第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その12> かまきりに 血圧あらば 高からむ   <朝日俳壇>                                              
                                           2002.6.28

      大阪高裁判決                    2002.6.28

平成13年(ネ)第118号 損害賠償等請求控訴事件

(原審 大阪地方裁判所 平成11年 (ワ) 第3409号)

                  判決

               平成14年6月28日

                  主     文

1本件控訴を棄却する。

2控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実、及び理由              略

1本件控訴の趣冒          略

2事案の概要、            略

第3 争点に対する判断

  1、控訴人らの主張 (1)     略

(2)そこで以上の事実を前提に判断するに,近衛特使の和平交渉案は,前記(1) @認定の内容であったが,このような和平交渉案が検討されたのは,ポツダム宣言(労役賠償を要求していない。) 及び我が国によるその受諾より以前であることは勿論,さらに日ソの開戦前のことである。したがって,その和平交渉案中の「賠償として,一部の労力を提供することには同意す。」との案が直ちにソ連に対し戦争にともなう労役賠償を提供する趣旨であるということはできない。また,近衛特使の派遣自体が結局実現されず和平交渉案も提示されないままに終っていることに照らすと、和平交渉案の内容をもって,我が国の政府中枢が、ソ連によるシベリア抑留の段階でも同様の考えを有していたものと推認することはできない。日ソ開戦後の日本軍首脳の日本人の大陸残置策も,捕虜として日本人を大陸に残置させるとの内容であるとは到底考えられない。

また、実視報告書及びワシレフスキー宛報告書は,その各記載内容をみると,内地帰還を希望しない者が「満鮮」に引き続き居住する場合,又は内地帰還を希望する場合は帰還までの間,元の職場への復帰等により,労働力の提供に協力する旨を述べたものにすぎないといえる。現実には,その後,帰還を希望する者もシベリアに強制連行,抑留され,強制労働に服させられた等の事実があったことは確かであるが,これら記載から,被控訴人がソ連による武装解除後の軍隊のシベリア抑留,強制労働までを容認したとか,容認する意図を有していたものと推認することはできない。

ワシレフスキー元帥と山田総司令官の会談内容(前記(1) D)にしても,ワシレフスキー元帥は,日本人捕虜は,ソ連領内に移送されることを示唆するものの,軍人捕虜に関するハーグ条約とジュネーブ協定に従った両国政府間め取決めを待つことを述べているのであり,山田総司令官の要望も,その取決めが成立し,捕虜が内地に帰還するまでの間,捕虜の衣食住に不自由しないように要望するとともに,その間の捕虜の労働について申し出たにすぎず、その後の経過のように,捕虜がシベリヤまで連行され強制労働を課せられることまで容認した発言と取ることはできない。

前記(1) E認定の、天皇上奏案の内容,前記(1) Fの「蘇軍最高指揮官ニ対スル希望ノ件」の内容自体から,直ちに被控訴人は控訴人らを含む関東軍将兵を労役賠償として,ソ連に引き渡したとみることはできない。

前記(1) G認定の,事前了解取付事項中の日本軍の復員の順位について,連合国最高司令部が何ら回答しなかったことも,そのことから直ちに控訴人ら主張のとおり,我が国はソ連による関東軍将兵のシベリヤ抑留を承諾したことを示すものととらえるには無理がある。

さらに,昭和20年10月16目に下村陸軍大臣から本件閣議報告がなされ,翌日これが新聞で報道されたことは既にみたとおりであるが,この報告は、全体として見れば、控訴人ら軍人、軍属の我が国への帰還について、当時我が国が用い得る船舶の状況等から推定した帰還の見通しを報告したものにすぎないことは明らかである。北鮮,満州,樺太,千島地区の約87干7000名」に関しての,「「ソ」連側トノ外交交渉ノ状況ニ依リ見透不明ナルモ南鮮ニ引続キ認可セラルルモノトシテ其ノ終了ハ昭和23年8月頃」との部分についても,現下の客観的情勢を前提にした見通しの報告を超えるものでないことは,その報告の全体からみれば明らかである。このように,本件閣議報告をもって,その閣議において政府がソ連のシベリア抑留,強制労働を承認したものとみることはできない。

そして,ソ連は,日本軍将兵の抑留に先立つて同じ敗戦国ドイツの捕虜をシベリヤに移送して強制労働に従事させている (甲21,45,弁論の全趣旨) うえ,前記認定のとおり,日本の降伏からわずか9日余り経過した昭和20年8月24日には,スターリンは,日本軍捕虜のうち,極東及びシベリアでの労働に肉体的に耐えうる者約50万人を選抜して,ソ連領内への移送.を命令しているのであり,しかも,その命令の基礎となった昭和20年8月23日国家防衛委員会決走の日本軍捕虜の移送に関する「スターリンの極秘指令」 (甲33) によれば,日本人の捕虜の使役先等につき相当突っ込んだ計画が練られており,その計画は一朝一夕にできるものとは思われないこと等を考え合わせれば,日本軍捕虜をシベリヤに抑留して強制労働に従事させることは,ソ連の当初からの方針であったと窺うことができ,前述の関東軍の投降の際やその後のソ連側との会談内容,各種文書,閣議内容等 (それらの中には,ポツダム宣言等に従った捕虜の即時帰還を求めていないなどの間題点はあるにしても) が,ソ連の日本人捕虜についてのシベリヤ抑留の決定に影響を及ぼしたとみることは困難というべきである。

他に,我が国が,控訴人らを労役賠償としてソ連に引き渡したことを認めるに足りる証拠はない (もっとも,甲31,32及び弁論の全趣旨によれば,ソ連からみて,控訴人らを含む日本人捕虜のシベリヤ抑留による強制労働が実質的に労役賠償であったことは確かである。)。したがって、控訴人らの,この点を根拠にする憲法17条,国家賠償法1条,民法709条に基づく,損害の賠償及び謝罪広告の請求は,その余の点 (国家賠償法等の遡及適用の論点等) を検討するまでもなく,理由がない。

2控訴人らの主張(2) (控訴人らのシベリア抑留及び強制連行を被控訴人が放置した。) について

我が国は,ポツダム宣言を受諾し,降伏文書に調印して以来,連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間、連合国による占領管理下に置かれ,連合国の占領政策に忠実に従わざるを得ず、我が国の統治機構は一応存在していたものの,天皇及び日本国政府の国家統治の権限は,降伏条項の実施のため必要と認める措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれ,法的,政治的にみれば,独立国家としての地位と権限を有するには至っていなかったこと,連合国は,間接統治の方策をとつたので,その制限下ではあるが,我が国も,憲法を制定し,国会において法律を制定し施行することができたものの,連合国との平和条約発効前においては外交の権能をもたず,国家主権を対外的に発動する手段を持たなかったため,我が国の政府がソ連による日本人将兵の抑留及び強制労働を解消しようと欲しても、これを実現するための確実で有効な手段は存在しなかったこと(公知の事実)等に鑑みれば,外交保護権不行使等を理由とする賠償請求が成立する余地はないものといわざるを得ない。また,連合国最高司令官に対する抗議,申入れ等の働きかけの点や,控訴人ら捕虜に対する慰問の点についても,それがなされず又は不十分であったことに対する当不当の観点からの非難はともかく (甲45による認められる同じ敗戦国西ドイツの対応等参照), 法的に,これを違法とすべき事実関係を認めるに足りる証拠はない (なお,甲67によれば,昭和26年6月19日 (我が国が独立していない時期である。) 付で,我が国の外務大臣が国連総会議長宛に書翰を送り,未だ帰還していないシベリヤ抑留者について,即時の帰還ができるように国連による関係国への幹旋等を依頼している事実が認められ,我が国政府としても,いたずらにシベリア抑留者を放置していたわけではないことが窺われる。)。したがって,この点を根拠にする控訴人らの損害の賠償及び謝罪広告の請求も,理由がない。

3控訴人らの主張(3) (控訴人らのシベリヤ抑留中の労働賃金等の支払請求)について
(1) 49年ジュネーブ条約66条等

控訴人らは,被控訴人に対し,49年ジュネーブ条約66'条の自国民捕虜補償原則に基づき,控訴人らの貸方残高の支払を請求できる旨主張する。49年ジュネーブ条約は,抑留国に,健康な捕虜を労働に使用できる権利を認めるとともに,その場合,抑留国に労働賃金の支払義務があること,そして,各捕虜ごとに@捕虜に支払うべき額(労働賃金,捕虜から取り上げた金銭等)とA捕虜に支払った額を示す勘定を設けなければならないと定めている。そして,同条約66条は,捕虜の解放時に,抑留国に対し,上記@の勘定からAの勘定を差し引いた残高(貸方残高)を示す証明書を捕虜に交付すべき義務、捕虜が属する国に対し,その証明書に基づき,貸方残高を決済すべき義務をそれぞれ課している。また,同条約68条は,抑留中の労働による負傷又はその他の身体障害に関する補償も捕虜の所属国においてすべき旨を規定している。

ところで,49年ジュネーブ条約は,前提事実(7)のとおり,我が国においては,昭和28年4月21日に加入通告し,同年10月21日に加入の効力が生じ,ソ連においては,同年5月1O日に加入通告し,同年11月10日に加入の効力が生じている。一般的に,条約は、別段の意図が条約自体から明らかである場合及び別段の意図が他の方法によって確認される場合を除き,遡及的に適用されないものと解される。そして,49年ジュネーブ条約中にこの意味での遡及適用を認める旨の規定はないから,捕虜の待遇に関する同条約が我が国とソ連との間において効力を生ずる以前に捕虜の身分が終了したことの明らかな控訴人らの法律関係の処理について,同条約を遡及して適用することはできないといわなければならない。

これに対し,控訴人らは,日ソ共同宣言がなされるまで,我が国とソ連との間では第2次世界大戦の戦争状態が継続していたのであるから,同条約141条の規定により,第2次世界大戦の結果につき同条約が適用される旨主張する。しかし,同条約141条は,同条約138条が、同条約の効力の発生時期について各締約国が批准書を寄託した6か月後と定めているため,既に戦争ないしは武力紛争の状態にある当事国が新たに49年ジュネーブ条約に加入して同条約の定める規定や利益等を享受しようとしても、直ちに同条約の利益等を享有できないという不都合が生じることになるので、その事態の回避のために,既に当事国において敵対行為又は占領が開始されているときは,批准書の寄託又は加入通告書の受領の日から,また,批准書の寄託又は加入通告書の受領がなされながら,未だ前記猶予期間が経過する前に敵対行為又は占領が開始されたときは,その時点において、直ちに条約の効力が発生することとしたものにすぎない。そうすると,49年ジュネーブ条約141条を根拠に同条約が第2次世界大戦の結果及びこれに基づく事実に適用されるとする控訴人らの主張は理由がなく,採用することができない。

したがって,控訴人らの49年ジュネーブ条約に基づく請求は理由がない (なお,控訴人らは,日ソ共同宣言において,我が国とソ連は,相互の請求権を放棄したとされているが、上記宣言は49年ジュネーブ条約6条及び同条約成立前に成立していたこれと同趣旨の国際慣習法に違反し、無効であるから,日ソ共同宣言により,控訴人らの所属国である我が国において,抑留国であるソ連が捕虜であった控訴人らに支払うべき貸方残高を決済すべき義務が否定されることはない旨主張する。しかし,日ソ共同宣言は,控訴人ら日本国民の被控訴人(日本国)に対する請求権については何ら言及しておら,日ソ共同宣言によってこれが放棄されたとはいえないので,この宣言が無効であるとの主張についての判断は不要といえるばかりか、これが無効であることを肯認する事実関係を認めるに足りる証拠もない。)。

(2) 国際慣習法

控訴人らは,控訴人らが捕虜であった時期には,自国民捕虜補償原則が国際慣習法として成立していた旨主張する。

しかし,国際慣習法 (国際司法裁判所規程38条参照) が成立するためには,諸国家の行為の積み重ねを通じて一定の国際慣行(一般慣行)が成立していること及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要であるところ,本件全証拠によっても,控訴人らのシベリア抑留等の当時,捕虜の所属国において、抑留国が捕虜に支払うべき貸方残高を決済し、抑留中の労働による負傷又はその他の身体障害に関する補償をすべきとの一般慣行が諸国間に成立し,かつ,その旨の法的確信が諸国間に存在していたとは認められないから,控訴人らの国際憤習法を根拠とする請求は,理由がない。

(3) 法の下の平等

控訴人らは、被控訴人が南方捕虜に対してはその抑留中の労働賃金に相当する金額を支払ったのに,控訴人らシベリア抑留者に労働賃金を支払わないのは,法の下の平等を定めた憲法14条に違反する旨主張する。

しかし,終戦直後の混乱期,外国から無制限に通貨が流入して経済体制の混乱に一層拍車がかかるのを防ぐため,連合国最高司令部は,通貨等の輸出入につき,厳しく制限する処置をとり,その後,経済状態が安定するに従って,その制限を緩和するという政策を採用した。連合国最高司令部は,上記政策を実施するため,引き揚げ者の持参金,捕虜として抑留されていた者の貸方残高の決済に関し覚書を発し,引き揚げ者の持参金については,一定の制限を設けるほか,捕虜として抑留されていた者については,戦時捕虜としての所得証明書を所持する者に限り,その貸方残高を日本政府が決済することを許可する旨の指令をした。そして,我が国は,この連合国最高司令部の指令に基づき,国内法令をととのえたうえ,南方捕虜に対しては,同人らが貸方残高証明書等を所持していたので,同証明書等に基づき、抑留中の労働賃金相当額を支払った。しかし,ソ連から帰国した控訴人らを含む捕虜については,同証明書等を所持していなかったので,捕虜として抑留中の労働賃金相当額を支払うことができなかった(公知の事実,弁論の全趣旨)。

このように,控訴人らに抑留中の労働賃金又はそれに相当する金員が支払われなかったのは,当時,控訴人らが貸方残高等の証明書を所持しなかつたことが理由であり,被控訴人において、控訴人らシベリアから帰還した捕虜とそれ以外の地域から帰還した捕虜とを差別する意図の下に,控訴人らの貸方残高の決済をしなかったものではないのであるから,この点をとらえて,法の下の平等に反するということはできない。なお,我が国の主権回復後,捕虜の抑留期間中の労働賃金を被控訴人において支払うかどうかの問題は,後述のとおり,戦争損害に対する補償の一環をなすものとして,結局は,立法府の総合的政策判断に委ねられるものと解するほかはない。

なお,証拠(甲51,52)及び弁論の全趣旨によれば,平成5年,ロシア共和国政府は,被控訴人に対し,労働証明書をシベリアで強制労働を課された日本国の軍人・軍属に交付していることを通知するとともに、被控訴人がそれらの者に対する貸方残高の支払について対応措置をとるよう要望し,実際に,控訴人木谷については,労働証明書(甲51)を受領したことが認められる。しかしながら,控訴人木谷がこの労働証明書を根拠に労働賃金の支払を請求するためには,既に述べたとおり,被控訴人にその支払を義務づける立法を必要とするのであり,このような立法措置が執られていないという立法政策の当否が間題となるに過ぎないといえ(控訴人らにおいて,この点につき不満を有するのはもっともなところである。) 控訴人木谷において,その労働証明書に基づく労働賃金相当額の支払請求をしていると解しても,その請求には理由がないといわざるを得ない。

4控訴人らの主張 (4) (憲法29条等に基づく請求)について

(1) 控訴人らは,「控訴人らはソ連に対し,国際法上,未払の労働賃金請求権を有し,また,ポツダム宣言9項に違反し,しかも,非人間的な過酷な労働を課されたことに基づく,損害賠償請求権を有する。しかるに,日ソ共同宣言により,国は,控訴人らが有していたこれら請求権を放棄したものである。よって控訴人らは被控訴人に対し、憲法29条に基づき,控訴人らがソ連に対して有していた請求権が消滅させられたことについての,補償を求める権利がある。」旨主張する。

そして,日ソ共同宣言6項後段による請求権放棄により,少なくとも我が国は,国際法上,ソ連との間で,シベリア抑留者の上記損害の回復を図る権利を失い、これにより、控訴人らがソ連に対し上記損害の賠償を求めることは,控訴人ら主張の請求権が存在するとしても,実際上不可能となったことは否定できない。

 しながら,控訴人らを含む関東軍将兵が,長期にわたりシベリア地域において抑留され,強制労働を課せられるに至ったのは,我が国の敗戦に伴って生じた事態であり、これによる損害は正に広い意味での戦争により生じたものというべきである。そして,日ソ共同宣言は,連合国との間の平和条約とは異なり我が国が主権を回復した後に合意されたものであるとはいえ,終戦処理の一環として,いまだ平和条約を締結するに至っていなかったソ連との間で戦争状態を解消して正常な外交関係を回復するために合意されたものであって,請求権放棄を含む合意内容について,連合国との間の平和条約と異なる合意をすることは事実上不可能であり,我が国が同宣言6項後段において請求権放棄を合意したことは,誠にやむを得ないところであったというべきである。上記抑留が敗戦に伴って生じたものであること,日ソ共同宣言が合意されるに至った経緯,同宣言の規定の内容等を考え合わせれば,同宣言6項後段に定める請求権放棄により控訴人らが受けた損害も,戦争損害の一つであり,これに対する補償は,憲法29条の予想しないところといわざるを得ない (最高裁平成9年3月13日第1小法廷判決民集51巻3号1233頁)。したがって,控訴人らが憲法29条に基づき被控訴人に対し上記請求権放棄による損害の補償を求める請求は理由がない。

(2) 控訴人らは,「控訴人らが,シベリヤ抑留で被った損害は,いずれも被控訴人の戦争開始,遂行,処理行為に起因するもので,しかも特別な犠牲に基づくものであるから,その行為の違法性ないし不法を論ずるまでもなく,被控訴人は控訴人らに対し,憲法17,18条,29条に基づきその補償をすべき義務がある。」旨主張する。

控訴人らが,第2次世界大戦後,シベリアの収容所に捕虜としで抑留され,強制労働を課されたことは前記認定のとおりであり,酷寒の収容所において,劣悪な環境の中,控訴人らを含む多数の捕虜が日々過酷な労働を強いられ,肉体的にも,精神的にも,筆舌に尽くし難い辛苦を味わい,多大の損害を被ったことは証拠(甲13ないし17,43,67,95)からも明らかなところである。

 しかしながら,戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては,国民のすべてが,多かれ少なかれ,その生命,身体,財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって,これらの犠牲は,いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として,国民が等しく受忍しなければならなかったところであり,これらの戦争損害に対する補償は憲法各条項の予想しないところというべきでる。控訴人らを含む多くの将兵が長期にわたり、シベリヤに抑留され,強制労働を課せられるに至ったのも,我が国の敗戦に伴ってもたらされた事態に他ならないから,これによる損害もやはり広い意味での戦争によって生じたものといわざるを得ず,シベリヤ抑留のみが特殊であったとまではいいがたい。

そして,その補償の要否及び在り方は,事柄の性質上,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって,控訴人ら主張の憲法の各条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほかはなく,これについては,国家財政,杜会経済,戦争によって国民が被った被害の内容,程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断に委ねられたものと解するのが相当である。

したがって,シベリア抑留者が長期間にわたる抑留と強制労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても,他の戦争損害と特別に区別して,控訴人ら主張の憲法の各条項に基づき,直接,裁判所に対し,その補償を求めることはできないものといわざるを得ない (前記最高裁判決参照)。

5 控訴人らの主張 (6) (給養費の支払請求)について

(1) 終戦当時,日本陸軍将兵に適用される俸給、給養等に関する法令には、昭和18年7月28日公布の勅令625号大東亜戦争陸軍給與令及び同年8月20日公布の陸達67号大東亜戦争陸軍給與令細則が存在する。これら規定には,内地、外地、戦地にある陸軍軍人に対し,被服・糧食等を給することが詳細に規定されているが,捕虜として交戦国に抑留された軍人に対する被服及び糧食については,規定がない。これは,戦地にある軍人に対する被服糧食に関する規定をそのまま適用すべきとの前提に立ったためであるとは解されず,捕虜として抑留された将兵の給養は捕虜の取扱いについての国際法の適用と交戦国間の協議によって処理されることが予定されていたものと解される。

終戦及び軍の解体に伴い,第二復員次官から昭和21年5月15日、一復907号「在外者の給與に関する件第一復員官署一般へ通牒」が発せられ,在外者については,昭和21年4月1目以降については,別冊の在外者給與規定が適用されることとなったため,大東亜戦争陸軍給与令は実質上効力を失うこととなった。しかし,在外者給與規定には,在外者の俸給手当、旅費等に関して規定されているが,被服,糧食等の給養に関する規定は存在しない。

次いで,昭和22年5月17日公布の政令52号(昭和20年勅令542号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づき陸軍刑法を廃止する等の政令により大東亜戦争陸軍給与令は廃止されたが、未復員者には引き続き従前の在外者給与規定が適用されることとなった。その後同年12月15日公布の法律182号(未復員者給与法)は,未復員者に対する給与として,俸給,扶養手当及び帰郷旅費の3種のみを認めたが,同法附則12条は,未復員者には,同法のほか,引き続き従前の在外者給與規定が適用されることとなった。

以上のとおりであり,控訴人らに対し,給養費の支給を認めた規定は存しないから,控訴人らの給養費の支払を求める請求は理由がない。

(2) なお、控訴人らは,「被控訴人は,国際法に基づいても,控訴人らに対し給養費を支給すべきである。すなわち,国際法上、捕虜の給養費は、無償であり,抑留国において支出する義務があるところ,控訴人らの給養費については,ソ連が労働賃金から天引きする方式をとったので,控訴人らはソ連に対し、この天引きした額に相当する請求権を有しているところ,被控訴人は日ソ共同宣言により,これら請求権を放棄したので,被控訴人は控訴人らに対し,この放棄についての補償をすべきである。」との旨を主張する。

しかし,仮に,控訴人らがソ連に対し控訴人ら主張の請求権を有していたとしても,日ソ共同宣言により,その権利行使が実際上不可能となったことは否定できないこと,そのことにより控訴人らが被った損害は,戦争損害の一つであり,これに対する補償は,憲法29条の予想しないところであることは、前記4において判断したとおりであるから、この点に関する控訴人らの請求も理由がない。

6 最後に、控訴人らは,シベリヤ抑留の悲惨さを述べ抑留そのものに対する憤りを訴えるにも増して、少なくとも、「捕虜の労働賃金は支払われるべし」との国際法上当然のことを要求しているに過ぎないのであり,現に南方捕虜,諸外国の捕虜が労働賃金の支払を受けている (甲21,53) のに対し,シベリヤ抑留捕虜のみが労働賃金の支払を受けていないことに対しても強い不公平感を懐いており,その立法処置を講じない立法府,あるいはその提案をしない行政府に対しても,その点に関して強い憤りを懐いていことは,当法廷の審理を通じて当裁判所にもひしひしと伝わってくるところである。

しかしながら,シベリア抑留者に対する補償の間題は,控訴人らのシベリヤでの艱難辛苦等に比べれば,到底不十分であると考えられるにしても、立法府においても,一定の立法措置や慰謝の措置 (銀杯、国債10万円と慰労状等)が講じられてきたことは,当裁判所に顕著であり,前述した戦争被害に対する補償の要否の点をも考慮すると,立法府が,シベリア抑留者に対し,その抑留期間中の労働賃金の支払,その他の損害の補償をする等充分な立法措置を講じていないこと,行政がその立法の提案をしないことをもって,その当不当はともかく,裁量の範囲を逸脱した違法なものとまでいうことは困難である。

4結論

以上の次第で、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し,控訴費用は控訴人らの負担とすることとして,主文のとおり判決する。

(口頭弁論終決日平成14年2月15日)   大阪高等裁判所第2民事部

裁判官 東畑良雄・浅見宣義

裁判長裁判官浅野正樹は,退官のため,署名捺印することができない。

裁判官 東畑良雄


<目次>へ戻る