第1章
  2、大阪地裁1009法廷

  <その10> 原告鋭く反撃し争点を提案する       2000.8.17〜

原告第11準備書面 原告第12準備書面

原告第11準備書面                   平成12年8月17日

第1、被告第4準備書面はいろいろ難しいことが述べられているが、肝心のピントが外れ、いずれも反論になっていないので以下それらを指摘する。

1、原告らは49年ジュネーブ条約第6条を中心に被告の違反を問うているのである。即ち締約国は他の特別協定を締結することができる。が、この条約で定める捕虜の地位に不利な影響を及ぼし、又はこの条約で捕虜に与える権利を制限するものであってはならない。のであって、この条件を充たすためには捕虜に払うべきものをキチンと払うことが前提で、これを怠った日ソ両国の義務不履行を咎めているのである。

従って捕虜の受け取るべき未払い賃金を積み残したまま締結された日ソ共同宣言は無効であり、将来締結されるべき平和条約もこの基礎条件を欠いたままでは成立しないと主張しているのである。

“原告の主張は必ずしも明確ではないが・・・・” とか、“いかなる請求権を根拠付ける意図かは明確ではない” などしきりに憶測されているようだが、原告の権利はさておき、ここに問われているのは被告の義務のことであるのに、原告の請求を免れるに汲々とするあまり、問題の焦点を見誤ったか肝心の第6条への弁明は何一つなされていない。

2、“日ソ共同宣言に於いて、日本国民が有するいかなる請求権をも放棄していな
である。(10ページ)そうだが、これに関しては原告第7準備書面(18ページから)に於いて、言を左右する矛盾について釈明を求めているところであるが、この場の直接テーマではないので、これ以上の論究は差し控えるが、放棄したかしないかはさておき、請求権そのものの存在は認めておられるようである。請求者資格の有りや無しや、決済義務が日ソいずれにあるかは別にして、未解決のまま日ソ間に残された勘定の存在については全文に渉って言及し認めておられる。問わず語りの語りに落ちるとはこのことで、証拠はこれで充分なのである。即ち捕虜の未払い賃金が未解決のまま今も日ソ間に残っている事実。だからこそ被告は49年ジュネーブ条約6条に違反しているのである。

 3、“日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない” 何と薄情な、まるで他人事のようなご挨拶だが、原告らを地獄へ連れて行った団体としての責任は誰がどう取るつもりであるのか。海外で旅人が危難に逢おうものなら真っ先に現地へ駆けつけるのは旅の主催者たる旅行屋で、必死になって万端の世話を焼く、これが世の中の道理である。日本国民とは原告ら捕虜たちも含むものであり、個人として有する請求権の中には未払い賃金を含むものであり、それが放棄されていないならソ連(後身のロシア)にそのまま残り未解決のままということだ。この状態は繰り返すが被告にとり第6条違反であり、また原告にとっても同条約第7条に拘束されることなのである。即ち “捕虜はいかなる場合にも、この条約・・・・により保証される権利を部分的にも又は全面的にも放棄することができない。” のであり、“日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。” と憲法第98条2項が示す以上、原告、被告共これらに反することは許されないことなのである。

  4、“1949年条約66条が第2次世界大戦の場合に適用されないことは明らかであり・・・・日ソ共同宣言が無効とする前提を欠くことになる(9ページ)” とあるが、これは明らかに間違いである。この条約ができたのは1949年、我が国が加盟公布したのは被告の述べるとおり、1953年10月21日である。そのときの日ソ両国は砲火銃声こそ収まっていたものの依然第2次世界大戦継続中であり、1956年日ソ共同宣言に於いてはじめて和平は成立したのである。また停戦後抑留された60万の捕虜のうち大部分は既に帰還していたが、条約公布当日にはなお3290名がシベリアにあり、最終帰還船が舞鶴に入港したのは実に和平後の1956年12月26日のことであった。このように49ジュネーブ条約が公布されたのは戦争中のことであり、捕虜は未だシベリアのラーゲリで労役に服していたのである。第2次世界大戦中に加盟していながらその戦争には適用されないことは明らか・・・・という根拠はどこにあるか。その戦争で発生した捕虜の労働対価をその抑留国と所属国が談合し、うやむやのうちに踏み倒すような不法を防止するためにこそ第6条はあるのである。

 5、 49ジュネーブ条約の加盟は1953年。その後1956年に締結された日ソ共同宣言がこの条約に拘束されることは論を待たない所であり、被告の同条約第6条違反を問うのに遡及効を争う必要は全く無い。

第2、被告は第4準備書面の1において“原告らは同条約が効力を生ずる以前に本邦に帰還しており、捕虜たる身分を終了しているから労働対価を請求することはできない” という。同条約の遡及効の有無については次項で述べる処であるから、ここでは捕虜身分のことに限り被告の誤りを指摘しておく。

1、帰還の遅い早いに拘らず、ともに第2次世界大戦の捕虜であったことに何ら変わりは無い。

2、従って条約公布の後が権利のある捕虜であり、それ以前はそうではないなど、人間はそう冷たいことを平気で言うものではない。

3、捕虜たる身分を早く終了したいにも、受け取るべきものを受け取らない限り終了できない。この台詞は払うべきものをキチンと払ってから言って貰いたい。

4、戦後南方から帰還した日本軍捕虜に対しては条約公布以前であるに拘らず労働賃金が支払われている理由を説明して貰いたい。

5、条約公布のとき捕虜たる身分を終了していなかったシベリアの3290名は請求資格があるのかないのか教えて貰いたい。

6、条約が成立した1949年当時第2次世界大戦における各国捕虜は既にその身分を終了しているにも拘らず労働賃金を受け取っているがその理由を説明して貰いたい。

 以上の論議は原告らに、また広く捕虜全般に、捕虜でさえあれば労働対価は支払われなければならないのであって、請求資格がどうであれ被告が支払い義務を免除されるものではない。ここに問われているのは原告らの請求権の有無ではなく被告国の支払い義務不履行なのである。

第3、被告国は第4準備書面1において49ジュネーブ条約の遡及性について否定するが、本事案は前章で述べた通り被告の同条約6条違反を問うに遡及効は必要なく、そのまま適用されて何ら差し支えの無いことは明白である。然しながら「シベリア抑留」という歴史的事件の真相を糾明するに当たり、そのような解釈がまかり通っては真実を曲げる虞れあり、それでは辛苦を体験した者として見過しがたい処であるので、ここに反論して正鵠を期したい。

1、被告は第4準備書面その1において同条2条を挙げ遡及的適用の余地はないのであると主張するが、その2条に関して第141条がある。その前段に “第2条及び第3条に定める状態は、紛争当事国が敵対行為又は占領の開始前又は開始後に行った批准又は加入に対し、直に効力を与えるものとする。” とある通り、戦争がまだ終わっていない状況下にあって後から加盟した国であっても、この条約はその戦争全体に遡って適用されるのである。

2、同条134条に “この条約は締結国間の関係においては、1929年7月27日の条約に代わるものとする。” とあり、明らかに29年ジュネーブ条約との「代替」(replace)であることを規定している。

3、同条第135条に “1899年7月29日又は1907年10月18日の陸戦法規及び慣例に関するヘーグ条約によって拘束されている国でこの条約の締結国であるものの間の関係においては、この条約は、それらのヘーグ条約に附属する規定の第2章を補完するものとする。” とあり、1907年ヘーグ条約の「補完」(complement)を明示している。

4、以上は被告が言う条約法に関するウィーン条約28条 “条約は、別段の意図が条約自体から明らかである場合”に相当する。 “随って49条約の遡及効を認めることが右条約の人道法条約としての特性から要求される解釈といえよう。言い換えれば49年条約が単なる新規立法ではなく原理的に遡及性をもつ条約としての性質を有し、かつその内容は既存条約の慣習法的展開を前提とした「漸進的法典化(progressivecodification)条約であることを意味するといえよう。”(広瀬善男著<捕虜の国際法上の地位>) 以上の通り49ジュネーブ条約は第2条の言う戦争の発端に遡及し、更に旧国際人道法にも連絡して新旧条約の「相互乗り入れ」効果を保証しているのである。

5、これら国際人道法が1907ヘーグ条約の全文に示された “・・・・一層完備シタル戦争法規ニ関スル法典ノ制定セラルルニ至ル迄ハ、締結国ハ其ノ採用シタル条規ニ含マレサル場合ニ於イテモ、人民及交戦者カ依然文明国ノ間ニ存在スル慣習、人道ノ法則及公共良心ノ要求ヨリ生スル国際法ノ原則ノ保護及支配ノ下ニ立ツコトヲ確認スルヲ以テ適当ト認ム。” との世にマルテンス条項と称せられる精神により延々と今に引き継がれていることはご存知であろう。この立法の精神を服膺するならば一連の条約の遡及、代替、補完の意味は素人の原告らにも容易に理解できることである。

第4、国際人道法の解釈について

1、被告の反論は一見法的模範解答のごとくであるが、その方程式がいかに見事であれ、肝心の答えが間違っている。何故ならば世界は既に別の正解をだして各国とも実践しているからである。

1)第2次世界大戦において不運にも捕虜として抑留された兵士は幾百万にものぼろうが、その身分と権利義務は世界共通の一つのルールによって拘束され守られている。

2)即ち陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(1907年ヘーグ条約)以来俘虜ノ待遇ニ関スル条約(1929年ジュネーブ条約)に引き継がれ捕虜の待遇に関する条約(1949年ジュネーブ条約)と続く国際人道法や国際慣習法であり、加盟各国もともにこれらを誠実に遵守する義務を負っている。

3)そして加盟各国の捕虜はこれらに定められた労働対価、又はこれに見合う補償を既に受け取っている。

4)だが先進国、文明国といわれる近代国家の捕虜の中でこの支払いを受けていないのは日本兵士の、それもシベリア捕虜だけである。(同じ日本でも南方捕虜は受領済)

5)この明瞭なる事実により国際人道法の解釈において被告国の誤りは明らかである。同じ戦争で捕虜になり同じく抑留されて労役に賦し同じルールが定めた権利をシベリア捕虜のみが受け取っていないのである。出発点の条件が同じで結果が違えば、それは過程におけるルールの解釈がおかしいのではないかと被告国は謙虚に再考すべきである。

2、アンリ、デュナン提唱以来引き継がれた国際人道法はいかに苛烈な戦争であるとは言え、兵士の本分を尽くして捕らわれた捕虜を人間としてどう守り合うかの人類愛から生まれたものと聞いている。これを運用するのに「捕虜は人道を以って取り扱われるべし」「捕虜の労賃は支払われるべし」等これら立法の精神を尊重した解釈と、そうでないのとでは結果において天と地の相違が生じるであろう。世界は既に幾多の経験と論議の濾過を終え、それぞれ条約を遵守している。その中で独り我国のみ否定を積み重ね、補償の義務を免れんものと異説を立て条約に逆らう不法を続けているのである。

 行政府においては今に至るもこの条約に対応する施策を行わず、立法府においても連携した国内法の立法化を怠り、あまつさえ司法においても正常なる国際法に基づく捕虜の訴えをも却下する等、国家として積極的に条約の精神に逆らっているのである。

 それほど自説に信念を持つのであればどうしてそれを堂々と世界に開陳し、軽々しく補償を行っている諸国の愚をたしなめないか、またそんなに自国補償が嫌であるなれば条約に留保を付すべきである。そのような手続きをとることなく加盟したからには、忠実にこれを遵守すべきであるに拘らず“戦争捕虜に補償する義務はない” と強弁すること自体49ジュネーブ条約第1条の “締約国は、すべての場合においてこの条約を尊重し且つ、この条約の尊重を確保することを約束する。” に違反し、また憲法第98条2項にもとることは明らかである。

3、ここで考えてもらいたいことが一つある。今次大戦において捕虜の身分を尊重し補償の義務を果たした諸国は戦いの勝敗や国のかたちに関係なく、いづれも捕虜を愛国者とする国々であり、その反対に義務を無視する国は捕虜を恥としべっ視する国即ち日本とソ連のみだと聞いている。このことは偶然ではない、捕虜に対する考え方一つでこれだけ違うのではなかろうか。

 捕虜の国際法上の地位を認めまいとする日本軍国主義については追って陳述する所であるが戦陣訓に象徴される捕虜観がいかに野蛮でひどいものであり、世界の良識に逆らった妄想であったかを、この法廷は銘記する必要がある。この場で再び国際法の掲げる精神を忘れ捕虜への義務を無視せんか、この国は将来更に大きな過誤を繰り返すことになるであろう。

第5、被告国が第6条の条件を充たすためには捕虜に労賃相当のものを支払う外ないのであって、その義務を免れようと強弁すればするほど同条に逆らい違反の罪を深めるという矛盾に落ち、また日ソ共同宣言無効を否定すること自体が条約に逆らうと言う自縄自縛の愚を冒すことになる。法廷での争いは甲論あれば当然乙論はあろうが以上の通り被告に論理矛盾が生じた以上更なる不毛の論議は無用であろう。

 しかし更に続けられるなれば、被告第4準備書面2の国際慣習法に基づく請求についての項及び第66条の解釈については全面的に争う。

     原告第12準備書面 (要約)              平成12年8月17日

第1、裁判もいよいよ争点整理の段階に入るやに聞きますが、これらは裁判官の裁量によるものでその指揮に従うのは当然のことながら、願わくば以下を争点に挙げられるよう希望いたします。

1、原告第4準備書面の10月16日閣議の件

2、関東軍を引揚第1順位とした希望を連合国に拒否された経緯

3、原告第5準備書面の被告国が原告らを敵国に引き渡した事実

4、原告第6準備書面の「シベリア抑留」が、ソ連への賠償労役であった事実

5、原告第7準備書面の国の国際人道法違反は国内だけにとどまらない問題

6、原告第9準備書面の法の下の平等について

7、原告第10準備書面の連合国最高司令官の裁判基準

裁判官に申し上げる。これらを争点に事実に基づき裁いてもらいたい。古今東西に通用する道理で裁いて頂きたい。「シベリア抑留」はありきたりの悲劇ではなく、数々の様相を持つ未曾有の事件であり、その全貌は一朝一夕に語り尽くせるものではない。幸い本法廷の英知によって悉皆照覧あるならば事件の実相は白日の下に現れて「シベリア捕虜」の訴えは認められ、老兵の名誉も回復されるであろう。日本人として自らの問題を自らの手で解決した後にやるべきはスターリンの犯した赦しがたい人道的犯罪の弾劾である。我が民族の誇りのため、これだけはやっておかねばならないことなのだ。我国は今までひと言も「シベリア抑留」の非を鳴らしたことはないが今こそ正々堂々と旧ソ連の責任を問い、日ロ平和条約を有利に展開しなければならない。真の日ロ友好は「シベリア抑留」の血と汗と涙を下敷きにしてはじめて回復されることである。世を終わらんとする老兵たちの遺言をどうか判って頂きたい。

第2、  略
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