<その8> 戦後補償の不公平についての訴え 2000.6.15〜 |
原告第9準備書面 平成12年6月15日 憲法第14条は国民平等の原則を次の通りうたっている。 “すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。” それであるのにシベリアに抑留された者への処遇に対して被告国の対応はまことに公平を欠き、憲法の精神に著しく反しているので以下その実情を申し述べる。 第1、 我々原告は敗戦時関東軍の兵士であり、そのとき運悪く満州(中国東北部)に出陣していたばっかりにソ連軍に抑留され、戦後長年に渉って奴隷に劣る強制労働の辛酸をなめ、ソ連の要求する労役を課せられた者である。 国の債務は国民等しく平等に負担すべきものであるに拘わらず、たまたま其処に居合わせたという理由だけで我々のみに負担させられ今日に至るもこの不公平が是正されないのは差別であり憲法違反である。
第2、 オーストラリア、ニュージランド、東南アジア地域及びアメリカから帰還した日本人捕虜 (以下南方捕虜という)に対しては労働賃金を支払い、シベリア捕虜には支払われない不公平。 1、 シベリア強制労働補償請求事件(平成5年(オ)第1751号)に対し最高裁は平成9年3月13日本件の上告を棄却したが、以下はその判決文の一部である。 “南方地域から帰還した日本人捕虜は、被上告人からその抑留期間中の労働賃金の支払いを受けることができたのに、シベリア抑留者は過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課せられたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金が支払われないままであることは、前記説示のとおりであり、上告人らがそのことにつき、不平等な取り扱いを受けていると感ずることは理由のないことではないし、また国際法上、捕虜の抑留期間中の労働賃金の支払いを確保すべきことが求められていることは、陸戦の法規慣例に関する条約以来の捕虜の待遇に関する国際法の変遷や49年ジュネーブ条約に関する討議の過程につき原審の確定するところから明らかである上、上告人らが捕虜たる身分を失った後であるとは言え、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について、捕虜の所属国がこれを決済する責任を負う旨を定めた49年ジュネーブ条約を披上告人が批准したことをも考慮すると、シベリア抑留者の抑留期間中の労働賃金の支払いを可能にする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人らの心情も理解し得ないものではない。(16ページ、17ページ) この不公平については理解し得ることだと述べられているのでこれ以上説明の要もあるまいが、この不公平は今に至っても不公平のままであり、口で言うだけでは聊かも解消していないのである。
2、 シベリア捕虜は南方捕虜に比べ、どこか不都合なことでもあるのだろうか。 温暖な亜熱帯と、古来から流刑の地不毛の地として知られる酷寒のシベリア、貴方ならどちらで労役に服したいか考えて頂きたい。 帰りの船が来るまでの船待ち労働と役務賠償としての強制労働、健康保持のための運動労働と飢餓とノルマの奴隷労働の、貴方はどちらを希望されるであろうか。 南は長い人で二年未満、北は二年から十年余、通常三年から四年であったが、貴方ならどちらを選ばれるや。個人の好みはいろいろだがシベリアを希望なさるご仁は少ないであろう。だからと言って我々はより手厚い処遇を要求しているのではない。公平に扱って頂きたいと申し上げている。 1) この軍人恩給制度を中心とした戦争犠牲者援護立法の支出累計は次のとおりである。 “大失敗、大敗するに決まっている無謀極まる戦争を起し、拙劣そのものの作戦を強行、その結果、世界史上にも例がないほど無残で屈辱的な惨敗を喫し、380万人もの国民を殺し、国土を焼け野原と化せしめた敗戦亡国の責任者の罪は万死に値する。私は将官以上の軍人はすべて死刑、佐官級も禁固刑、政財界の指導者も同等の重い処分をするのが当然だったと信じている。武器弾薬を欠いた軍隊と邦人市民群を敵中に放棄し、自分たち上層だけが航空機などで内地へ帰還、つまり敵前逃亡した軍人や高級官僚、例えばビルマ派遣軍総司令部の高級将校たちなどさらし首刑に値すると断じてよいのではないか。、戦犯処分の終結、公職追放が解除されたからといって得たりや応とばかり高額の恩給をせしめ、のうのうと暮らす人の神経など私にはどうにも理解できない。” 因みにドイツの「帰還捕虜に対する援助に関する法律」では階級も年功もなく、すべて抑留月で平等に支払われている。 (甲第53号証) 国が使う決まり文句に “戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては国民のすべてが多かれ少なかれその生命、身体、財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって、これらの犠牲はいづれも、戦争犠牲ないし戦争損害として国民の等しく受忍しなければならなかったところであり、これらの戦争損害に対する補償は憲法の予想しないところというべきである。・・・・” 国民等しく受忍しなければならない世の中に、階級年功序列によって莫大な国費を使う軍人恩給とはどういうものであろうか。既に億を手にした人も居られるであろう。これらは国内の不公平ばかりでなく、外国においてもまた然りであり、外遊される天皇にいつまで肩身の狭い思いを強いるつもりであるのか。 原告、被告はいま第3者を煩わせて黒白を争っているが、思えば折角の機会でもある。この場をして長年のわだかまりを解き円満理解の場にしようではないか。そのためには資料の提供が必要だが、とりあえず現在までの軍人恩給階級別支給総額一覧表(人数とも)を出してもらいたい。平等の許容を遥かに超えた事実を見ることにならなければ幸いである。 しかし私は軍恩をやめろといっているのではない。軍恩を出すなら他の戦後補償にも考慮を払うのが当然で、このままでは不公平だと言っている。60万の兵を売ってまでも護持しなければならなかった国体とは、このような公平を欠く体制のことであったのか。
2、 戦傷病者戦没者遺族等援護法以下戦傷病者戦没者関連の制度に関して 我々は筆舌に尽くし難い辛酸を舐めたとはいえ幸運にも生を得て祖国に帰還したが、強制労働のため朔北の地果てる所で無念の死をとげた多くの仲間は哀れである。慰霊には万全を尽くされたい。また傷病を負われた方も同様であるが、渋い国にしては相当気前の良い制度であることも教えられた。在日韓国人であるために、補償を受けられない石 成基氏の裁判で、“右腕をなくした自分と同じ程度の日本兵は現在までに8000万円以上、を受け取り99年度だけでも年額391万円の年金が支給される。” と訴えている。君たちは無事で帰ってこられたのだから、それだけでも結構だと思え との声もあろうが、軍人恩給を受けている人も南方捕虜も生きて帰った人々である。 (甲第60号証)
3、 引揚者等に対する特別交付金に関する法律について 国は昭和42年のこの法律によって引揚者に対する戦後処理はすべて終了したといい、以後は考慮するつもりは一切ないと宣言した。この法はそれほど網羅的で完結的な法であるのか、否である。同法第2条1項には引揚者の定義として “外地に昭和20年8月15日まで引き続き一年以上生活の本拠を有していた者・・・・” とあり、多年満州に住みながら敗戦直前に召集され、従って敗戦の日は戦場にあって自宅に居なかった兵士は生活の本拠を有しない者として失格である。それなればいっそ「シベリア抑留者」を除く とハッキリ書いてくれた方が判りやすい。このように最も露骨な条文で締め出され、結局この法律は台湾、朝鮮、南方、満州からの一般引揚者349万余に対し、1925億円を支払ったが、シベリア抑留者には一銭の支給もない。(甲第61号証)
4、 シベリア捕虜の下層兵士にとり、鈴木総理の答弁書に言う救済は何一つ得られないのである。あり合せの法の中から恩典を探して活用せよ というが、これらの門戸は硬く閉ざされており「シベリア捕虜」はあらゆる面から疎外されて俗に言うまま子いじめ以外の何者でもない。
第5、 北方領土ソ連等に拿捕抑留漁船員補償 漁船員に対して政府は昭和49年2月華東ライン等侵犯のかどで中国に抑留された者に特別交付金一日当り2700円、死亡者に対しては別に600万円の補償を支給している。また昭和51年1月10日北方領土周辺でソ連に抑留された船主乗員に対し、特別給付金の支給を決定、昭和21年1月1日にさかのぼり昭和49年9月30日までに拿捕された乗員の抑留一日につき3000円、死亡者には800万円に抑留日数の日当が加算されている。 海洋の第一線にあって活躍する漁船員に対するこの補償は結構なことだが、そもそも漁業は国益に貢献するも元来営利を求める私企業であり、船員もまた自由意志でその職を選んだものである。シベリア抑留の場合はまったく事情が異なり、国家権力によって一枚の赤紙で召集され、家族も家業も打ち捨てて外地に出征し、国家命令による停戦後に思わざる不法抑留の憂き目を見たものである。そして酷寒と飢餓に耐え、望郷の思いに泣きながら強制労働に服して、多くの犠牲者が異国の土と化していった。 小渕答弁書によれば我々は国際的には捕虜、国内では抑留者と呼ばれるそうだが、同じ抑留者でありながら、この漁船員との不公平をどのように思われるか明確な回答を求めるものである。 第6、 まとめ 以上縷々述べ来たった通り「シベリア捕虜」に対する国の対応は甚だしく公平を欠き、平等の考え方が違うように思われ同じ日本人として理解に苦しむところである。これらは行き掛かり上、不必要な感情が発生して、冷静な思考を妨げているためではなかろうか。「ソ連」または「捕虜」に対する二重の嫌悪感が好ましからざる先入意識を生み、それが災いとなってはいまいか、どうか虚心坦懐心を広げて話して頂きたい。我々が国民として何か悪いことを致しましたか。 我々は軍人勅諭に示された “軍人は忠節を尽くすを本分とすべし” を奉じ祖国と同胞に代わって務めを果たしたではないか。それに酬いるになぜ国は “信義を重んずべし”の精神で酬いないか。我々は戦前の教育を受け、少々の不足はあれ、こと挙げはせず言いたいことも呑み込んで来たつもりだが、この理不尽極まる不公平だけは我慢できない。被告国は道義と人道に立って反省し相応の措置を構ずるべきである。
法は正しくあれ、正しいとは道徳的な規範である。 法の規定が無い場合には、それを支配するのは道徳である。 − グロテウス − |
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