第1章
  2、大阪地裁1009法廷

  <その11> カマキリついに奥の手を出す         2000.8.18〜

原告 証拠の申出書 原告第13準備書面

原告、証拠の申出書                  平成12年8月18日

 右、当事者間の頭書事件について、原告は主張事実立証のため別紙尋問事項を添えて左記人証の尋問を申し出ます。

       記

1、証すべき事実   甲第25号証の事実認否

2、証拠との関係   証人はそれぞれ当時大本営及び関東軍の参謀として証拠の当事者             であった。

3、証人の表示    郵便番号214−0034 川崎市多摩区三田2−1−10

証人甲  朝枝繁春  尋問所要予定時間30分(呼出)

郵便番号182−0016 東京都調布市佐須町1197−14

証人乙  草地貞吾  尋問所要予定時間30分(呼出)

郵便番号182−0006 東京都調布市西つつじヶ丘2−20−5

証人丙  瀬島龍三  尋問所要予定時間30分(呼出)

4、証人出頭出来ない場合は出張または臨床尋問を行うこと。

尋問事項

 証人甲 朝枝繁春分

1)証人の姓名と敗戦時の官等級及び職責を述べて下さい。

2)原告が甲第25号証として提出した「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」は1993年7月、ロシア国国防省公文書館により公開されたもので、差出人は大本営朝枝参謀とありますが、貴方はこの文書の存在と起案作成の事実を認めますか。

3)参部之内第壱号とありますが、弐号と参号はどこへ出すつもりであったのか証言して下さい。このことは平成12年2月16日付けで裁判官見宮大介氏より釈明を求められたことでもあります。

4)証人は当時大本営参謀部第5課の対ソ作戦主任参謀でしたが、ソ連侵攻の報を聞くや急遽「大陸命第1374号」とその第8項に基づく「大陸指」を起案、決済、允裁を受けて発令されました。翌8月10日にはその徹底をはかるため新京(長春)にとび、一旦は東京へ帰られました。これに間違いありませんか。

5)証人はあるとき第8項(細項ニ関シテハ参謀総長ヲシテ指示セシム)に基づく(1)とはソ連軍を朝鮮海峡まで積極的に引き入れる誘導策であり、その(2)とは “将来の帝国復興再建を考慮し、関東軍総司令官は成るべく多くの日本人を大陸の一角に残置することを図るべし。これが為、残置する軍、民間の日本人の国籍は如何様に変更するも可なり” の大陸残留策であったと述べられましたが、覚えておられますか。

6)戦い利あらず降伏の詔書が出されるや貴方は8月19日再び新京に派遣され、承詔必謹とかねての対ソ方針の推進に献身されました。幸い関東軍も “全面的ニ同意ナリ” と承知しましたが、その基本方針とはどのようなことであったのか、証言下さい。

7)証人は竹を割ったようなご性格だと聴いております。尋問は更に機微に入りますがどうか唐竹割りの快刀乱麻の証言を望みます。証人はもう一つ大事な役目がありました。大本営の軍使として8月21日より連日ザバイカル軍管区政治部フェデンコ中将と会談され、第8項の趣旨を披瀝して全面的恭順の意を示されました。そのときは全軍の武装解除もほぼ終わり、シベリア連行のおそれが濃厚な状勢でありましたが、証人はポツダム宣言9項の “兵士の家庭への復帰” など正当な要求は聊かも口に出されず、心を鬼にして兵士の労務提供を申し出られた。死にも勝る苦しみでありましたでしょう苦衷の程お察し申し上げます。すべては国家の命ずる処、それが何であったか証言下さい。

8)これら陳情の要旨は口頭では不十分で、書いたもので出すようにと言われ、関東軍総司令部名義で作成され提出されたものが「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」であることに相違ありませんか。

9)また証人は「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」を纏めそれに添付された関東軍総参謀長秦 彦三郎中将の「大本営参謀ノ報告ニ関スル所見並ニ基礎資料」とともにソ連側に提出された。またそれらの副本を携行し瀬島龍三中佐同伴で大本営へ報告のため9月1日東京へ向けて出発される予定でありましたがソ連側の許可する処とならず、不運にも9月5日身柄を拘束され9月6日ハバロフスクへ抑留となりました。以上の事実認否を求めます。

10)その他以上に関連する事項

                尋問事項

 証人乙 草地貞吾分

1、証人の姓名と敗戦時の官等級及び職責を述べて下さい。

2、原告が甲第25号証として提出した「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」は1993年7月、ロシア国国防省公文書館により公開されたものですが、貴方はあるとき “それはまぎれもない原文で、関東軍総司令部で書いたものである。” と言明しておられますが、(月刊誌「偕行」平成5年9月号)この場で改めて本物であることを証言して下さい。

3、また “具体的に申せば作戦班長たる私が、兵站主任の山口敏寿中佐、鉄道主任の若松 隆中佐、政務主任の原 善四郎中佐らと相談して作成し、総参謀長、総司令官の決済を受け、浄書して1945年8月29日にソ連側に提出したもの” で、“参部作成の第弐号である” こともこの場で証言できますか。

4、この文書の筆跡は証人の同僚であられた元参謀の瀬島龍三中佐ではありませんか。また証人があげられた作成メンバーの中に瀬島さんの名がありませんが、本件に関与されていたのかいないのか明らかにして下さい。

5、証人は文書公開のはじめ ”大誤報というより大虚報なり“ と言われましたが、それは貴方の嘘であり、やはり本当のことであったのですね。ご返事がなければ次へ進みます。

6、“内地帰還が最優先なることは少し日本語の判る人間なら一見直ちに読み取れるであろう。” と書かれていますが、私は日本語が判らないのかそのようには読み取れません。どこにポツダム宣言に示された “日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後、各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的生業ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ”が言われていますか。また国際法に定める捕虜の早期送還に関する取り決めを急ぐ要求がありますか。何一つ有効適切な手段が取られたようには読み取れません。どこに書いてあるのか教えて下さい。

7、原告ら抑留された身に立っての印象は言ってほしい事はひと言もなく、勝者におもねる世辞と哀れみを乞う泣き言ばかり、まことに情けない心境です。血涙の結昌(ママ)、人間彼岸の絶品とまで自画自賛されていますが証人は武人として、日本語の判る人として今も同様のお考えでしょうか。明確な返答を頂きたい。

8、証人のご著書に “抑留中はレッキとした国際公法と軍事俘虜規定の根拠を振りかざして難所を切り抜けた” と書かれていますが、それらの法とは正式には何という法であるのか教えて下さい。

9、証人はそれらの国際法をご存知であり、また敗戦当時の関東軍総司令部には小幡通徳少将以下十数名の法務将校からなる法務部があったに拘らず休停戦に際して、これらの知識をどうして活用しようとされなかったのか。また “俘虜ト認メスの詔勅もあり捕虜などとの観念は毛頭なかった” “武装解除の後はみな日本内地に帰還するものと信じていた・・・・” 等、作戦班長としてあまりにもお粗末な国際感覚であったとは思われませんか。

10、証人はそれほど愚かな人ではありません。そんなことは百も承知の上で「シベリア抑留」を推進された偉大な人物でありました。8月19日のジャリコーポではワシレフスキー元帥から “無条件降伏の将兵は軍事捕虜である” と申し渡されていますし、8月25日の山田乙三、ワシレフスキー会談でははっきりとシベリアへの抑留が語られ、山田大将は “そのときは私の部下が衣食住に不自由しないようにして頂きたい” と懇願しておられる。証人たち関東軍首脳がそれをご存知ない筈はありません。しかしあくまで大本営の方針に従ってスターリンにひれ伏し兵を売られたのです。証人たちの尽忠は見事に報われました。曲がりなりにも国体護持の悲願は60万将兵の犠牲と引き換えに達せられたではありませんか。証人が自負されるとおり貴方は大忠臣であられます。そうではありませんか。違っていれば申し述べて下さい。

   11、その他以上に関連する事項

   尋問事項

 証人丙 瀬島龍三分

1、証人の姓名と敗戦時の官等級及び職責を述べて下さい。

2、原告が甲第25号証として提出した「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」は1993年7月、ロシア国国防省公文書館により公開されたものですが、この筆跡は証人のものでしょうか、お確かめ下さい。

3、この文書の作成、差出は関東軍総司令部ですが要旨は大本営の対ソ方針に沿ったもので大本営の意思と考えてよろしいでしょうか。もしそうでない箇所があれば教えて下さい。

4、この文書は「報告」とありますが内実は敵将の憐憫を乞うための「哀願書」もしくは「労働提供陳述書」ではありませんか。書かれた方々の心中お察し申し上げます。兵士たちを一日も早く家族の下へ帰してやりたい思いを押し止どめ、いかに国のためとは言いながら長年の宿敵に “使役のためにお使い下さい”と差し出すのですから、死にも勝る苦しみであったでしょう。しかも今日まで腰抜け参謀と罵られスターリンのエージェントとあざけられても固く口を閉ざしてひたすら国の秘密を守ってこられました。そうではありませんか。

5、大本営の対ソ方針の一つに8月18日全軍に発令された「帝国陸軍復員要綱」があります。 “本要綱ハ総テ陸軍部隊ニ関スル事項ヲ定ム” とした中で、独り関東軍に限り “前期要項、細則ニ基ク関東軍ノ復員(復帰)ノ実施ニ関シテハ「ソ」側ト折衝ノ上別ニ定メラル” があり、兵士を解放することにも足止めがかけられていました。関東軍の任務は無条件降伏の承詔必謹だけでは済まず、将兵の労務提供までも求めるものでした。日本は山田総司令官以下証人たち首脳のお陰で曲がりなりにも国体は護持されました。天皇も戦犯の訴追をお受けにならずご安泰でしたが、万一もしものことがあれば文武百官の多くが腹を切られたことでしょう。それらを阻止した証人は国の大忠臣であられます。そうではありませんか。

6、それほどの方が唯一つ不味い事をしておられます。してもいないことを、さもしたように言い張られていることです。 “ジャリコーポ以来機会ある毎に関東軍将兵の早期帰還を強く要望した”と言われていますが、これは本当のことですか、嘘ではありませんか。本当であるなら裏付けとなる証拠を出して下さい。当時諸般の状況はそうありたいと心の中で思われたにしろ “お使い下さい”といわざるを得ない厳しいもので、大本営の方針はそれが言える方向ではありませんでした。証人は自分で自分をさいなむ苦しさから抜け出そうとこのような虚構を張られた、そうではありませんか。

7、1993年7月以来よもやと思われたこれらの文書がモスクワから出て参りました。これ天意であります。あるいは凍土に眠る6万有余のなせる不思議かもしれません。天網恢恢疎にして漏らさずとか申しますがもうこの辺りですべてを明らかにされてもよいのではありませんか。労務提供は大本営の対ソ方針に依るものであることを。

8、国のために尽くされた証人がその誇りの反面、生涯苦しみぬかれたことがある筈です。貴方らによって犠牲とされた「シベリア抑留」の兵士たちのことです。私もその一人ですが、この事件は国の恥部に触れるためか何ら苦労に酬いられることなく今や歴史の中に抹殺されんとしていることはご承知のとおりであります。このままで良いのでしょうか。このままでは証人の安楽はありません。すべてはスターリンの宥恕を乞うための国の方針であったことを証言し、長い間の重荷を下ろされてはいかがですか。

9、我が国の建軍以来、関東軍ほど国のお役に立った軍団はないと思います。危急存亡のときに当たって、ただ黙々と大命に従い、地獄の苦難を耐えに耐え、国と国民に代わって賠償労役を果たして祖国再建の捨石に甘んじました。これらを明らかにして後世に伝えたい。証人もそう思われませんか。人間としての最後の義務を果たされんことを私たちは見守っております。

10、その他以上に関連する事項

原告第13準備書面                平成12年8月21日

第1、被告第5準備書面はいろいろ難しいことが述べられているが、前回同様またしても肝心のピントが外れ、いずれも反論になっていないので以下それらを指摘する。

  1、原告らはシベリアに抑留された者への処遇に対して、被告国の対応がまことに公  平を欠き、憲法第14条に示された法の下の平等に著しく反していると訴えているの   である。即ち同じ捕虜の片方に労働賃金を支払い、片方には支払わないのは不公   平ではないかと問うているのであるから

  いや、そんなことはない。処遇は公平であり髪の毛一本文句を言われる筋   合いはない。

  なるほど不公平である。

この二つに一つを答えればよいのであって、

  *不公平であるかもしれないが、それにはいろいろとわけがある。

 等の返答は聞いていないのである。憲法に示された理念をも上回る理由があるとは思えない。

   2、被告第5準備書面3ページの “原告シベリア抑留者に対しては抑留期間中の労   働賃金を支払わないのは、法の下の平等に反し” まではそれでよいが、それに続く   “憲法第14条1項に基づきシベリア抑留中の労働賃金を請求するものと思われる”    は見当違いで、原告らはそのようなことはひと言も言った覚えはない。そうではないの   である。原告らが主張しているのは “片方に支払い片方に支払わないのは不公平で   はないか、このような不条理を国はしてよろしいのか” なのである。被告国はまたして   も原告らの請求を免れるのに汲々とするあまり、問題の焦点を見誤ったのであろうが、   そのような心底あさはかな次元で争っているのではないことを、とくとご承知願いたい。

  3、憲法といってもそんなに難しいものではない。健康で素直な心で読めば誰にでもす  んなりと理解できるものである。まして「平等」は自由と異なり、他との比較によってすぐ   差が判る相対的概念であり、その平等を憲法第14条は国民に保証しているのである。  奇数日生まれの人に年金を与え、偶数日生まれの人に与えない、または東京から東の  人に地域振興券を渡して西の人に渡さないのは誰が見ても平等ではない。平等とはど  の字引をひいても差別がないこと、また平等であることなど至極明快で、いちいち注釈  や但し書きがなくとも容易にわかる概念である。従って南方から帰った捕虜に支払いシ  ベリアには支払わないが平等である筈がない。

 原告らはことある毎に事実に基づいた審理を要望している。戦後50年その間いろいろ  と事情あり変化もあったが、このぐらいの時間をおけばはっきりと定置した現実が見えて  くる。「シベリア抑留」に対する国の不平等は誰が見ても明らかなことである。

4、原告が第9準備書面で第一にあげている “国の債務は国民が等しく負担すべきものであるに拘らず、たまたま其処に居合わせたという理由だけで原告らのみに負担させ、今日に至もこの不公平が是正されていない” のも憲法第14条違反であると訴えているのに反論がない。

5、被告は最高裁平成9年3月13日判決での一事不再理を言いたいのであろうが(8ページ以下)これは本件とは係わりのない判例である。「憲法第14条に基づく労働賃金請求について」と違い、本件は労働賃金を請求していない。

6、被告国の釈明は本書1で示した “不公平であるかもしれないが、それにはいろいろとわけがある” の部類に入るものと思われる。そのわけとは

1)連合国最高司令官総司令部の指示によるものであり、所得を証明するような資料を所持していない者に対して抑留中の労働賃金を決済することは許されていなかったから、やむを得ないことであった という。しかし南方組では証明を所持していない者に対しても他の証言など代替の方法で労働の事実を確認し、全員に支払っているのである。シベリア組は不幸にして労働証明書を所持しなかったが、被告国は当初これにも支払うつもりでソ連に対し発行を要請しているが、(甲第41号証)回答は得られず、他に代替の措置も講じず労働の事実を承知していながらも放置し、原告らは誰一人として支払いを受けた者がなかった。被告国はソ連が返事をしてこないのを奇貨としてその後請求もせず交渉もせず恬として知らぬ顔の半兵衛で、日ソ共同宣言を経た今日に至るもそのまま支払いの義務を果たしていないのである。あまつさえ1992年ロシア共和国政府から入手した労働証明書についても支払う義務はないと強弁するに至っては確信犯的発言であり、公然と憲法違反を誇示したものといわざるを得ない。

2)被告国はまた “労働賃金を支払うべきかどうかの問題は、戦争損害に対する補償の一環をなすものとして、立法府の総合的政策判断にゆだねられるに至ったもの” (10ページ)というが、間違いである。捕虜は一般の人と違って国際人道法の拘束を受ける特別な地位であって、所属国ともにその規範を脱することができないのである。随って捕虜とその所属国の持つ権利義務は立法府の裁量的判断を超えるものであり、また被告国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを遵守することを必要とするのは憲法第98条が示すところである。

南方組に支払われたのは後述するとおり、29ジュネーブ条約第24条の“俘虜ノ勘定ノ貸方勘定額ハ拘束ノ終了ニ際シ俘虜ニ支払ハルヘシ” を実行した国際人道法の範疇にあり、シベリア組の支払いも当然この枠組みの中で処理されるべきものであって労働賃金支払いは依然被告国の国際的義務として残っているのである。土俵の上の義務を果たさないまま、全く次元の異なる国内法というグランドへ問題を持ち込み、もみ消しを図ろうとはフェアではなく不当である。立法府の裁量的判断で可能なものは労働賃金の支払いの当否ではなく、49ジュネーブ条約第6条後段の “捕虜について一層有利な措置を執った場合” に相当する補償金支給の立法化である。

7、“捕虜の労働賃金は支払わるべし” の支払い義務を被告国は果たそうとせず、その義務はないというが、これは国際人道法及び憲法98条違反であるのみならず、 “何人もいかなる奴隷的拘束も受けない。又犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。” の憲法第18条にも違反するものである。自由剥奪及び強制労働のほかに賃金すらも支払おうとしないのは奴隷制を擁護せんとするものである。

8、「シベリア抑留」は戦後の今になっても解決を見ない争いであるが、もともとそんなに難しい問題ではなかった筈である。 “お国のため国民のために本当にご苦労様でありました”の同情と感謝の気持ちさえあれば当初いかようにでも片が付いた問題ではなかったか。被告国は “筆舌に尽くし難い辛苦を味わされ、肉体的精神的に多大の損害を被った・・・・“ と口先では言うが、心からそのように考えているのであろうか。その後の対応はまったく逆で、あたかもカネを強請る ならず者を相手のような扱いで、一銭のカネも払うまい、言うことを聞くまいとあらゆる口実を設けて拒否せんとする。クロをシロと言いくるめて逃れんとする。愛する祖国のつれなさを知ることは実にシベリアでの辛酸よりもつらいことである。これら齟齬の深層には被告国の無理解と偏見という心的要素が大きく介在して解決をいっそう困難なものにしているが、以下それらを申し述べたい。

1)「シベリア抑留」の苦しみの無理解について

 寒さ、飢え、強制労働の三重苦と内外両面の思想暴力、いつまでともわからぬ絶望と望郷、これらの苦しみ総量が、平和が回復し貧しいながらも再建の喜びに湧く戦後に長期に渉って発生した大きさと深さの理解がまことに不十分である。その理解があるなればこのような非情な準備書面である筈がない。厳冬期のシベリアに体験旅行を勧めるのもこの一端を知ってほしいためである。

2)日を経るにつれ進行した偏見について

 原告第6準備書面第6、第7で述べているとおり、捕虜べっ視、アカ嫌悪、ケチ心等が加速加重して必要以上に「シベリア抑留」は疎外されてきたのであるが、最も大きい要素は国体護持のために兵を売った負い目である。「シベリア抑留」に謝罪し補償することはとりもなおさずこの事実を認めることであり、これが何とも外聞を憚ることなのである。被告国が懸命に阻止しようとするのはこの一事であり、これこそが本事案混迷のポイントとなっている。あまり品の良い例えではないが・・・・

 “ひどい災難で生家が立ち行かなくなったとき、因果を含めて苦界に身を沈める姉娘の後姿に両親は手を合わせて拝んだものである。他の兄弟もそれぞれ奉公に出されたが、運良く奉公先に恵まれて、清い体で年季を終え、親は苦しい中にもやり繰りして迎え入れ、その後幸い順調で人も羨む長者になりあがったが、こうなると勝手なもの、年季が明けてやっと帰ってきた姉娘が疎ましい。今となっては外聞が悪く、はよ死んでくれろと 言わんばかりの年の暮れ。

  9,被告国は憲法第14条は平等の大原則を示したものであり、いわば高次の国政指導  原理たるべきもので、国に対する請求権を基礎付ける実体法規ではないというが、この  適用については、すでに雇用機会の男女平等や生活保護の平等を請求する多くの事  件の判決で民法上の公序良俗原則を基礎付ける実体法規として採用され裁判基準と  されている。原告らは憲法は絵に描いた餅ではなく、裁判規範たる性質を有する条項  であり、国家によって平等に取り扱われるべきであるに拘らず、何ら合理的な理由なく   差別的取扱いを受けた者は、その解消を法廷で主張し司法的救済を求める権利を有  するとして本訴に及んだものである。

   1)国際法の国内的効力とは “所定の公布手続きを了した条約及び国際慣習法は 、他に特段の立法措置を講ずるまでもなく、当然に国内的効力を承認しているものと解さ  れる”(1993年シベリア強制労働補償請求事件控訴審判決)のであって国際法と国内  法は一元的体系をなすものであり、それに副って国内法の制定を待たずとも当然に国  内法的効力(憲法第98条2項)を有するものと解すべきである。

   2)しかしながら、その後の最高裁判決により自らの手でその手段を閉じた以上何らか  の方法を以って国際的義務を果たす外なくなったのが現状であるが、原告らが本事案  で柔軟な裁判規範を期待するのは次のとおりである。

   3)先ずは「シベリア抑留」の全体像の把握である。「シベリア抑留」は国体護持のた   めに売り渡された60万の将兵がソ連への悲惨な役務賠償を果たされられたにも拘らず 、戦後55年の長きに渉ってその労に酬いる補償はおろか、労働対価、給養費も未払い  の まま放置されている。一方被告国においては労働賃金未払いの義務不履行を49  年ジュネーブ条約6条違反に問われ、日ソ共同宣言無効を訴えられてその釈明に苦し  む八方塞りの境地にあるが、ここに来て戦争責任の薄弱に加え戦後処理の不誠実が   包み隠せない問題として出てきているのである。抑留した他国の捕虜に対して義務を   履行した欧米諸国が、捕虜となった自国軍人に対しても同様な義務意識をもって補償  しているのは当然のことであって、特にドイツの捕虜補償法3条1項は “この補償をも   って、権利者が外国抑留中の自由剥奪及び強制労働を理由として国に対して有する   諸請求権は消滅する。”と定めているが、労働賃金すら払おうとしない被告国はどのよ  うな顔をして原告の前に立っているのか、とくと拝見することにする。

   4)これらの迷路を解決するには原告が主張するとおり49ジュネーブ条約6条後文の  ”捕虜について一層有利な措置を執る“ 外に道はないのである。憲法第14条の平等  を保持するためにも未払い労働賃金等に見合う補償金支給の立法義務の確認を考慮  されるべきである。

第2、戦後通貨経済体制の安定を図るため連合国最高司令官総司令部は海外から流入する通貨等を制限したのであったが、捕虜として抑留されていた者については労働証明書記載の金額を制限することなく支払うよう指令し、実施させたことは被告第5準備書面9ページのとおりであるが、この措置は被告第4準備書面5ページ以下の国際慣習法成立の要件である一般慣行と法的確信の存在に関係があるので、以下存在を具体的に主張し、立証する。

1、これは “捕虜の労働賃金は支払わるべし“ の国際人道法の原則に従い、他に優先して何ら制限されることなく実施されたものである。

2、これは抑留国に代わって支払われた抑留期間中の労働賃金であり、国際慣習法に準拠した所属国払い方式のとおり実施されたものである。

3、以上連合国の指示に従い我が国は、国際人道法、国際慣習法の定めるとおり忠実に履行しているのである。

4、これをもって我が国は国際慣習法成立の二要件たる「法的信念」と「一般慣行」を一点の非の打ち所なく実施したことになる。

5、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に遵守すべき立場にあった日本政府は、その命令に従ったまでのことで、自らの責任ではないというが、これは世間に通用する理屈ではない。破産した極道息子が世間に迷惑を掛けた後始末の証文にハンコを押しておきながら、いや、あれは親が無理矢理押させたものだから俺の責任ではない と言ってもはじまらない。

6、被告国はその第4準備書面2の国際慣習法に基づく請求について、必要とする二つの要件は以上のとおり我が国自身が見事に実践している以上、第2次世界大戦終了時までに、国際慣習法は成立していたのである。

7、以上は原告第11準備書面14ページで述べたとおり、国際慣習法に基づく請求についての項及び第66条の解釈についての一部をなすものである。これらは当事者に主張立証責任のあることは承知していることではあるが、国際法も裁判所によって適用される法規範である以上、裁判所の職権による探知義務は免れないところである。充分なる法解釈の下での判断をお願いする。

第3、原告第10準備書面の主張について     略

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