第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その8> 続 大正生まれは口が下手           2001.11.12〜

控訴人準備書面8 カマキリれぽーと2
なぜ運動は失敗したか

控訴人準備書面 8                        2001、11.12.

控訴人らは日ソ共同宣言6条2文の “日本国及びソヴイェト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を相互に放棄する。“ の条文解釈を巡り争っていたが、以下申し述べる通り“日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない“ とする被控訴人国の主張は誤りであり、控訴人らの主張は正当であることが判明した。

1)、東京高裁 「オランダ人元捕虜補償請求訴訟」 (浅生重機裁判長) は10月11日控訴審において控訴人の請求を棄却した。その判決において “放棄したのは外交保護権だけ “ とする従来の政府見解を変えて「全請求権放棄論」を展開 “「サンフランシスコ平和条約14b」 で、すべての賠償権は、無条件放棄された“ との判断を示した。(甲第91号証)

2)、以上により被控訴人国は原審における被告第四準備書面三の主張を当審においても維持するか否か 確答されたい。

3)、尚控訴人らは「日ソ共同宣言」は無効であると主張しているが、これは1949年ジュネーブ条約第6条に於ける国の義務違反を指摘したもので、“このままの状態では協定を結ぶ資格を云う同条に悖っているから、早急に捕虜に対して未払労賃支払より一層有利な措置を執って義務を果されよ'' と勧告し、補償実行を請求しているのであって、同宣言の存在を毫も否定したものではない。

4)、また平成12年2月16日付求釈明二の1の(2)の原告釈明は、労働賃金不払の事実は日ソ共同宣言に関係なく存在するものであることを云ったもので、控訴人らが最も重視する国際人道法上から見て当然所属国たる我国の支払義務は免れない処であるが、今日はからずも平成11年(ネ)第247号東京高裁の請求権全面放棄判断の面からも国の補償忌避理論は崩壊したのである。

5)、裁判官に申し上げる。このように被控訴人国の補償拒否論は二重基準と云う自家中毒的論理矛盾により潰えたが、このことに限らず他におても国の主張は不条理且非論理に満ち、控訴人らが主張するいずれの面を糾明しても国の非は免れない処である。更に深層に渉って慎重審理あらんことを切望する。

6)、日ソ共同宣言締結直後の昭和31年11月30日議会において、締結責任者である総理大臣鳩山一郎は、“もし請求権を放棄したものだとすれば国内的に何かと補償しなければならないのは当然であります。総理大臣の御所信を“ と問われ “ 国内問題として考慮したい” と締めくくって批准国会を終えている。(甲第42号証) それにも拘らず以後45年に渉り何ら措置を講ずることなく今日に至った国の作為不作為の責任は極めて大と云うべきであるが、被控訴人国はこれに関しての見解を示されたい。

7)、以上控訴人らはソ連に対して国際法上の請求権を有していた処、同請求権は日ソ共同宣言第6項により放棄されるに至り、その結果、控訴人らの右請求権は消滅したものである。被控訴人国は、控訴人らの右損害のもと、ソ連からの賠償請求を免れて平和回復を得たものであって、憲法29条3項及び国際法規に基づいた補償がなされるべきは明らかである。

8)、国により放棄された控訴人らの請求権は次の通りである。

(1) 抑留中の強制労働により得たる賃金の未払分と其の他の貸方勘定

(2) ソ連の侵した非人道的不法行為の責任に基づく人道上の補償

2、放棄された請求権のうち未払賃金に相当する補償について.

1)、“捕虜の労賃は支払わるべし” はここに改めていうまでもない国際人道法の実定的原則であり、古く「ヘーグ陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」第6条の “俘虜ノ労銀ハ、其ノ境遇ノ艱苦ヲ軽減スルノ用ニ供シ、剰余ハ解放ノ時給養ノ費用ヲ控除シテ之ヲ俘虜ニ交付スヘシ。“ 以来継承、生成、改善されてきた捕虜の権利であり、この労働賃金は個人の財産である。

2)、抑留中の強制労働による賃金は正当な理由のないまま現在に至るまで未払であり、控訴人らは戦後50数年を経た今日迄手にしたことはない。

3)、労賃の支払義務国は抑留したソ連であり、未払賃金の支払義務国は所属国たる日本であり、それ以外ではない。

4)日ソ共同宣言で平和を回復した日ソ両国は請求権をすべて相互に放棄し、従って控訴人らのソ連に対する権利、財産の諸条件も被控訴人国によって放棄された以上、国がソ連に代ってこれらを補償しなければならない。

5)ロシア政府発行の労働証明書の計算基準は次の通りである。

(生活原価456ルーブル −休養費351ルーブル) × (抑留月数−ロスタイム)

6)控訴人の抑留月数平均は41ヶ月である。

内訳・・・・松本 宏32月  木谷丈老50月  池田幸一36月

森本繁造47月  加藤木敏雄39月  計20.4月÷5人

控訴人一人平均未払賃金は105ルーブル× (41月一1)= 4200ルーブルであり、帰還時に支給されていれば (レートR1:\68) ¥ 285.600円である。

3、其の他貸方勘定としての未払給養費について

1)、 昭和17年9月12日外務大臣を兼ねた東条英機首相はスイス特命全権大使に対して次の声明を発している。

“帝国政府ハ各交戦国ニヨリ支給セラレタル俘虜ニ対スル給与額ハ戦争終了後俘虜ノ兵役ニ服シタル国ニ依リ返済セラルルモノト諒解ス“

即ち日本将兵が捕虜になった場合の給養費はその所属国たる日本の負担であることを我国政府は承知し、またソ連も同様承知していた国際慣習法が当時既に存在していたことは明白である。

2)、また両国は日露戦争の前例から給養費は捕虜の負担ではなく、それぞれの母国がその総額を相殺し差引帖尻を決済していた事実を熟知していたにも拘らず、ソ連は我国の支払能力の不安や支払拒否等を慮って講和条約の最終結果まで給養費を差押える方策を取り、そのため控訴人らシベリア捕虜は自らが働いた賃金の内からこれを差引かれ、俗に云う自腹の状態で酷使されて現在に至るも未払のまま放置されているのである。

3)、米英に抑留された捕虜の未払賃金証明書には給養費はすべて含まれ、帰還後日本政府からその全額を受取っている。

4)、差押え給養費の不法を何ら解決しないまま締結された日ソ共同宣言の請求権相互放棄により消滅した未払給養費は、放棄した責任上ソ連に代って被控訴人国が補償の義務を尽すは当然である。

5)、大元帥陛下の命令により捕虜となった兵士の内、米英に抑留された捕虜には給養費を支給し、シベリア捕虜には支給していないが、被控訴人国はこの事実に関する法的根拠を明らかにすべきである。

6)、米英捕虜と同様に前章2の未払労賃105ルーブルに給養費351ルーブルが加算されれば456ルーブルになる。それを基準とした場合は

456ルーブル× (41月一1月) = 18,240ルーブル

帰還後に支給されていれば一人当り 約124万円である。

7)、給養費支給の義務は控訴人準備書面3の第一(2ぺ一ジ) の大東亜戦争陸軍給与令によっても被控訴人国の支払義務は免れない。

4、ソ連の侵した非人道的不法行為の責任に基く補償

首題の件については控訴人準傭書面1の第四(14ページ以下) 及び6の第四(16ページ以下) で述べている通りであり、これら請求の権利を放棄した被控訴人国はソ連に代って応分の補償を免れない。

1)、第二次世界大戦の各国元捕虜たちが戦後半世紀を経た今日、陸続と我国裁判所に提訴し、またアメリカにおいても同様の現象が続くのは奇観である。これらは控訴人らのように微細な労働賃金の支払いを求めているのではなく、抑留中の施設や企業での非人道的不法行為に対しての堂々たる損害賠償訴訟と聞き、人道人権尊重の著しい世界的思潮に眼を見張るのである。軍国日本の人道無視、捕虜蔑視は慙愧に堪えないところであるが、スターリン治下のソ連に比べれば少しは気分もやわらくのではなかろうか。酷寒、飢餓のシベリアは地獄であった。その非道さを今さら挙げつらうのも詮なき事ながら、最高裁「シベリア強制労働補償請求訴訟」判決文の中に以下がある。

“シベリア地域の収容所等に送られ、その後長期間にわたり、満足な食料も与えられず劣悪な環境の中で抑留された上、過酷な強制労働を課されその結果、多くの人命が失われ、あるいは身体に重い障害を残すなど、筆舌に尽くし難い辛苦を味わわされ、肉体的、精神的、経済的に多大の損害を被ったことは、原審の適法に確定するところであり、上告人らを含むこれらのシベリア抑留者に対する右のような取扱いは、捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当なものといわざるを得ない。” これにより非人道的不法行為の証明は充分であろう。

2)、被控訴人国はその被告第二準備書面四において “憲法29条三項は、私有財産を、財産権として補償しようとする規定であって、身体の自由等を補償する規定ではない。“ というが、非人道的不法行為の責任を問うとき、身体の自由のいわれなき拘束こそが犯罪なのである。捕虜の財産である未払労賃や給養費は前章で述べた通りであるが、この章では、自由、人権の侵害、人道の圧迫の事実確認と補償を求めているのである。

3)、異境での極限の地において長い年月に渉って自由を奪われ、人権を無視され奴隷的強制労働に明け暮れた日々がどんなものであったか、国際人権規約第8条に

(1) 何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する。

(2) 何人も、隷属状態に置かれない。

(3) 何人も強制労働に服することを要求されない。

とあるが、控訴人らは将にこの通りの受難者であり、この奴隷労役が何故発生し、誰のために、何者によって行われたのか、それらの審理と判断をこそ開かれた民主法廷で求め続けているのである。

5、以上私有財産請求権の喪失、肉体的精神的苦痛、自由、人権の侵害、人道の圧迫等  受けたる損害は筆舌に尽し難い。これらはかつてダレスがいった「救済なき権利」のま   まで捨ておかれてよいものであろうか。

裁判官に申し上げる。これら控訴人らの請求がいかに内輪で謙虚なものに過ぎないかを知られるであろう。求めるものは我が母国の心からなる誠意と謝意であり、正義の行われる中で生を終えたい の願いであって、愛するに足る祖国であれ の一念なのである。

  カマキリれぽーとa@2         2001.11.17.

高裁第4回公判のご報告                      2001.11.17.

休耕田 / 背にしてはびこる / 雑草に / 蟷螂のごと / 一人鎌持つ

こんな歌を新聞歌壇で知り、身をつまされる思いでした。9.11テロのアメリカドラマが世界に流されるなかでカマキリの裁判も佳境に入り、11月15目の82法廷は精気が走りました。傍聴各位の無言の圧力が沈欝の壁に穴を開けたのでしょうか、再び控訴人の意見書を読み上げることができたのです。

意見書

提訴以来30ケ月を越えて私たち控訴人らも漸く法廷に馴れ、少しは様子も判って参りました今、その体験をもとに審理のありようについての疑問と要望を申し述べたいと思います。

 第1.裁判とはもっと難しいものとばかり思っておりましたが、よくよく考えますと実は簡単で素朴なことであり、またそうあるべきだ と思うのであります。奴隷でない以上働けば賃金が貰える、まためし代は兵士の自腹ではない、だから両方共支払われるべきで、この当たり前のことを軸に訴えているのでありまして、決して難しい事を云っているのではない。その支払いの責任はソ連ではなく、日本国であることを裁いて頂きたいのであります。万一そうでないなら、そもそも私らに請求する権利がはじめから無いのだと、またあるのなら何処が払うのかを教えて頂きたい。その他南方捕虜や世界各国捕虜の優遇に比べ、どうしてシベリア捕虜のみが差別されねばならのいのか、自由と人権をかくも長い期間に渉って拘束され、迫害に甘んじなければならなかったか、これらは余命いくばくもないシベリア老兵の素直な疑問であり、その解明を望むのは法的うんぬんを越えた人間本来の正しさを求める素朴な願いであります。訴えの真実を探るには悲惨な運命を命じた国と、その受難者である兵士の率直な主張を聞き、双方の争点を定めることが相互理解の第一歩ではないでしょうか。

第2、ところが控訴人の主張や質問に対して、被控訴人である国は一向に返事をしないのであります。開かれた戦後の民主法廷は正義を糺す場であると共に、被我の論を尽した争いを進める中で次第に真実を見出し、やがて解決の兆しをつくる場でもある筈で、そうして社会の秩序は保たれ、国と国民の信頼と忠誠の絆も固められてゆくのではないでしょうか。その絶好の機会をどうして無視されるのか、今こそ国は控訴人らの蒙をひらくため、堂々の論を展開し説得に努めるべきであります。

20世紀のブラックホールといわれる「シベリア抑留」の真相を、証拠を挙げて明らかにし、国の公正を天下に示して頂きたい。いつまでも臭いものに蓋ではなくはっきりと主張されるべきであり、控訴人らの問いにロクに返事もしないとは非礼でありましよう。

第3、裁判官に申し上げます。

1、控訴人らの陳述する書面は読みづらく、また意味の判じ難い点も多々あろうかと存じます。果して訴えの心情を充分ご理解頂けているのかどうか心配です。どうして釈明を求めて下さらないのか、原審において一度あっただけで、其の後は打ち絶えてありませんが、このようなことでよろしいのでしょうか。

また被控訴人国からの反論も殆ど無く、これでは争点の構築も覚束なく、どうして求釈明がなされないのか不審に堪えません。

2、それから度々の要望にも拘らず、ロシア領内の現地検証と証人尋問等一向に進みませんが、どうか老兵たちの信頼を裏切られることのないよう公正にして慎重な審理をお進め下さいますよう、このままでの結審はなさらないよう重ねて要望いたします。

3、11月13日に提出した甲第92号証その他に基づき「シベリア抑留」は一般戦争被害ではなく、あの奴隷労役は特別の非人道的不法行為であり、国の「みせかけの無実」の誤りを次回までに主張いたします。

                                           以上

当方の8本に比べ前の最高裁判例にあぐらをかいて黙って済まそうとする国も、漸く11月9目に到り準備書面第1を提出いたしました。開廷以来実に211日目のことであります。この高飛車な反論も既報のような「オランダ捕虜東京高裁判決」の前には光彩を失った秋の落ち葉同様、カマキリは更に鋭い必殺の剣を研いでいます。

公判の終了後、支援くださる有志を交えて生駒宝山寺の滝万に席を代え、初の懇親会を催しました。全山紅葉の宿へ陰の軍師のO先生も参加いただき、深更まで学習、熱心な意見の交換などまことに有益な集会となりました。シベリアの音話にも花が咲きみなさん俗塵を洗い日ごろの労を流しました。

        次の第5回公判は2月15日午後3時と決定

訃報

 「シベリア抑留」がなぜやすやすと行われたか? この謎を解くためカマキリが証人として出廷を求めていた関東軍元参謀草地貞吾中佐が、奇しくも公判の日の11月15日に逝去されたと新聞は報じています、享年97。カマキリが昨年8月に尋間を求めた3人のうち 朝枝繁春中佐に続き貴重な生き証人を矢継ぎ早に失ったことになります。意見書で早く早くと催促をするのもこれあるためです。存命の証人は瀬島龍三氏ただ一人となりました。故人の冥福を祈るとともに裁判長の決断を強く求めるものであります。

なぜ運動は失敗したか              2001.11.20.

どこから見ても負けるはずのない裁判が勝てない、政府も国会も動かない、世間に同情がなく、マスコミも騒がない。「シベリア抑留」の評価と補償を求め続けた兵士らの運動はすべてないものづくしの連続で、何一つ成功せずにいま幕を閉じようとしています。(カマキリ裁判だけをを積み残して)

戦い済んで日は暮れて、残念なことですが、ここらで一度死屍累々の跡を振り返り、棹尾の検討をするのも一興でしょう。

1、アカ嫌いはお家の伝統

わが国に恐露病はあっても帝政ロシアに嫌悪感は薄く、日露の戦役のときなど “敵の将軍ステッセル・…” などと歌の文句にあるように敬愛の念すら持っていたよう思われます。潔く戦い、相手を労わりあう武士道 騎士道の、まぁ良き時代の名残もあり、そこには価値観を同じくする間柄の安心もあったのでしょう。これが一変したのはレーニンの赤い政権誕生以来で、一夜にして恐怖と憎悪の隣国となり、アカはともに天を戴かない危険思想となりました。終戦時のわが国中枢は宮廷派、和平派といわれた固有の権力で、彼らのアカ嫌いは木戸から吉田と続いて自民党に脈々と流れています。「シベリア抑留」の経緯とその悲劇は百も承知であっても “アカに洗脳されたやつらに一銭たりとも払ってなるものか” が伝統の国是であります。どの小道を辿っても所詮はここへ行き着いて「シベリア抑留」は国体か政権が変わらない限り是認されることはないでしよう。

2、敵が誰であるのかを考えない情緒性

「シベリア抑留」のひもじさ、寒さ、辛さは充分過ぎるほど語り尽くされましたが、あの悲劇がなぜ起こり、誰の責任であるのか、“おれをこんなにひどい目に合わせた野郎はどこのどいつか”の糾明がなされない、これが原因の一つであり、理屈が苦手で情緒が好きな我が民族の気質であります。また運動がなぜうまく行かないか、妨害している勢力はいったい何者か。この見極めがなされていない、これが第2の原因でしょう。その答えは張本人のスターリンであり、それに手を貸した共犯者は天皇助命と役務賠償のために60万の将兵をソ連に引き渡したわが国。また補償運動を妨げているのは自民党の政府です。

3、高級軍人の無関心と反動

どこの国でも祖国へ帰った捕虜たちは一丸となり、上級将校がリーダーとなって運動し成功しています。イギリスではシンガポールの司令官パーシバル将軍が代表で国に補償をさせたのも、天皇訪英で元日本抑留の捕虜にデモを命じたのもこの人です。

「シベリア抑留」の関東軍には3人の大将、33人の中将、127人の少将が居ましたが誰一人哀れな兵士のために立ち上がった将官や幹部はありません。それぞれが莫大な軍人恩給を手にしながら運動に手を貸そうとはしない、まったく薄情な話です。我々をスターリンに売り渡すために尽くした関東軍参謀の草地貞吾中佐は`“死んだ兵も多いのに私は生きてこの有難い日本に帰ってこられた。その上補償をよこせとは何事か”とあべこべにブレーキをかけています。この人は有難い日本国から既に億を超す軍人恩給を手に入れ、さらに毎年高額を取り続けておられますが、これらを返納されて後であればご発言に迫力もあるのですが・… 作家の会田雄次氏は “大失敗、大敗するに決まっている無謀な戦争をおこし、拙劣そのものの作戦を強行、そのため世界史上にも例がないほど無残で屈辱的な惨敗を繰り返し、・…略・…占領軍が居なくなるや得たりや応とばかりに高額の恩給をせしめ、のうのうと暮らす人の神経は私には理解できない。” と言っています。「将校商売、下士道楽、義勇奉公兵ばかり」 はその通りで皇軍と称した軍隊では真実兵士のことを心配してくれる職業軍人などいなかったことの証明で、この人らに無関心はおろか、自分の美田を荒されないことの方が大事なのであります。

唯一の例外として運動の先駆となられた人に長谷川宇一氏があります。この方は関東軍報道部長の陸軍大佐であり、芋逸の俳名を持つ文人でもありましたが、この義挙は大きな広がりにはならず、自民党に翻弄されて不幸にも挫折に終わりました。

4、運動は軍人恩給が邪魔をしている

軍人恩給とは大正12年に始まり、戦後の昭和21年マッカーサーによって “戦争責の筆頭である軍人に恩給とは何事か“ と廃止されたものを、占領が解かれるや昭28年には早々と復活させたものであり、階級、年功本位の、他国籍は認めないという前時代性豊かな制度で、戦後補償法の82%強を占め既に40兆円を越す巨額が支出されています。現在未解決の戦後処理問題が山積している中で、殆どを軍人が占める不条理には役人でさえ心中穏やかならず、軍人には出し過ぎている との先入観が抜けません。恩給と補償はまったく別の次元とはいえ、国民の税金に変わりはありませんので、軍人票の見返りのため法外な支出となった軍人恩給が「シベリア抑留」の解決を難しくしている側面があります。

5、小異にこだわり大同できない民族気質

「シベリア抑留」は地獄でした。人間は地獄ではいとも簡単に餓鬼に落ち、阿修羅になるものです。腹を満たすためには、また一日でも早く還りたいためには盗みや密告隣人を騙し、労を避け、心ならずも友を売ったり吊るし上げたり、苦い自虐の傷を持たない人はいないのではないでしょうか。

このような中でドイツ兵の振る舞いは際立って立派で、あぁこれは民族の資質の違いとしか言いようがないことだ と劣等感を覚えたものでした。負け慣れでしょうか、国際法の知識の有無でしょうか。とにかく彼らは毅然として権利を主張して信念を曲げません。威嚇には冷笑で、暴力には低抗で、一糸乱れずストをやる。彼らの兵営には内務班の蛮風も、スターリンヘの感謝状も、祖国ソビエートヘの生産競争も、吊るし上げもなく、サツカーに興じて実に見事な勇者でありました。

この現象は抑留中だけのことではなく、本国帰還後もそうであり、我々を尻目にひと足早く帰還した上に、彼らは国会への陳情も裁判も必要なく、「捕虜補償法」により手厚い恩典を受けています。一方日本捕虜ですが、国の非情冷酷もさることながら、残念なことにまたも一つに纏まれません。せっかくの組織は真っ二つに分裂し、小異にこだわって相食み、燃え盛るマグマのような願いに水を差して、まんまと自民党の罠に落ちたのであります。分裂、反目、相殺はシベリアだけでは懲りなかったのでしょうか、どうして小異を争う形をとりながら、もう一つ高いところで大同し、両々相まって陽動しつつ共通の大目的達成の戦略がとれなかったか。覆水はもう盆に返らないでしょうが、惜しみても余りある拙さでした。私はここに我が民族の資質の未熟を嘆くのであります。

6、相沢派の背信

“おかみに盾つく裁判はもってのほか、ここは政権党に頼むのが早道” と分裂したこのグループは抑留者のために何をしてくれたでしょうか、

1) 裁判をする斉藤派潰しに大きく貢献した。

2) 抑留者の宿願である補償請求を打ち切り、国を大いに喜ばせた。

3) その代わりに軍人恩給加算を提唱して衆望をつなぎ、貴重な時間を空費させてついに  は時間切れに追い込んだ。

4) 国の御用組合として「財団」を独占し、天下り官僚とともに国費を乱用した。

 これら自陣にボールを蹴りこむような自殺的所業の数々は運動を大きく減速させ、抑留者の老化自滅を促進した背信は、抑留史上の汚点として後世に残ることでしょう。

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