第2章
  1、大阪高裁第82法廷

  <その1> 高裁はその名のとおり高等か          2001.1.13〜

弁護士Oさんへの書簡1 原告加藤木敏雄への書簡2
T君への書簡4 大阪高裁第1回公判ご案内

弁護士 Oさんへの書簡 1               2001.1.13.



左より 木谷、加藤木、森本、池田、松本(1999.9.10勉強会)

 松本さんの“裁判はマッカーサーで裁け”論はとうとうカマキリを真っ二つに割ってしまいそうな雲行きです。と言っても私と二人の間の角逐で、あとの三人にはそう深刻な悩みではないようですが・・・・。先日はいろいろとご心配頂きましたが、この人の頑固は並みではなく、とうとう反対を押し切って勝手に準備書面10を出してしまいました。今まで主張してきた法的根拠のほかに「マッカーサー基準」という別の斧の二刀流で勝負という形になりました。それがどうであったかは被告準備書面9の通りで “あえて反論の要を認めず” と一蹴され、地裁判決では裁判官からも黙殺されました。忽ち結審とされ棄却という不本意な結果に終わったのも、このせいではないかと疑っています。

 どうしてこの急転直下の軌道変更が・・・・これは昨秋被告が「国家無答責任の法理」を持ち出したのが遠因です。松本持論の「閣議決定の責任」に対しての国側の反論でしたが、これがこの人をひどく怒らせ その反論として編み出されたのがこの珍説ですが、その強行ですべてが狂い、論点が根本から壊れそうになってしまいました。

 私は斉藤六郎の裁判が負けたことが残念で、もう一度やろうというこの人の呼びかけに簡単に乗せられた軽率をいま悔んでいます。ご存知のように魅力的な人柄と、ぐいぐい進める戦車のような行動力に惹かれたこともありますが、何より京大法科出という金看板を信用したことが大きな理由でした。走りながら訴えるような忙しい訴訟でしたが、この人の頭脳から二の矢三の矢が弓勢鋭く射込まれて、法廷を圧倒できるものと信じ込んだのです。私は無学ですが資料を集めて東西の文献に目を通し、なんとか争点を組み立てて貴方の懇切なご指導のもと文書の殆どを書き上げました。訴状、準備書面、意見書その他を13本、因みに松本さんは訴状の前半部、準備書面4、10と13の後半および最後の意見書の5本で、争点らしいものといえば「閣議決定の責任」と、この「マッカーサー基準」の二つだけ、ほとんど発想は枯渇の状態でした。

 判決文は一面カマキリの成績簿でもあります。被告は我々を素人と侮ってその論旨は極めて省エネで、終始「請求自体失当」「主張自体失当」で軽視した中で、こと国際法関連には牙をむいて強く反論し、判決も全抑協判例の域を越えることはなかったものの真面目な文脈が伺えます。反面松本さんの分担はほぼ黙殺されていますが、今後の控訴はこの点充分分析検討の必要があると思います。

 その控訴ですが、奈良カンポの宿での会合で控訴を決め、12月18日にはご指示の手順で控訴状を提出いたしましたが、1月末に出す「控訴理由書」の原案をここもと同封いたしました。松本案、池田案の二本ですが、これを叩き台として全員で討議のうえ意思の統一を図りたいと考えます。

    1月18日午後2時集合、 楠荘(一泊)

 いずれ夜を徹してのことになりますが、両案ご検討の上是非のご指導をお願い申し上げます。

 * 両案に忌憚のない朱を入れてください。この「控訴理由書」が本訴の骨格であり、核心となるであろうと、そのつもりで取り組みました。どうか次代に残るものとして相応しい文書になるよう手を入れて下さらんことをお願い申し上げます。

 * 両案を一本化して今まで通りの一本カマキリ会で戦いたい。何としても二本カマキリ会は避けねばなりません。両案には随分の開きがありますが、両者自制し妥協点を見出したい、そのための調整をよろしく・・・・

 * 松本さんは<その1><その2> で両方とも出せばよいではないか といい、万事争いを好まない木谷、加藤木さんはそのほうに傾く危惧があります。

 * 私は地裁の判決を踏まえ、この二本立ては避け、可能性の高い国際法に力点を集中したいと考えます。即ち松本案の否定です。

 * 松本さんの<その2>の「マッカーサー基準」はまた別の裁判になり、当初来のカマキリの主張を否定することで、そのうえこの両方に署名することは精神分裂で、当事者能力を疑われます。私は<その2>に署名はいたしません。もし両立を強行すれば<その1>には5名、<その2>には4名のいびつな書面となり、これは実質上の分裂であります。

 * <その1>を廃棄して<その2>を出すというなら私は退会いたします。

 裁判もここまで進むと原告5名の趣味や道楽では済まなくなっています。

 大局のためには一歩を引き、味付けが多少薄くなっても壊れるよりはまし、妥協の用意はありますが基本線は譲るべきではありません。松本さんの老いの一徹はよく判りますが今回はぜひ再考を願いたい、中に立ってのご指導ご諫言を心から願う次第です。

控訴人 加藤木敏雄への書簡 2           2001.1.25.

 1月18日の楠荘に貴方は欠席でしたので、あらましのご報告以下の通りです。

 思えば毎回々々日立からでは大変なこと、身体も費用もよく続くものといつも手を合わせています。その貴方が “なあに地元の苦労に比べれば軽い軽い” と労って下さったことを思い出し、人情曹長殿には心から感謝あるのみです。

 当日はOさんも多忙の中を来て頂き5人でしたが、お送りした「控訴理由書」を遅くまで検討して貰いました。結論を申しますと松本さんの意見が通り池田案を<その1>、松本案を<その2>として二本立てで出すことに決まりました。

 指南役のOさんが “これは専門家の立場での発言ですよ、決して干渉はしませんが・・・・” との前提で松本案の無理を遠まわしに指摘されたのですが、松本さんは例の通りの一徹で、“事務局が嫌なら俺が出しに行く、署名せんというなら俺が一人でもやるからな” と強弁、私も引かずで会議は立ち往生。結局は木谷さんの “それでは分裂だ、仕方がない、仲間割れをするよりは二つで行こう” の一声で決まったのです。池田の負け、泣く子と地頭には勝てぬの結果となりました。

 後日のOさんの話では “ <その1>の署名は5名、<その2>は4名の別々の訴えはいかにも変則で誉められた格好ではない。もし咎められれば両方署名の4名は当事者能力なしで失格となり、池田一人が<その1>で戦うことになる。賭場と違い長と半の両方には張れないのですよ。まぁ素人のことだし裁判官もそこまで野暮なこともしないでしょうが・・・・” そして “松本さんも頑固だなぁ、私もあれ以上は言えないしね” とのことでした。

 私もあきらめています、これは日本人の体に染み付いた気質であって一朝一夕には直らないのでしよう。まえの戦争でも中国から撤兵すれば済んだこと、ミッドウエーでやめれば、またサイパンで早めに手を打てばと判ってはいてもこれが出来ないのです。それでは国論が二分する、仕方がない、まぁ一蓮托生で行くところまで行くほかなしと、今度も同じパターンです。

 私が言いたいのは最初の訴状の通り日本の憲法、法律で最後まで戦うこと。これで結束したカマキリでしょう。それを今になって何故マッカーサーに変えるのか、始めからそうなら私は参加していません。またいくら国が敗れたりとは言え日本はいま独立国、その日本の裁判は良かれ悪しかれ日本の法律で裁かれるべきで、他国に聞けとは乱暴で法廷と裁判官の侮辱です。

 高裁の第一歩がこれではまことに不本意ですが、これ以上横道に進まないことを祈ります。しかし松本論はますますエスカレートして迷路へ踏み込む危険を私は強く感じています。“国が「マッカーサー基準」を認めないということは、占領中にも主権があったということで、これは基本から間違っている。次はこれを争点に・・・・” と、これではますます焦点が遠のくばかりです。松本さんはお人柄と言い経歴の高い立派なリーダーであるのにどうしてこう頑固であるのか、やはり無学の者の意見はプライドを損なうのでしょうか、私の強情にも行き過ぎがあるのでしょうか、良い方法をお教えください。

 私は今後の中心はやはり国際法であろうと思います。地裁の判決を分析しても明らかで、論点が白熱し相手も必死、勝てる可能性が高いのはこれを置いてはないようです。特に<朝海文書>にまつわる未払い賃金の自国負担の認識、「日ソ共同宣言」による請求権の相互放棄の責任、その解釈での二重基準の問題など、この辺りが国のアキレス腱で、特に神林共弥さんが送ってくれた昨年12月公開の外交文書の有力証拠もあり、これらに力点を置いて争いたいと考えます。只今は国際法のY,H教授にも教えを乞い、厳しい準備書面をと 取り組んでいるところです。

 第1回の高裁公判は4月12日午後1時15分と決まりました。どうか遠路ご苦労ですがご来阪をお待ち申しております。

T君への書簡 4                        2001.3.12.

 早速ですが電話では意を尽くせませんので筆を取りました。

松本 宏が今度はそんなことでお手数を煩わせているとは知りませんでした。なんでもM商事時代の同僚の寄り合いで玉造温泉だ とは聞いていましたが、まさかそれを利用して松江で講演会をやりたいとは、その世話全般をまた貴君が引き受けて・・・・・あぁまた「善人T」の始まりかと、感に堪えないところです。“頼まれれば越後へ米買いに・・・・” これが君の美点でもあり欠点で他に類を見ない天賦のもの、万事にシビァなはずの事業成功者には珍しいことだと思います。会場の世話はともかく人集めが大変だろうし、今度もかなりのご負担でしょう。山陰、中国の諸県は相沢派で、その本丸で国に逆らう原告の代表が一席打とうというのですから風当たりの強さが思いやられます。

 それであればあるほどやりたいのがこの人の癖で、“ カマキリでやるわけではなく、おれ個人がやるのだから” と聞き入れません。昨年心臓の手入れをしたときに頭の方も改造したのか、開き直った強情さです。支持下さる輪を広げて幸福の手紙の連鎖のように仲間が仲間を作る、運動は力なりと、なるほどその通りですが今のカマキリにそんな力はありません。シベリアの老兵の多くは老い傷つき、もうバネも利かなくなっている今日、笛吹けど誰も踊ってくれなくなっています。ましてやいくら叩いても倒れるような相手でもなく、万に一つの期待を裁判一筋に賭け、急所必殺の一針が届けば心臓麻痺でも起こしてくれるかもと、これなら手弁当でも人様に迷惑も掛けずにやれそうだ。それ以上の政治性は捨てて法廷一本槍、乱訴や運動の輸出も一切やらない、これが会の立場です。

演者が極力口を慎み、貴兄にこれ以上の迷惑を掛けないようにと願うのみですが、心配なのは次の二点です。どうか胸三寸に収めて頂いて無難に終われますよう心から願うばかりです。

 一つは同封の通り、ここに来て内部統一に乱れが出ていることです。近頃原告の主張にやや一本化を欠くようになり、これらは初めの主張と反対のことを言い出した松本氏の変質によるもので、“日本の法律ではなく「マッカーサーが決めたであろう基準」で裁くべし” とか “我々は捕虜ではなく抑留者である” などで、捕虜として国際法違反を争ってきた争点を今になって翻す主張を持ち出したのが原因です。これらが話の中に出てくるとカマキリの二本化が暴露され、その点を突かれると折角の講演会が混乱します。そこまでの深入りは避けてほしいと言ってはいますが彼には依然不安が残ります。

次はさらに問題です。当日の来場は殆んどが相沢派の息の掛かった方々であろうと思われるうえ、県連会長も顔を出されるとか、どうか無事で収まり貴兄に厄が及ばないよう祈るばかりです。

「シベリア抑留」の補償要求運動が途中で分裂し、互いに誹謗と骨肉の争いを繰り返した経緯はご存知の通りです。一方は国を相手の裁判に、片一方は自民党を頼って補償請願を、この二つは老獪な国の操るところとなり「豆は豆ガラで煮られる」共食いの愚を犯して両方が駄目になってしまいました。斉藤派は16年に渉る裁判に敗れ、相沢派は補償要求を諦めて政府の御用を承る胴元に変わったのです。カマキリは敗訴の無念を受け継いだことから相沢派の方々とは路線を異にしていることは否めない事実であり、この講演会はイスラム国へ行って仏陀の教えを説くような難しさがあります。

 教義のどこが違うのか? 大きくはつぎの3点です。このグループは

1、我々は捕虜ではなく抑留者である。

2、強制労働の賃金や補償金は抑留国のソ連が支払うべきであり、日本ではない。

3、その代わり軍人恩給を要求しよう。勤務年数が足りない者もシベリア特例の加算制度を作って受給できるようにする。

 これらの呼びかけは聞く耳に快い言葉ですがいずれも適当ではありません。

1、・・・・無条件降伏の将兵はいずれも捕虜、は国際法で明らかなルールで、この言い分は日本国のほか世界に通用いたしません。

2、・・・・「日ソ共同宣言」でわが国はすべての請求権を放棄したことからソ連は支払いを免れ、その支払いは放棄した責任上日本国であります。我々の血と汗と涙の結晶はソ連への役務賠償であったのです。

3、・・・・職業軍人らの圧力に負けて出来た現行法は国自身が後悔している悪法で、多すぎると考える国に加算する気は毛頭なく実りのない運動。これは政府の企む時間稼ぎのゼスチャと思われます。

しかしこれらは不毛の争いで、本音のところはどうであるのか?それを聞きたいと思うのです。相沢派の方々はカマキリが訴える100万の補償金を要らないとお考えか、要求に反対なのかを承りたいのです。仮に勝訴して実現したとき、おれは受け取る筋合いではないから と言って辞退されるのか、そうでないのなら自陣へボールを蹴り込む自殺的プレーはやめていただきたい。

今日はおしゃべりが過ぎました。そのうち貴兄と炉辺の昔話を楽しみたいものです。

 今朝テレビで松江のお堀端風景を楽しみました、松の緑が美しく静かな水辺ですが風がいかにも寒そうで春は未だしのようでした。風邪を引かれぬようお元気で・・・・

    大阪高裁第1回公判のご案内                  2001.4.1.




長城飯店激励会(2000.12.1)

 ようやく桜の訪れです。 “年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず” 劉 廷芝の詩が体にこたえる歳になりましたが、幸いカマキリ一同は相似たりのほうで、元気に控訴準備に励んでいます。二年度も終わり、本日は別紙のとおり決算のご報告を申し上げます。

 各位多額のカンパのお陰をもちまして、思い残すことのない法廷闘争が出来ました事、一同厚く感謝しお礼申し上げます。

 裁判もいよいよ第2ラウンドと更に深奥に入って戦うことになりました。どうか引き続きご支援のほど偏にお願いいたします。

 カンパのご芳名は伏せておりますが、いずれの時期にご相談のうえ公表したいと存じています。

  大阪高裁第1回公判 日時・・・・平成13年4月12日 13時15分〜

                場所・・・・大阪高裁第82法廷

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