第2章
  2、上告前夜

  <その1> 生木を裂かれた東京への道              2002.7.10〜

高裁判決批判と上告のあらまし 弁護士Oさんへの書簡2

高裁判決批判と上告のあらまし                 2002.7.10.

 カマキリの訴えを退けた大阪高裁判決がいかにデタラメで不条理きわまるものであるかを思いつくまま述べてみたい。

 法律だ、やれ憲法だ と言ってもそう難しいものではない。普通の人間が之は可笑しいと思うことは矢張り可笑しいのであって、近頃は法律の権化のような裁判官の方が余程可笑しくなっている。これは人間本来の素朴な感覚が磨滅しているからに違いない。このような欠陥人間に生き死に関わる判断を任せておいて良いものであろうか、これが冒頭所感の第一点。

 つぎの不思議は裁判所が社会的評価なり批判をまるで受けない無風の聖域であること。新聞テレビも報道はしても批判せず、この業界は同業者もメディアからもほとんどノータッチ。政、経、産、学、果ては芸事に至るまで、日常じゃんじゃんやっている論争が、この世界は静かなものである。この取り残されたエアポケットは日本のサンクチュアリであるらしい。世の中はこれら批判の洗礼を受けながら、そこに新しい境地を見出して進むものだが、この無菌培養室はますます裁判官をひ弱にし、退化を早めている。道理への鈍感、権力への怯惰、それらの典型を判決文はまざまざと露呈し、その判示は悉くおかしい。これは負け惜しみではない、判決のすべてが道理に合っていないからである。 

1.給養費は誰の負担か 

裁判官よ 貴殿は“シベリアの兵士にめし代など払う必要はない” との判決を下した。兵士に自バラを切らす軍隊が世界の何処にあると言うのか、詭弁を百万言費やそうとも、この判決は根っこから間違っている。

A) 軍隊とは愉快なところではないが、めしだけは食わす組織である。ハラが減っては戦さが出来ないからで、戦力維持上これだけは世界共通の原理であり、大東亜戦争陸軍給与令第45条に明記するところである。

 B) “・・・捕虜として交戦国に抑留された軍人に対する被服、糧食に関する規定をそのまま適用すべきとの前提に立ったためであるとは解されず、捕虜として抑留された将兵の給養は捕虜の取り扱いについての国際法の適用と交戦国間の協議によって処理されることが予定されていたものと解される”。 (判決文P29)

 陸軍給与令等には捕虜になった場合の規定はない、給養費の支給を停止するとはどこにも定められていないのである。それなればそのまま適用すべきが自然であり当たり前であるのに、上記のごとき曲解は裁判官の心底にひそむ捕虜蔑視の現れとして重大である。

 C) 即ち我々は国際法で捕虜であると同時に国内法的には歴とした帝国軍人で、法的に二重の身分を保証されているのである。裁判官はカン違いをしているのではなかろうか、武器を捨てた時を境に軍人から捕虜へ変身するのではないのである。捕虜になったから軍人の恩典を失うとの解釈はいまわしい戦陣訓思想の再現であり、民主平和の法廷にあるまじき判断と言わざるをえない。給養費はあくまで国内実定法の問題であり 国際法や交戦国間協議とは全く別次元のものなのである。

 D) 同じ明治憲法の下、同じ給与令で日露戦争時の捕虜は給養費が支給され、シベリア抑留の捕虜が支給されないのはどのような理由によるものか。当時の捕虜に強制労働はなく、小遣いを貰い毎日ブラブラしていたが、明治政府はロシアとの相殺勘定ですべての費用を清算している。即ち日本兵捕虜がめし代を自分で支払ったとは聞いたことがない。

 E) “国際法と日ソの協議によって処理されるもの・・・・・“ と言いながらも ”仮に控訴人らの主張の請求権を有していたとしても・・・・・“ と暗に認めながら(P30) これも戦争の災難だから諦めてくれと言う。南方捕虜には労賃と一緒に給養費を支払い、どうしてシベリアだけに災難だからカンベンしてくれと言えるのか、

 裁判官よ、貴殿はひと言答える義務がある “どこの世界にめし代を兵士に負担させる軍隊があるか” 答えられねば判決は間違っている。

 2 捕虜の労働賃金は支払わるべし (P30〜)

 “この国際法上当然のこと・・・・・” は裁判官にひしひしと伝わっている と言いながら、その舌の根の乾かない内に “国に支払いの義務は認められない” と言うのはどうしたことか。それでは支払いの責任は一体どこの誰であるのか。貴殿らのアタマはそれすらお分かりでない程度のものか、或いは支払人をハッキリ名指しもできない度胸のない御仁であられるのか、

 A) 第二次世界大戦の捕虜は参戦各国数百万と言われているが、その権利義務は同一のルールで保証され拘束されている。即ち国際人道法及び国際慣習法である。我軍の南方や中国の捕虜も含め世界の殆どは、主に自国により未払い賃金もしくはそれに代わる補償金を受け取っている。同じ捕虜が同じルールで受け取れるものが、どうしてシベリア捕虜はダメなのか、答えは一つ、裁判官のルール(国際法)解釈が間違っているからである。

 B) 判決文の大半はこの世界公認のルール解釈をいかにゴマ化し支払いを免れるかに費やされ、控訴人らが申し立てた専門家鑑定の申請も採用せず、悪戦敢闘 世界に逆らって異説を立て、訴えを退けた執念は特筆に価する。 しかしながら奴隷ではあるまいし、人間働けば賃金を受け取るのは法律以前の道理であり、法廷は汗の結晶を着服した不届き者を法に照らしてあぶり出し、厳正に裁かねばならない。

 C) 国が支払うかどうかは偏に立法府の裁量による (P26) と言うが、国際法の実定性はユス、コーゲンス(強行規範)として立法や国内法の有無に関わりなく支払いの義務を負うのであり、南方捕虜にもそれにより支払っているのである。 

 これらの判示は憲法第98条の、誠実に遵守することを約した国際法規に違反するもので、それを正さない司法の権威は那辺にあるのか、三権分立の司法は立法府に関わりなく毅然として独自の判断を示すべきである。

 因みにカリフォルニャ州オレンジ郡上級裁判所の元アメリカ捕虜による日本国への補償請求訴訟に国務省が介入したことに際し、マクドナルド判事はこれを退け “条約の意味、または適用可能性を最終的に決定するのは行政部門ではなく、裁判所である” と述べて司法の独立を明らかにしたが、以って他山の石とすべきである。

 D) “控訴人らにおいて、労働証明書について不満を有するのはもっともなところである。”と言いながら、請求に理由がないとは何とも不条理きわまる非情な判示である。 法廷は破邪顕正の場であり、また無辜を救済する場でもあり,尤もと認めたのであれば せめて立法を促す判決をするのが花も実もある司法の役目ではあるまいか。

 3 役務賠償でなければ何であったのか

国か裁判所のどちらかが “シベリア抑留は控訴人が言う通り役務賠償であります。” と認めれば一件は落着で、国がその苦労に見合う補償を支払うのは当然の道理である。

我々は官費でボランティアや観光の旅に出かけた訳ではない、シベリア出兵以来のソ連に対する借りを返すためにこき使われたことは世界の誰もが認めるところであり、相手のロシアでさえも“その通りだ”と言っている。ところが独り我が国だけが “そうではない”と言い張るのである。今更認めるのは体裁が悪い上に多額の補償を払わねばならず、それがためウンとは言わないのである。

A) “ソ連が利益を得たことは事実であるが、我が国が法的に賠償の一形態と認めたことは一度もない”これが国の一貫した答弁で、日ソの間に賠償と言う言葉や文字は一度も使ったことがない、だから事実はどうであれ賠償とは絶対に認めない と自分勝手に決めているだけのことなのである。

 B) 判決ではこう言っている。

“ソ連からみて、強制労働が実質的に労務賠償であったことは確かである。” (P21)と 。裁判官はここまで認めながら “労務賠償としてソ連に引き渡したことを認めるに足りる証拠はない。”とは一体どう言う意味か、世間ではこの論法を三百代言と言う。

 

C) どの辞書にも“裁判とは事実に法律を照らして裁くこと” とあるが、国や裁判所は “事実がそうであっても法的が大事” と言う重大な過ちを犯したのである。

 D) いまだ朔北の荒野に眠る5万8千の戦友が “俺は一体何のために死んだのだ、教えてくれ” と叫ぶ声に国はどう答えるのか、“国のため、国民の身代わりとしてソ連への借りを返すため、貴方は尊い命を捧げた、決して犬死ではない、安らかに眠って下さい。” と手を合わせて呉れるのが、せめてもの母国の義務ではなかろうか。そのひと言こそが役務賠償のための殉職を認める同胞の真心である。

 E) どうしても役務賠償ではないと強弁するなら、それではあの悲劇はいったい何であったのかを、 国と裁判官は明言する義務があろう。バビロン虜囚の再来と言われる我が民族始まって以来の屈辱を、何のためだか判らぬままで灰を被せてよいものであろうか。それをハッツキリさせるためにこの裁判をやっている。

 F) シベリアの戦友に申し上げる、国は “戦争は災難だから諦めて呉れ”というが、それを納得するのが国民の道であろうか、我々原告はこれが承知できないのである。事実を明らかにし、関東軍60余万は国家のため、国民の身代わりとなって ソ連への借りを弁済したのであると、血と汗と涙の犠牲を顕彰しろ と叫んでいるのである。

4 国は関東軍兵士を売ったか 売らなかったか

 A) “賠償として、一部の労力を提供することには同意す。” の近衛要請は政府中枢の頭の中にあったことは認めるが、実行されなかった。即ち殺意あれども未遂。 “極力貴軍の経営に協力する如くお使い願い度いと思います。”のワシレフスキー元帥への報告は、追従の事実は認めるが、売ったとまでは言えない。即時帰還を求めていない、などの問題点はあるにしても大したことではない 等々(P19)

驚いたことにこの争点では国側から一本の準備書面も出されず、一言の弁明もされていないに拘わらず、ご親切にもすべて裁判官が代弁し援護している。これらは証拠の認否よりもどちらの岸辺に立っているか、味方をするかによって判示されている。

 我々は究極の決め手として証人の尋問を申し入れた。これらは当時日ソ折衝の要路にあった 瀬島龍三 草地貞吾 朝枝繁春 の三参謀で彼らが推進した命令がどこから発せられたものかを知る決定的な証言を求めるものであった。シベリア抑留は彼らの共同謀議によるものか、はたまた中枢からの命令であったのか、糺せばたちどころに真実は解明されるのであり、これをやらずに何の審理か。たびたびの要請にも拘らず裁判官は採用を怠り、怯むうちに二名は世を去って貴重な生き証人の証言は遂に沈黙のままに終わったが、これは本事案の重大な審理不尽であり、裁判官は責任を免れない。

  B) “ 右帰還迄の間に於きましては、極力貴軍の経営に協力する如く、お使い願いたいと思います・・・” の陳情に我々は寸分たがわずこき使われたのであり、このワシレフスキー元帥あて文書の中には“満州はよろしいがシベリアは困ります” とは一言も書かれていないのである。“まさかシベリアまでとは予想しなかった” と言うであろうが、これは魯鈍、または暗愚と言うべきだが、要職にある者の魯鈍は許され免責されてよいものであろうか。本件はそれらを問うているのである。

 兵士らを引き渡した真の命令者は誰か、知る者は一人 瀬島龍三氏である。良心に基づくこの人の証言はすべてを明らかにするであろう。証人尋問に応じようとしなかった審理不尽の非を認め、最高裁の採用を強く要請する。

 5 戦争損害か 戦後損害か

 判示は憲法第29条等に基づく請求に対し (P26〜 )

 A−1) “捕虜の有するソ連に対する請求権は日ソ共同宣言の請求権放棄により実際上不可能となったことは否定できない。・・・・ としながらもB−1) しかしこれも「広い意味の戦争被害」であり、いまの憲法の予測しない所であるから国に支払いの責任はないと言う。

 A−2) 国はかねがね放棄したのは外交権と外交保護権であって、個人の請求権まで放棄したものではない、と称し、支払い責任を強く拒否してきたが、このような詭弁は昨今の外国人による戦後補償の激しい攻勢を支えきれず、急遽前言を翻して “すべて放棄” と修正したものである。それなら捕虜の持つソ連への貸方勘定は放棄した責任上、国が弁済するのは憲法第29条の趣旨からして当然のことであるに拘わらず、裁判官はそれでも国を擁護するのである。切羽つまれば最後の命綱が必要で、それが 「広い意味での戦争被害論」であり、これが控訴人らを退ける武器となった。

B-2)  この論は第2の「国家無答責の法理」である。この「法理」なるものは戦前の保守専制の申し子で “お上がどんな酷いことをなされても、一切責任は負わない” と言うもので、戦前はなにを訴えてもダメであったが、この悪令が消えた筈の民主法廷でまたぞろ亡霊の再現か、“すべては戦争のせいだから諦めろ” では戦時補償の裁判は勝てるはずがない。この筆法ではいずれ“日本人に生まれたのだから仕方がない、諦めろ。” と言うことになる。これではもう裁判ではなく、宣託である。

C) シベリア抑留は戦前戦中ではなく、戦後である。

 悲劇の始まりは8月15日以後であり、さしもの大戦も砲火はおさまり、一発の銃声もない戦後に発生した事件である。捕虜になったのは終戦後の大本営と天皇の命令で、“ソ連軍に降伏すべし、命令に従わない者は厳罰に処す。” の発令は戦後の9月2日である。苦しい中にも平和は到来し、再建の槌音も響こうと言う戦後からで それから長い苦難がはじまるのであり、決して8月15日以前ではないのである。

 D) 原因には近因もあれば遠因も、さらには遠遠因もあろうが、ことを裁くのにはどの因にすべきであろうか、 糖尿患者が通院の途上で車にひかれて亡くなった、その死因を糖尿病と書く医者がいると思われるか、しかし裁判官はそう書いたのである。神聖たるべき裁判官のアタマが可笑しいと言うのはこの辺りである。

 6 日ソ共同宣言の審理をなぜサボるのか

 “・・・捕虜の地位に不利な影響を及ぼし、又はこの条約で捕虜に与える権利を制限するものであってはならない。” (49年ジュネーヴ条約第6条)

 日ソ両国は労賃未払い、その他捕虜の有する貸方勘定を支払わないまま 1956年日ソ共同宣言を結んだが これは上記条項に著しく反したものであり 同宣言は今のままでは無効である。従って我々は次の同条約後文により 国は払うべきものをキチンと払うことによって不備を整えるよう主張した。

 “・・・又は紛争当事国の一方若しくは他方が捕虜について一層有利な措置を執った場合は、この限りではない。”

 A) ところが判示によれば “日ソ共同宣言で捕虜に対する請求権については何ら言及がないので放棄されたとは言えない。とし、控訴人らの主張には判断は不要であるとした。 (P24) その一方で次のようにも言う。 (P30〜)

 控訴人らは “捕虜の労賃は支払われるべし、との国際法上当然のことを要求しているに過ぎないのであり ” と未払い労賃の存在と未解決状態を認めている。しかしその支払いの連帯義務者が日本とソ連であることをお判りになっていないのである。この両国の他にいったい世界の誰が払うというのか、日ソ両国が捕虜の権利を奪い踏み倒した談合を6条は咎めているのであり、何ら言及がないことこそが問題なのである。

 第6条は国際法上とくに遵守を求められるユス、コーゲンス(強行規定)である。裁判官は不要と言うが、その実は判断ができないのではなかろうか。

 B) 控訴人らは条約発効以前に帰国し、同条約による捕虜の権利を喪失しているから請求の理由がない、と、相変わらず遡及の無効を言うであろうが、これは全く関わりのないことである。

 49ジュネーヴ条約の加盟は 1953年10月21日、

 日ソ共同宣言発効は      1956年12月12日 

であり、後者は前者に拘束される。共同宣言以前は法的に戦争中であり、捕虜は帰還の遅い早いに関わりなく一様に日ソ戦争の捕虜である。この捕虜に対する第6条の条件を充たしてのみ新しい協定は締結できるのであり、それが充分でなければ協定は結べない。

  シベリア抑留は非人道的犯罪である

 人道、人権の侵害による非行は、時間(時効)と空間(国境)を越えて追求されているのは今や世界の趨勢で、これら被害の救済には新たに国際裁判制も設けられ、人間の、人間による、非人道行為が厳しく咎められる中で、旧態依然たる人道後進国の我が司法の感覚は世界の糾弾を免れない。

 日ソ長年の醜い談合により隠蔽されていた「シベリア抑留」は、近年 ロシア国の懺悔する処となり、ゴルバチョフ、エリツィンと相次いで非を認め、日本国民の前に深々と首を垂れて謝罪し、遅まきながら国際法に基づいて労働証明書を発行し、ようやく抑留国の義務を果たしたことは記憶にあたらしい処である。 ところが一方我が国は抑留者の訴えに耳を貸さず、事実を直視せず、依然57年間を放置したままの不条理は言語同断で、国際正義に悖ること甚だしいもの と断ぜざるをえない。

 賃金も めし代をも支払わないとは非人道的犯罪の最たるもの、“何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。・・・” の憲法第18条の理念に著しく違反することは誰の目にも明白である。

  同じ捕虜であるのに どうしてこの差別か 

 南方から帰還した日本兵捕虜には労働証明書と引き換えに未払い賃金を支払い、シベリア捕虜には労働証明書がありながら支払わないのは “すべて国民は、法の下に平等であって・・・” とした憲法第14条に違反するものであり、瑣末な解釈や弁明はさておき 結果として歴然たる差別に外ならない。

9 おわりに

法治国家では法律に照らして裁かれる。 その一つ一つの法律がどのような願いをこめて作られたか、すべて道理を通すためである。であるのにその法律を操って逆に道理を曲げようとは、“何よりもまず道理の通った裁判を“ 私はここに来て松川裁判批判に立ち上がった広津和郎の叫びに突き当たるのである。大阪高裁判決に一つとして道理の通った なるほどご尤もと、恐れ入る裁きが示されたであろうか、何一つない。道理に合わない、腑に落ちないことばかりである。これが黙っていられよか。

我々は歴史に対してひしひしと強い義務を感じている。シベリア抑留の事実を このようなデタラメであいまいなことにしてはならないのである。今こそ白日の下 真実に照らして事件の根源を明らかにしなければならない。これこそが体験した者の義務なのである。

 世界の捕虜たちが母国から手厚い処遇を受けている中で、シベリア捕虜のみどうして放置されねばならないのか、 勝手な時にはこき使い、都合が悪くなれば弊履のように投げ捨てて顧みない冷酷な母国が相手であることが第一の不運だが、反面我々の方にもそれなりの理由がありはしないか、淡白に過ぎる、悪く言えば意気地がないのも原因である。充分に補償された他国の捕虜はそれでも厭きたらず、一致団結して今も日本やドイツに対し非人道的犯罪の補償を求め続けている。(日本相手の戦後補償裁判は米国で60.日本国内で57 と言う。) 不条理に対するあくなき追求、泣き寝入りはしないぞ の権利の主張、納得のゆくまでトコトン争うの執念、彼らは死んでも不正の存在を許さないのである。

 加えてシベリア捕虜の後始末もロクにしないのに有事立法などは論外、またシベリア抑留を忘れた日ロ平和条約なども論外。これらは次代への証言であり、伝言である。

 カマキリは告発し続ける、国はこの主張を黙らすことはできない。

  弁護士Oさんへの書簡 2                  2002.7.18.



左より弁護士O、松本、木谷、加藤木(2002.6.29有馬)

 有馬の夜から今日までの推移は組んづほぐれつの格闘で、冷や汗の連続でしたが、一応、昨日の上告書受理の手続きを終えた段階で収まりました。予想よりも厳しい高裁判決の直後だけに、有馬は杯の重い宴でしたが、割れた茶碗は元には返らず、とうとうお別れ会になってしまいました。貴方のお執り成しもご好意も効を奏せず、ほんとうに申し訳ない仕儀でございました。

 早速翌日から同志三人に松本さんの強引な勧誘が始まり、つまり仲間の取り合いで、“ 最高裁ではこの方法より勝ち味はないぞ、両方に賭けてどこが悪い。こちらはカネも要らないよ” と。万事気の優しい三人さんは随分迷われたのですが、何とか江藤弁護士依頼の一本で纏まり、はっきり松本さんと分離ができたのは不幸中の幸でした。一度は乗り切らねばならない関門でしたが、生木を裂かれるような内紛は骨身に応えました。

 松本さんは30数名にカマキリの会への脱会表明を出されたようですが、書面はカマキリの複数上告の形になり、従って松本さんの上告費用もすべて当方が負担しています。結果はともかく最終までは仲間としてやってゆきたい、この気持ちだけは判ってほしいのですが・・・・。 脱会表明のなかで “池田幸一氏は私の考えに全然反対し・・・・” と、事実その通りであって今さら悪者呼ばわりは構いませんが、三人の道連れを妨げられたことが余程無念であられたようです。しかし松本説は天下ヒロシと言えども、松本ヒロシだけの奇説であり、今のところどの団体も支持者も同調の動きはないようです。

 江藤弁護士との契約は6月3日に上京し、日立から加藤木さんも合流して当方は二人、「戦後補償フォーラム」代表のA氏立会いで内定いたしました。印紙代実費のほか着手金30万円、あとは成功報酬と、ある識者の言では “この種の仕事では破格、ボランテァ並み” とのことでした。9月上旬の「理由書」提出を目指して詳細打ち合わせのため、近く再度上京いたしますが、これで後は一切東京任せとは楽ではありますが、少しは拍子抜けの感じです。

 私も落ち着けば大阪全抑協の新しい組織の手伝いでも始めようかと思っています。今までは山形本部の指令に従って動く手足でしたが、今からは頭脳を持った政策集団として独自の運動を目指したいと、来る28日に結成大会を開く運びになっています。私は事務局委員としてプロヂェクトに参与することになりそうです。新しい運動方針にカマキリの前面支援を入れるよう提案しています。

  取り急ぎ近況ご報告まで・・・・
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