<その11> カマキリ語録 2002.6.10〜
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T君への書簡 5 2002.6.10.
拙文が朝日新聞の「私の視点」に出たことを、貴方は誉めてくれましたが面映いことです。未知の方からも声が寄せられ、新聞の力の大きさに実のところ驚いています。 これも何度かボツになった結果で、新聞社も根負けしたのでしょう。私に才能があるわけでもなし、理由といえば そうですねこの2月、高裁に抜き打ち結審をやられたことが原因です。
提訴以来3年の間、毎日々々の訴状書きが私の仕事でした。ご存知のように弁護士なしのカマキリはすべて自分たちで書かねばならず、必死に調べ時間に追われて書き続けましたが、いま振り返えれば無知だったからできたことでした。「盲人蛇に怖じず」ですよ。
それがこの日を境にして失業です。以後は今度依頼した弁護士の江藤さんがやって下さるうえに、上告には始めの「理由書」だけで、あとは判決まで出したくとも出せない、すべては裁判官任せで終わりです。
突然生じたこの穴をどう使えばよいのか、それを教えてくれたのは東京のAさんです。
まだよくは知りませんが、このAさんは若いが実に有能な人物で、すべての戦時補償に関わる弱者の総参謀、鞍馬天狗のような存在です。昨年の夏ごろに松本さんが繋がりをつけて以後 万事に力を借りていますが、新聞を自在に利用できる実績を持つ人の言葉だけに説得力がありました。
早速各社へ始めましたが、何本書いたかなぁ しかしどこからも梨のつぶて で、諦めかけた頃に拾って呉れたのが今回の 「シベリア捕虜は沈黙しない」 です。
この反響は大きく、ずっしりと手ごたえを感じましたが、裁判官たちはどう読んでくれたでしょうか。楽観は禁物ですが後日シベリアを語るとき、記事になった日の 5.21.以前と以後を分けて論じられるターニング・ポイントになってほしいと期待しています。
*西村 弘さんが亡くなりました。3月25日のことです。毎回傍聴を欠かさず、心強い支援者でした、残念です。 日露平和条約締結交渉に「シベリア抑留」を 2002.3.5. 鈴木宗男疑惑により、図らずも外務省の舞台裏が国民の前に暴霧されましたが、憂慮に堪えないのはロシア外交の見識であります。サンタ小父さんがいくら気前よくバラ捲いたとしてもどれだけ悲願達成の足しになるでしょうか、ロシアという国はそのような相手ではない筈です。どうして我国はいうべきは言い、求めるべきは求める正々堂々の外交ができないのでしょうか。シベリア抑留生き残リの老兵が時聞のあるうちに是非一言申し述べたいことがあります。 かつてゴルバチョフ氏もエリツィンも 「シベリア抑留」 に対して遺憾の意を示し、日本国民に謝罪いたしました。日ソ共同宣言の請求権相互放棄により ロシアは抑留捕虜への補償義務を免れ、1ルーブルも懐を痛める心配がない処からの詫びであったとしても、非道を正直に非道と認めたのは 「シベリア抑留」 が彼らの泣き処だからでしょう。この急所を何故突かないのか、ポツダム宣言を無視して六十八万の兵士を抑留し、長年月に渉って強制労働を課し、そのため六万余が未だ凍土の下に眠っているのです。この民族はじまって以来の屈辱と犠牲をどうか無駄になさらず、領土問題の有利な解決に生かして頂きたい、これが今生の願いであリます。 平和条約の取り組みは決して領土問題だけではあリません。どうして「シベリア抑留」を声を大にして主張されないのか、事の始まリから一度として文句がいえないばかリか 日ソ共同宣言においては平和回復と引換えに抑留捕虜の労賃など、請求権の総てを唯々諾々と放棄し、事件の根源と責任を解明することなく灰を被せてしまいました。バビロン虜囚の再来ともいわれる悲劇を、いくら体裁が悪いからといってうやむやのまま過去へ送り込んで良いものでしょうか。この人道に反した行為によってロシアは、総労働日数延7億日という巨大な戦後復興の利益を既に手にしているのです。更に千島 樺太、その上に北方四島とは、あまりにも阿漕ぎな仕打ちではあリませんか。どうか辛酸を嘗めた老兵たちの無念を思い、少しは性根を入れて主張されたい、喉元のトゲを抜かずに恒久平和は築けません。 「シベリア抑留」の未解決はもう一つの問題があります。抑留捕虜の賃金を未払のままでは1949年ジュネーヴ条約第6条の明らかな違反で、これでは平和条約が締結できません。 “捕虜の地位に不利な影響を及ぼし、叉はこの条約で捕虜に与える権利を制限するものであってはならない。“ が充たされない限リ、新しい条約は結べないとの強行規定があるからです。また総ての請求権を放棄したからには、ソ連に代って捕虜の労賃金その他の貸方勘定を弁債する義務があるのですが、我国は未だに支払いませんが、これまた問題です。近時陸続と押し寄せる外国兵捕虜の補償請求訴訟、特にカリフオルニア州でのアメリカ元捕虜の攻勢は120兆円という巨額の訴えですが、我国は平和条約等による総て放棄済の命綱一本で辛うじて退けていますが、これを正当化するにはシリア捕虜に即刻支払う必要あります。そうでなければ成リ立たない理屈であることは少し考えれば容易に判ることで、このままでは莫大な国益を失うことになるでしょう。「シベリア抑留」は多くの問題を孕んだ未解決の事件なのであリます。 シベリア抑留訴訟判決は間違っている。 2002.3.10. 判決文の言葉を代えれば次の通りになる。 “世界の捕虜や南方帰りの日本兵捕虜は国際法の定めに基づいて労働賃金や抑留補償を母国から受取っているが、法的にいえば 「シベリア捕虜」 に対しては国が支払う義務はない“ 法の解釈は神聖なるべき裁判官の自由だが、果してこれが道理の通った何処の世界にでも通用する裁きといえるであろうか。抑留地獄に生死の境をさまよった者に到底納得のゆく判決ではない。 法は裁く者の意図によって出てくる結果が大きく違ってくるものらしい。抑留者は軍人であると共に捕虜であり、法的には国際諸法の拘束を受けるが、不運にして捕虜の境遇に落ちたとしても人権は守られるべし の精神に従えば、世界が現に実施している通り抑留中の労賃その他は母国から支給されることになり、一方その精神に背きカネを惜しめば今回の判決になる。その基準は国際法だが、最高裁は世界に逆って独自の解釈をしたのであるが、この視点が判決から欠落している。 「シベリア抑留」 は敗戦後ポツダム宣言と国際法を無視したスターリンの犯罪と、天皇制日本の国体護持を図るための役務賠償で、砲声が全く治った戦後の悲劇であり、判決にいう戦争被害は間接原因に過ぎず、直接には戦後の非人道的抑留被害というべきである。これらの真相を解明せず本質の洞察もない通り一遍の法律論で表面を撫でただけの判決は惰性と倦怠のみ、神聖たるべき司法の尊厳も、受難者への労りも、理性の英知も何一つ伝ってこない作文である。特に “憲法の予測しない処" とは戦前の 「国家無答責の法理」 の復活であり、時代錯誤も甚しい判示といわざるを得ない。宮沢喜一氏の言の通り “国が国民の生命財産を保護するのは憲法以前に当然のこと" であり、予測しない明治憲法であれ日露戦争下の日本兵捕虜は手厚い保護を受けているではないか. また日ソ共同宣言での請求権相互放棄はやむをえない処であるから諦めて呉れというが、個人の財産を平和回復という公共のために放棄して、やむを得ないで済むことではない。 南方捕虜には何ら立法府の裁量による法律もないに拘らず、労働賃金・給養費その他を支給しているが、これらは法の下の平等に反した明らかな差別であり、憲法第14条に違反する。これをしも予想しない処というのは詭弁であろう。自国民が遭難した非人道的被害は自国で救済する滔々たる世界の流れが、裁判官には見えないのであろうか。 これら公正ならざる見解により国に法的責任なしとしたが、我国司法は道理が裁けない、裁く能力のないもののようである。日本という国は国民を危難にさらしても責任を取らない国であることを明らかにした歴史的裁判として銘記する必要がある。
外務省文書の公開を求める 2002.3.18. また平和条約締結への交渉は領土問のみではなく、忘れてはならないものに「シベリア抑留」がある。スターリンの暴挙によって六十万余の兵士が受けた屈辱と非人道行為の後始末がどのようにウヤムヤにされ、受難者への労賃や補償支払が踏み倒されたのか、それら交渉のカラクリがはじめて解明されるであろう。 抑留者の多くは既に世を去り、残った者も老いた今、せめて交渉と称するものの中味だけでも知って死にたいのである。 もう一つの捕虜への扱いについて 2002.4.5. そこで申し上げたいのは「シベリア抑留」のことです。極限の地に長年月の強制労働に服した六十万余の日本軍捕虜は一銭の賃金も給養費も補償金をも受け取っていないのです。日ソ共同宣言で両国はお互いの請求権を放棄しましたから捕虜の受取るこれらの権利分は当然母国が代って補償すべきであるのに、半世紀を経た今日に至るまで日本政府は支払おうとは致しません。つまり内外の両方に払わないのです。天皇陛下の命令で涙を呑んで捕虜になり、地獄の労苦に耐えた老兵をこのまま放置する不条理が許ざれてよいものか、身近の捕虜のこともお忘れなく。 兵士を見捨てたままで国は有事を語る資格がない。 2002.4.21. また我国の有事とは攻めて来るのか来ないのかも定かでない外敵ではなく、政、官汚職であり、更に緊急な有事は貧困、失業、老後不安等々の国内問題である。これらへの不作為を棚にあげて空理空論をいうのは国民へのゴマ化しで、そんな暇があるなら本物の有事解消に努力されたい。
「国家無答責の法理」は旧時代の亡霊 2002.5,6. 4月26日の福岡地裁は中国人強制連行訴訟で、国と企業の共同不法行為を認める判決を下しながら、一方「国家無答責の法理」を採用して国を免責したのは不当である。“お上のなさる事はどんなに酷い事であっても一切泣き寝入り” というのがこの「法理」で、軍国専制の権化ともいうべき考え方であった。これが民主憲法下の今日、またぞろ墓場から亡霊のごとく現れて害をなすとは理解に苦しむところであり、一言苦言を呈したい。 1、この「法理」は判例であっても法令ではない。戦前は国の権力的作用についての損害賠償を認める法令が無かったところから、賠償責任には当たらないであろうとの考え方であり、確たる根拠を有する法令ではない。 2、我国は1945年8月15日に降伏し、ここに暗黒の軍国時代は崩壊して国家主権を失った。占領下マッカーサーの統治はポツダム宣言に基づいて専制軍国の覆滅と民主主義の育成が基本とされ、特に同宣言第6項に “誤れる権力及び勢力は永遠に除去せられざるべからず” とあり、これらに添う諸法令は旧権力もろとも排除されている。従って財閥解体、農地解放などの一連の改革、また東京裁判やBC級戦犯裁判などにおいても既に死滅した「法理」は一言も主張されることなく、口にするさえ憚られて被告援護の武器にはならなかった。 3、新憲法が公布され、旧弊を改めるために1947年10月2日、国家賠償法の制定をみたが同法は新規規定であり “なお従前の例による” の改正または廃止ではない。従って「国家無答責の法理」なるものが従前の例のように出てくる理由はなく、法の連続性は断絶している。 4、国家賠償法がないからこそ在り得た「法理」は同法制定により瞬間的に消滅した。同法以前の法廷ならともかく、在り得ない以後にこれが用いられるとは亡霊裁判と謗られても反論はあるまい。 5、同じ共同不法行為でありながら一方は有罪、一方はお咎めなしとはいかにも不条理、またこの論法が通るなら戦争の反省は一切不要となり、諸々の戦争被害も責任なし では文字通り無法国家となる。 6、連行された中国人らは悪しき「法理」の説明も聞かされず、もちろん承諾もせず労働を強制された。この中国人がなぜ日本の「法理」に従わねばならないのか、そのこと自体が裁かれねばならない核心ではないか。 7、非人道行為を裁くには時効など時間性や、国籍を超えた事実の追求と、その認識を中心に行われるのが世界の趨勢である。そのなかでどうして前世紀の「法理」が迷い出るのか 司法の体質を問いたい。 8、国家の負うべき責任が、ある日を境にして以前はなし、以後はありと、掌を返すように決まるものであろうか、それは前の政権がやった事で今の政府の知らぬこと の弁解は、責任ある国の言葉ではあるまい。“あれはヒットラーがやったことで私は知らない” と戦後のドイツはひと言も言わなかった。 我が国の法廷は正義を裁く能力を持っているのであろうか。このような著しく条理に外れた判決は世界に対して恥ずかしく、悲惨な運命に耐えた隣人に申し訳が立たないことである。 |
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