第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その2> 裁判は真面目にやってくれ            2001.2.2

控訴理由書               2001.2.2

第1、現地検証の懈怠

 原判決は「シベリア抑留」の実情を判断する誠実な努力と能力を欠き到底公正な判断とは認められないので全面破棄を求める。

 “原告らが酷寒の収容所において劣悪な環境の中、日々過酷な労働を強いられ、肉体的にも、精神的にも、筆舌に尽くし難い辛苦を味わったことは証拠からも明らかなところであって、当裁判所としても誠に痛苦にたえない。” と口先では云うが本当に心からそう考えているようには思えない。これは体験した者なら直ちに感ずる実感で、我々が求めているものはこのような美辞麗句ではなく判示の云う痛苦の念に相応しい実のある救済である。

 一般に「シベリア抑留」はその数60万余、犠牲となった者6万2千といわれているが、その後のロシア側報道によれば死者は実に11万3千とも伝えている。砲火が収まった戦後において、元気盛り、働き盛りの壮丁が5人に1人は死んだのである。またそれ以外の者は健康でピンピンしていたかというと、そうではない。生き延びた者も同じように三途の川を行きつ戻りつ、誰が落ちても不思議ではない死線をさまよっていたのである。軍団60余万があわや全滅寸前の危機に立ち、5年10年と長期に渉る屈辱の受難はその規模において、辛苦の度合いにおいて我が国はじまって以来類を見ない事件であって、その酷さや凄さは口や筆では表すすべのないものである。

 控訴人らは訴えを起すにあたり、この実態を関係者に知って貰わないことには正しい判断は望めないであろうと、厳冬期における現地検証を申し出たのである。「シベリア抑留」の理解は何も寒さだけのことではなく、飢えも、ノルマ労働も、牛馬に劣るラーゲリ環境も、また果てのない傷心望郷の思いも知ってほしいことは山ほどあるが、当時と変わらない寒さの実感だけでも肌で体得して頂きたい、呼吸も苦しくなる零下50度の、気を抜けば手足の指さえ奪い去るマローズの怖さを、しっかりと体で知ってほしいと願ったからである。

 凡そ裁判とは、ましてや未曾有の歴史を裁く審理の第一歩として現地の検証は欠かせない作業ではなかろうか。それをすら怠った原審は誠実と慎重を欠き、更に審理においても事実認否を尽くさず、このような浅薄な判断基礎に基づく判示は随所に誤りを生じ、判決は到底破棄を免れないものというべきである。

一、判決第1の一の1

1、判示には労役賠償として原告らを旧ソ連に引き渡した歴史的事実を国はどのように考え、それは何のためであったのかと言う一番肝心な視点が判断から欠落しているのである。即ち近衛交渉案冒頭の “国体の護持は絶対にして一歩も譲らざること” である。国体護持とは天皇助命と同義であり、降伏や停戦に際して何はさておき唯一至上の条件として文字通り絶対で、以後総ての現象はこの国体護持を核として動いたのである。労働賠償としてソ連に引き渡されたのは実に国体護持のためであり、この事実に対する公正な評価と判断を欠いた判決は魂が抜けた形骸である。

2、敗戦前夜の我国中枢がソ連とスターリンを恐れること甚だしく、特に貴族、特権、富裕の畏怖は底なしで、当時君主制、ブルジョアジーを否定する赤い政権は最も唾棄すべき仮想敵国であった。既にムッソリーニやヒトラーの末路が伝えられ、ロマノフ王家を一人残さず惨殺した彼らのことを思えば鳥肌がたち、ましてやシベリア出兵等の我が方の悪業、左翼弾圧の報復などを数え上げれば生きた心地がしなかったのである。特に天皇を第一号の戦犯なりと迫るであろうスターリンには七重の膝を八重に折り、土下座をしてでも宥恕を乞わねばならない。天皇にもしものことがあっては万事は終わりで、帷幕の文武百官のどの辺りまでハラを切らねばならないか。背に腹は代えられないと最も手近にあった関東軍の60万を労務賠償に差し出すことを考えたのが近衛交渉案であり、国の最高意思として天皇の裁可を得たものである。

3、「シベリア抑留」の発端は実にここにあり、和平交渉案に明示された条件(一)の(イ)の国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること、及び(四)ノ(イ)の賠償として一部の兵力を提供することには同意す、の二項を銘記するならば後はすらすらと何の矛盾もなく「シベリア抑留」の本質は理解できる筈である。

4、関東軍を国体護持の人身御供に提供する案は、それが効くか効かないかは別として妥当な策であり、当時の国民もやむを得ずと納得したことであろう。無為無策で自滅することを思えば近衛提案は一つの見識であり是認されて然るべきであろう。また犠牲となった将兵もお国のため君のためとあれば、大半は納得し自らの悲運を嘆きつつも歯を食いしばって耐えたものと思われる。(その功績が国を挙げての顕彰を受けることを当然として)

5、ソ連を仲介の和平工作は未遂に終わり、あべこべに戦争を仕掛けられて降伏となったが、国体護持の必要が消滅したかと言えば大局はその逆で、スターリン対策の必要はますます加重し、何ものにも代えられない緊急最大の課題となったのは時勢の流れというべきである。和平工作以来一貫して進められた労務提供案は遂に“極力貴軍の経営に協力する如くお使い願いたいと思います。”と全権大使を兼ねた関東軍総司令官が熨斗をつけて恭しく献上したのが「シベリア抑留」である。

6、「シベリア抑留」の犠牲は流石のスターリンをも納得させ、天皇訴追の矛先はそれ以上伸びることなくおさまった。強欲ながら優れた現実主義者でもあったスターリンのほぼ取り分限界を充たしたこと、東西冷戦という戦後均衡からの僥倖などにも助けられ、曲がりなりにも我が国の国体は護持され高官連の保身はめでたく完うされたのである。これらの視点は原告第5、第6準備書面で詳しく述べたところであるが、原判示はこの発端の核心に触れることなくその理解は甚だ不充分であり、判断は誤りで以下それらを指摘する。

  7−1、近衛特使の派遣は実現されず、交渉案が提示されないままに終わっている  とし、恰もその内容がスターリンに知られていないように判示しているが果たしてそう  であるか、これらは前述の通り天皇助命のためにはスターリンの耳に入れる必要が  あり、そのための引き出物の条件は相手に伝えなければ意味がないのである。労力  提供を計画したが結果としてスターリンに知られていないのだから犯意はあれども未  遂である、スターリンは何も知らないはずだと言いたいのだろうが、彼はそれほど甘  い男ではない。モスクワにおける佐藤尚武、ロゾフスキー交渉の経緯を知れば内容  が漏れていない保証は何一つないのである。しかし問題はスターリンが知ったか知  らないかではない。本事案の争点は近衛特使の派遣自体が結局実現されないまま  に終わり、その交渉案の実害があったかなかったかと言うことではなく、交渉案こそ  我国の最高意思であり、国体護持のための賠償として兵士の労働力を提供する意  図を持っていたか否かの判断なのである。原審はその判断義務を逃避している。

  7−2、「シベリア抑留」の段階でもこの交渉案と同様の考えを有していたものと確認  することはできないというが、果たしてそうか。考えを有していなかったと言いたいの  であれば至上命令である国体護持を願うためには他にどのような案があり、どのよう  にすすめられたかの事実があるなら被控訴人国の代理人は当審で証拠を提示され  たい。前述したとおり兵士の労務提供の必要は消え去るのみか更に加重され、これ  に代わる策が進められた記録はどこにもない。

  7−3、実視報告書及びワシレフスキー報告書の記載は元の職場への復帰等によ   る協力を述べたにすぎず・・・・「シベリア抑留」強制労働を容認したとか容認する意  図を有していたものと推認することはできない。と判示するが、これは誠に現実離れ  の致命的な誤審であるから当然破棄されるべきである。

 これら文書がソ連側に提出されたのは昭和20年8月26日また29日であるが、その要旨は原告第5準備書面で述べている通り東京から飛来した朝枝繁春参謀が8月21日から23日に渉ってザバイカル軍管区フェデンコ政治部中将に逐一伝達した大本営指令であり、 “よく判ったが上申するため、書いたもので出すように” との命令を受け、関東軍総司令部として提出されたものが主であるが、その時には同文書の内容は既に電信でスターリンの耳に届いていたのである。 “日本軍隊は家庭に復帰し、平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし。” とのポツダム宣言9項のことは何一つ要求せず、あべこべに “貴軍の経営に協カする如くお使い願い度い” と頼み、国際法に基づく捕虜協定すら結ぼうとしなかった。

 我が方はシベリア連行に逆う気はなく、それどころか抑留を追従していたのである。これと同じ時期の8月22日、北海道北半分の領有を巡ってアメリカ トルーマン大統領と激しい論争を応酬して、軍事占領の強行をやむなく断念させられたスターリンが、そのはらいせとして間髪入れず翌8月23日には致命的とも云うべき “極東シベリアの環境下での労働に肉体的に適した日本軍捕虜を50万人選別すること"等、日本軍捕虜移送に関する「スターリンの極秘指令」が発せられたのである。

 万事は窮したが、その断を下すときのスターリンにとり、これら一貫した我国の提案がどれほどこころよいプレゼントとなったであろうか、思うだに胆の煮える思いである。その時後日のトラブルを封じるため書いたものをと一札まんまと取られたのが関東軍文書である。総司令官がわざわざ敵の元帥に“極力貴軍の経営に協カする如くお使い願い度いと思います" と、古今東西のどの戦史に照しても例を見ない、捕虜引渡し証の提出となったのである。

 裁判官よ、これ以上の証拠がどうして必要であるのか老兵に判り易く説明して貰いたい。

  7−4 判示に見られる事実認識の貧困は甚だ迷惑千万であり、これで裁判をやら   れたのでは堪まったものではない。元の職場への復帰と簡単にいうが戦に負けて命  の保障も危うい職場へ呑気にのこのこ帰れるとでも思っておられるのか。満鮮とはど  この国の 誰の領土であるのか、内地帰還までの間とは一体何年何十年の期間を指  しておられるのか (シベリア抑留も帰還までの問である) 在満邦人らがどれだけ悲   惨な目に遭遇したかご存知ないのであろうか。そもそも相手のソ連軍とは、関東軍の  ような国土鎮護の軍ではなく異国の野戦軍であり、作戦により常に移動して満鮮には  定着せず、従ってその捕虜はドイツ兵の運命と同じくソ連領土に拉致される可能性   が極めて高いのである。このような状況を充分に審理もせず、あわよくばの大陸残置  策の如き大本営の妄想を認める幼稚性は原審を裁く資質に欠けるものであり、その  判示はナンセンスと云うべきである。

  歴史は判示が認めた通り一切のこじつけや妄想を無視して流れるべくして流れ、満  鮮や元の職場ではなく、「シベリア抑留」へと落ち着くのであるが原判示は それら   は国の愚昧の故であって「シベリア抑留」を容認したとか、その意図を有していたも  のと推認することはできないと云う。

  7−5 その判示は次に指摘するように誤リである。「関東軍文書」をよく読んで頂き  たい。“満州で暮したい者は満州に止って貴軍の経営に協力せしめ…・” この願望  には歴史が全く別の解答を示したことは前述の通りであるが、問題は次の “其他   は逐次内地に帰還せしめられ度いと存じます。右帰還迄の問におきましては極力   貴軍の経営に協力する如く御使い願い度いと思います。“ である。即ち控訴人ら   は将にこの文書に書かれている通り内地帰還迄の3年及至5年の間、貴軍の経営   に協力する如く、こってりと強制労働に使用されたのである。文書には満鮮での使   役は結構ですがシベリアはご免蒙りますとはどこにも書かれていないのであり、ソ連  は我方の依頼に忠実に応じたにすぎない。

「関東軍文書」の実相は満鮮、シベリア等地域は問わず、ソ連に対して役務賠償の兵を差し出すこと、これが目的の文書であり、この事実の有無をこそ原審は判断しなければならないのである。判示は満鮮、シベリアと使役の地域ばかりに目をとられ、主語である帰還迄の役務賠償申し出の事実有無の審理を見逃すという誤謬を冒している。だからこそ満鮮の場合の役務提供は是とされるもシベリアを容認したものではないとの論理矛盾を生じているのである。

「関東軍文書」によるソ連工作は極秘の内に進められ、後々の手掛りになるものはすべて消滅され、指紋まで拭き取られる程の入念さを以て行われたものであろう。世に出る筈のないこの秘事がはからずもソ連の側から暴露されようとは、将に天意である。或は非業に仆れた6万2千の声なき声と云うべきか。この書かれた証拠の意義の深さに関係者は深く思いをいたされ、慎重なる審理を要望すると共に、文書を巡る問題は本事案の最も重要な争点として位置づけされるべきである。控訴人の多くは無学でその主張は至らぬ点多々あろうが、どうか納得がゆかれるまで問い正して真実の理解に達して頂きたい。

 7−6 このように甚大な影響を与えた一連の「関東軍文書」並びに “満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス" と云い放った「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」 はどの権力がどの法律で作成してソ連に提出したものか、被控訴人国の代理人はその法的根拠を明らかにされるよう要求する。

 7−7 1993年7月5日、モスクワのロシア国防省公文書館において一連の「関東軍文書」が公開され全国の報道機関はニュースとして大々的に報じたが、いづれも “関東軍がソ連軍に日本将兵の使役申し出” ”兵士までもいけにえに“等であり、原判示が云う “シベリア抑留、強制労働を容認したとか、容認する意図を有していたものと推認することはできない” とは誰一人云わず、また売り渡した国を庇う発言はどこにもない。このような文書は民族として末代までの恥であり、裁判官の判断は世間の心情と著しく乖離したものであり、善悪の平衡感覚が少々おかしいのではあるまいか。参考にこれらの各杜新聞記事を 甲第64号証 として提出する。

 7−8 「関東軍文書」は敵将の憐憫を乞う「哀願書」若しくは「労務提供陳情書」であり、最も始末の悪い「白紙委任状」でもある。この一札を差入れたがために以後どれだけの同胞が苦しみ国は国益を損ったであろうか。捕虜は無条件に酷使されそんな筈ではなかったとの送還要求の口を封じ、人質として外交交渉の具にされ、共同宣言では終始ひと言の文句も云えず、その弊は今に至って平和条約の弱腰として残っている。

 7−9 同じ書くのであれば国際法に準拠した捕虜送還の時期、へーグ条約の全面適用、更には「1929年俘虜ノ待遇ニ関スル、ジュネーブ条約」の適用についてしっかり取り決めをし、後々に備えた文書を書くべきであった。さもなければ書く必要のない百害あって一利もない中途半端なものを出したばっかりに最悪の道となった責任は重大である。

当時関東軍司令部には法務部があり、小幡通徳法務少将を部長として以下11名の法務将校が配属されていたにも拘らず、伺らなす術なく終っている。司令部内の空気は朝枝参謀がもたらした大本営の方針一色に支配され、即ち降伏恭順の承詔必謹であり、国体護持のための労役提供と、あわよくばの 「大陸命第1374号」8項(2)の大陸残置策であった。

 7−10 国が労役賠償としてソ連に引渡したか否かの判断は本事案の焦点であり、特にいま論じている時期の動向は極めて重大で、それがため控訴人らは立証趣旨を次の通り明らかにし、平成12年8月18日 当時その衝にあられた生き証人三名の尋問を申し立てたのである。特に朝枝繁春氏は当時大本営参謀部第五課の対ソ作戦主任参謀の要職にあられ、降伏時は大本営軍使として新京に飛来し、承詔必謹を旨とする恭順を日ソ両陣営に奨要斡旋されている。その基本線は近衛交渉案以来の一貫した国体護持と労役賠償提供で、この人の証言を得ることは「シベリア抑留」の根源を知る重要なものであったに拘らず、原審法廷は採用を怠った。因みに朝枝氏はその後10月に物故され、貴重な証言は永遠に閉ざされたが、これひとえに裁判官の審理不尽職務怠慢によるものである。判示は“そして他に我が国が、原告らを労役賠償として旧ソ連に引き渡したことを認めるに足る証拠はないから、この点に関する原告らの主張は採用できない。" というが、これらはひとえに立証活動を許さない訴訟指揮の責任である。

 7−11 原審進行の中で控訴人らは被控訴人国に対し多くの事実認否を問うたに拘らず返答はなく、裁判官も殆ど釈明を求めずこの審理を怠った。判示は随所で推認を繰返すが、我々の求めたものは中途半端な推認ではなく、あくまで事実の審理を尽した判断である。

よって原審は審理不尽のため破棄されるべきである。

二、判決第一の一の2 (25ページより)

1、関東軍60余万の将兵がシベリアヘ向けて連行されるとき、軍は

* それは不法なりと大手をひろげ身を挺して阻止をしたであろうか。

* 指をくわえて何事もせず見過ごしたか。

どちらであったかと問われれば我国の態度は明らかに後者であったことは否めない事実である。そうではないなら例証されたい。

2、次にそれを何とか早く引き戻そうとの現状回復の努力だが、これはハード面とソフトの両面で観察すればよく見えてくる。判決26ぺージの公知の事実によれば国は占領下のままならぬ中にあって、充分ではないにせよよくやっているではないかとして違法は認められないと云うが果たしてそうか。交渉は単なるゼスチャーではなかったか、外面をそのように見せかけても “極カ貴軍の経営に協力する如くお使い願いたい…・“ の証文をちらつかされては、本腰入れて帰せ帰せと云えるものではあるまい。また巷間伝わる「七年密約説」などの背景があるとすれば、心の底から本気の抗議ができるものであろうか。天皇の訴追を怖れながら、当面の食糧危機を憂いつつ、日々ソ連の賠償がなし崩しにへってゆく有難さ、これらの複雑な心境は判示のような簡単なものではない。

3、ソフトの面においては原告第五準備書面で述べている通り、.国は何一つしていないのである。捕虜郵便は民間努力であり、金品の送付、激励、慰謝のメッセージ、調査団、医師、僧侶の派遣など日露戦役時には行われ、またどこの国でも挙国的に行う救恤を我々が受けた記憶は一切ない。それのみか我国は国際赤十字からの慰問品分配をも捕虜を認めずの理由の下に拒否している。

これらは充分とか不充分とかではなく何もしていないのである。また一例をあげれば、引揚業務の国の責任について “日本国政府は、連合国軍の指示に基づいて引揚作業を実際上行なったにすぎず、まして連合国のソ連の行為により抑留されたのであってかかる事情にあったのであるから、我国が日本将兵を我国に帰還させる法的義務を有しないことは明らかである。“ と。これにみられるとおりダモイさせる法的義務もないという 将に血も涙もない棄民扱いだけはたっぷりと受けているのである。

被控訴人国の代理人に伺いたい。国が一つでも捕虜のためにしてくれたことがあるのなら示して貰いたい。その上でこれらの扱いが放置したことになるのか、放置していないことであるのか伺いたい。

4、全抑留申の食費、生活費 (以下給養費と云う) を国は現在に至るまで支払っていない。原告らは自らの稼ぎの中から辛うじて喰い繋いて生き延びた。国は同じ軍人の南方捕虜に対しては給養費を支払いながらシベリアには支払わないのである。国の権力でかき集めた兵士に対し、糧道までも絶つと云う棄民に等しい行為が放置ではないと云う説明をして貰いたい。

5、後述するが国際人道法が定めた捕虜の労働対価もしくはその代価を南方捕虜には払いシベリア捕虜には現在に至るも払わないが、こうなると放置とはどういう意味の言葉であるのか、裁判官は定義する必要がある。

6、前述のとおり国は最も大事なときに最も必要な捕虜協定を結ぼうとしなかった。結ぼうとして談判が決裂したのでもなく、相手にされなかったのでもなく、一切その気はなかったのである。そして抑留中も、それ以後も捕虜の待遇、条件について法的に申し入れたことはないが、これは最大の放置である。

7、いまだ朔北に眠る6万2千をそのままにしているのも放置である。

8、凡そ国史の編纂事業は時の政権の栄誉ある義務とされているが 「シベリア抑留」の歴史は放置されたまま と云うよりも、隠蔽の意図が感じられる。捕虜の側には菊池寛賞受賞等の労作があるというのに、この無関心さは他国に比べ恥ずかしい放置である。

9、高校教科書にも「シベリア抑留」の記載はないが、次代に教え伝えようともしないのは言語道断、放置の極みである。

三、判決第一の一の3 (27ぺージ)

 判示は原告らの主張1,2、にかかる請求はその前提を欠くものとして理由がないと云うが、前項の如く前提は充分であり、原判示は誤りであるので破棄は免れない。

四、判決第一の一の4 (27ぺージ)

 判示を要約すれば 「シベリア抑留」も戦争損害の一種であり、憲法各条項の予想しないところであって国に違法はない。これらは国民の等しく受忍すべきことであるので原告らの請求は認められない。と云うことであろう。この判示は一億総繊悔式の著しく情緒的抽象的な独断で、真摯な分析と検討を欠くものであり、凡そ法律家らしからぬ解釈として当然破棄を免れない。

 「シべリア抑留」は「一般戦争損害」ではなく「特別戦後損害」である。以下それらの根拠を申し述べる。

1−1 控訴人らは軍人として法的に国との間に一般国民とは巽なった身分関係にあったこと。

1−2 控訴人らは国際法上捕虜としての地位と権利を有し、明らかに一般国民や「一般戦争損害」とは異なる「特別な損害」を受けていること。

1−3 事件は昭和20年9月2日 “ソ連軍に降伏すべし、服従せずば厳罰を以て之に臨むべし“ の一般命令第一号 (陸海軍) によりはじまり、また天皇の詔書で同様に命ぜられて受難したもので、これは明らかに戦前戦中ではなく戦後の公務による特別な損害である。

1−4 砲火はおさまり、国民が不自由ながらも日本国土の上で平和復興をめざした時期を、長期間に渉り異境において奴隷的苦役に呻吟したもので明らかに異質な特別損害である。

1−5 その悲惨、苛酷は他に類を見ない予見不可能な特別の損害である。

1−6 その苦役はソ連への役務賠償の任務を果たさせられた特別な損害である。

1−7 その賠償は国民全員が担うべき債務の肩代りであった。

1−8 その労役が国是たる国体護持のための対価としてソ連に提供されたものであり、控訴人らはその犠牲であったこと。

1−9 ソ連地区以外の捕虜は労働賃金や給養費が支払われながら控訴人らは一銭の支給も受けない不運な集団として今日まで放置されていること。

1−10 銃をとる手に工具をふるい帝国陸軍棹尾のご奉公を長期間に渉って果した悲 劇の軍団であること。

以上「シベリア抑留」の損害はその発生の時期、その内容実態に於いて「一般戦争損害」とは確然と区分されるべきであり、これを見境なく同列に論じた判示は失当である。血糖値が高い人が通院の途次、不運にも車にはねられて死亡したとき、診断書の死因に糖尿病と書く医師があるだろうか、仮に社会的な因果関係が認められたにしてもこれは交通事故死である。シベリアで仆れた兵士は戦死ではない。

2、捕虜の蒙った損害について世界の各国はどうか。抑留国、所属国に拘らず文明国は悉く補償措置を講じておリ、我国においても南方捕虜には行なっておることは国も認める処である。なに故あってシベリア捕虜のみが放置されねばならないのか、原判示は法律的にも道義的にも根本から間違っている。

3、補償の要否及び在り方は立法府の裁量的判断に委ねられるものと解するが相当とし、裁判所の仕事ではないと云う。控訴人らは国の恩恵に縋ってカネをねだっているのではない。従っていくらと云う裁量的な陳情は必要なく、関東軍兵士としての名誉回復と国の処遇が正しいか正しくないかを明らかにしたいのが請求の趣旨であり、兵士及びその遺族大多数の願いである。それであるから立法府などには用はなく、憲法第32条に基づいて裁判所の門を叩いているのである。

シベリア捕虜は抑留中の労苦を正当な評価に代えたいと長い期間に渉って立法府に訴えたが、頑なな政府の理解を得ることが出来ず運動は頓挫した。我々は求める門口を間違えていたらしい、国政全般にわたる総合的政策判断を業とする立法府には求めるものを扱っていなかったのである。そのため控訴人らはこの願いを司法の良識に託して法廷にまかり出たのであり、繰り返すが求めるものは恩恵ではなく、正しいか正しくないかの秋霜烈日の裁きなのである。立法府は ○かXかの間に△があり、トクかソンかで動くらしいが司法はその反対で、前者が裁量的なら後者は純粋に裁質的、真実追究、人権尊重、不正義状態の回復を目的とする司法はまた三権分立の独自の権威を堅持するが故に信頼され、控訴人らは最期の救済の場として期待を持って参上している。それであるのにこれは立法府の仕事であって当方ではないなどの判示は、司法権独立からの逃避であり深い幻滅を覚えるのである。正義の番人よ、しっかりして頂きたい。司法は行政、立法のなに者でもなく司法であり、時間軸、国際軸にあまねく通用する森厳たる裁きを 胸を張って行使して頂きたい。

4、日本の捕虜政策について

このことを思うとき、いつも奇異の感に堪えないのは人の心の移り変りである。明治の末から僅か40年、この短い間の捕虜に対する政策と考え方はこれが同じ国、同じ民族のものとはとても思えないひどい変化である。日露戦争(1905年)における日本帝国の捕虜の取扱いは世界に冠たるもので、広く各界の賞讃を博し、ロシア兵はマツヤマ、マツヤマと連呼して投降したと云う。松山収容所その他の厚遇は敵軍にも広く伝わり、その武士道的扱いは各国の模範となった。公正、寛容は捕虜の待遇のみならず国際法規の遵守、生成、発展への貢献は一点の非の打ち所もなく、東洋の辺遇にありながら世界の範とされたものである。

しかるに昭和に入るや日本軍国主義はこれらを否定し、国際法に全く逆行する非道な政策へと大転換をしたのである。1929年のジュネーブ条約には調印したものの批准せず、続いて 「生きて虜因の辱しめを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」の戦陣訓が下達されたのは1941年のことであった。この非人道的捕虜べっ視と国際人道法無視の蛮性は大量の捕虜虐待を生み、ノモンハン等では自軍の兵士に膨大な犠牲を出し、戦後は多くのBC級戦犯を刑死せしめたことはここに述べるまでもない事実で「シベリア抑留」の惨劇もこの政策転換の延長線上にある。

 日露戦争当時のロシアに抑留された日本兵捕虜に対する国の処遇はどのようであったか、充分なる援護物資を送り、俸給を送金して手厚く慰問し、糧食が口に合わずまた不充分と知るや直ちに第三国を通じてロシア政府に改善を申し入れ、当時労役は課せられなかったから労賃の支給はないが、食費や生活費等はいずれも母国が決済した。帰国後も何ら差別されることなく叙勲、進級を受け、中には将官に任ぜられた者もいたという。原告らシペリア抑留の兵士と比べ、実に天と地の開きがあるではないか、同じ日本国の同じ世紀の同じ明治憲法の下で、どうしてこれだけの落差が生じたのであろうか。

 裁判官に承まわりたい、これは憲法がどうのこうのという問題ではなく,それを扱う人間の主観 もしくは恣意によってどうにでもなるものであったのか、そうであるなら判示にいう憲法17,18,29条3項がどうのこうのは全く意味を失うことになる。また憲法は立法府の裁量的判断の後塵を拝するものであり続けるのか。そうではあるまい、憲法の諸条項はその理念の通り何ものにも優先して判断されるべきものと信ずる。裁判官はまた憲法第99条に示された通り、この憲法を尊重し擁護する義務を負って貰わねば困るのである。

5、憲法に基づく国家補償請求権

控訴人らは被控訴人国に対し、控訴人らの被った各損害は、いずれも被控訴人の戦争開始、遂行、処理行為に起因するもので、しかも特別な犠牲であるから、その行為の違法性乃至不法を論ずるまでもなく、わが国憲法の規定する国家補償として、それらの回復を求めているのである。憲法は絵に描いた餅ではあるまい、国家補償の観念はたんに講学上の観念であるにとどまらず、実定法上の観念であり、また国家補償はたんに立法政策上のものではなく、わが国憲法の基本原理から導かれるものである。判決に云う憲法17,18,29条3項はいずれも国家補償に関する明示的な条項であり、国のもたらした直接もしくは間接の損害について財産上の損失に限らず、それが特別の犠牲であればこれを補償すべきことを規定しており、国民の側からすれば被害の救済を請求しうる権利を規定しているのである。従って特別に否定的判断に立たない限り国家補償請求権は、特定の制定法の請求要件をまつて発生するものではなく、憲法の右各規定を根拠として、請求権を行使するのに何の障りもない筈である。

6、新憲法の適用

判示がいう憲法諸条項は、1946年11月3日に公示され、翌1947年5月3日に施行されたものであるが、そのときは奇しくも「シベリア抑留」のさなかであった。控訴人らの抑留及び強制労働が始まったのは、この憲法制定前であるが、抑留及び強制労働は制定後も継続したのであり、開始のときに憲法が制定されていなかったことを以て同条項の適用を否定することはできないものと解するべきである。

憲法第18条を例に述べれば、控訴人らはいかなる奴隷的拘束も受けてはならない憲法下に、これ以下はないという牛馬にも劣る奴隷体験を強いられたのである。制定前に生じたことであり、君たちの損害はいずれも戦争損害で憲法各条項の予想しないところというが、それらは右の解釈により誤リである。ナチズムの被害は私の子供のときの出来事であって、すべてはヒトラーがやったことだから、私に責任はない とドイツは言わなかった。政権や政体が変ろうとも責任は回避できるものではなく、特に人道的損害に関してはそのとおりだと聞いている。

7、憲法29条3項について

(1)被控訴人は被告第2準備書面第二の四において、“憲法29条3項は私有財産を財産権として、補償しようとする規定であって、身体の自由を補償する規定ではない。” というが失ったものは自由だけではない。控訴人らの手にすべき「シベリヤ抑留」の労働賃金は、血のにじむ私有財産である。

(2)控訴人らの主張は以下に代弁される。

たとえばシベリア抑留の日本兵捕虜について、ソ連政府による労働使役から生じた「労賃」の不払いについては、国際慣習法と条約 (49ジュネーブ人道法捕虜条約66条) によって日本政府に連帯支払い債務がある (ソ連政府には労賃残高証明の交付義務がある) が、それとは別に、ソ連(ロシア)には一般的に日本兵捕虜に対する非人道的強制労働上の不法行為に基づくユス・コーゲンス上の損害賠償責任がある。しかし1956年の「日ソ共同宣言6項」によって、日本政府が日本兵捕虜の右のソ連の重大な違法行為から生じた個人請求権を放棄せしめている以上、ユス・コーゲンス上の本国責任として代って国内「補償」の義務を負わなければならない。これと空襲損害などの一般損害とは性質の異なる国際法上の義務である。…・広瀬善男著 (明治学院論叢、「法学」研究69号P241)

(3)労働賃金や個人請求権を国会の場において、あるときには放棄したといい、またあるときには放棄していないという二重基準について、原告第6準備書面第一の8において釈明を求めたにも拘らず原審では不問に付したが、これば重大な理不尽を免れない。

 8、判示は最高裁判決の判例に追従し、補償の要否及び在り方は事柄の性質上立法府 の裁量的判断に委ねられるが相当というが、本事案請求の趣旨の一は謝罪公告の掲載 であり、金員の請求は二である。カネのことは二の次であって、重点はあくまで謝罪請求 であり、本事案の呼称が損害賠償等請求事件とされているが、正しくは謝罪公告等請求 事件でなければならない。

ことほど左様に控訴人らは被控訴人国の違法を糾明し、謝罪を求めるのが第一義である。その上で栄光地に墜ちた関東軍が、実は祖国を救い国民の負債を肩代リした偉大な最後の軍団であった事実を内外に知らしめ、名誉を回復したいのが一念である。それがためには敗戦時の国の対応が正しいものであったか 否かを解明せねばならず、これは立法府ではできないことで、主権者である国民の意志を正しく配慮した司法の厳正なる裁きにより、はじめて可能なことである。従って補償の要否はその結果であり、まずは国の対応が正しいか正しくないかであるに拘らず、判示は終始ピントが外れている。

 判示第一の一の5 (30ぺージ) によれば、法律にないから謝罪は請求できないと云うが、これは余りにも血の通わぬ杓子定規の言いではなかろうか、権力的作用についての謝罪は法令上の定めがないという これも国家無答責の一種であるのか。人様に迷惑をかければ素直に謝るのが人の道である。

 また “そもそも原告らが主張する労役賠償等の事実が認められないことは既にみたとおりとあるが、これは聞き捨てにできないことであるので以下論駁する。

9−1 判示は随所にその事実は認められないというが、労役賠償でないのなら「シベリア抑留」とは一体何であったのか教えて貰いたい。ボランティアか勤労奉仕か。一貫して明言を避ける国が珍らしく表明したそれらしいものに、1980年10月9日の鈴木善幸答弁書がある。当時の総理大臣として「衆議院議員和田耕作君提出ソ連強制抑留者の補償に関する質問」に答えたものであるが、その中で “ソ連抑留者の強制労働によりソ連が利益を得たという事実があったとしても、法的にこれが賠償の一形態であるとは考えておらず…・” として事実はそうだろうが、法的にはと、首の皮一枚を残して賠償とは云わないのである。“なるほど人は死んでいる。しかしこれはポア(魂の救済)であって、宗教的には殺人ではない。" とのたまうどこかの教祖の台詞と似て、おのれが考えていないと云うだけの全く客観性を欠く自分勝手な言い訳である。なるほど国は捕虜や賠償についてソ連と条約を結んだことも合意をしたこともない。前述の通り結ばなければならない条約を怠り、以後は結ばれていないを奇貨として放置し、結ぼうとも合意しようともしないだけのことである。

9−2 役務賠償と思いたくないなら、せめて半分の事実である「スターリンの暴行」をいえばよいのである。それならば声を大にして当初からソ連に噛みつくべきで、その上損害補償を厳重に主張すればよい。政府が「シベリア抑留」について一度たりともソ連に面と向って文句を云ってくれたことがあったか、一度もない。一切泣き寝入りの外ないのは、“貴軍の経営に協カする如くお使い願いたく" があるからで、言いたくても言えないのである。

9−3 政府が言わないなら市民サイドで抑留の非を咎めてみればよい、即座にその倍のボリュームで 「シベリア出兵非難」 のお返しが来て、賠償はそれでおあいこではないのかと極めつけられるが落ちである。

9−4 「シベリア抑留」の関係国は日本とソ連(ロシア)の二国であって他には無い。その唯一の相手が、あれは我が国への労務賠償であって日ソ共同宣言で解決済といい、国土再建に尽くしたヤポンスキー捕虜の労働を高く評価し、感謝しているのである。それであるのに日本の宰相が、“いや、あれは決して貴国への労務賠償ではありません、貴国の経営に協力するために使用して頂いただけのことでして…・” といい、それを司法も認めているのであるから、さぞ彼らは手を叩いて喜んでいることだろう。

 このことは今も朔北の荒野に眠る6万2千の魂に “君たちは何のためでもなくソ連にこき使われ白樺のこやしになられた。気の毒だが犬死です" と云うのとさして違いはない。貴官には万哭の涙を呑んで仆れた兵士たちの鬼哭啾啾の声が聞こえないのであろうか、どうして事実を事実として認め、"貴方は天皇のため、また国民の肩代わりとなって尊い命を捧げられた、祖国再建の礎です。国民等しく感謝し顕彰致します。“ とひと言言って下さらないのか、原告らが糾明したいのは「シベリア抑留」に関連した個々の特定した人物や行為の違法ではなく、その複合体としての国家の作為不作為の違法である。未曽有の民族受難史「シベリア抑留」の事実を、法廷という公開の場で明らかにして歴史を正義で裁いて貰いたいのである。余命乏しい控訴人らは必死の覚悟であり、これを裁く裁判官もその気構えで審議なさるべきであろう。冒頭に述べたシベリアの冬の現地検証の意義は実にここにある。本事案の実情は軽々しく頭のみで判断されず全身で魂込めてやって貰わねば困るのである。世紀の清算は深い洞察と人道と正義をふまえて裁いて頂きたい。

第三 国際法への判示は不当である。

一、原告らの主張3について (31ぺージ)

国際人道法に基づき、控訴人らが主張した国の49ジュネーブ条約第6条違反に対して、原審はひと言の判断も示さず神聖なる職務の責任を回避しているので判決は破棄されねばならない。

1、控訴人らの訴えは

(1) 抑留中の労働賃金に相当する補償金を請求し

(2) 国はその理由なしとして応じないものである。

(3) 本事案は捕虜の身分と権利に関わる争いであるため、国際人道法並に国際慣習法に則って行われており

(4) その労働とは第二次世界大戦中の捕虜として 「シペリア抑留」 に於て発生したものであって

(5) “捕虜の労働賃金は支払われなければならない” の原則を巡っての判断にあること

(6) 世界の文明国と云われる国々はこれを守り、捕虜の抑留国、所属国の別なく義務を果し

    (7)我国も南方捕虜に対しては労働賃金等を支払ったが、しシベリア捕虜には       未だ支払っていないのであり、これらを基盤にして争っているのである。

2、以上の線上までは双方また司法も共通の認識を持ち、異論の余地は無いものと思われるが、考えの違いはこれから先であって、原判示は

(1) 原告らの主張3の1について (31ぺージ)

49ジュネーブ条約第66条自国民捕虜補償原則を巡り遡及効は認められないから適用はないと云う。その理由として同条約138条を引用したが、この判断は誤りである。

イ、日本の同条約加入は1953年4月21日で、効カの発生は同年11月21日である。

ロ、ソ連は1954年5月10日に批准書寄託、効カの発生は一応同年11月10日とする。

ハ、従ってそれ以前の、同条約の効カの無い時期に捕虜たる身分を終了した者は66条適用の権利は得られないと云う。

ニ、そうであろうか。138条の猶予期間が満ちて、どちらかの国が適用を受けだしたその時、同条約141条も自動的に作動し、忽ち戦争開始の発端にまで遡って、当時の捕虜の権利は勿論、66条もまたその効力を生じたのであり、.遡及するかしないかではなく、現実は既に遡及しているのである。

また同条約134条135条も同時に連動し、29ジュネーブ条約、07へーグ条約とも代替、補完され、相互乗入れ効果を充たしたことによって時間的切断のない国際人道法が形成されているのであり、この理解こそが条約の立法趣旨に副ったものと解すべきである。

ヘ、条約法条約第28条にいうように、一般の取引関係の条約では遡及効を特別に明示しない限り遡及しないのが原則であるが、人道に関するユス・コーゲン性と捕虜の権利は国家意志によっても奪いえない性格が明らかなこの条約を、別段の意図が明らかである場合と解するのが相当である。

ト、2000年12月19日、新たに公開された外交文書の内「在ソ日本人抑留者に関する法律問題(1955年5月24日)」のコピーを 甲第65号証 として提出する。

この文書を見れば49ジュネーブ条約の適用を拒むソ連のクレームを危惧する他の理由についての考察はあるが、判示が云う “同条件を遡及して適用することはできない” を理由に効力を疑った節はなく、ひたすら条約成立以前の事件である「シベリア抑留」についてのソ連の条約違反の数々を挙げている。遡及せず適用もされない条約であるなれば政府のこれらの作業は全く意義を失うことになる。

チ、同じく公開された文書に外務省調査 (1950年4月1日) 「在ソ日本人捕虜の処遇と1949年8月12日のジュネーブ条約との関連」があり、これは同条約加入以前に作成されたもののようであるが、これまた判示がいう遡及効が無いものとすれば、何のための調書か判らない事になる。

この文書は条約の細部に渉り逐条精緻に研究され、控訴人らと全く同様の解釈がなされているので是非検討されたい。尚、判示も触れている同条約第66条前後の同条解釈についてのコピーを 甲第66号証 として提出する。

リ、同しく公開文書に「国連総会における捕虜間題審議一件」があり、これは1950年5月2日衆参両院の国連懇請決議を受け1951年6月19日に外務大臣吉田茂の名において国際連合総会議長宛に出されたものであるが、その添附書類「ソ連邦に於ける日本人捕虜の待遇」において49ジュネーブ条約を引用し、数項に渉ってソ連の違反を挙げているのである。これらは我国の同条約加入以前のことであるが、判示の云う遡及が認められないものであるなれば懇請の意味を失うことになる。 甲第67号証 としてコピーを提出する。

ヌ、1992年ロシア政府は労働証明書を発行し、翌1993年9月7日には認知を求めるための申入書を日本政府に提出している (甲第52号証) これらは49ジュネーブ条約が遡及し、その66条の義務を果たすためにロシアが発行したものである。判示がいう遡及しないものなればロシアは発行の必要がない。その法的根拠は 甲第68号証 ピホヤ書翰で明らかであろう。

ル、当事国たる日口双方の考えがこのように大きく違うとき司法は何故国際連合のしかるべき機関に解釈を求めないのであろうか、原審の審理はまことに不充分である。

オ、これらを見れば遡及による効力の発生は疑う余地のない事実であり、原判示は明らかに誤審である。

ワ、従って同様の判断を示した最高裁判決も見直されるべきであろう。

(2) 原告らの主張3の2について (33ぺージ)

判示は当時自国民捕虜補償の一般慣行が成立し、かつ、その旨の法的確信が、即ち国際慣習法が存在したとは認められないから控訴人らの請求は理由がないという。果たしてそうか。

労働証明書により南方捕虜に労働賃金等を支払ったのは占領軍の命令に忠実に従ったまでのことであると、自らの意志を失ったようなことをいう.が、国家の大切な公金を理由も確かめず支払うことが許されるであろうか。実の処は抑留国が貸方残高を証明し、それを一旦は母国が支払うのが為替管理の矛盾を避ける新方式で、最終決済は後日の条約で、これがいまのやり方なのだ と教えられ、なるほどそうかと含点して支払に応じたのが真相である。占領軍に教えられたお陰で国際ルールのとおり正しくやれたのであり、またそれを自らの意志ではないと強弁した処で責を免れるものでもない。他国はともかく我が国自身がこのとおり自らの法的確信のもとで一般慣行を一点の非の打ち処もなく実施しているに拘らず、その所業を認めないとの云い草は詐術である。

また世界の各国においても抑留国、所属国それぞれが国際慣習法に則って義務を果し、第二次大戦中の捕虜の大方は(シペリア捕虜を除く)労働賃金並びにそれに代る補償金を手にしていることは周知の事実である。

長年の違反国であったロシアでさえも遅まきながら労働証明書を発行して49ジュネーブ条約66条の義務を果している。

3、以上49ジュネーブ条約第66条の判断において、原審は平成9年3月13日の最高裁判決を覆す勇気を示すことなく、再び誤謬と矛盾に満ちた判示を残したのである。悪法も法のうち、悪しき判例にも従わざるをえないのがルールであろうから控訴人らはこれらを正面に置かず、原告第7準備書面の通り同法第6条違反と合わせ「日ソ共同宣言」の無効を訴えているのである。

二、原審はどうして判示しないのか、職務放棄である。

1、49ジュネーブ条約第6条は条約が付与した捕虜の権利、利益よりも不利な国家間協定の締結を無効化するものであって、この条約のユース・コーゲン性と捕虜の基本権を保障する関係国の義務のエルガオムネス性を示しているかであって捕虜の権利は国家意志によっても奪いえない優越的性格を明らかにしたものである。

控訴人らの労働賃金を支払わない日ソ両国の6条違反は明らかであるので、1956年10月19日に締結された「日ソ共同宣」また締結を進めたい日ロ平和条約は、控訴人らにその効力を及ぼさない。

(1)これは控訴人らの労働賃金請求権の有無を争うものではない。

(2)「シベリア抑留」により発生し捕虜に支払うべき労働賃金を支払わず、そのままにしている日ロ両国の義務違反が問われているのである。

(3)これを避ける便法として同条は後文に於て “…紛争当事国の一方若しくは他方が捕虜について一層有利な措置を執った場合は、この限りではない”としている。

(4)それならば日口両国のいづれかが控訴人ら及びシベリア捕虜に対し一層有利な措置を執るならば問題は解消する。

(5)支払を拒めば拒むほど第6条違反が深まる自縄自縛の循環を国は抜けることが出来ない。

(6)以上の重大な争点に対し、原審は何故か判断を怠ったが、これは軍隊で云う敵前逃亡罪であり、原審は破棄を免れない。

三、控訴人らの主張3の3の憲法14条について (34ぺージ)

憲法第14条の法の下の平等に反する違法は何一つ是正されていないので以下論駁する。

1、原判示は “当時控訴人らがシベリアから帰還した捕虜と、それ以外の地域から帰還した日本人捕虜とを差別する意図の下に、原告らの貸方残高の決済をしなかったものではなく、労働証明書を持っていなかったためである” というがその通りであって、労働証明書を持っていなかったという単に事務上の些細なことである、これは捕虜の身分の有無とか労働実態の有無という本質的なことではなく、所持しないのは相手の悪意であってシベリア捕虜の責任でもないに拘らず、今に至るも是正されないのみか請求を拒否するとは、不公平も甚しいものといわざるをえない。証明書が無くとも南方捕虜の査定程度のことなら如何様にでもなることで、それが出来ないのは国にやる気がないだけのことである。

2、捕虜の労働賃金の問題は国際法の範疇で処理されるものであり、南方捕虜への措置もこれに則って実施されたものである。それを戦争損害の補償なりと国内法の裁量に委ねようとは全く別の次元の問題で、グランドで野球をしているのに途申から土俵へ移って相撲をとれと云うようなものである。

3、捕虜の権利は繰返し主張するが国家意志によっても奪うことができないとする国際法を以て判断されるべきものである。

4、判示の中に “どのような請求を行うのか明らかでないが…・" として原告第13準備書面に触れているので (35ぺージ) 説明する。判示は…労働賃金相当額の支払を…云々としているが、正しくは労働賃金相当の補償金を一人三〇〇万円請求しているのである。

5、判示はまた右立法不作為により原告らが被った損害について、国家賠償法1条1項に基き賠償を請求しているものと解する余地がないでもない、としながらも、立法府が少しはやっておるのだから として僅かの解する余地をも退けた。控訴人らは、法の下の平等の判断は司法が裁判基準として公序良俗を以て裁くべきと考えるので承服はしがたいが、国が主張する国家賠償法の遡及不適用や国家無答責の法理を理由に退けたものではない点に限っては評価できよう。

6、原告木谷の労働証明書の件にさしかかり (36ぺージ) 図らずも街頭で見かける手品を思い出すのである。椀の中に赤い玉を入れて伏せ、何度も動かしてパッとあければアラ不思議、ある筈の赤い玉は消え失せてどこにも無い。シべリアで手にした汗と涙の赤い玉が老獪な手練の指先でぐるぐる廻されるうちに、ものの見事に消されてしまったのである。この手品師は 俺は知らないよというが玉はいったいどこへ消えたのであろうか。

これはどのようにごま化そうが玉は決して消えたわけではなく、どこかに存在しているのである。しかしながら原審は存在しないと判示した。捕虜の労銀は支払われるべし とする国際人道法は原審により結果的に支払う必要なしと公然と否定されたのである。

  四、判示は、「シベリア抑留」の補償に対する立法府の措置は顕著なりとし、裁量の範囲を逸脱したものではないというが果してそうか。(38ぺージ) 控訴人らは原告第9準備書面において軍人恩給に言及したが、制度こそ違え国費が国民の一部に支給されている点では補償金と同様で、共に戦後補償の範疇にあり、立法府の裁量によって施行を見たものである。同じ軍人であり 同じ捕虜でありながら「シベリア抑留」を推進した方々が億を越す国費を手に入れ、酷い目に会った兵士はゼロという不条理。 「また戦後補償費である戦争犠牲者援護法の82%強、総額40兆円を越す国費を、職業軍人を中心とする古参軍人、遺族に与え続けているのも立法府の裁量である。これらは裁量の範囲の大いなる逸脱ではなかろうか。司法は法の下の平等を歪める行政、立法のひずみを正すことが使命であり、行政、立法の弁解代弁者ではない筈である。

憲法の前文及び第14条の精神に著しく外れた原判示は破棄されるべきである。

以上事実を認めず訴えの争点を回避した原審の判決は不当であり承服しがたいので控訴する。

 控訴人らは龍車に向い蟷螂の斧をふるって急所へ一矢を射た。老兵に憐憫や同情は無用、貴官が裁かんとする相手は歴史である。篤と心して道義を以て当られんことを切望する。
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