の程お願い申し上げます。

 カマキリれぽーとbX                    2002.9.30.   

今年の暑さは格別でしたが、上告手続きも消夏法の一つでしょうか、作業に追われているうちに早くも秋の訪れとなりました。

 6月28日の高裁判決以来、全力を傾けた結果は同封の通りで、9月11日無事提出できましたことをご報告申し上げます。カマキリ四年間の闘いを江藤洋一弁護士の豊かな法理論で仕上げた上告書関連二通は、「シベリア抑留」問題の集大成として広い階層で、また先々の歴史的評価を得るものと確信しております。特別の偏見を持たない限り、この一つ一つを否定することは至難でありましょう。シベリア抑留という大拉致事件の真相が最高裁の場で明らかにされ、正義と我々多年の宿望が回復されることを願う次第であります。

 非力な原告に一国を揺るがす程の力をお与え下さったのは すべて皆様のご支援です。究極の成果が実る輝かしい日を共に元気で待とうではありませんか。

上告理由書…憲法違反の有無を争う最高裁審理の中心争点。

   * 上告受理申立理由書…憲法違反や重大な正義の侵害等で上告が必要であるこ                    とを申し立てる文書。

この二通を大阪高裁へ提出し、適否の審査をうけ、採択されれば最高裁へ送られて、そ  の上で担当部署と裁判官の通知があります。

上告理由書原本はA4版54枚の大冊のため、各位には要約版をお送り致しました。原本ご希望の方はお申し込みあれば別途送付致しますが、恐縮ながら実費¥2,000 (送料とも)申し受けます。

以後は裁判官任せ、公判も口頭弁論もなく、判決日も未定。

審理の模様や関連情報はその都度お知らせ致しますが、最高裁にはこれ以上の手段はなく、余力は関連団体と力を合わせ 対 行政、立法府への運動に協力したいと存じます。

<急告>  原告団の一人でありました松本 宏氏が、この度の上告よりカマキリの会を離れ独自の主張による上告を提出されましたことをご報告申し上げます。この仔細は別紙M、H氏宛書簡の通りでございますが、どうか事情ご賢察のほどお願い申し上げます。

パソコン導入以後幸い豊中市の老人講習会で手ほどきを受け、機械オンチがこの程度は打てるようになりました。時すでに遅く、もう準備書面をつくる機会もなくなったのが残念です。

 覚悟新たに最高裁を・・・・            

 とうとう東京へ持ち込みましたが、腹を切るなら庭先は御免、書院の正面で粛々と古式に則って切ってやろう の覚悟です。

 内外の環境はこのところ急変し「シベリア抑留」もようやく放置できない事態に浮上してきたように思います。特に北鮮拉致問題とアメリカ法廷は共に深い関わりを持つ事件で、当会もそのなりゆきに注目しながら国会の理解を促したい、そのためのリーフレット原稿をごらんに供します。その中で元アメリカ捕虜たちの訴えについて触れていますが、同じ大戦の同じ捕虜でありながらどうしてこれほど母国の扱いが違うのかを、国政を預かるセンセイ方に問うています。

 また私は同時に、シベリア60万の戦友にも同じことを訴えたいのです。アメリカの捕虜は母国から就労費や給養費を既に受け取り、その上に半世紀を経たいまなお日本側に補償を求めています。人間の尊厳を守るためのあくなき追及、不条理を赦さない徹底した正義感、納得が行くまで闘おうとする執念、これをこの歳になっても団結してやっているのであります。残念なことにこの正反対の、殆ど何もしていないのが我々シベリア老兵の現状です。国民性の違いでしょうか、ビフテキとお茶漬けの差でしょうか、全抑協の献身的な裁判闘争挫折以来、いろいろ事情はあったでしょうが、運動は火が消えたようになってしまいました。

 クレームがない以上シベリア捕虜は10万円の国債と銀杯で満足し、喜んで納得したものと国は受け取ってこれで一件は落着です。我が民族始まって以来の屈辱が、 このような形でウヤムヤの内に葬られてよいものでしようか、後世シベリア抑留の真相が解明され、そのとき我々の子孫は悲劇の老兵をどう評価するでしょうか “国も酷い仕打ちをしたものだが、それにしても国の言いなりにされた彼等の何と不甲斐無いことか” と呆れて笑うでありましょう。“しかし中には死ぬまでノーと言い張って死んだ愚直も少しは居たようだ。” と知って呉れるだけでも救いです。

 私たちが世に問うている問題の一つに、日本という国家が戦争の後始末にどのような結論を出すのか、これをまた国民と次代がどう受け止めるのか、この点にあります。私たちは法廷での勝ち負けだけに拘わらず、こうして異議を申し立て、糾し続けることに真の意義があると思います。

 残暑が厳しいようです、くれぐれも健康ご留意下さい。

国会議員への三つの提言                   2002.9.20.

国政を預かる議員諸氏にシベリア抑留間題の早期解決を訴えるに先立って元アメリカ兵捕虜の未払い賃金補償要求訴訟について申し述べるが、この方がご理解を頂くに早道だと思われるからである。

1990年代に外国籍の戦争被害者が日本の裁判所に訴え出た戦後補償裁判は、実54件にのぼるが、一方アメリカに於いても1999年夏以来同様の訴えは約60件が地裁、連邦裁に提訴されるに至った。これに対し被告である目本側は一貫して “第二次世界大戦に起因する賠償、請求問題は、平和条約、二国間協定 (日ソ共同宣言日中共同声明を含む) 等により完全かつ最終的に解決している。" としてこれらの殆どを請求棄却に退けている。

これで万事が済めば目出度いのであろうが、アメリカに於いては鎮火する処か山火事の如く燃え広がり、手のつけようのない騒ぎになっているのである。これは “訴えは連邦政府の外交権を犯し、日米両国間の緊密なる関係に好ましからざる影響を与えるもの“ とする国務省見解が仇となり、俄然全米的反発を呼んで、特に未払い賃金と非人道的酷使の補償を要求する元アメリカ兵捕虜を支持する世論の高揚は、2001.3.24.下院の “連邦裁判所は平和条約を理由に元捕虜米兵の訴訟を棄却してはならない。“ とする「米国捕虜正義法案」 (ローラベッカー法) 等の提出により、いまや法律問題を超えて政治問題化の様相を呈し、大統領に対しても “堅固な目米関係のためにはこの問題を無視することではなく、解決することです。“ また “すでに多くの元捕虜が死亡し、生存者はもはや80歳台、貴方からも日本に協力するよう発言して頂きたい。“ 等の直訴が相次いで、秋の中間選挙の一大課題に浮上している。

司法に於いてもこれら米兵捕虜のすべての訴訟を監督するために任命されたマクドナルド判事は “平和条約の意味または適用可能性を最終的に決定するのは行政部門ではなく、裁判所である。” と述べて国務省見解に関わらず審理に入ることを表明したが、これは民主国家の三権分立における司法の独立性を明確にした至極当然の発言にせよ、もって他山の石とすべきであろう。

これら詳しくは論座誌掲載の徳富絹枝レポートを参照されたい。

提言1 早急にシベリア抑留補償を行う必要について

以上長々と述べ来たったのは何のためであるか

1) 未曾有の国難に目を向けて頂きたい。

アメリカ裁判の脅威はその額の巨大さである。2001.9.4.彼らの訴えは飛び火して、「バターン死の行進」を生き延びた元陸軍大佐メルビン・ローゼンらは日本政府を相手として1兆ドル (約120兆円) の賠償を求めてシカゴ米連邦地裁に提訴した。

 今後の帰趨は判らないものの、いずれにせよ我国国庫予算の数倍を吹っ掛けられた国難の到来である。降って沸いた現代の元寇だが、この大有事の危機感が政府からも国会からも一向に聞こえてこないのはどうしたことであろうか。“亡国は失政のためではない、最大の因は無関心である。” とは古賢の言だが、我国廟堂は既に末期症状に陥っているのであろうか。しっかり直視して頂きたい。

2) 我国がアメリカ捕虜とシベリア捕虜に言っていることは正反対である。

我国が原告の請求を一応拒否出来ているのは “原告らの請求権は平和条約で放棄されている以上、国家としては法的に支払いの義務はない“ との主張である。しかしこの防衛線には大きな穴があいていて、いくら堅固に見えようともこの穴を塞がない限り、防ぎ切れないのである、即ちシベリア捕虜に支払うべき補償を今に至るも支払っていない欠陥である。

我国の命綱はサンフランシスコの平和条約14条b項であるが、これと同じ約束を日ソ共同宣言第6条2項において下記の通りソ連に対してもしているのである。

 “日本国及びソヴィエト杜会主義共和国は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。” であり、アメリカ捕虜に対しては “その話なら貴方の国が請求の権利を放棄されていますから今更私に支払いの義務はありません。” と言い、一方シベリア抑留の捕虜には “放棄したのは外交保護権であって、貴方の請求権まで放棄したわけではありません、従って私に支払いの義務はないのですよ。” と実に巧みな二枚舌を使って未だに支払わず、つまり内にも外にも払わないでいるのである。

抑留中の未払い賃金なり給養費の最終的清算は講和会議でなされるのであるが一旦はそれぞれの母国で支払いを済ませるのが世界のルールであって、双方のどちらにも払わない遣り方は我国だけであり、この横着極まりない不条理は果たしてアメリカ世論を納得させ得るであろうか。また条約をすら守る誠意のないアンチーフェアは必ずや厳しい非難を浴び、法廷での苦戦は避けられないであろう。

因みにアメリカ捕虜は戦後早い時期に母国より1日当たり食費1ドル、就労費1,5ドルの支給を既に受け取っているし、その他戦勝国、敗戦国を問わず世界の文明国は、国際人道法、慣習法に則って自国民自国補償の方式による補償を行っている。また同じ日本兵捕虜でもアメリカ、ニュージーランド等から帰還した南方組や中国捕虜にも日本政府は支払い、受け取らないのはシベリア抑留の捕虜だけなのである。

3) 玉虫色は通用しない、すべて放棄を明確に、

この裁判の争点は日本及び日本企業に対する個人請求権がアメリカ捕虜にあるか、ないか、平和条約を超えて存在するか、しないかの一点に掛かっている。存在すれば負け、しなければ勝ち、まことに単純かつ明快でアメリカ的である。

それに対して我国の言い分は “個人の請求権は消滅していないが、諸条約等により日本政府に救済の義務はない “ と実に晦渋極まりないもので、かつてのJ.ダレスが “それは権利あれども救済なしと言うことか” と問い直した程の難解な解釈で、彼らには馴染み難いものである。それをその都度使い分けてきた我国の二重基準はここに来て暴かれ “オランダ捕虜、国民の請求権は消滅していない” として条約後請求権を買い取った吉田、スティッカー書簡などから平和条約26条最恵条項の適用を持ち出され、狼狽の色隠しきれない様子である。

このピンチには2001.10.11.東京高裁の「オランダ人元捕虜補償請求訴訟」判決を前面に打ち出して放棄したのは外交保護権に留まらず、すべての賠償、請求権であることをハッキリ表明すべきであり、同時にシベリア抑留補償の実施を早急に行うことである。相手の攻勢には何よりも防衛線の穴を塞ぐ必要がある。

4) そのための検討

「敗北を抱きしめて」でピュリッツアー賞を受賞したジョンダワー教授は “元捕虜米兵の間題を取り上げるのであれば、私たちはシベリア抑留問題などにも目を向けなければなりません。パンドラの箱を開けるのなら、歴史のすべての不正義に取り組む心構えが必要だと思います。” と述べている。この不正義とは一体何を指すのであろうか、自国の捕虜を見捨てたままで、条約々々と口では唱えながら、その条約一つ守ろうとしない国の言い訳がどれだけの説得力を持つと言うのであろうか。

シベリア抑留をいつまでも放置したままで済むものではない、出来るものなら何とかしたい、の思いは、議員諸氏の以前からの心情であろうことは我々の理解する処である。諸氏の健全なる正義の行使を妨げる要因は次であろうと思われるが、これらは決して至難のことではなく、現下の外的事情の解消と合わせ充分可能なことであることを申し述べたい。

提言2 戦後強制抑留者等に対する特別支給金に関する法案の数的根拠

*財源は軍人恩給の減少分で

 軍恩は年々減少するが、受給者の平均年齢80歳を越えた昨今の激減は著しい。1987年の1兆6329億をピークに現在では1兆1923億と実に4400億の減であり、ここ15年間で既に累積減少額は2兆7000億今後は更に加速されるものと思われる。

 これを基礎財源として柔軟に運営することにより懸案のシベリア抑留問題は殆ど円満に解決をみるであろう。

*よく似た発想に恩欠者に対する恩給加算案 (自民党) があるが、矛盾点が多く条理的にも無理がある。

1) 軍人には既に払い過ぎている。

A、軍人恩給等は戦後処理費の82%。既に42兆を超え、更に毎年増えてゆく。

B、我国の対外賠償は(有償無償を含め)1兆円余、模範生と言われるドイツでさえ10

兆余では制度、性質が違うと言え同じ税金、いかにも軍恩は多過ぎる。

2) ドイツ抑留者補償のように階級、軍歴不問で、その計算根拠も一年未満も考慮された抑留年毎の累進制であれば公平だが、我国の軍恩は上に厚く下に薄く、末端切捨て方式では問題は永遠に解決されない。

*シベリア抑留者の求めているものは未払い賃金及び給養費の実定法に基づくものであり、若しくはそれに代わる給付金である。その目安は 抑留月X 10万円とごく控えめな額である。

10万国債と銀杯の申請者18万がほぼこれに該当し、受給資格者本人は以降の推移から現在は12万前後が予想される。

*抑留月X 1O万円として推定一人当たり約420万円

3年分割として一人一年140万円。遺族50%として一人一年70万円

本人140万×12万人= 1680億。遺族70万×12万人= 840億 計2520億。

*これらは生存者の激減に伴い、負担感はさほどのことではない。

*受給額の算定に労働証明書は不要である。1945年9月より帰還日まで、その月数 X 10万円である。

*ロシアの労働証明書では背広一着買えないではないかの声もあるが、その質問は間違いである。アメリカの捕虜と同じ計算方式で労働証明書が書かれ、それを引揚げ時に舞鶴で受け取ったとすれば、(例、抑留3年、1ルーブリ : 68円 として)

36月×1ヵ月労賃456ルーブリ = 16,416ルーブリ。= 111万6288円。

昭和23年の111万余円は決して背広一着ではない。

*この際受給権者の国籍制限は廃止が望ましい。

*これら施行細則は本法に付則した総務省令として柔軟に対応すること。

提言3 シベリア補償は他に伝播するおそれはない。

戦後補償を一度認めれば次々に新しい請求が行われて収拾がつかなくなるのではとの危倶もあろう。しかし本件にその心配は無用である。未払い賃金の支払いや給養費の支給は実定法だからである。

特に司法が戦時補償を退ける一つの手段である “戦争損害は多かれ少なかれ国民等しく蒙るべきであり、憲法の予測しない処“ と言い、或いは補償する、しないは立法府の裁量によるものとして逃避するが、10キロのスピード違反は何と言おうが規定通りの罰金で、実定法とはその名のとおり是非の別なく即実施される性質のものである。  従ってシベリア抑留補償は他とは別の次元であり、何ら影響は及ぼさないのである。

また司法が違憲の判断を示さない以上、補償はありえないとは一つの理屈であるが、神ならぬ司法はそれほど絶対ではあるまい。“捕虜の労賃は支払わるべし” の大憲章を世界の中でただ一つ認めない司法、また軍隊は兵士のめし代など払う必要はないと言う司法は、憲法解釈以前に少々おかしいのではあるまいか。

提言を終えるにあたり一言申し述べたいことがある。

 これらアメリカでの状況を知るにつけ、思うは彼我国会の捕虜に対する受け止め方の落差である。同じご政道を預かる機関でありながら、この甚だしい違いは何故なのか、

 捕虜を勇者と見るか、家門の恥と見るかの違いであるのか、国家存亡の苦難に遭遇した者への扱い方 考え方の差か、いったい何がこうも変わったのであろうか。同じ戦いの同じ捕虜として、うたた感に堪えない処である。

“大戦中に自国政府から見捨てられた我々の偉大な英雄を、今度こそ支持せよ'' “これら老兵は正義を求めている。” 等々、上院、下院を問わず、与党、野党の別なく、即座に法案を出して支持し、捕虜のため行政、司法に激しく迫る姿と、半世紀にわたる請願、陳情にも応ぜず、今日に至っては門前払いを常とする我が国会が共に民主主義国を標榜する廟堂であろうとは考えられぬことである。我々は英雄とも勇者とも呼ばれなくとも、せめて国と国民の身代わりとして賠償の苦役を果たした受難者として認知されたいのである。

アメリカの裁判はまた別の一面を持っている。そこに底流するものは人間として耐え難い苦難を課した者と、蒙った者の責任と赦しの人道的合意の場であり、再びの発生を防ごうとする人類愛の誓いの場ともなりえるのであろう。上院、下院はアメリカ老兵の苦難を決して忘れてはいないのである。

シベリア抑留の老兵はどうであろうか。最愛の家族の手から引き離してこき使い、都合悪いとみれば弊履の如く捨てて顧みない国であっても、日本は我々のただ一つの祖国である。議員諸氏はその祖国がこのままで老兵たちを死なせてよいと思われるか。悲運の兵士を見捨てて何ら顧みなかったと 後あとの世に残る不名誉の一半を貴殿たちは免れることは出来ない。ジョン・ダワーの言うとおり、不正義は他国の指摘を受けるまでもなく、民族自らの手で正されるべきであろう。

司法の機能不全を補い、社会の谷間に生きる無辜に手を差延べるのも、国民の委託と信頼を受けた立法府の気高い仕事である。シベリア抑留補償法案の速やかな成立を、平成の善政を願うものである。

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