第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その3> やるべきを怠った原審判決             2001.5.14

控訴人準備書面 1                  2001.5.14.

控訴人らは"何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。"とする憲法第32条により「シベリア抑留」における措置の不当を問うため国を相手に訴えをおこしたのであるが、第1審を終えた今、その裁判指揮、審理の進行は著しく適正を欠き、判決は不当で、国民主権の民主裁判とはこのようなものであったのかと大いなる失望と深い幻滅に堪え切れない思いである。結果はさておきその過程の安易さは到底納得のゆくものではなく、即ち被告に真摯な返答なく、事実の認否は殆ど行われず、審議は尽くされず、現場検証なく、証人の尋問も行わず討論も主張も未だ不充分なまま、唐突の結審となり、これが新しい時代の開かれた裁判であるのかと、実に不本意極まるものであった。

原告らは馴れぬ状況にありながら厳正なるべき司法のルールを尊重し、裁判官の指揮に従ったのであったが、それであるのに何故以てかかる粗略非礼な扱いを受けねばならないのか、原告が問うたのはコソ泥や詐欺ではない、国家の正義と責任を糺しているのである。願わくば控訴審においては、同じ日本人として心の通い合う法廷であるべく、そのため以下の通り要望する。

第一 慎重入念な審理を求める。

一、民事訴訟法の原則に基き被控訴人国は控訴人が準備書面において返事を求めた事項には以後誠意をもって回答すべきであり、これを控訴審での第一歩となすべきである。

国は "原告主張は法的根拠を欠き請求自体失当''を云い、それらを指摘すれば事実認否は不要''と真摯な回答を示さず、更に原告の求釈明にも応ずることがなかった。控訴人らは平成12年4月10日原告第8準備書面においてこの旨をとがめ 「被告に回答を求めている事項」 として19項の一覧表を添え再度要請したにも拘らず今に至るも梨の礫である。

その後同様の趣旨で問うたものが9項、それらを含め再び巻末に掲示する。これらは特に争点に関わる要点を挙げたものであり、審理の速やかな進行を願つて要求したものである。

二、原審判決は不運にも棄却となったが法的根拠の欠落を理由としての結果ではない。原告は憲法第13.14.17.18.29.98の各条及び国家賠償法、民法709条、並に国際人道法、国際慣習法等を挙げて訴え、裁判官はそれらをとりあげ、その法的適否を判断したのである。法的根拠云々を裁くのは裁判官の仕事であり、それを被告が事前にあげつらうのは不遜と云うべきである。

従って国の云う"法的根拠を欠き請求自体失当につき事実認否は不要"は回答を拒否する理由とはならず、控訴人の主張に争うことを明らかにしない場合、または回答をしない場合は民事訴訟法第159条により控訴人の主張を全面的に認めたものと定められており、裁判官におかれても左様認知下されたい。 (自白の擬制)

三、なお同表のうち回答を待って更に深奥への二次主張を行う必要上、特に以下は早急に同答されたい。またそれでも返事なき場合、裁判官は求釈明権を発動し、審理のスピード化に努めて頂きたい。

一覧表建制順に16.17.18.19.20.21.22.24の8項目。

四、裁判は証拠の事実認否、又は同意不同意を基本とされたい。

「シベリア抑留」はこれまで抑留60万、死者6万2千と云われていたが、最近ロシア側の資料公開が進むにつれその犠牲は逐次増加し、その後100万、37万と衝撃的な報道も出現するに至った。近著のV.A.アルハンゲリスキー著 "プリンス近衛殺人事件"第9章、第10章参照。 (甲第71号証)

この事態にイルクーツクを訪れた森総理は日口首脳会談で、第二次大戦後の「シベリア抑留」問題をとりあげ、日本人の抑留者や死亡者の総数の特定をはじめとする全容解明に向けた両国政府の合同調査委員会を設置するようプーチン大統領に要請する意向を固めたとし、20世紀にせい惨な歴史を刻んだ 「シベリア抑留」間題の決着に意欲をもっており、これを平和条約交渉と並ぶ重要なテーマに据える方針…と報じている。平成13年3月22日・23日産経新聞   (甲第'72号証の1、甲第72号証の2)

「シベリア抑留」は我が民族の蒙った屈辱事件として看過できない悲劇であり、民事訴訟法第179条に云う証拠として証明することを要しない顕著な事実であって、このような厳然たる事実を惹起した国の責任と100万の犠牲を生んだ根源を糾明するのに片々たる法的根拠の有無を申し立てて逃れようと、事実認否を拒否しよう と、それで済むこととでも思っておられるのか。その犠牲者たる老兵に対し、ろくに返答もしない非礼はいかがなものであろうか。

 裁判とは辞書によれば、ことがらの良し悪しを調べどちらが正しいかをさばくこと、事件に法律をあてはめ判断を下すこととあり、法律に事件をあてはめてとは書かれていない。これらは平成12年41月10日の原告第8準備書面において主張した通りであるが、更に付け加えるならば次の2点である。

五、被控訴人国は原審での態度を反省し、以後は謙虚に回答して事実の認否を重ねるべきである。これこそが「シベリア抑留」の真相解明への最善最良の道であり、認めるべきは認め、争うべきは争い、白日の下で国民的討議を尽くしてこそ真実が得られるものと確信する。

六・裁判官は主張の趣旨が不充分で理解に達せられない場合は双方に釈明を求め、更に真実への糾明に努めて貰いたい。

 原審では一度聞いてこられたが、以後はそれっ切りで、神ならぬ身のあの程度で事件がお判りとはとても思えない。控訴人らは死の渕から辛うじて生還した体験者であり、他のことは知らずとも「シベリァ抑留」に関しては誰よりもよく知っている。

七、現場検証を行うこと

 控訴人らは控訴理由書其の一でも冒頭述べている通り、本事案を正しく知るためには関係者の現場体験が必要欠かせない作業であると考える。このことについては平成11年9月10日付の「訴訟提起に際して原告らの陳述」において希望した処であるが、この度の控訴に当り改めて別紙の通り検証を申出たので是非採用されたい。

八、証人尋間は何故行われないのか

 控訴人らは主要な争点の一つとして「シベリア抑留」は敗戦時我国の唯一条件とした国体護持を願うため、また労役賠償としてソ連に引き渡した事件であるとし、証拠をあげて主張したのであったが、原審の認める処とはならなかった。判決の不当もさることながら、その審理は怠慢、粗笨のそしりを免れない。これらを巡る争点は本事案最大の焦点であるに鑑み、控訴人らは平成12年8月18目証拠の申出書を提出し、朝枝繁春外二名の証人をして事実を語らしめるよう要請したにも拘らず原審は応じようともしなかったが、日本の裁判所は本件を真剣に裁く気構えがないのではなかろうか。当審での実施を要望する。

以上により得られる事実に基き更に深く二の矢を放って主張したいが今の段階での被控訴人国の非と原審の誤りについて以下の通り主張する。


第二、原審判決の誤りの一つは「シベリア抑留」が何故おこったのかを誠実に裁こうとしなかったことである。

ドラマであれ小説であれ、その事件がどうしておこったのか原因解明を欠いたものが面白い筈はなく、価値もない。歴史や世の中のことは何事もそうであろうし、裁判とてその例外ではなく、これを避けた審理がまともな判断を生む筈がない。そのため判決は胃の腑へすとんとものが落ち込む爽快さのないまことに煮え切らないままで終り、神聖感どころかその印象は被告におもねる俗臭ふんぷんたる茶番であった。控訴人らは「シベリア抑留」を誰がやったかの主犯はスターリンであるが、我国もこれに深く係わって関東軍将兵をソ連に売り渡した共犯者として責任を問い、なぜそれをやったのかの目的は国体護持とソ連への労役賠償提供の二つであると、証拠をあげて訴えているのである。これについては前述の通り被控訴人国に返答はなく、従って異議なく認められたものと承知するが、反論もなし得ない側の肩を持った原審の判決は不当であり、到底破棄を免れないものと云うべきである。

重ねて間う、敗戦時自国の軍人を敵国に引き渡し奴隷労役を強いた法的根拠は何か、釈明を求める。

被控訴人国の答弁書をこれが祖国のために尽して死地より生還した老兵に対す言葉かと、このような冷酷無惨な国に生を受けた自嘲自虐の中で読み終えたが以下申し述べたき点を追記する。

一、「シベリア抑留」はスターリンに国体護持を乞うために関東軍将兵を売り渡した事実

 天皇の命乞いに係わることは日本人として愉快な話題ではない。この争点については原告第5準備書面並に控訴理由書其の一に於て述べたことであるが、その主張は控え目であり忠勇なる兵士としての節度は保ったつもりである。お互い同胞としてこの程度の表現でも充分意のある処はお判り頂けるものと考えたのであったがそれらの気配りは無用であった。

1、原審判決第一争点に対する判断一の(二)(P23)によれば "「賠償として、一部の労力を提供することは同意す」の和平交渉案の内容をもって、我国の政府中枢が旧ソ連による「シベリア抑留」の段階でも同様の考えを有していたものと推認することはできない。" と云う。和平交渉の破局はソ連参戦の日であるからそれまでは提供する考えであった事実を原審も認めたが、その日とは1945年8月9日である。"極力貴軍の経営に協力するごとくお使い願い度く" の関東軍文書の日付は同年8月29日であるが・朝枝参謀が口頭で申し入れを行ったのは一週間前の同年8月21日である。その間敗戦混乱の日を含めて僅か12日、この忽忙の間に天皇の裁下を得た労力提供策に代る方策が生じるとは考えられない。他の案が存在したのであるならばこれら状況証拠をくつがえすに足る明確な公的反証を示すことが国側に必要となろう。立証責任は被控訴人である。これら証拠は国によって独占され、あるいは国の排他的管轄内に存在するため、庶民の手では収集が事実上不可能なものである。8月9日までは認め、それから12日後は認められないと云う理由をはっきり証拠を挙げて釈明されたい。

2、国体護持に関して原審は全く審議をしなかった。

控訴人らは最重要争点として主張したにも拘らず国は回答せず、また裁判官も一切触れることなく判断をも避けたのは不当である。無条件降伏のポツダム宣言受諾の土壇場に至って、他のことは仕方がないが、これだけはと唯一つ連合国に許しを乞うたのが国体護持であり、一億が枕を並べて討死しても守ろうとしたのもこれである。思想検事萩野富士夫著岩波書店  (甲第73号証)

このとき幸い連合国側の許容は得られたがスターリンは許さなかった。(1945年8月11日) 我国の願いはこの外に無く、総ての方策はこれを軸として進められたが、これら基本的認識が原審に欠落している。

3、ポツダム宣言受入れ後、大本営は全軍の司令官に降伏と武器の放棄及び将兵の帰還命令を発したが、関東軍のみ “帰還はソ連との了解の上” としている。

4、敗戦直後の満州の状勢と関東軍文書の解釈における原審の認識は甚だ粗笨で歴史を裁く資質を欠くものである。そのような悠長なものではなかったことは数多の引揚エレジーの伝える処であり、それらの因は総てソ連にゴマをする宥恕策、またあわよくばの妄想に発した大陸残留策の破綻によるもので、その現実をこそ直視すべきであるに拘らず、判決にみる浅薄さは歴史を冒涜するものと云わざるをえない。朝枝起案の大陸残留策(大陸令第1374号八項(二)) をお知りになりたくば資料を提出する。

5、「ワシレフスキー陳情書」の解釈の曲解は再検討の上正しく把握されねばならない。これが国府軍や中共軍の司令官に懇請したものなれば相当であろうが、相手は作戦が終れば引揚げる外国の野戦軍であり、一体原審は満州がどこの国の誰の領土であるのかご存知か、また文中に“使役としてお使い下さる場合は満州ならよろしいがシベリアはご勘弁下さい"とどこに書いてあるか、いつまでとも記入されず、要は “無条件でお使い下さい" の白紙委任状ではないか。

6、原審はこの文書から “「シベリア抑留」、強制労働を容認したとか、容認する意図を有していたものとは推認することは出来ない。" と云う。現実に「シベリア抑留」がおこつたことは認めるが、決して国が意図したものではなく、すべては国の魯鈍に依るもので、この悲劇を予見する能力を欠いた不可抗力であったと云うのであるのか、以って瞑すべし、何をか云わんやである。しかしこれは遁辞であって既にシベリアにはドィツ兵をはじめ各国から多くの捕虜が連行され、苦役に服していたことは我国中枢の百も承知のことであり、その上で "使役にお使い下され度く" をどうして容認したとか、する意図を有していたものと推認することができないのか篤と承りたい。これらは当審において厳しく再検討されるべきである。

7、以上を論じた上で借問する。「シベリア抑留」は果して

(1)国体護持を乞うため国がソ連に引き渡したものか

(2)その意思はなかったが国の魯鈍愚昧によるものか

(3)スターリンの横暴によるものか

項目毎に認否を求める。

8、控訴人らはスターリンの横暴によるものであるとの回答を待ち望んでいるのである。回答はこれでなければならないのである。しかしそれなれば何故声を荒げてその不当をソ連に抗議し、捕虜の蒙った損害の賠償を求め、それを挺子に領土間題を有利に解決しようとしないのか。シベリアと云う巨大なガス室の零下50度の酷寒地獄の中へ押し込んだ劫罪を、両国は謙虚に償わなければならない。この贖罪が果せてこそ、犠牲者の鎮魂がなされてこそはじめて両国の恒久平和と友好が来るのである。

9、国は抑留中の給養費を未だに払おうとしないのは兵士を捨てた棄兵棄民の明らかな証拠である。兵士の食糧、被服、日用品並に宿舎、生活環境費等の給養費はすべて官給・無償であることは大東亜戦争陸軍給与令、同細則に規定され、其の後新憲法の施行に伴い陸海軍及びその根拠法令の一切が廃止された後も未復員軍人についてはなお公務員としての身分を保全し、政令第52号、更に未復員給与法はこれらを引続き規定したものである。未払給養費請求を主張した全抑協「シベリア裁判」を平成9年3月13日最高裁は棄却したが、国が未だ支払っていない事実は寸毫も変っていないのである。

 国や司法の弁法は "なるほどその通りだが" と大筋では認め、次に "しかしながら・・・・'' と続き、そのうちに黒は白と変ってゆくのである。この裁判はその典型で、一旦召集した以上お役ご免のその日まで国が兵士にめしを喰わせるのは当り前の義務であり、誰しも "なるほどその通りである" のだが、国や司法は ''しかしながら・.・・'' を連発して結局は “そのような者共にめしを喰わせるゆわれはない'' ことになってしまうのである。一義よりも二義三義の屁理屈を云ううちに石が浮かんで木の葉が沈むの喩えの通り、このような道理にもとる奇怪な判決が白昼堂々とまかり通ったのである。都合が悪くなれぱこの国は兵を敵に売り、苦役を強いながら労働賃金はおろか糧道をも絶つという、鬼畜もなし得ない非道を当然とする、このようなことが人間として許されてよいことであろうか、また喰い扶持すら払う気がないとは 云いのがれのできない棄兵の証拠である。これらは、大東亜戦争陸軍給与令等違反並に民法第704条の明らかな違反である。

また同じ捕虜でありながら南方組には労働賃金の外に給養費の全額を国は支払っているが、これは “すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、杜会的身分又は門地により、政治的、経済的又は杜会的関係において、差別されない。" とした憲法第14条及び“ 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない'' とした同法第18条に違反するものである。

<関連法令> *民法第1条B権利の濫用は之を許さず。*第1条の2、本法は個人の尊厳と両性の本質的平等とを旨として之を解釈すべし。*第704条「悪意の受益者の返還義務」悪意の受益者は其の受けたる利益に利息を付して之を返還するを要す尚損害ありたるときはその賠償の責に任す。

ここで聞いておきたいことがある。同じ日本国、同じ明治憲法の下にありながら、どうして日露戦争時の日本兵捕虜は優遇されたのであろうか。その実情は控訴理由書其の一(第二の四の4,P22)に述べた処であるが、我々の蒙った天と地の冷遇の、余りの懸絶はどのような法解釈に依るものか、勿論そのときの給養費は国が負担している。この大変化は昭和16年1月8日に下達された戦陣訓 (甲証12号の4) に依るものであるのか、または如何なる法的根拠によるものか被控訴人国の返答を求める。戦陣訓は全将兵に強大な影響を与えはしたがこれは国会審議の洗礼を受けた法令ではなく、陸軍大臣東条英機の単なる訓示に過ぎない筈である。

二、原審は"我国が原告らを労役賠償として旧ソ連に引き渡したことを認めるに足る証拠はないから、この点に関する原告らの主張は採用できない" と云う。

「シベリア抑留」と云う事実は認めるが、認めるに足らないとは労役賠償の方であるのか、引き渡した方なのかが甚だあいまいで、かかる不得要領の判決は不当であるが、後者は既に一で論じた処であるのでこの項は労役賠償であるのか、否かを検討する。

控訴人らは原告第6準備書面の全趣旨並に控訴理由書の9-1を中心に「シベリア抑留」はソ連への労役賠償として被控訴人国がスターリンに提供したものであると証拠をあげて主張し、そうではないというならそれは一体何であったのかと度々回答を求めたのであるが国は遂に回答するに至らず、これは民事訴訟法第159条により原告の主張を認めたものとみなされる。それであるのに原審はこれらに目をつぶったのみか判断の経路を理論的に明確に説示することを怠り、被告に肩を持ったのはまことに不可解であり、判決は不当と云わざるをえない。

1、戦争と賠償

戦争は国家にとって利得(領土、捕虜、戦利品)のあるものとされてきた。古代以来そうであったし近代においても戦いのメドがついた段階で敗者が勝者に貢ぎ物に類するものを差し出して和を乞うのが常であり、我国でも日清、日露の戦役や第一次世界大戦がそうであって、戦争は決して勝者を天使にはせず、つまり何らかの賠償を露骨に取り上げるものである。今次敗戦においてはその逆となり、1943年11月のカイロ宣言において "南洋諸島の権利を剥奪し、満州、台湾、及び膨湖島等を中国に返還させること" を決め、同年ポツダム宣言では“…更に日本国の主権は本州、北海道、九州、四国の他、連合国が決定する諸小島に限定されるべし'' と決定しているがこれらは実質的な賠償である。

一方の敗者であるドイツの場合、ヤルタ会談のコミュニケにおいて労働力の提供を現物賠償の一つとして呑まされている。この通り戦後処理に領土や捕虜の労働力による賠償は切り放しては考えられない現実である。

2、被控訴人国の回答は得られなかったが、国の考えとして、“ソ連が日本将兵を使用することにより幾多の経済的利益を得たという事実は実際にあったが、法的には我国はこれを賠償の一形態として認めたということではない" があるので (昭和53年6月8参議院内閣委員会での和泉照雄委員質問に対し外務省欧亜局長宮沢 泰の答弁。 (甲第42号証) これに基づくと国及び原審の判断は歴史的事実よりも法的の有無の方が優先したことになるが、これは何とも空恐ろしいことである。

(一) ソ連が利益を得た事実があったか無かったかはともかく、賠償ではないと云うなら、それは一体何であるのかを問うているのに、ここに至っても尚国は回答を逃げている。“君たちは何のためだか判らないまま気の毒だが白樺のこやしになられた、犬死にです。'' と。これを聞いていまだ凍土に骨をさらす兵士が成仏するとでも思われるのか。

(二) 相手に利益を得られたことは認めるが、我方の盗み取られた損失は考えないのか、血と汗と涙を強いられた者への償いは誰がするのか、プラスの反面は必ずマイナスがあることを、この当たり前の道理を裁判官はご存知ないのであろうか。

(三) 賠償と思うも思わないもこれらは客観的考察によるものであり、問われている当人の主観に何の価値があろうか、相手の云い分にもたまには耳を傾けるがよい、近刊のロシア側図書に次がある。

(1) “…ソ連が日本人捕虜を自国に連行する主な目的は、彼らを労働力として使役することである。この労働力は戦争で破壊された経済の復興を目的として、戦争での働き手の不足を補うはずだった。また、日本人捕虜の労働によって、ソビェト政権時代に日本がソ連にもたらした損害をほんの少しでも賠償すべきだ、ということも自明のことだった。しかもソ連は、日本が戦後おかれていた深刻な状況を考慮して、日本に賠償支払い要求を出すのを断念したのである。…" B、カルポフ著 「スターリンの捕虜たち'」 P18 (甲第74号証)

(2) “そうだ、この問題は決まりだ、日本軍は国内戦のとき、ソ連極東でかなりの間支配した。いまその軍国主義的意図に終止符が打たれる。借りを返すときだ。さあ、返してやる。" スターリンは力強く書類にサインした。“これで一件落着だ…。" B、カルポフ著 「スターリンの捕虜たち」 P60  (甲第75号証)

(3) 日本は正々堂々胸を張って次の10ヶ条をクレムリン当局に要求すべきだ。

A. 関東軍は天皇の詔勅と政府の声明に従い自発的に武器をおいた。ロシア国会はこの関東軍を捕虜にした事実を非難する決議を採択し、日本に公開謝罪する。

B. 暴力的にソ連国内に拉致されたすべての日本軍の兵、士官、将官および無辜の市民は強制抑留者であること、そこからあらゆる間題が生れたことを認める。

C. ソ連経済復興における日本人の勤労貢献に関する公式データを公表し、元抑留者一人々々に賃金を全額支払い、遺族には五十倍の額を支払う。

D. タイシエット、ブラーツク間のバイカル・アムール鉄道は、これを日本幹線と改称する。 (以下略) V.A.アルハンゲリスキー著 「プリンス近衛殺人事件」 P296〜297

(甲第71号証)

(四) 相手のロシアが “役務賠償だ、気の毒だった" と云い出したのに我国政府と司法は “いや決してそうではありません、あれは貴軍の経営に協力するごとくお使い頂いたことでして、どうかお構いなく'' と否定する。さぞ相手はあっ気にとられ、やがて手を叩いて喜ぶことであろう。

控訴人らは重ねて主張する。被控訴人国は役務賠償ではないというなら「シベリア抑留」はいったい何であったのか、回答されたい。他に理由ありとすれば前項一の8と同じくスターリンの横暴を云う以外にないであろう。それなれば勃発以来半世紀の沈黙は何故か、我々はその回答により更に深部を直撃したい。

第三、国際法の二つの争点

首題に関しては控訴理由書に述べた趣旨に以下追記する。

一、49ジュネーブ条約第66条は既に遡及している。事実の証拠として新たに4書証を提出したが更に甲第76号証を追加する。昭和25年10月28日外交文書 「講和条約と引揚問題」 P7〜P8' “日本人捕虜の送還は、平和条約の成立以前において既に抑留国の責任である“ とし、ソ連が否認してもポツダム宣言及び49ジュネーブ条約に明らかとあり、対日理事会シーボルト米代表の発言を引用すれば足りると次を引いている。“ソ連としては29ジュネーブ、49ジュネーブ条約は過去の戦争には適用されないと主張するだろうが、ソ連が49ジユネーブ条約に署名した以前にも、また現在においても国際法に違反したと云いたい。その理由はソ連の参加の有無に拘わらず、これら諸条約は一般的な国際法を宣言したものであり、慣習という形で表現された世界各国の同意を表すものであるという事実である。"文中のソ連を被控訴人国と、シーボルトを控訴人と入れ代えれば、そのままが本訴争点の攻防である。これら新たな外交文書を見るに国は都合のよいときには49ジュネーブ条約を遡及させて利用し、裁判においては遡及を認めずとは矛盾撞着も甚しいと云うべきである。

二、49ジュネーブ条約第6条の審理欠落.

 被控訴人国及び裁判官はこの件に関してひとことの発言もしないのは如何なことか早急に回答されたい。

三、「シベリア抑留」も既に半世紀を経たが、この時間という客観性で眺めれば全体像がはっきり見えてくるのである。木だけではなく森の深さも判ってくるが、さて何が見えるかと云えば、その一つに第二次大戦で捕虜になったどの文明国の兵士も、労働賃金若しくはそれに代る補償を手にしているが、独り日本のシベリア捕虜だけは受取っていない。同じ日本国の南方捕虜も手にしているのに…・ が見えてくる。

その理由と経緯はいろいろで迷宮のように複雑だが、結果としてこの通りであってこれ以外ではない。反面我国の政治の場で、はては法廷で得た結果は “世界中がそうであろうと南方組に支払おうと、シベリア捕虜にだけは支払う必要はない” と。この大きな違いは社会正義の上からも人道的にも放置できない間題ではなかろうか。この両極端は一体何から生じたか、これは、“捕虜は勇者なり'' と称える国と、“生きて虜囚の辱を受けず" とべっ視する国の差ではあるまいか。それだからこそ口先ばかりでごまかし、内心は補償などとんでもないと これが本心なのであろう。捕虜を恥辱としたのは我国とソ連だけであったが戦後半世紀の今日 “捕虜に労賃など払う義務なし'' と云うのも我国のみとなった。

この問題の方程式は (捕虜労働)×ルール= 結果だが、この答が世界型と日本型に分れたのである。ルールは万国共通の国際法だから異なる答は同法の解釈の違いということになり、立法の精神に則れば世界型に、値切ってときには法匪的解釈を加えれば日本型になってしまう。この争点は国内法ではない。国際法と云うからには国際的な行われ方をよく見て、国際的な意見を聞き、世界のすう勢に合った裁きをして貰いたい。


 第四、ソ連の犯した非人道的不法行為の責任に基づく補償の請求

一、「シベリア抑留」がその質、その量、その凄惨さに於いて史上稀にみる人道法に反する国際犯罪であり、犠牲者が筆舌に尽し難い虐使に坤吟したことはこれ以上言を要しない処であろうが、その上労働賃金は払われず生きる最低条件である喰い扶持さえも支給されない場合があったとなれば、将に古代の奴隷にも劣る地獄を廿受したことになる。これはゼニカネの問題の域を越えた人間の基本権と生存権の侵害である。

二、従ってその直接の加害者であるソ連(ロシア)は日本兵捕虜に対する非人道的強制労働上の不法行為責任に基づくユス、コーゲンス上の損害補償義務を免れない。

 ハーグ陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約第三条は "前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ヘ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。" と定め、「非人道的取扱いを受けない権利」 として同条約の4,5,6,7条、29ジュネーブ条約第2,3,4、条、49ジュネーブ条約3,13、14条があり、捕虜はこれら国際人道法の受範者としての地位と権利を保障されている。わけてもその権利のうちの重要な人権的権利については、所属国を含め関係国間の合意でも放棄せしめ得ない、いわゆるユース、コーゲンス (強行規範) 上の権利として確立されていることは控訴人が縷々申し立てている処である。(49ジュネーブ条約第6,7条)

三、しかしながら1956年の「日ソ共同宣言」第6項によって、目本政府がソ連の重大な違反行為から生じた捕虜の個人請求権を放棄している以上、ユース、コーゲンス上の本国責任として、ソ連に代って国内「補償」の義務を負わなければならない。これは非人道的強制労働上の不法行為全般の責任における加害者への賠償権であって、未払労働賃金請求とは別の次元の権利であり、また空襲などによる一般戦争損害とは性質の異なる国際法上の権利である。

四、“権利あるところ訴権あり" また “損害あるところ救済あり" に従い国際法上の個人権利の侵害を受けた場合は、明示的に別方式が規定されない以上、損害賠償等の救済は国内裁判所で行うのが原則であり、国際法もそうしたシステムを前提として成立している。主張する法的根拠は国際人道法、国際慣習法及び憲法第98条である。

五、捕虜の戦争損害に関し国内裁判所で救済を求めるとき “国内法と国際法は相互に完全に独立して機能することはない」” (A・L・シュトラウス)のであって国際法の具体的内容がそのままの形で国内的に自動的に適用されることになるのであり、49ジュネーブ条約第1条の “締約国は、すべての場合において、この条約を尊重し、且つ、この条約の尊重を確保することを約束する。"のが基本となる。従って条約義務の国内的履行に関する国家の責任は自動執行的(セルフエクゼキュティング)であらねばならない。

六、国際法優位の立場であるなれば今までの国内法的思考を改め、少しは国際的視野に立ったそれなりの感覚が必要となろう。昨年イギリス政府が日本に強制労働を強いられた自国捕虜に対し、一人当り1万ポンド(約160万円)の一時金補償を発表したが、そのときの首相筋のコメントに曰く “元捕虜の要求を拒否することは、国家の政治的自殺行為となるだろう'' と。オランダも追従の模様でその他文明国はとうの昔に自国補償様式によつて済ませているが、アメリカに例をとれば1951年対日平和条約締結前において、対日戦から生じた自国民損害への補償として一定の基金を準備している。その際その金額が将来日本から支払われるべき賠償額に見合うかどうかは不明であったが、日本の賠償額が米国民損害を補償するに十分かどうかは問題ではないと国務省は考えていた。このことは米国が対日平和条約締結後、再度の賠償請求を日本に行う意志のないことを示したものと云えよう。 (広瀬善男著 「戦争損害に関する国際法上の個人請求権」 より)

以上の通り第二次世界大戦の交戦各国は非人道的行為の加害国日本からは殆ど賠償は取れず、自軍捕虜への補償は自国払いで実行しているのである。労賃なり補償金を受取っていないのは文明国中我国の、それもシベリア捕虜のみであるが、いつまで世界に逆って人権後進国の看板を降そうとしないのか、また更に “捕虜に補償の必要なし" の日本式天動説を固執するつもりであるのか。

七、控訴人らはさまざまな主張を申し述べたが、いづれの点からも被控訴人国の非は免れない処である。よって請求の趣旨に誠実に応じ責任を果されたい。謝罪(同情ではない)無き補償は侮辱であり、補償無き謝罪は偽善である。両方無きは何と呼ぶべきか、後世の史家が決するであろう。「シベリア抑留」による控訴人らの損害は金銭に代え難いが国の台所事情等を考慮し内金請求として一ヶ月当り10万円に充たない低額を以て了とする。

第五むすび

本訴がめざすものはゼニカネはともかく、その目的は悪名高い関東軍の名誉回複にある。我々老兵は祖国存亡の危難に際し、身を挺して地獄に赴き、国と国民の身代りとなって数兆円の賠償苦役に堪えた殉難の勇者としての自負を持つ。しかしながらそれを迎える祖国の遇し様は、いわれのないことに因縁をつけてゆすりを働く不逞の輩の如きあしらいである。同じ日本人でありながらこの乖離の源は何であるのか、これを正したいのが一念である。

我々は哀れにも愚直の兵であつた。敗戦下の満州にあって、“武器を捨ててソ連の軍門に降れ、命令に背く者は巌罰に処す“ との天皇陛下の勅命に従ったばっかりに心身ともに堪え難い屈辱を嘗めさせられた。これに背いて逸早く脱走し内地へ帰った利口者は何のお咎めもなくトクをした。祖国は愚直を切り捨て戦後50余年いまだに顧ることをしないのである。凡そ国を愛する心とは愛するに足る国であることが前提ではなかろうか、次代の若者が命を捨ててまで誰がこの非情の国を守ろうとするか、考えて貰いたい。

「シベリア抑留」という世紀の傷跡の痛みは国と兵ともどもに舐め合うべきである。条約施行上の適否や法文解釈を巡っての不毛の論争はようやく終わり、本件も道理をもつて一致点を見出そうとする段階にきているのではなかろうか。道理を立てるには痛みもあろうが道理を喪失する苦痛に比べればさしたることではあるまい。控訴人らは最後の主張(本稿第四)において解決の落し所を提供した、さすがはおかみ、花も実もあるお裁きよと、後々までに残る大団円を期待する。

    
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