第1章
  2、大阪地裁1009法廷

  <その9> カマキリ路線分裂の危機            2000.6.15〜

原告第10準備書面 被告第5準備書面

原告第10準備書面                平成12年6月15日

 私たちの裁判は昭和20年9月2日から同27年4月28日に至る連合国占領時代の出来事であるに鑑み、この裁判に適用すべき基準について次の通りお願いいたしますのでご了承戴きたいと存じます。

 この裁判は連合国占領時代の裁判基準を採用されたい。

 今その裁判基準とは何かを記すことと致します。

第1、連合国時代は我が国に如何なる影響を与えたか。

1、昭和20年8月15日わが国はポツダム宣言を受諾し無条件降伏を通告。即ち我が国はポツダム宣言を受諾すると同時に連合国に無条件降伏する旨通告しました。そして9月2日降伏文書を連合国に提出すると同時に連合国の占領に服したのであります。

2、その占領についてポツダム宣言に次の通り記載されている。

(6)吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるにいたるまでは平和、安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以って日本国国民を欺瞞して之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及び勢力は永遠に除去せられざるべからず。

(7) 右の如き新秩序が建設せられ且日本国の戦争遂行能力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我等のここに指示する基本的目的の達成を確保するため占領せらるべし。

(12)前期諸目的が達成せられ且日本国国民の自由の表明せる意思の従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於いては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし。

3、占領についての日本の受け止め方。

  この間の日本政府の権力に関しては色々言われておりますが敗者たる日本国は勝   者たる連合国の意見に従うべき事は無条件降伏者として当然であります。そこで連合  国が公にしている意見を考えてみる。

4、降伏後における米国の初期の対日方針。

 連合国の占領の責任者であるト大統領は対日占領の基本方針たる「降伏後における米国の初期の対日方針(以下対日方針と略称する)を9月22日に発表したが次の通り記されている。即ち第2部連合国の権限の中の「軍事占領」に於いて “究極目的達成のため日本本土は軍事占領せられその間日本の主権は連合国最高司令官に隷属し同司令官は日本政府機構及び人事の変更権乃至直接日本国民に対し命令する権限を留保す。“ と書かれており、更に「日本政府との関係」として “天皇及び日本政府の権能は最高司令官に隷属せしめられ最高司令官は降伏条件占領実施のために樹立された政策の遂行・・最高司令官は米国の目的を満足に進捗せしめる程度に天皇を含めて日本政府機構及び諸機関を通じて権力を行使する。日本政府は連合国最高司令官の指令を受けて国内情勢に関する通常の統治権を行使することを許される” と記してある。

 (註)日本政府機構等を通じての意味は連合国最高司令官が政府機構を利用して権力を行使するという意味であり決して日本政府に権力を与えたのではない。また通常の統治権の行使とは国家あるいは軍国主義者に関係のない一般国民の裁判を含む政治と思われるがそれも連合国最高司令官の指令(命令)により行使するのであって之又日本国に権力を与えたものでないことは明らかである。これ等のことは同年9月24日朝日新聞に掲載されているのでお読み願いたい。

5、平和条約の主たる条項

 昭和27年4月28日発効の平和条約に於いては冒頭に決定的な次の条項が定められている。即ちこの平和条約の第1条の記載を見れば一目瞭然である。

第1条(a)「戦争状態の終了」

 日本国と各連合国との間の戦争状態は第23条に定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。

第1条(b)「日本国の主権回復」

 連合国は日本国及びその領水に対する日本国民の完全なる主権を承認する。

 つまり平和条約は日本国がこの条約までは戦争状態であると言いこの条約発効と同時に主権が回復される、つまりそれまでは主権が無かった事を意味している。

第2、連合国の占領時代には我国には主権が存在しなかった。

 以上を殊に最近の平和条約を見た処如何に考えても我国に主権があったと考えることは無理である。主権の解釈には色々あると言う人もあろうけれど「降伏後における米国の初期の対日方針」には「・・・日本本土は軍事占領せられその間日本の主権は連合国最高司令官に隷属し・・・」とあり更に「日本政府との関係」について「天皇及び日本政府は最高司令官に隷属せしめられ・・・」と記載あるは結局「日本政府等は最高司令官の部下となりその命令には服従する」のであり主権が連合国に存在し我国に無いことを示すものである。これが無条件降伏者の勝者に対する悲しい運命である。

 では主権者は連合国最高司令官であると言っても具体的にどの国かと言えばその中の最強国であり、最高司令官を派遣しており、且つ日本国を屈服させる原動力となった国即ち米国であった。つまり日本は米国の主権の下にあったのである。この考えにもし不賛成の場合は当時の主権国たる米国政府に聞いて戴きたい。

第3、連合国の我国占領は何の目的か。

 連合国最高司令官はポツダム宣言の第6項及び第7項に基づき占領した。このポツダム宣言の定めはさきに示してあるが要約すれば「日本国民を欺瞞して世界征服の挙に出させた無責任なる軍国主義の権力と勢力を永遠に排除するを目的とし更に日本の戦争遂行能力が完全に破砕されるまでは」占領するとしている。この解除は同第12項の通りで要約するに「軍国主義者の権力等が完全に排除され平和的且責任ある政府が樹立された場合には占領軍は撤退する」と示している。つまりこの占領の終了は日本が従来の軍国的専制主義から民主主義に移行したことを確認した日であり同時に平和条約発効の日であった。つまり日本の民主化は占領の始めから徐々に進み6年8ヶ月余を経て達成された。

第4、連合国最高司令官は日本を如何に統治したか。

 連合国最高司令官は行政は勿論立法及び司法の総てに渉りポツダム宣言を実施するために全権をもって軍国主義の日本国から民主主義の日本国に変貌させた。占領の期間は大きく言って次の二つに分けることが出来る。即ち前期は軍国主義及び主義者の権力及び勢力の排除の時代であり後期は民主主義による平和的な国家樹立に関する諸法規等を整備する次代である。

1、軍国主義排除の時代(昭和20年9月2日〜昭和22年5月2日)

 即ちこの時代はマ元帥が立法、行政、司法の三権を握り日本を統治していた時代でありその際日本の法律は一切姿を消していた無法の時代であった。降伏の前まで日本を支配していた旧憲法即ち大日本帝国憲法は降伏と同時に天皇及び日本政府は連合国最高司令官に従属せしめられたのでポツダム宣言に従い軍国主義の象徴であった憲法は勿論廃棄されその他の法律も国家の基礎たる憲法を失っては当然消え去っていたのである。

 この時期は連合国に降伏して実際上は効力を失っていた軍国主義的諸法規を未だに守ろうとする軍国主義者を連合国が強権を以って排除せんとする戦いの時代であり事件的に言えば「大本営の廃止―陸海軍の廃止」「政治的市民及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書即ち人権指令」「政治犯釈放」であり「5大民主化改革指令」であった。
 軍国主義者の排除と言えば戦犯逮捕監禁、公職追放等であり具体的に言えば内務大臣、警察幹部、更に多数の特高警察官等の罷免である。更に軍国主義的法律の廃止としては国防保安法、軍機保護法、治安維持法、治安警察法等その他多数がある。要するにこの時代は連合国最高司令官の占領により日本の憲法以下総ての法律が効力を失っておりまさに混沌の時代であり旧体制破壊の時代であった。更に朝鮮の独立台湾の分離樺太の分離や旧南洋諸島の委任統治の解任、更に関東州の分離並びに満鉄等の喪失更に旧満州国に対する利権等の喪失等は本来連合国への賠償の意味もあったであろうが日本の意思とは関係なく一方的に行った。

 そして旧体制破壊の後は新体制の建設であり連合国最高司令官は徐々にそれに踏み込み、効力を失った旧憲法に代わり新憲法の制定を考え自らポツダム宣言の意向をいれた民主主義の日本国憲法を昭和21年11月3日に於いて特命により残っていた帝国議会に於いて成立させ昭和22年5月3日施行させた。

 それと同時に貴族院及び衆議院の二院から衆議院及び参議院にした「国会法」及び大審院、控訴院、及び裁判所であった旧体制から「最高裁」「高裁」「地方裁」「簡易裁」「家庭裁」としたる「裁判所法」を成立させ憲法と同時に施行させ、同時に軍国主義排撃の時代を終わり民主主義国家建設の時代に入るのである。

2、平和国家建設のための法律整備時代 (昭和22年5月3日〜同27年4月27日)

 即ち日本国憲法及びそれに伴う国家の発足に伴う重要な法律施行の日から平和条約発効の日昭和27年4月28日の前日までの期間であり、その間連合国の権力の下その意向により着々と法律整備に当たった期間であって、平和国家建設のための法律整備完成したと認められたのが平和条約発効の日であった。この昭和22年5月3日は日本国憲法、国会法、裁判所法、皇室典範、皇室経済法、請願法統の国家の基本法が施行されて、新憲法による国会法が出来たので新しい民主的法律ができる体制が整備された画期的な日であり、その後いかなる法律が出来たか又旧法律が改正されたかを現在手元にある三省堂「新六法」にて調べているので現在時点に於いて始めから順に次の通りであると申し上げておく。

 先ず新法の公布としては「人身保護法」(公布23.7.30.)公職選挙法(25.4.14.)政治資金規正法(23.7.29.)最高裁国民審査法(22.11.20.)国家行政組織法(23.7.10.)国家公務員法(22.10.21.)・・・以下略があり、次に旧法の改正としては民法(22.23.24.及び25年度に改正)商法(22.23.24.25)刑法(22)等がある。これらのいずれを見ても国民に大なる関係があり民主国家の建設にふさわしく、その数は「新六法」で言えば未だ半分足らずに過ぎない。

第5、占領時代の総括

 以上は占領時代を二つの期間に分けて述べたが此処では全体として如何に見るかについて考察したい。先ず我国は8月15日にポツダム宣言を遵守し連合国に無条件降伏したことは如何なることであるかと考える。ポツダム宣言には我国は軍国主義者に毒されて居るからそれらを排除して新しい平和的国家を作り上げることを宣言しており、我国はそれを遵守することを約したのであるから天皇を頂点とした旧明治憲法を破棄しそれに基づく国家無答責の法理も旧大審院の判例や、それに基づく法律の一切を自ら破棄したことは疑いない。

 我国はその時主権を失うと同時に無法時代になったのでありそれに代わり連合国最高司令官はそれ以後、平和条約発効の日まで我国の占領に当たり、我国を軍国主義国から平和的民主国家に改めること即ちその法律を整備する事に全力を尽くし平和条約発効の前日に総てが終わった。我国が正常な状態で無条件降伏せずに主権があった時ならばその法律が何日から発効するか等は施行期日の定めの通りであろうが、無条件降伏の結果連合国に占領されており我国に主権が無かった時代であるから状況は全然異なる。連合国最高司令官は占領の目的に鑑み占領終了の日までに成立又は改正させた総ての法律を占領が実際始まった日昭和20年8月15日まで少なくても占領が形式上始まった日まで遡及させることが合理的と考える。

第6、シベリア抑留を現在裁判する場合に如何なる基準を以ってなすべきか。

 シベリア抑留は連合国の占領時代の事件であるから、現在我国で裁判する場合は連合国最高司令官が認めたであろう裁判基準によるべきことは当然である。即ちその時に適用すべき基準は前項にも言及したとおり「昭和27年4月27日までに公布又は改正された法律の全部とし且つ実際上占領開始の時期―もしくは形式的に始まった日―まで遡及することにする」事が最も合理的と考える。

 若しこの裁判基準に異論がある場合は当時の主権国である米国にお問い合わせ戴きたく、米国政府が示す裁判基準がそれと別であった場合はその回答の写しを以って示してくれれば当方はそれに服するにやぶさかではない。占領の期間中は我国に主権なく米国にあったのであるからその当時の事件に関して我国で裁判する以上当時の主権国に問い合わせをすることはむしろ当然と考える。

 < 註 >  この第10準備書面は原告松本 宏の起草である。これまで裁判所への諸文書は事前に討論し、意見を纏めて事務局が一本化して提出されていた。しかしこの頃から松本説の “裁判はマッカーサー基準でやれ” が主張され、反対する池田との調整がつかないまま執筆、提出されたもの、以後路線の乱れは次第に広がり、不幸にして控訴の頃には事実上分裂した。

      被告第5準備書面                 平成12.8.9.

 被告は、原告らの平成12年6月15日付け「原告第9準備書面」(以下「原告ら第9準備書面」という。)、同日付け「原告第10準備書面」(以下「原告ら第10準備書面」という。)における主張に対して、必要と認める限りで、以下のとおり反論する。

第1、憲法14条に基づく主張について

1、原告らの主張は、必ずしも明らかではないが、被告は、オーストラリア、ニュージランド、東南アジア地域及びアメリカから帰還した日本人捕虜(以下「南方捕虜」という。)に対して、労働賃金を支払ったにもかかわらず、原告シベリア抑留者に対しては抑留中の労働賃金を支払わないのは、法の下の平等に反するとし、憲法14条1項に基づきシベリア抑留中の労働賃金を請求するものと思われる。(原告ら第9準備書面1ないし5ページ)。しかし、原告らの主張は、以下に述べるように失当である。

2、憲法14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定している。これは「近代憲法のもつ平等主義の大原則を一般的に宣言したものであ」り(法学協会、注解日本国憲法341ページ)、「人格の価値がすべての人間について平等であり、従って人種、宗教、男女の性、職業、社会的身分等の差異に基づいて、あるいは特権を有し、あるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならぬという大原則を示したものに外ならない。」 (最高裁昭和25年10月11日大法廷判決、刑集4巻10号2037ページ)。

この憲法14条1項にいう「法の下の平等」の意義については、学説上、法の適用に関する平等を意味するとする立法者非拘束説と単に法の適用のみならず立法者をも拘束するとする立法者拘束説があり、立法者拘束説が通説、判例であるが、それによれば、「立法、行政、司法のあらゆる国政のうえにおいて、すべての国民を平等に処遇することが、本項によって求められるものであって、国民の側からすれば、すべての者の法的権利の平等であることが意味されている。したがって、本項前段は、法の内容についての制約として、立法に規準を与え、また法の執行に対する制約として、行政と裁判とを指導するものであって、いわば高次の国政指導原理たるべきものであ」り(法学協会、前掲書348ページ)、右条項に言う「差別されない」とは、「差別を内容とする行為(法律ないし処分)を違法とし、無効とする意である。」(宮沢俊義、憲法U(新版)272ページ)ということになる。

 しかし、憲法14条1項は、それ以上に、「国民が実質的平等を実現するように国家に要求する権利を含むものではな」く、「本項の定める平等性は、国家の不平等取扱を排除するにとどまる。」(法学協会、前掲書352ページ)のである。(中村哲、日本国憲法の構造177ページも、「積極的な平等の実現を要求することは、立法要求として法律の制定をまつ他ない。この憲法の規定(被告注、憲法14条)は綱領規定であるから、これによって直ちに具体的な権利(主観的な法)が生じるものとみることは出来ない」として、この理を説いている。)

 これまで裁判例において憲法14条1項が問題とされた事例は多数存するが、そのほとんどが右条項違反を理由に法令、処分等の違憲無効(場合によっては違法)が争われた事例であり、(代表的な事案として、刑法200条が違憲無効とされた最高裁昭和48年4月4日大法廷判決、刑集27巻3号265ページ、公職選挙法13条、別表第1及び同法附則7項ないし9項(昭和50年法律第63号による改正前のもの)による選挙区及び議員定数の定めを違憲とした同昭和51年4月14日大法廷判決、民集30巻1項223ページ)、直接模擬条項に基づき、国民の国に対する実体法上の請求権を認めた裁判例は存しないのである。

 以上のとおり、憲法14条1項は、法の下の平等原則を宣言したもので、その裁判規範としての効力も、右条項に違反する法令、処分等の無効(場合によっては違法)とするにとどまるものであるから、右条項を根拠に国民の国に対する実体法上の請求権が発生することはできないのである。

 したがって、原告らシベリア抑留者が、被告に対し、捕虜としての抑留期間中の労働賃金の支払いを請求するためには、被告にその支払いを義務づける立法を必要とするものであるところ、そのような法令は存在しない。そのような立法措置が採られていない点で立法政策の当否が問題となり得るとしても、かかる法令がない以上、憲法14条1項に基づきその請求をすることはできないのである。

 この点、本件と同様にシベリア抑留者から抑留中の補償等を被告国に求めた事案について、最高裁判所平成9年3月13日第1小法廷判決(民集51巻3号1233ページ)は、大蔵省告示の定めるところに従って、オーストラリア、ニュージランド、東南アジア地域など(以下「南方地域」という。)から帰還した日本人捕虜に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払ってきたのであるから、シベリア捕虜に対しても、憲法14条1項に基づき、その抑留期間中の労働賃金を支払うべき法的義務を負担すると解すべきであるというのである。しかしながら、右事実関係によれば、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間については、被上告人において、所得を証明するような資料を所持していない者に対して抑留中の労働賃金を決済することは、連合国最高司令官総司令部の覚書によって許されていなかったものといわざるを得ず、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従うべき義務を負っていた日本政府が、右決済の措置を講じなかったことをもって、上告人らに対して差別的取扱いをしたものということはできず、その限りにおいては、所論はその前提を欠くものというべきである。そして、連合国との間の平和条約が発効し、我が国が主権を回復した後においては、捕虜の抑留期間中の労働賃金を被上告人において支払うべきかどうかの問題は、戦争損害に対する補償の一環をなすものとして、立法府の総合的政策判断にゆだねられるに至ったものと解すべきことは、前記説示のとおりである。したがって、被上告人が主権回復後において、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払いためには、右のような総合的政策判断の上に立った立法措置を講ずることを必要とするのであって、そのような立法措置が講じられていない以上、上告人らが、憲法14条1項に基づき、その抑留期間中の労働賃金の支払いを請求することはできないものといわざるを得ない。」と判示しているのである。

 したがって、原告らの主張は、失当である。

3、また、原告らは、1992年にロシア共和国政府から、労働証明書コピーを入手したとし、これにより原告らに対する労働賃金支払いの条件が揃った旨主張する。しかし、右労働証明書の存在をもって、被告が原告らに対し、抑留期間中の労働賃金を支払うべき義務を生じさせるものではない。

右最高裁判決も、「所論は、原審の口頭弁論終結後に上告人らの一部のものに対しロシア共和国から労働証明書の交付がされた事実を指摘して弁論の再開を申し立てたのに、弁論を再開しなかった原審の措置には審理不尽の違法があるという。しかし、仮に、右事実が立証されたとしても、上告人らが、被上告人に対し、捕虜としての抑留期間中の労働賃金を請求するためには、被上告人にその支払いを義務付ける立法を必要とするのであるから、右のような立法措置が採られていないという立法政策の当否が問題となり得るに過ぎず、憲法14条1項に基づきその請求をすることはできないという右判断が左右されるものではない。」とし、ロシア共和国政府発行の労働証明書の存在をもって、布告に労働賃金の支払義務を生じさせるものではなく、その義務を生じさせるためには、立法措置が必要である旨判示するのである。したがって、原告らの右主張は失当である。

第2、原告ら第10準備書面の主張について

 原告らは、原告ら第10準備書面において、昭和20年8月15日にポツダム宣言を受諾したことにより、「天皇を頂点とした旧明治憲法を破棄しそれに基づく国家無答責の法理も旧大審院の判例や、それに基づく法律の一切を自ら破棄した」とし、「連合国最高司令官は占領の目的に鑑み占領終了の日までに成立又は改正させた総ての法律を占領が実際始まった日昭和20年8月15日まで少なくても占領が形式上始まった日まで遡及させることが合理的と考える。」と主張する。 しかし、原告らが本件に遡及的に適用すべきと主張する法律がいかなる法律であるかは全く不明であるだけでなく、その法律の適用によって、原告らの被告に対するいかなる請求を根拠づけるかが不明であるので、あえて反論の要を認めない。

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