第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その9> 続々 大正生まれは口が下手         2002.1.21

控訴人準備書面 10                       2002、1.21.

はじめに

被控訴人国は控訴人より再三に渉る督促をうけ、十一月十五日に至って漸くその第一準備書面を提出し、質問のごく一部に対し反論を示したが、その主張は雑駁で論旨に誠実を欠き、承知出来ないので以下論難する。

第一、大東亜戦争陸軍給与令(以下給与令と云う)の解釈について

被控訴人国の主張はいずれも反論に価しないものである。これは今回に限ったことではなく、原審においても第四、第五の被告準備書面がそうであったが、その都度 “ピントが外れている” と少々の揶揄を込めて指摘した処であり、問題の本質を故意に外し、質問を韜晦せんとする姑息極まりない論法で、これらは本事案における国の著しい特色をなし、この誠意なき法廷態度は厳しく批判されねばならない。

即ち控訴人らがその準備書面3の第一においてこれら法令の解釈についての国の誤りを問うたのであって、その法令の有無を聞いているのではないのである。何を勘違いなされたか、それら質問事項をそっくりそのまま羅列するのみで何一つ満足な反論はなく、代えるに前判決を一方的に押し付けると云う高飛車な回答は、国民を見下げた言論的暴力と云わざるを得ない。

一、被控訴人国は “控訴人らに大東亜戦争陸軍給与令の適用があったか否かに疑義があるが…” というがこの言は控訴人らの名誉に関わる発言で聞き捨てにできない。何ゆえの疑義であるのか明確に回答されたい。

* 控訴人らの軍歴が信用出来ないのか

* 控訴人らが所属したのは皇軍と称した大日本帝国陸軍ではなかったのか

* 捕虜となった兵士には適用されないと云うのか

1、これらは以下述べる本事案の核心であり、徹底した審理を要する問題であるにより、この点に関する被控訴人の回答を待ち、その上で更に争う。

2、念のため申し述べておくが、控訴人ら「シベリア捕虜」は、ポツダム宣言受諾により、ソ連の管轄下に入れと命ぜられ、大陸令1385号3項の “詔書渙発以後、敵ノ勢力下ニ入リタル帝国陸軍軍人軍属ヲ俘虜ト認メス” により長期抑留の苦難に遭遇した大日本帝国軍人である。

3、捕虜という概念の解釈について

旧大日本帝国の支配下においては捕虜に対する見方、考え方は正常ではなく、その存在すら認めようとしなかった。(戦陣訓第7死生観、第8名を惜しむ) 従って第二次世界大戦中、日本政府及び日本陸軍は捕虜に関する国際条約を無視して違法な解釈と処遇に一貫し、「戦時人道法」 を蹂躙し続けたことが今に至るも払拭できず、本事案の背景として色濃く残っているのである。

二、1、給与令の立法精神について

控訴人準備書面の第一冒頭で述べた通り、兵士の給養が官費無償であるのは軍役服務中の最低限生存を保証するためであると共に、“ハラがへっては戦さができぬ" の喩えの通り、戦闘力の維持をはかる必要上配慮されたものである。兵士に喰う心配だけはさせることなく、また同じ釜のめし意識は運命共同体の基本であり、軍と兵の一体化を目指すための理由に外ならない。

2、給与令以前

兵の給養に関しては建軍以来官費無償が原則で、古くは明治27年7月31日の陸軍戦時給与規則 (勅命第133号)、同年8月6日同規則細則 (陸達93号) 及び明治32年6月6日の陸軍給與令 (勅令222号)、同年6月7日同令細則 (陸達第50号) 以来連綿として実施され給与令に至ったものである。遂次細部は補充されたが、その立法精神、本質は何等変るものではない。

3、これらの法令に “捕虜になりたる兵士には適用されない” またはそれに類する規定はどこにも無い。

4、これら法令の下での日露戦役の捕虜はどのようであったか、日本、ロシア両国はそれぞれが抑留した捕虜の給養費を戦後に相殺し、その差額5千万円(当時) をロシア政府が支払って清算した。即ち日本国はロシアに抑留された日本兵捕虜の給養費一切を国際法と給与令に則って負担し、自国の捕虜が自弁した事実はない。

処で過去の「シベリア裁判」の判示は “捕虜として交戦国に抑留された将兵に対する被服及び糧食についても同令に規定がないけれども、これは戦地にある軍人軍属に対する被服糧食に給与規定をそのまま適用すべきものとの前提に立ったためであるとは解されず…“ として原告らの給養支給請求を退けているが、これは日露戦争時の正しい前例を無視し、捕虜蔑視の邪念を露骨に示した驚くべき偏見である。

5、同じ大日本帝国軍人であった控訴人らが、同じ立法精神に基づく給与令により、抑留中の給養費の支給を受けるのは当然で、国は速やかに支給すべき義務がある。

三、被控訴人国の法文解釈の誤りについて

1、被控訴人国の第1準傭書面第3の2の (1) (7ページ) に依れば “仮に同令の適用があったとしても、同令の俸給以外の給養に関する規定は、控訴人らには適用がないことは明らかである。“ とし、控訴人らが問うた指摘事項をそのまま列記している。これにより国側の為にせんとする邪悪な意図がはからずも鮮やかに暴露され、その不当が明らかであるので以下摘発する。

2、いかに良き法令であろうと解釈次第では随分と幅のあるもので、憲法9条はある面からは一兵の存在をも許さぬものであり、またある面からはインド洋上のイージス艦も認める程の懐の広いもののようである。給与令の解釈においても素直に読めば給養費の支給は当り前のことであるが、ある者がある意図を以て読めば “「シベリア捕虜」に限り国は給養費を支払う べからず” となるのである。この項にあげた国側の主張はその典型であり、ある意図とは、本書一に指摘した“控訴人らに給与令の適用があったか否かに疑義があるが…”である。

 思うに被控訴人国は今日に至っても捕虜蔑視の戦陣訓思想から脱却できないのである。本事案紛糾の根源は将にこの一点にあり、はからずもここにその片鱗を見たのである。給与令には捕虜を給養の対象から疎外する規定は一切ないに拘らず、一方捕虜に与えまいとする意図との葛藤が国側の主張に出て、その矛盾が法匪的解釈にありありと表現されているのである。

3、収容所生活は営内居住者ではない、また部隊もろとも捕虜になった者に対して部隊から離れている捕虜には適用がない等の問答は控訴人準備書面3の第一において述べた処であり、ここに繰返すこともないが、これら牽強付会の弁明はなり振り構わぬ硬直強弁の典型である。

就中 “ここにいう「戦地」とは給与令細則2条に定められているところであって、控訴人らが抑留されたシベリアがこれに該当しないことは明らかである” の主張はいかに返答に窮したとはいえ噴飯の至りである。

4、なるほど細則二条の戦地 ト ハ の地域の中にソ連やシベリアの文字はない。(これらはソ連参戦から終戦までの倉皇の間 改訂するゆとりがなかっただけの事である。) しかし第三の三に “敵国及中立国ノ領土又ハ祖借地タリシ地ニシテ陸軍部隊ノ作戦行動スル地域” のソ連は敵国ではないというのであろうか、またシベリアは敵地ではないのだろうか。これらの発言は8月9日ソ連侵攻以後、決死の防戦で仆れた幾多の兵士やシベリア受難68万の名誉を著しく冒涜するものである。

諸般の思惑と怯儒からソ連に対し宣戦布告もなしえず無条件降伏をした我国のことだから “実際上は敵国であるとしても我国は法的にソ連を敵と認めたことは一度もない“ とでも云いたいのであろうか。国の解釈は “事実はそうであれ法的にはこうである” のであり、原審は役務賠償の判示に際し、事実よりも法的を是とした誤謬を既に犯している。

5、被控訴人国の主張は片々たる法文の字句をとらえ、捕虜蔑視の偏見から法の精神を曲げたもので不当である。仮にそれらが正しいとしたならば、捕虜は自らの負担で抑留中の給養をしろ と云うのであろうか、国に支給の義務はないというが、それなら一体誰の負担であるのかを説明しないのは、その境遇に至らしめた責任者として無責任のそしりを免れない。自己弁護のみの云い逃れは卑怯である。

6、従って結果的に給養費を支給している南方捕虜との不公平、日露戦争捕虜との差別などの弁明が、被控訴人国には一言も出来ないのである。

7、これらは法があるとか無いとかの問題ではなく、法の解釈が正しいか正しくないかによることは明らかであり、それには立法の精神に立ち返り、道義に基づく素直な気持で支給を認めるべきで、戦陣訓の捕虜蔑視に毒された恣意によって曲げられるものではない。“生きて虜因の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ“ の戦陣訓は昭和16年1月8日付の陸軍大臣東条英機により下達されたものであるが、これは単なる訓示に過ぎず、憲法でもなければ法令でもない。しかしその残渣が未だ色濃く残り、公開の民主法廷に跋扈しているとすれば、これこそが由々しき大事である。

四、1、被控訴人第1準備書面第3の2の (2) 及び (3) (7ページ以下) にいう我国の無条件降伏及び軍の解体に伴って発せられた一連の諸法令は、占領軍の指令によるものであったが、発令の底に流れる趣旨は1989年4月18日「シベリア裁判」における東京地裁の判示においても明らかな通り “・・・・旧日本軍の将兵の身分も消滅すべきものとなったが、現実に復員するまでは国として旧軍将兵の身分を温存し且つ留守家族の援護を図る必要があったため…・“ が改正の精神である。それがため今まで給与していた給与令既得の権利については廃止を明文せず、一方これに先立ち昭和21年2月「恩給法の特関する件」 (勅令68) によってはっきりと廃止した軍人恩給とは格段の相違である。

2、乙第5号証による一復第907号の在外者の給与とは俸給等現金給与に関するもので衣食住の現物給与に触れたものではない。またそれらの支給を廃止する明文もなく “昭和21年4月1日を以て給与令は実質上効力を失うこと となった。“ は誤りで給与令が事実効力を失ったのは次にいう通り昭和22年5月2日が正しい。

3、乙第3号証の政令第52号は前項の次官の一通牒とは違い勅令で、総理、大蔵、司法の三大臣連名によるものであるが、その第1条には今次戦争陸軍給与令の廃止を明示し、ここに多年に渉る給与令は軍の解体と共に消滅したのである。その日とは同政令の第6条に定める日の前日昭和22年5月2日である。

4、但しその7条は被控訴人国がいう通り “この政令施行の際現に陸海軍に属し復員していない者はその者の復員するまで、従前の業務に相当する未復員者としての業務に秩序を保って従事するものとし、給与についての取扱に関しては、従前の例による。“ とし、給与令による給与をそのまま温存することを明示した。

これらは廃止する法令を特定し、なお同法についての給与は従前の通りと御名御璽を以て認めたもので、昭和21年4月1日失効をいう国の主張は4月馬鹿の如き誤りである。

5、但し “なお従前の例による” の次の国側解釈は正確である。(被控訴人第1準備書面2ページ参照) “法令を改正又は廃止した場合に、改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味するものである。(法律用語辞典、有斐閤1041.ペ一ジ),,

6、これら法令改更の時代を想起されたい、平和は回復し、貧しいながらも祖国再建の槌音が響く中で、控訴人らは国のため国民のための役務賠償として、異郷に坤吟していたのである。その乏しい糧道を絶つが如きは、人工呼吸で生を繋ぐ患者に無断で酸素を止める振舞と同様、人間として許されるべきではない。

7、またその頃は南方捕虜の殆どが復員し、その大半は未払賃金に含まれた給養費を国から受取り、未復員者は「シベリア捕虜」を残すのみとなった。その時期に発令された乙第4号証の法律第182号は “復員するまでは将兵の身分を温存し且つ援護を図る必要“ を理念とした方針を一挙に覆し、掌を返すが如く従前の例を抹殺したのである。

8、軍でいう給与とは、建軍以来現金給与と現物給与の総称である。法律第182号は一復907号の「在外者」を「未復員者」に変えたが、その内容は俸給等現金給与に関する改更で、衣食住の現物給与には何ら触れることなく、どこにも廃止の明文はない。軍の解体以後は現物給与もなくなるのは当然だが、未復員者の現物給与は政令第52号の勅令により 「なお従前の例」 によって保証され、廃止の明文のあるとき、または復員時に至る迄は失効しないのである。

9、法律第182号附則12条は明らかに従来の温存且つ援護の理念を無視し「シベリア捕虜」のみ その食扶持までも差し止めようとは、人の生命をないがしろにせんとする殺人的意図というべく、廃止を明示せずして従前の例を葬る如きは暗殺であり、実定の旧法を空虚の新法に差し換えるは、紙幣を木の葉に換える狐狸の仕業というべく、この一事を以てしても 「シベリア捕虜」 を棄兵棄民せんとする作為は明らかである。

10、これら一連の改更は、いみじくも1946年11月3日に公示された新憲法に前後して制定公示されている。専制の世を打ち砕き、新しい自由と民主をめざしてここに主権が国民に存することを宣言した時に、かくの如き人権と生存権を蹂躙した措置が横行しようとは、吾人らはその甚だしい理念の乖離に驚くのである。

またこれらを判断するに “ソ連抑留日本人将兵に対して被服及び糧食を支給すべき規定は存在しなかったものといわなければならない” など、「支給すべき規定は存在していた」 にも拘らず目を逸らし、「支給すべき規定が存在しない」こと自体の著しい不条理に目をつむり、恬として恥じない判示を怪しむものである。なぜならば労賃はおろかめし代も支給されない兵士は世界広しと いえども「シベリア捕虜」のみであり、国は兵士に給養費を支払うべからず と判示した裁判は、我国を以て嚆矢とされるであろう。

11、法は悪法たりとも法であり、法治国の民として服従するのに吝かではない。従って国のいう法律第182号は、その第9条に定める昭和22年7月1日以後は認めざるを得まいが、その前日まで即ちソ連の管理下に入った昭和20年8月下旬から昭和22年6月30日までの670日分の給養費相当額の支給義務を国は免れない。その場合国は昭和21年4月1日説をいうであろうが、次に申し述べる通り “なお従前の例” は昭和22年6月30日まで有効である。

12、被控訴人国は法律182号附則12条において政令第52号第7条中 「関しては」 の下に 「未復員者給与法に定めるものを除く外」 を加えると遡及効果を強行したが、この法の制定以降は知らず、以前に遡及することは出来ない。政令第52号の後 「なお従前の例」 により既に給養費の支給は国の手により実施をみているからである。
 即ちその間に帰還した南方摘虜に対して労働証明書により未払労賃に含んで支給しており、このように既に実施されている以上遡及はあり得ない。

13、法律第182号附則第12条を立法推進した総理大臣片山哲 以下関係者が控訴人らに甚大な損害を与えた作為不作為は憲法第17条並に国家賠償法に違反するものである。この頃、「シベリア捕虜」の帰還者は18万余の27%に過ぎず、未だ50万が生死の境に喘いでいたが、それ以外の中国、南方捕虜の殆どは無事帰還していたのであった。それを見極めてか わざわざ遡及させてまでして 「シベリア捕虜」 のみの糧道を絶ち切ったのはいかなる法理念によるものか、“復員するまでの身分の温存と援護” とは口先だけのことであり、その実 屋上へ登らせて梯子をはずすが如き非道は本審法廷で厳しく糾弾されねばならない。

14、ここで聞いておきたいことがある。国はいったい「シベリア抑留」に対していかなる認識を持つのか伺いたい。シベリアで万斛の涙を呑んで憤死した戦友は靖国神社に合祀され、その遺族は毎年公務関係扶助料を給付され、内閣総理大臣は公務として参拝したが、 (甲第93号証) 一方九死に一生を得て辛うじて生還した者に対しては、露命を繋ぐ給養費すら支払わないという二重人格的措置はまことに不可解、理解に苦しむものである。いかなる神経でかかる矛盾が平然と行われるのか回答を求める。

15、兵士が給養費の支給を受けるのは実定法による既得権であり、立法、行政上の処置により侵害を受けることはない。既得権は不可侵の保護を受け、国権によりこれを侵害するには特別の理由を必要とし、且つ必ず賠償を払うべきものである。

憲法29条第1項は “財産権はこれを侵してはならない” とし、また3項は “私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることが出来る。” としている。

以上により実定法による給養費の支給を求めると共に、法律182号附則12条により差し止められた給養費 (既得権) 相当の補償を求める。

五、国際法による給養費の請求について

1、被控訴人第1準備書面第3の2の (5) (9ページ) に旧判決を示し “捕虜として抑留された将兵の給養は捕虜の取扱いについての国際法規の適用と交戦国間の協議によって処理されることが予定されているものと解するのが相当である” というが、これは国内法と国際法を故意に混同し、請求を免れんとする詭弁である。

そもそも捕虜の処遇は国際法により軍人としては母国の給与令によって二重に保証され支給を受ける性質のものである。国内法と国際法が夫々独立して軍人と捕虜の処遇を定めているからで、例を挙げればアメリカ抑留の日本軍将兵は,すべて二重の支給を受けていたことは公知の事実である。従って交戦相手国との協議とは抑留捕虜に要した双方の立替勘定のトータルとしての精算のことであり、何ら国内法の給与令による支払義務を免れるものではない。控訴人らは大東亜戦争陸軍給与令により請求しているのであり、国は同令により支給の義務を果せばよいのである。

2、控訴人らは国際法によっても請求権を有し、「シベリア抑留」の給養費は支払義務者ソ連に代って被控訴人国に支払責任がある。以下その理由を申し述べる。

3、給養に関する国際法

(1) ハーグ陸戦法規第7条

“政府ハ其ノ権内ニ在ル俘虜ヲ給養スル義務ヲ有ス”

(2) 1929年ジュネーブ条約第4条

“俘虜捕獲国ハ俘虜ヲ給養スルノ義務ヲ負フ”

(3) 1949年ジュネーブ条約第15条 

 “捕虜を抑留する国は無償で捕虜を給養しなければならない”


4、控訴人らの無償であるべき給養費はソ連が労賃から天引する方式を執ったがため、不当にも捕虜の負担の如き状態にあり、従って控訴人らはソ連に対し以下の請求権を有していた。

抑留月数×351ルーブル。 1人概算14、400ルーブル。 

復員時換算1人当り 約98万円。

5、1956年日ソ共同宣言締結により日ソ両国双方の請求権相互放棄が約され、そのため「シベリア捕虜」の有するソ連に対する請求権は消滅したが、これらの貸方勘定を我国が代位弁償するのは当然である。

6、これら給養費は昭和17年9月12日、時の内閣総理大臣東条英機がスィス特命全権大使に対し “帝国政府ハ各交戦国ニヨリ支給セラレタル俘虜ニ対スル給与額ハ戦争終了後俘虜ノ兵役ニ服シタル国ニ依リ返済セラルルモノト諒解ス“ と声明を発している処であり、いづれにせよ我国の給養費負担義務は免れないところである。

第二、未払労賃の支払義務について

首題の件に関しては被告第4準備書面の主張に対し、原告第11準備書面においてその誤りを厳しく指摘したのであったが以後反論はなく、本審に入って被控訴人第1準傭書面においてもひと言も触れられていないが、国はその言い分に窮したか 反論の気概をなくしたのか、いずれにせよ無言の沈黙は遺憾である。

これも前条同様相手国ソ連に対して捕虜の請求権を放棄した被控訴人国の責任上応分の補償義務は免れない処であり、以下関連して申し述べる。

一、1、抑留中の強制労役により生じた労働対価は、今に至るも未払のままで宙に浮いた状態にあるが、決して消えてしまったわけではない。

2、これの正当なる受取人は日本兵捕虜以外ではない。

3、労賃の支払義務は抑留国、未払賃金の支払義務は所属国とした49ジュネーブ条約第66条を国は認めようとしないが、それは畢寛“働かせたソ連に請求せよ、当方は関わり知らぬこと“ といいたいのであろう。

4、しかしその捕虜の請求権を日ソ共同宣言で放棄した責任により、被控訴人国はその分補償の義務を負うのは当然のことである。

二、1、なお49ジュネーブ条約は遡及せず として国は第66条に基づく控訴人らの未払い労賃請求の主張を退けたが、同条約は抑留時に遡及しているのである。

従ってその第66条により“捕虜が属する国は、捕虜たる身分が終了した時に抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高を当該捕虜に対して決済する責任を負う“ は実定法であり、憲法第98条において国際法を誠実に遵守する義務を有する国は立法措置を待たず直にその義務を果さねばならない。

2、遡及せずという49ジュネーブ条約は、控訴理由書第三の一の2の (1) のト、チ、リ において 甲第65,66,67号証 を、更に控訴人準備書面1の第三の一において、甲第76号証 を添えて明らかにした通り、国は既に同条約を内外に声用しその遡及を自らが認めている事実が証明されたのである。

3、  これらは平成12年12月19日に公開された外交文書であるが、それまで省内奥深く秘匿されていたもので、その状態の下で判示された最高裁判例を以て国は金科玉条の如く主張したが、これらは既に本審を拘東するものではない。時代も国際環境も激しく変転する中いつまでも旧弊に固執せず、これら控訴人の主張に異議あるならば早急に反論されたい。

三、1、同様回答なきものに49ジュネーブ条約第6条の “この条約で定める捕虜の地位に不利な影響を及ぼし、又はこの条約で捕虜に与える権利を制限するものであってはならない“ に日ソ両国は著しく違皮し、それがためその後に締結をみた日ソ共同宣言は同条の条件を充たさず無効であり、そのためにも同条後文の “但し…・紛争当事国の一方若しくは他方が、捕虜について一層有利な措置を執った場合は、その限りではない。“ を早急に実施するよう勧告しているのである。

2、また被告第四準備書面の三の二文において、原告らの日ソ共同宣言が無効であるとの主張について被控訴人国は “すなわち日ソ共同宣言6条2文により我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交的保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。・… したがって、日本国民の有するいかなる請求権をも放棄していないのである“ と反論したが、これは控訴人準備書面8の一で指摘した通り新判例によって脆くも崩壊した。

3、以上により更にこの反論なるものを当審においても維持するか否かの確答を求めている処であるが、前項の第66条解釈と併せ回答なければ民事訴訟法第159条に則り、国は控訴人らの主張事実を自白したものとみなすべきである。

四、1、「捕虜の労賃は支払わるべし」 は国際法の第一義であり、それを誰が支払うかは二義の問題である。第二次世界大戦の捕虜は国際人道法、国際慣習法に基づき「シベリア捕虜」を除き、それぞれ労働賃金もしくはそれに代わる補償を受取り、それゆえ波風も立たず平穏に治まっているのである。(但しそれ以外の理由、例えば非人道的行為を訴えるものはあるが) 「シベリア捕虜」は唯一の例外で、これを受取っていないためにこの裁判で公正な判断を求めているのである。この審議にはまず第一に「捕虜の労賃は支払わるべし」を確認することからはじめられるべきで、これが国際法を遵守する第一歩である。

2、次はそれを誰が支払うべきか、日本、ソ連(ロシア) のどちらに支払の責任があるのかを判断すればそれで解決することである。

3、我方の責任ではないとして免れえたとしても、それで解決する問題ではなかろう。それなれば相手国ソ連の責任を明らかにし、どうすれば未払賃金が捕虜の手に渡せるのかを解明しない限り本件の解決はないのであり、逃げて済むことではない。

第三、労役賠償か否かについて

一、軍は被控訴人第一準備書面第一の2の (3) において “そもそも、被控訴人は控訴人らが旧ソ連において強制労働に従事させられたことについて、我国としてこれを賠償の一形態として認めたことはなく、この点に関する控訴人らの主張を争う。“ とし、東京高裁の判示を引いて反論した。

このことについては原告第六準備書面において15の証拠を付して主張し、控訴人準備書面3の第二においても重ねて強調し、またその都度国のあいまい性をしている処である。それらはここに繰返さないが纏めて申すならば下記の通りである。

1、「シベリア抑留」は国体護持を乞うために、役務賠償として国がソ連に引き渡した事件である。即ち国は終戦時に絶対条件とされた国体護持なる目的のため、スターリンに対し関東軍将兵68万を労役賠償という形で提供するため、ソ連に引き渡した事件である。

「シベリア抑留」という役務賠償が何の目的で、何のために惹起されたかの根源を知らずして、ことの真相が判る筈がない。国はその解明を恐れ、故意に避けているのである。我が民族が蒙ったこの歴史的事実を義務教育の教科書が教えないのも同じ理由である。

2、“実際上 ソ連がこのような強制労働により利益を得たという事実があったといたしましても、法的に申し上げれば、わが国としてはこれを賠償の一形態として認めたものではないわけでございます”の国会答弁の通り、“事実はそのようだが 法的にはそうではない。” というのが国の弁明である。この論は客観性を欠いた全く独りよがりの暴論で、相手国のソ連を含め世界の憫笑を買う非現実極まる欺術である。

3、日本の裁判所は事実を無視した被控訴人国の主張に適正な批判を下すことを怠ったため致命的な誤謬を既に犯している。

4、労役賠償でないと強弁するのであれば、一体この悲劇は何であるのか、何度回答を求めても国側は答えられず、従らに旧判例に縋るのみであるが、この根源をあぶり出さない限り本事案は明らかにされないであろう。この点で主張を争うというからには以上に対し回答されてからにされたい。当方も徹底的に争う用意がある。

二、被控訴人第一準備書面第一の2における末梢的法律論は “労役賠償に補償すべきは当然“の道理の前には忽ち光彩を失うものであるが、以下控訴人らの見解を申し述べる。

1、憲法は国の大本で人類普遍の原理であり、第17条や絵に描いた餅ではない。原告第一準傭書面1に申し述べた通りである。

2、国家無答責の法理について

(1) 我国は1945年8月15日連合国に降伏し、ここに暗黒の軍国時代は崩壊した。米軍に占領され、同年9月2日以後は連合国の任命を受けたマッカーサー元帥の統治する処となって国家主権を失い、以後i952年4月26日平和条約調印により独立を回復するまで、開闢以来かってなき占領統治の憂き目を甘受したのである。

(2) 占領下、我国が主権を失った事実は原審の認める処であり、判決第一の一の2において “我国は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して以来、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従わざるを得ず、我が国の統治機構は一応存在していたものの、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため必要と認める措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれ、法的、政治的にみれば、独立国家としての地位と権限を有するには至っていなかっ” と述べている。

(3) 占領下時代のマッカーサー元帥の統治はポツダム宣言と へ一グ陸戦法規 に基づき、その施政の方針は専制、軍国主義の覆滅と民主主義の育成が基本とされた。占領下統治の大綱たるポツダム宣言第六項は“吾等は無責任なる帝国主義が世界より駆遂されるに至る迄は平和、安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は、永久に除去せられざるべからず“であり、除去せらるべき専制軍国の諸法令も同じ運命を免れず、就中その象徴たる「国家無答責の法理」はマッカーサー統治下においては当然のことながら口にすることさえ憚かられ、同法理は降伏の日を以て、実質上終息したものである。

(4) 占領下においてはマッカーサー台風が吹きすさび、陸海軍、特高、華族制等は廃止、公職追放令、財閥解体、農地解放なと一連の改革が矢継早に行われたが、これら変動に「国家無答責の法理」は一言の発言もなしえず、沈黙のまま旧弊もろ共覆滅されたものである

(5) 戦犯容疑者の逮捕や東京裁判で「国家無答責の法理」は適用したであろうか、BC級戦犯として処刑された法廷ではどうであったか、既に死滅した「法理」は世界の普遍の前には何の支えにもならず、その趣旨が主張された形跡はない。

(6) 我国が主権を失って後、7年に渉る占領時代は、法制においても新旧の価値観が輻湊したが、非民主的観念はすべて否定され、その権化ともいうべき「国家無答責の法理」なるものが存在できる余地はなく、その弊を改めるべく制定されたのが国家賠償法である。また「シベリア抑留」の発生も戦争前ではなく、この占領下の時代であり、共に「国家無答責の法理」が消滅して後のことである。

(7)「国家無答責の法理」なるものは法令ではない。専制、軍国の戦前において国の権力的作用についての損害賠償を認める法令上の定めがなかった処から、賠償責任には当らないであろうとの偏見と思い込みの一種であり、法的に確たる根拠を有する法令ではない。

3、国家賠償法についてだろうが、昔はどんなひどい損害を蒙ってもおかみのなされたことであれば泣き寝入りを強いられたが、1947年10月27日に至り漸く改められ、国民は国に償いを求めることが出来るようになった。控訴人らも新憲法下に制定をみた国家賠償法 (以下国賠法という) を一つの法的根拠として、「シベリア抑留」の損害を加害者である国に賠償を求めているのであり、これもひとえに主権在民の日本国憲法のお陰と喜んでいる。

我々はこの通り訴えの根拠を持っているが、同じ日本人でありながら制定以前の人々は法律がないばっかりに「国家無答責の法理」という不条理により訴えを退けられたが、国の賠償を求める法律ができた今日、この「法理」の出番はない。

ところが国は国賠法の遡及的適用は認められないとして同法に基づく請求は失当というが、この主張は国賠法と「国家無答責の法理」の関連において致命的な誤謬を冒したものであり、不当であるので以下指摘する。

(1) “国賠法施行前には、国の損害賠償責任を認める法令上の定めがないことから…・” と国自身がいう通り、法令はなかったのであるから同法は改正ではなく新規規定であり、「なお従前の例による」のいう “法令を改正又は廃止した場合” には当らない。従って「国家無答責の法理」なるものが従前の例の如く出てくる理由はない。

(2) 国賠法がそれ以前の事例には及ばないとの一方的解釈は誤りである。同法の精神からすれば、賠償するかしないかの判断は訴えられた事例の内容如何によるものであり、制定の以前、以後や遡及等の時間的理由に依るものではない。制定後の1950年4月11日の最高裁第3小法廷は戦前の防空法に基づく家屋破壊の不法を理由とする賠償請求事件を裁いているが、(被告第二準傭書面第二の二の2参照) 明らかに制定前事例 (戦前) を制定後法廷で判決した証拠に外ならない。

(3) 「国家無答責の法理」なるものが猛威を奮ったのは専制軍国の法廷であり、訴えも戦前の事例に依るもので、この弊を改めるために戦後新憲法下に制定をみた国賠法と、「国家無答責」 なるものがその時代性から、また法理念からして明らかに正反対のものであり、関連もなければ連続性もない。

(4) 更に「シベリア抑留」は戦後の占領下に生じた事件であり「国家無答責の法理」の全く立入る余地のないものである。

(5) 被控訴人国は被告第二準備書面第二の二において「国家無答責の法理」の効能について大審院及び最高裁の判例を列挙しているが、これらはいずれも1945年8月15日以前の戦前に発生した事件である。これらが占領下に発生した「シベリア抑留」の責任を免れる証拠にならないのは明白で、そのためには戦後の新しい判例を主権者である国民に示す必要がある。

(6) 以上述べたように被控訴人国は「国家無答責の法理」という旧時代の亡霊に縋り、辛うじて「シベリア抑留」の責任を免れようとする姿は哀れである。「シベリア抑留」は国賠法制定の以前であれ 以後であれ、お構いなしに発生し存在した。控訴人らはその日を越してもなお長年月の苦難に呻吟したのであり、日本国内の法令があろうが無かろうが、また或る日を境に有効か無効かを問わず、民族の悲劇は存在したのである。この厳然たる事実を裁くに当り、国は国賠法の制定以前に発生した事件として「国家無答責の法理」なるもののみにより、賠償責任を免れようとするのは以上により何ら理由がない。

(7) “・… 国賠法施行前には、かかる国の権力的作用に基づく行為について、民法の適用はなく、他に国の損害賠償責任を認める法令上の定めがないことから、国の損害賠償責任は否定されていた。(国家無答責の法理) ” と被控訴人第1準備書面2ページにいうが、国賠法がないからこそ「国家無答責の法理」は跳梁しえたのであるが、法令上の定めである国賠法がある今日、ないことを理由の「国家無答責の法理」もありえない。即ち施行後の訴えによる本事案は「同法理」に左右される筋合は全くなく、その内容をこそ慎重審理されるべきであり、被控訴人国の主張は根底から不当である。万一これら控訴人らの主張が届かぬ事があれば、専制軍国の墓場から掘り出された怪しき「法理」が、現代の民主法廷を制した稀有の例として「亡霊判決」の名を後々の世まで残すことになるであろう。

(8) 国は訴えの内容に立入ることを避け、ひたすら1947年10月27日を境に以前はいかなる不祥事であれ「国家無答責の法理」でお咎めなし、従って「シベリア抑留」の発生も制定以前として、賠償の責は免れると主張する。このことについての不当は申し述べた通りであるが、更に附加するならば国家の負うべき責任というものは、或る日を境にして確然と掌を返すように有ったり無かったりするものであろうか。それは前の政府がやったことで今の政府の責任ではない 等の弁明は、古今東西寡聞にして聞かないが、独立した責任を有する国家としていうべき言葉であろうか。“それはヒットラーのせいで私の知ったことではない” と戦後のドイツ国はいわなかった。国家責任は過去、現在、未来、また国の内外を問わず一貫したものである。

4、被控訴人第1準備書面の第1の首題は “・… 控訴人らをソ連に引き渡したことに基づく…・について” であるに拘わらず、引き渡していないという反論はどこにも述べられていない。控訴人らは一貫して引き渡した国の責任の事実を問い続けているのに、従らに法文の狭義詮索を繰り返して責を免れんとするのみで、引き渡した事実の有無に答えたことがないのはどういう訳か、身に覚えのないものなら覚えはないと明快に述べ、その証拠を付して申し開きをすべきである。

引き渡した事実は認めざるをえないが、法的には責任を免れうる との主張であるのか、又はその事実を否定するのか、明確な回答を求める。

第四、放置の責任について

被控訴人第1準備書面第2において、国は控訴人らが申し立てた具体的な9項の質問 (控訴理由書その1の14ページから18ページ等) に一つの回答をもなしえないまま、放置の事実はないと強弁した。何ゆえ誠意ある回答を示さないのか被控訴人が冒頭にいう 必要と認める範囲 でないとでもいうのであろうか、かかる態度は明らかに審議回避を企むものであり、厳重抗議を申し入れる。

一、1、憲法18条について被控訴人国は控訴人らに対して“奴隷的拘束及び苦役を国が強いたわけではない、それは多分ソ連の仕業のことではないのか“ とうそぶいた。その地獄に追い込んだ共犯者としての責任を棚にあげてこのご挨拶は、これが愛する祖国の言葉かと、一身を捧げた老兵は唯悲嘆の臍を噛むばかりである。

“右帰還迄の間に於きましては、極力貴軍の経営に協力する如く御使い願い度いと思います'' と敵に陳情して始まった奴隷的拘束及び苦役の責任を、国はどのように考えるのであろうか。

2、奴隷的拘束と苦役は長期に渉り、そのため多くが斃死した。これが憲法18条に触れるか否かもさることながら、世界の関心は人道人権の侵害に関わる問題として重視し、その責任が奈辺にあれ、先ずはそれぞれの母国が手を差しのべ、傷いた身心の癒しと奪われた時聞への償いなど、受難者の救済に力を尽すことが国際的な常道となっている。国は法文を虫めがねで追う手を少しは休め、たまにはグローパルな別の尺度で見直す必要がありはしないか。

「シベリア抑留」という これだけ明白な人権侵害が半世紀にわたって放置され、処遇において南方捕虜との間に著しい差別が生じている不条理に、聊かの羞恥も感じない国に老を養うことは苦痛である。

二、1、国は“控訴人らを不当に放置したことはなく、この点に関する控訴人らの主張を争う“ というが、当方も大いに争いたい。それがためには当方が糺した前掲9項について、明快に返答されての上にされるべきであろう。当方は放置されたか されないかではなく、“国が一つでも捕虜のためにしてくれたことがあるのなら示して貰いたい。“ と尋ねているのである。


2、国は放置していない例として唯一つ判例をあげ “シベリア抑留者の送還に向けて国側の努力の認定“ を主張しているが、これは努力などといえるご大層なものではなく、事務上のごく当り前のことであり、これをしもやらないというのであれば、もはや国家は不用である。 “使役にお使い願いたく” と敵に陳情し “国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス'' とした国が本腰入れて帰還を交渉したとは控訴人らには信じられない。“ソ連が勝手に強制連行したのであるから、帰還に関する責任と義務は我方には無い'' と公式の場で公式に発言した公務員の言葉があるが、これが国の本心であろう。

3、ソフトの面においては原告第五準備書面で述べた通り、捕虜郵便、金品の送付、激励、慰謝のメッセージ、調査団、医師、僧侶等の派遣など、日露戦争時には熱心に行われ、またいずれの国でも挙国的に行う救恤を、我々が国から受けた記憶は何一つない。それのみか我国は国際赤十字社からの慰問品分配の好意的申出をも捕虜を認めずの理由の下に拒否した事実がある。

 

4、被控訴人国は「シベリア捕虜」の労賃及び給養費を 半世紀を経た今日に至るも支払おうとしないが、これを放置といわずして何というべきか、長年月に渉る奴隷的労働をタダで働かせ、その上めし代も払わぬという扱いを恥じもせず、放置していないなどとはとても正常な国家の発言とは思えない。

三、加害公務員の特定について

1、非人道的行為や人権侵害を訴える場合、国はまず加害公務員とその違法行為の特定が必要という。昨今戦後責任や戦後補償を巡る世界の傾向は事件の時間を問わずその非人道性が中心で、大方は加害者個人よりも事件を惹起し構成した公権力や組織を相手として追及されていることである。例として聊か品位を欠くが、慰安婦は直接の加害者、即ち相手をさせられた兵士の一々を訴えているのではない。問われているのは彼女らの尊厳を踏みにじったシステム、軍、公権力である。

2、以上により控訴人らは公務員の一々の特定は適当ではなく、大日本帝国憲法下の国家の責任を問うているのである。但し強いて特定を求めるのであれば応ずるに吝かではないが、それをいうのであれば現在申立中の証人尋問の実行が先であろう。未だその運びに至らないうちに生き証人三名中既に二名が物故されたが、それすらも行われていないのが現状である。

3、特定する公務員については訴訟指揮に従い、いつにても提出する。しかしながらお互い日本人として、そこまで踏み込まずともよいのではあるまいか。当事者にやる気さえあれば「シベリア抑留」の実相解明は現在の立証事実で充分である。参考までに1月4日ハーグで開催された「女性戦犯国際法廷」 での有罪被告を報じた新聞記事を提出する。(甲第94号証)

四、被控訴人第1準備書面によれば、ソ連に引渡したことに基づいて第1とし、抑留後の措置の実不実を第2とし、国賠法の以前以後を以て大別して前者においては「国家無答責の法理」を、後者においては放置の有無を以て論じている。これらは分割したり  細部を個々に見るべきではなく、「シベリア抑留」の全体像に目を向けて巨視的総合的判断が必要で、その視点は次の二つと考える。

(1)国家が国民を敵に引き渡した責任

(2)その措置の作為不作為責任

1、国家が国民を敵に引き渡した罪についてはそれを罰する法令はない。国民が国を売れば極刑を以て処せられたが、その逆はいずこの国にもないであろう。このような事は通常あり得ないこととして態々法律をつくることもないのだが、「シベリア抑留」はその稀なる事件であり、控訴人らはこの無法に対して謝罪と補償を求めている。しかしこの大罪に該当する法律が見当らない、当り前過ぎるから制定されない自明の大罪が、法律がないからといって免罪されるのであろうか、国賠法その他は控訴人らの十全の根拠ではない。

2、「シベリア抑留」における放置の有無については、既に申し立てた数々の非人道的災害に対して国は相応の措置を講じないが、そのことこそが放置であり、半世紀に渉って無為無策、今日に至った歴代行政立法の作為不作為責任は重大である。

第五、憲法29条3項に基づく補償の有無について

一、被控訴人国はその第一準傭書面第4において首題の件について補償を求めることはできないと主張するが、誤りであるので以下反論する。

1、戦争によって生じた損害の遠因と近因について

「シベリア抑留」は戦争により生じたものであることは当然ではあれ、遠因であって間接的なものであり、直接的な近因は国体護持のための取引の犠牲であり、1945年8月15日以後にソ連に引き渡されたがために発生した事件である。即ち「戦争中の一般戦争被害」ではなく「戦争後の抑留強制労役被害」であり、戦争被害の範疇にない特別な事件である。このことは度々主張していることであり繰り返さないが、これら労役賠償により惹起された悲劇の本質を、国は皆目理解しようとしないのである。仮に戦争被害であるとしても国は「戦争犠牲者援護法」により種々施策を講じており、その理念から「シベリア抑留」を否定する理由はない。

2、糖尿病患者が通院中、車にひかれて死んだ場合、医師はその死亡診断書に糖尿病と書くであろうか。事件は必ず直接原因、即ち近因を重視するは常識で、直接の加害者である運転者がその理由で免責されることはない。

二、国民等しく受忍について

1、“国民は大戦に於いて大なり小なり被害を受けたのであるから、等しく受忍すべきである“ といい 「シベリア抑留」 のみの補償は認められないという。その通りであって、控訴人らが蒙った労役賠償のための被害は偶然その場に居合せた68万の者のみの負担ではなく、国民全体で等しく担うべきであると主張しているのである。

2、国民等しく苦労を分け合うべき国民の、ある者は多額の軍人恩給を取り、ある者は南方から帰還した幸運から労働賃金や給養費の支給を受け、これら甚だ等しからざる社会的不条理は被控訴人国の主張を著しく損うものである。

三、憲法29条3項の予想しないところについて

新憲法の公示は1946年11月3日、施行は1947年5月3日であるが、いみじくも控訴人らはそのとき、ソ連において強制労役に賦していたのであり、国はその悲劇を忘れていた訳ではあるまい。当然その状況を把握し、未帰還の日本軍人として認知していた以上、帰還後の準備や処遇についても当然考慮はあった筈である。ましてや民主主義をうたう国民主権の新憲法の理念のもとで 「シベリア抑留」を除外する理由及び法的根拠はなく、憲法の予想しないところとは如何なることをいうのか容認出来ない。

四、立法府の裁量的判断について

1、被控訴人国は被告第二準備書面四の2において立法府の裁量的判断に任すべき と主張するが、誤りである。本事案の主たる争点は 実定法或は実定法的性質の請求であり、また控訴人らの法的身分は日本国民と同時に国際法に保証された元捕虜である。従って国際法の遵守を憲法で約した日本の法廷で、国際法に依拠した審理を求めているのであり、独立した司法の裁判所が一々立法府の指図を受けることはない。

2、立法府の本事案に対する作為不作為はその都度指摘している処である。

五、被控訴人国の理論崩壊について

1、被告第四準傭書面三において主張した “放棄したのは外交保護権であり、国民個人の請求権ではない" は控訴人準備書面8の一において申し述べた通り、東京高裁判決により崩壊した。国のこの主張は “憲法第29条3項は適用されない'' ことの前提として述べられていたものである。

2更に国は “もともとソ連に支払う意志のないものを請求権とは認められない“ との反論を示したことがあったが、ソ連 (ロシア) が従来の非を認めて労働証明書を発行しおそまきながらも国際法における義務を果したことにより、この主張も崩壊した。


3、以上により憲法29条3項の “私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる'' は早急に適用されるべきである。

第六、まとめ

以上を概観するに、国の弁明は「国家無答責の法理」なる亡霊によって控訴人らの追及をかわし、事実はどうであれすべてが戦争のせいであると逃げの一手を図る様は、とても品格ある国家とはいい難い。戦時強制労働訴訟原告のアメリカ兵捕虜 レスター・テニー氏はこれらの態度を「見せかけの無実」と呼んだが、(甲第92号証) 控訴人らは「偽りの無実」 といいたい。

どのような論を張ろうと「シベリア抑留」なる68万同胞の生命を危殆に陥れた悲劇は打ち消し難い事実であり、この非人道的災害の救済を責任のある母国が拒否するは条理に外れた所業である。

かつての宰相宮沢喜一氏は“国が国民の生命を保護するのは憲法以前に当然なここと'' といったが、本審関係者の銘記すべき言葉であろう。

我が国は自らの手で自らの罪を裁く力を、民族の正義を自らの手で打ち立てる力を失ったのであろうか。不運にして老兵らの訴えが司直に届かず、道理の火が一時は消えるにせよ、いずれは歴史の審判を経て正義は早晩回復されるのである。

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