第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その7> 冷酷非情は勝訴の条件か           2001.11.15

被控訴人準備書面 1                    2001.11.15.

 被控訴人は,本準備書面において,控訴人らの各請求に係るこれまでの主張につき,必要と認める範囲で,以下のとおり反論する。

第1、被控訴人がソ連への労役賠償として控訴人らをソ連に引き渡したことに基づく損害賠償請求等について

1、控訴人らの主張

控訴人らの主張は必ずしも明らかでないが, 要するに, 控訴人らが第二次大戦後にソ連に捕慮として抑留され、強制労働に従事させられたのは、被控訴人がソ連に対し, 控訴人らを労役賠償として引き渡したためである旨主張して、被控訴人に対し、憲法17条・国家賠償法 (以下「国賠法」という。) 1条1項、民法709条に基づき損害賠償及び謝罪広告を請求する趣旨のものと思われる。

2、被控訴人の反論

しかし, 控訴人らの各請求は, 被控訴人の原審における被告第二準備書面で述べたとおり, いずれも法的根拠を欠く失当なものである。

(1)憲法17条に基づく請求について

憲法17条は, その文言からも明らかなように, プログラム規定であり, 同条にいう損害賠償請求権は具体的な法律の定めがあって初めて認められるものであるから, 同条から直接具体的な損害賠償請求権が発生すると解する余地はなく, 控訴人らの主張は失当である。

  (2)国賠法1条1項ないし民法709条に基づく請求について

控訴人らは, 具体的に, 被控訴人のいかなる公務員のいかなる行為を加害行為であると主張するのかが必ずしも明らかでないが, 国賠法施行(昭和22年10丹27日)前の公務員の権力的行為を加害行為であると主張して, 国賠法1条ないし民法709条に基づく損害賠償請求を主張しているものと思われる。

しかし、国賠法施行前には、かかる国の権力的作用に基づく行為について、民法の適用はなく、他に国の損害賠償責任を認める法令上の定めがないことから、国の損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の法理)。そして、国賠法附則6項は、「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定する。この「なお従前の例による」との法令用語は,法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味するものである。この国賠法附則6項は,国賠法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例については,国賠法それ自体の遡及適用を否定するのみならず、それまでに採用されていた国家無答責の法理という法制度がそのまま適用されることにより、国又は地方公共団体が責任を負わないことを明らかにしたものである。したがって,国賠法1条1項の遡及的適用は認められないのみならず,民法の適用もないのであるから,控訴人らの国賠法1条1項,民法709条に基づく請求は失当である。

(3)また、そもそも、被控訴控訴人は、控訴人らが旧ソ連において強制労働に従事させられたことについて、我が国としてこれを賠償の一形態と認めたことはなく,この点に関する控訴人らの主張を争う。本件と同様に終戦後,ソ連に捕虜として抑留され,強制労勧を課されたとして、被控訴人国に対して、強制労働による補償を請求した事案において、東京地方裁判所判決、その控訴審判決である東京高等裁判所は,本件控訴人らの主張と同様の原告らの主張に対して、国が日本人将兵を旧ソ連に引き渡したと認めるに足りる証拠はない旨判示しているところである。

第2、被控訴人が旧ソ連による控訴人らのシベリア抑留を放置したことに基づく損

害賠償請求等について

1、控訴人らの主張

控訴人らの主張は, 必ずしも明らかでないが, 要するにソ連による控訴人らに対するシベリア抑留及び強制労働は、ポツダム宣言9項に違反するものであったから、被控訴人は、ソ連に対し抗議し、抑留者の人道的待遇等を求めるよう連合国最高司令官に抗議、申入れ等の外交保護権を行使すべきであったのに、これを怠り不当に放置したなどとして、かかる行政不作為を理由として、被控訴人に対し、憲法17条及び18条、国賠法1条1項、民法709条に基づき損害賠償及び謝罪広告を請求する趣旨のものと思われる

2、被控訴人の反論

(1)憲法i7条,18条に基づく請求について

憲法17条に基づく請求が失当であることは前記のとおりである。また、憲法18条は,奴隷的拘束及び苦役からの自由を定めるが、被控訴人が控訴人らに対して奴隷的拘東及び苦役を強いたわけではなく、被控訴人に対し、同条を直接の根拠として損害賠償請求をすることができないことは明らかであって、同条を根拠とする請求は失当である。

(2)民法709条に基づく講求について

控訴人らが、国賠法施行前の公務員の不作為を問題とするのであれば、前記のとおり、国賠法施行前においては、国の権力的作用に基づく行為については、民法の適用が排除され、国は損害賠償責任を負うことはない。

さらに、控訴人らが国賠法施行後の公務員の不作為を問題としているとしても,国賠法施行後においても、公権力の行使に基づく損害賠償責任の領域には民法の適用がないことには変わりはなく、民法709条に基づく請求も失当である。

すなわち,当該行為が「公権力の行使」か どうかによって国賠法1条と民法不法行為法とのいずれか適用されるかが分けられるのであって、これが重畳的に適用される余地はないのである。求償の制限(国賠法1条2項),行為者の個人責任等について差異が生ずることになる。

このように、今権力の行使に基づく損害については、民法709条の適用はないところ、前記主張が公権力の行使に係る行為であることは明らかであるから、民法709条の適用を前提とする控訴人らの主張は失当である。

(3)国賠法1条1項に基づく請求について

ア 国賠法1条1項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、個別の国民等に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民等に損害を与えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。そして具体的には、公務員の個々の国民に対する職務上の法的義務の有無及びその内容の確定と、その義務に係る義務違反の有無によって、当該公務員の行為の違法判断がされることになる。

ところで、要件規定からも明らかなように、国賠法1条1項の定める賠償責任は、公務員個人の不法行為について、国又は公共団体が代位責任を負うものである。故意又は過失、行為の違法性の有無が、それぞれの公務員の行為につき判断されるのもそのためである。したがって、国賠法1条1項の責任を論ずるに当たっては、まず加害公務員とその違法行為の特定が必要とされるのである。

このように、国賠法1条1項は、その構造上、国自身が加害行為者となる不法行為の類型を想定するものではない。そもそも我が国の国家行政組織は、内閣の統轄の下に、明確な範囲の所掌事務と権限を有する行政機関の全体によって系統的に構成されているのであるから、対国民との関係では、当該権限のある特定の行政機関の公務員の行為(作為・不作為)について、その違法性が問責されるべきものであり、それを度外視して、単に代位責任を負う「「国」について職務上の注意義務を措定することはできない。

以上のとおり、国賠法1条1項に基づく国の責任は、公務員の不法行為についての代位責任であって、国賠法1条1項に基づき、損害賠償を請求するためには、まず加害公務員とその行為を特定した上で、当該公務員が当該国民等に対して個別具体的に、いかなる内容の職務上の法的義務を負担しているか、その義務に違反して損害を与えたかについて判断する必要がある。

ところが、控訴人らの主張は、単に被控訴人は控訴人らの抑留,強制労働を放置したとするにすぎず、いかなる公務員又は行政機関がいかなる作為義務を負っていたかについてが明らかにされておらず、漠然と被控訴人に対して国家賠償責任を主張しているにすぎない。しかし、これでは、当該公務員又は行政機関に権限が与えられた趣旨、目的,権限行使に支障となる事情の存否等、作為義務の発生を認める根拠について的確に検討することはできず,この点を欠く控訴人らの主張は失当を免れないというべきである。

イ また、本件において、仮に、被控訴人側の加害公務員が特定されているとしても,控訴人らを不当に放置したことはなく、この点に関する控訴人らの主張を争う。

なお,前記東京地裁においても、控訴人らを含むシベリア抑留者の送還に向けた被控訴人側の努力が認定されており、被控訴人が控訴人らシベリア抑留者を不当に放置.したとはされていない。

第1 大東亜戦争陸軍給與令、未復員者給与法に基づく給養に関する請求について

1、控訴人らの主張

控訴人らの主張は、必ずしも明らかでないが、要するに、大東亜戦争陸軍給與令,大東亜戦争陸軍給與令細則, 昭和22年5月17日政令第52号「昭和20年勅令第542号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づき陸軍刑法を廃止する等の政令」 (以下「政令第52号」という。) 及び未復員者給與法に基づき、控訴人らに対して、シベリア抑留期問中の給養費及びその遅延損害金の支払を請求する趣旨のものと思われる。

2、被控訴人の反論

しかし、控訴人らの請求は、その請求の根拠規定、法律構成及び請求の趣旨との関係が明らかにされていないのみならず、控訴人らが適用を主張する上記大東亜戦争陸軍給與令等によっても、以下に述べるように、被控訴人に対する給養費の支払請求権を基礎づけることはできず、その請求は法的根拠を欠く失当なものである。

(1)控訴人らに大東亜戦争陸軍給與令の適用があったか否かに疑義があるが、仮に同令の適用があったとしても、同令の俸給以外の給養に関する規定は控訴人らには適用がないことは明らかである。

すなわち、同令25条(被服の中の所要の物に関する支給等の規定)及び28条(糧食を官給とする規定)は,営内居住者等が対象であって、控訴人ら抑留者はこれに該当せず、また、同令44条(戦地における被服の中の所要の物に関する支給等の規定)、45条(戦地におけ糧食を官給とする規定)及び47条(戦地における消耗品を官給とする規定)の各規定については、戦地にある軍人等に適用されるが、ここにいう「戦地」とは大東亜戦争陸軍給與令細則2条に定められているところであって、控訴人らが抑留されていたシベリアがこれに該当しないことは明らかである。また、同令49条 (外地に在る軍人等に対する防寒用薪炭を官給とする規定)については、外地にある部隊に属していることが要件となっており、部隊から離れている捕虜には適用がないのである。

(2)そして、我が国の無条件降伏及び軍の解体に伴い、第一復員次官から昭和21年5月15日一復第907号「在外者の給與に関する件第一復員官署一般へ通牒」が発せられ、在外者については、昭和21年4月1日以降については「在外者給與規程(別冊)」が適用されることとされたため、大東亜戦争陸軍給與令は実質上効力を失うこととなった。

しかし,「在外者給與規程(別冊)」には、在外者の俸給、手当、旅費等に関して規定されているが、被服、糧食等の給養に関して規定されていない。したがって、控訴人らの請求が、同規程に基づくものであるとすれば、その規程には、給養に関する規程は存しないのであるから、控訴人らの請求は失当である。

3)次いで、政府は、政令第52号に、り・昭和22年5月3日に、大東亜戦争陸軍給與令を廃止したが、同令附則7条は「この政令施行の際現に陸海軍に属し復員していない者は、その者の復員するまで、従前の業務に相当する未復員者としての業務に秩序を保って従事するものとし、給与の取扱いに関しては、従前の例による。」 として、捕虜の軍人としての身分を失った後の身分について、従前の部隊勤務に従事する未復員者という公務員類似の身分関係を擬制的に創設し、その身分及び俸給等の給与を補償することとしたが、未復員者(日本人捕虜)には 引き続き「在外者給與規程」が適用されることとした。

その後、未復員者給與法が制定され、昭和22年7月1日以後に生じた未復員者の給与については同法を適用することとしたが、同法は未復員者(日本人捕虜)に対する給与として俸給、扶養干当及び帰郷旅費の三種のみが規定され(2条)、同法附則12条は「昭和22年政令第52号(陸軍刑法を廃止する等の政令)第7条中「関しては、」の下に「未後員者給與法に定めるものを除く外,」を加える。」 として、未復員者(日本人捕虜)の給与については、未復員者給與法のほかに、引き続き「在外者給與規程」を適用することとされた。

したがって,控訴人らの請求が未復員者給與法及び在外者給與規程に基づくものとすれば、給養を認める規定はないから、その請求は失当である。

(4)以上、控訴人らの主張するいずれの法令等によっても、被控訴人に対する給養費支払請求権を基礎づけることはできず、控訴人の請求は失当である。

(5)この点、前掲東京地裁平成元年4月18日判決及びその控訴審判決である東京高裁平成5年3月5日判決も、シベリア抑留者の国に対する給養費支払請求につき、「昭和21年5月15日一復第907号第一復員次官通牒によれば、大東亜戦争陸軍給与令は適用されないこととなったものと解せされ、この扱いは前記政令52号及び未復員者給与法に引き継がれていることになるので、実定法上、ソ連抑留日本人将兵に対して被服及び糧食を支給すべき規定は存在しなかったものといわなければならない。」 とし、昭和21年通牒の適用前についても「捕虜として抑留された将校の給養は捕虜の取扱いについての国際法規の適用と交戦国間の協議によって処理されることが予定されているものと解するのが相当である。」 と判示し、シベリア抑留者の日本国に対する給養費支払請求権は認められないと判示しているところである。

4 日ソ共同宣言による請求権の放棄に対する補償請求について

1、控訴人らの主張

控訴人らは、被控訴人が、日ソ共同宣言6項2文によって、控訴人らがソ連に対して有する@ 抑留中の労働により得るべき賃金の未払分とその貸方勘定請求権A ソ連の侵した非人道的不法行為の責任に基づく人道上の補償に関する請求権を放棄したとして、被控訴人に対して、憲法29条3項に基づき補償を請求する旨主張する。

2、被控訴人の反論

しかし、控訴人らの請求は、被控訴人の原審における第二準備書面ないし、第四準備書で述べたとおり、法的根拠を欠く失当なものである。この点前掲東京高裁上告審判決である最高裁判所第一小法廷判決も,日ソ共同宣言の請求権放棄によって損害が生じたとして、憲法29条3項に基づき補償請求した事案につき、「上告人らを含む多くの軍人軍属が、長期にわたりシベリア地域において抑留され、強制労働を課されるに至ったのは、敗戦に伴って生じた事態であり、これによる損害は正に戦争により生じたものというべきである。そして日ソ共同宣言は、連合国との平和条約とは異なり我が国が主権を回復した後に合意されたものであるとはいえ、終戦処理の一環として、いまだ平和条約を締結するに至っていなかったソヴィエト社会主義共和国連邦との間で戦争状態を解消して正常な外交関係を回復するために合意されたものであって、請求権放棄を含む合意内容について、連合国との間の平和条約と異なる合意をすることは事実上不可能であり、我が国が同宣言6項後段において請求権放棄を合意したことは、誠にやむを得ないところであったというべきである。右の抑留が敗戦に伴って生じたものであること、日ソ共同宣言か合意されるに至った経緯,同宣言の規定の内容等を考え合わせれば、同宣言6項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害も、戦争損害の一つであり、これに対する補償は、憲法29条3項の予想しないところといわざるを得ない。

したがって上告人らが憲法29条3項に基づき被上告人に対し右請求権放棄による損害の補償を求めることはできないものというほかはない。このことは最高裁の趣旨に徴して明らかである」 と判示しているところである。

5 まとめ

以上の述べたところから明らかなように、控訴人らの被控訴人に対する請求は、いずれも法的根拠を欠く失当なものであり、速やかに棄却されるべきである。

<その8>のページへ


<目次>へ戻る