第1章
  2、大阪地裁1009法廷

  <その7> 提訴1年目の暗雲                2000.2.26〜

神林共弥氏への書簡 被告第3準備書面 T君への書簡3
Y.H先生への書簡1 原告第8準備書面 カマキリ裁判一年のご報告
被告第4準備書面 原告木谷丈老への書簡 2

全国抑留者補償協議会会長 神林共弥氏への書簡 1   2000.2.26.

突然の不躾をお許しください。

 私たちの提訴につきましては既にお聞き及びの事と存じます。非力な老人が残された時間もカネもないままに、弁護士も雇えない貧乏裁判を始めた顛末を申し述べ貴会へのご挨拶といたします。

 *5人の原告のうち木谷(奈良)森本(京都)加藤木(茨城)は貴会の府県連会長、松本と  池田は木谷の友人です。

冷酷非情な国の扱いにこのまま泣き寝入りでは如何にも残念。死ぬまで納得できない愚直も少しは居たのだぞと、その存在と言い分を次代に残したい、そんな気持ちを徒手空拳で訴えました。竜車に刃向かう蟷螂の斧です。

昨年4月1日、大阪地裁に提訴、この3月で6回目の公判を迎えていよいよ本番に入った段階です。目下マスコミその他 社会の関心はゼロ。

立法、行政への運動はとても手一杯、もっぱら裁判ひと筋で、急所一突が狙いです。只今は大阪、奈良の支援者が約50名。

 *大阪では貴会の府連代表の河野宏明氏と連帯、毎回資料を送っています。

 *提訴後約1年、ようやく準備書面bS,5,6,7を出したところ、これを中心に前半戦の   争点とする予定です。ここもと同封いたしましたのでご検討下さい。

 *貴会の裁判記録は「シベリア抑留」のすべてを網羅した見事な金字塔、後世の史家が  昭和史の暗部にメスを入れるときの実に貴重な文献となりましょう。「シベリア抑留」が残  した最大の遺産として敬意を表します。

 *争点の大半はこの資料からで、それ以外の新しい発見は殆どありません。ただ同じ材  料でもメニューと味を変えて組み立てています。これら貴資料からの引用をどうかご了   承ください。

貴会への連絡は貴会員3名に任せていましたが、事務局からも改めて以後の連帯をご依頼申し上げる次第です。

 *私たちは調査をしたり立証文書を掘り起こしたりの能力はなく、新しい創見もありませ   ん。一市民の目で、一下層兵士の声でシベリアでの事実を広く社会に訴えたいと思い  ます。

 *  それらの決着を目の色の黒いうちに明らかにしたい。法廷は事実と法律のどちらの側  に立って裁くのか、補償はともかく先ずは事件の解明を・・・・

 *      貴会ご推進のジュネーヴ国際人権委員会への提訴は快挙と申すべく、成功を期待  いたします。当会も軽少ながら大阪府連の方へカンパをいたしました。

 以上概略ご報告まで、貴会のご奮闘を祈りつつ・・・・

  被告第3準備書面                            2000.3.10.

第1 被告の事実認否に対する基本的な考え方

一、始めに(民事訴訟における認否の意義について)

1、  我が国の民事訴訟においては、判決の前提となる事実の確定に必要な訴訟資料、証拠資料の提出を当事者の権能とする弁論主義が採用されている。弁論主義の下では、法律効果の発生、変更及び消滅をもたらす法律要件に該当する具体的事実である主要事実について、相手方当事者が争わない場合(自白した場合)には、裁判所は当該争いのない事実をそのまま判決の基礎資料としなければならないのに対し、相手方当事者が主要事実の存在を争った場合には、これを主張する当事者において立証しなければならないことになる。

民事訴訟における一方当事者の主張する主要事実に対して相手方当事者の行う認否の訴訟活動としての意義は、主張立証責任を負う当事者にとってみれば、主要事実についての立証の要否を知って、その準備をする必要があるか否かを判断することにあり、相手方当事者にとってみれば、反証を行うための準備をするか、あるいはその主要事実に対する抗弁となる事実を主張し、立証の準備をする必要があるか否かを判断することにある。また、訴訟指揮を行う裁判所の訴訟活動の観点からみれば、立証活動を促す必要がある争点が明確にされることによって、適切かつ効果的な訴訟指揮を可能にするという意義があると考えられている。(司法研修所民事裁判教官室編「増補 民事訴訟における要件事実 第1巻」29ページ参照)。

2、  しかし、民事訴訟において、原告が主張する私法上の権利又は法律関係が、法的な根拠を欠くことによって成立する余地がない場合(「請求自体失当の場合」)、このような権利又は法律関係という法律効果の発生に必要な法律要件に該当する具体的事実である主要事実が存在するか否かが問題となる以前に、その法的な根拠自体の正当性が問われなければならず、正当性が明らかにされない限り、原告の請求は排斥されることになる。

また、原告が主張する私法上の権利又は法律関係について、法的な根拠がある場合であっても、その主要事実が複数の事実から構成されている場合に、そのうちの一つでも主張がないとき、すなわち要件事実の主張に不備があるとき(「主張自体失当の場合」)には、当該法律効果が発生しないことは明白であるから、主要事実の存否を問題とするまでもなく、その請求原因の主張に不備があることのみにとって、原告の請求は排斥されることとなる。

 そうすると、請求自体失当の場合には、そのことのみによって原告の請求が失当として排斥されることになるのであるから、被告が原告の主張する事実に対する認否を行うまでもなく、原告の請求が法的な根拠を欠くものであることや、要件事実を満たしていないことを指摘して、これらの点を訴訟の争点として示すことで足りるというべきである。

二、本件についてみれば、平成11年11月5日付け被告第2準備書面で述べたとおり、原告らの請求は、憲法や民法を根拠とする請求であると解されるが、これらはいずれも法的な根拠を欠くものであり、被告はその点を本件訴訟の争点として提示すれば足りると解しているのであって、原告らが主張する個々の事実に対する認否の必要はないと考える。

すなわち、本件請求は、請求自体失当として、そのことのみにとって排斥されるものであるから、民事訴訟における認否の機能に照らして、被告は、原告らの主張に係る請求原因事実に対する認否の必要を認めないものである。

第2 平成12年2月16日付けの求釈明書(以下求釈明者)という。)において、裁判所から   釈明を求められたので、被告は、次のとおり回答する。

   甲第2.3及び4号証(新聞記事)の成立については争わない。

  第6回公判(2000.3.10.)のご報告     2000.3.17.

 またひと冬の峠を越え、元気で春のきざしを覚える日々は同慶の至りです。

裁判も前哨戦を終えていよいよ本格的な様相で、当会は準備書面のbSからbVまでの四部作を前面に押し出し、堂々の論陣を展開いたしました。それに応じ裁判官は求釈明書(質問状)を原被告に発し、双方は直ちに回答、このように火花の飛び交う文書戦となりました。国は難しい法律用語で難しく弁じますが、早い話が “原告の言う事実の認否を争うのは嫌だ、そもそも原告は法律を知らず、法的根拠がはっきりしないから請求自体が失当である” と、門前払い同然の主張で、天下の横綱が猫だましのような手を使います。

 第6回の公判はこれらの当否を巡っての論争となり、原告はあくまで逐条的に事実認否を迫り、これを文書にして提出して争う所存です。その経過は4月中旬に詳細ご報告できる予定です。

 この日の傍聴席は19名、毎回の西村 弘、上村修治、長井金吾の「アングレン友の会」のトリオは頼もしく、“何の助力も出来ないが勝つまでは此処へ座るつもり” との力強い励ましには原告一同心から感謝。ご来廷の方々に粗茶一杯の用意もなく、陣中ご無礼をお許しください。

 原告代表松本 宏がこの日欠席、循環機能にやや不安があり、思い切って3月9日に入院、すぐ手術でしたが幸い順調に回復中、本人はまだまだ死ねないよ と意気軒昂で、そのうち出てきてまた老害をばら撒くことでしょう。

 皆さま健康第一、どうかお元気で・・・・

第7回公判は5月19日 午後1時〜 と決定

  

   T君への書簡 3                  2000.3.17.

 取り急ぎ、事の意外に意表を突かれ驚いています。まさか入院中の病人がと あいた口が塞がらず、ご心配をお掛け致しましたこと平にご容赦ください。

 松本 宏は循環系にやや不安があり、この際思い切ってと軽い手術に踏み切りましたが、幸い順調に回復中とか、ゆっくり静養していればよいものを、“裁判のノウハウ教えます。あなたもどうぞ” と方々へ乱訴を呼びかけるとは・・・・。自分が暫く動けないものだから何かを人に薦めたい と考えたようですが、仲間にも相談せずに正気の沙汰とは思えません。

 松本は気骨の快男児で男惚れする良い面と、ときに奇矯な振る舞いを独断で仕でかす片面がありまして、横浜のドンキホーテという人もあり、変人では引けを取らない私は忽ち意気投合してサンチョパンザを買って出て 今度の訴訟となった経緯があります。

 早速確かめたところ彼の言い分はどうやら次のようです。

      裁判は勝つも負けるも裁判官次第、たまたま革新系の良いのに当たれば勝ち。

      そのためには同じマニアルで同じように数多く訴えればよい。特に裁判所は出世主義者が多い大都市よりも地方が有利。

      カマキリが折角弁護士なしの安上がり戦法を開発したのだから、このシナリオをそのまま使えば誰にでも出来る。ノウハウはすべて無償で提供する。

      大阪だけの単発より方々で連発したほうが命中率も高い。下手な鉄砲も数撃ちゃ当るで、どこかで一つでも当たれば成功だ。

 しかしカマキリは「裁判」を輸出する気は全くありません、反対です。

      裁判は賭博や単なる勝ち負けではないはず、こんなことは一つだけで充分。カマキリは多くの人々の代理裁判をやらせていただいている。

      いまどき無分別な訴訟を誰が好んでやる人があるか、また人さまに教えるほど立派な戦法などの持ち合わせはありません。増長慢は見苦しい。

      百姓一揆や謀反ではあるまいし、今の所、政治的な運動まで私には出来ません。

      カマキリは「松本商店」ではなく「法人」のつもりです、5人の仲間は同志であって彼の手代や丁稚ではない。

     

松本は焦っているのではないか と按じているところです。

 この人の持論である「10月16日閣議の事実認否の要求」は争点の第1テーマとして主張して参りましたが、全く相手に効いていないのです。 “この閣議で国は「シベリア抑留」を認めているではないか、潔く事実を認めよ” と決め付けても “ハイ、それはその通りですが、しかしそれがどうかいたしましたか?” といわれると、それを補償に繋ぐ根拠が難しいのです。適切な措置を怠っているのは誰か?またその人物に罪を問えるか?法律がない以上なかなか犯罪とは決め付けられない。これを攻める二の矢が必要ですが彼にその準備がなく、折角の主張が今のところ線香花火に終わっています。

 いま緊急の課題は追撃のほか新しい攻め口からの攻撃ですが、この人に良い材料が見当たらない、それやこれやで最近は “日本の法律ではなく、マッカーサーが容認したであろう法の範囲で裁くべし” との珍説を持ち出して困らせています。そんな焦りが今回の騒ぎになったのでは・・・・と思われます。

 いずれにせよ内裏の恥を曝け出したことは見苦しいことでお恥ずかしい。カマキリは5人5色でそれぞれが一家言の持ち主で、よく喧嘩し仲良しクラブのようにはゆきませんが、黒パンの仁義でつながっています。恥を重ねつつ強くなるよう更に励みたいと思います。

 いつぞや申し上げたとおり、裁判など普通の人がやるものではありません。ましてや地域で起業して名を上げ、終身現役の人はやってはいけない、必ず無用の敵を作り事業と徳望に支障があります。私も地味な仕事で長年めしを食ってきたくせに奇矯を好む悪癖があり、晩年を迎えた良い歳になりながら古い虫が出てしまいました。どうか貴方は決して裁判などに手を染めず、後衛からの支援にとどめて頂きたく、お詫びを兼ねてご返事は以上の通りです。

      沖縄のNが急逝しました、元気者がポックリと。1月15日とかですが遺族からの知らせもなく、先日小隊長からの電話で知り驚きました、至近弾身辺に の感。

                                           合掌

   Y.H先生への書簡 1               2000.3.20.

 素人のお粗末な準備書面をご披見下さいましたのみか、懇切なご所感まで賜りまして一同深く感謝いたしております。

 先生には前の全抑協裁判であれほどご助力下さいましたのに結果は面白からず、もう俗事はこりごりと象牙の塔へ引き込まれたものと拝察しておりましたところ、その後も不運な老兵のためにご指導いただきおる由、まことに有難いことであります.ご好意に甘えて前便のbVに繋がるbS,5,6、をここもと同封いたしました。まだ言い足りないことも多々ございますがとりあえずはこの4本建てで論争に及びたいと存じます。

 被告の準備書面bRによれば、原告が言う事実認否には応じない、原告は法的に無知でその根拠に乏しいから「請求自体失当」「主張自体失当」をいい、bVの国際人道法違反にのみ反論すると申しています。

 当方も反論を纏めあくまで逐条の事実認否を主張いたしますが、やはり決戦は国際人道法の解釈を巡る論争になるものと思われます。一事不再理から目下主張を控えておる問題に以下の三つがあり、これら全抑協判決はいかにも残念で、いずれ斉藤六郎の遺恨を晴らしたいと、しかし果たしてカマキリの考えで妥当であるのかどうか。内心は心許なく苦慮いたしております。

1)      49ジュネーヴ条約141条(2条との関連)は同条約の遡及が可能と読みましたがそれで宜しいやら、また何時まで遡及できるのか、(前判決は加盟以前を理由に退けられました。)

2)      国際慣習法の成立を認めない国家実行と法的信念について

   A,実際はソ連を除くすべての当事国が実行していますが、そんなことより当の日本が既に実行しています。言い訳はともかく現に南方捕虜にはきちんと払っている、国家実行は立派に存在しています。

   B,連合軍の命令だとは言え南方捕虜には結果的には正しい措置を取っている、これは連合軍に正しく教わったからであり “親が押せといったからハンコを押したのであって自分の意思ではない” との言い訳は通らない。「朝海文書」によるソ連への労働カード要求は法的信念そのものではないか。

3)      日ソ両国が加盟した「ヘーグ陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の第6条は、“俘虜ノ労銀ハ支払ルベシ” を明記し、支払いの連帯責任は日ソ両国でありますが、1956年締結の「日ソ共同宣言」第6項において両国はすべての請求権を相互に放棄し、そのためソ連は支払い義務を免れ、われわれは放棄した責任上日本国にその支払いを求めています。ところが政府は労働賃金のそのものが消滅したかのように主張し、支払いに応じようといたしません。こんな馬鹿な話があるでしょうか? これでは債権人不在の場所で “お互い払わないことにしましょうや” と債務者同士の談合同然であります。

 特に内なるシベリア捕虜には “君たちの請求権まで放棄した訳ではない” といい、外なるオランダやアメリカ捕虜には “君たちの請求権はお気の毒だがすべてが放棄されているから請求なら母国へ・・・・” と、両方とも嫌だの二重基準はまったく了解に苦しむところです。

 この辺りは貴著「捕虜の国際法上の地位」の何ページを主張すればよろしいのか、まことに恐縮ながらご教示賜りたく、切にお願い申し上げます。

 またご指摘の「非人道的取り扱い」につきましての苦労は骨身に応えた一人でありますが、やむを得ずとは言えスターリンに感謝状を出した人々もあり、ことさら触れておりません。コワレンコ流に言えば “ソ連はすべて「ヘーグ条約」に従って万全を期している” とのことになっていますし、ゴルバチョフ以後の謝罪も不完全ながらわが国首脳に比べまだましだと思うからです。

 以上ご報告かたがたお願いを申し上げます。 先生の文運弥栄を念じつつ・・・・

  原告第8準備書面                       2000.4.19.

 被告第3準備書面第1の主張については承服できない。

 原告らは事実の認否については本訴のはじまりからこれを主張し、また被告も答弁書第2の請求の原因に対する認否及び被告の主張として、調査の上、追って準備すると回答し、それならばと認否の容易な事項を選び準備書面を作成して提出した。裁判官もそれらを受け平成12年2月16日の求釈明においても “・・・・以下の事実についての認否を明らかにして下さい。” と既に本訴はこの流れに添って進行しているのである。

 それを今になって嫌だとは、著しく誠意を欠く言い分で、主権者たる原告に対して無礼であろう。また独立した司法に対して圧力行為であると考える。

 原告らは原告第4準備書面3ページ末文に述べているとおり、あくまで逐条的な事実認否を求めると共に裁判所が釈明権を行使して本件訴訟の審理を慎重丁寧に進められんことを要請する。

第1、      原告らは “ここに主権が国民に存することを宣言” した憲法前文の精神と、同第32条に言う “何人も裁判所に於いて裁判を受ける権利を奪われない” を受けて本訴に及んだものである。被告国は憲法の本旨を尊重し、また国家品位の上からも堂々と受けて立ち、闊達な王者の討論をなすべきであって、小手先で法を弄する如き手段は賢明ではない。

 「シベリア抑留」の見解とその措置についての不満は原告のみならず、多くの体験者の遺恨というべきであり、この機会にそれら不満に対して明快に反論すべき責任がある。本訴は日本政府として誠実に戦争責任を内外に披瀝する天与のチャンスではなかろうか。

 1、「シベリア抑留」は絵空事ではなく実際に起きた事件であり、多くの犠牲者は今に至るも何の償いをも受けていない。この不条理を正したい原告には代理人はなく、法律の蘊奥も、その運用も良くは知らない。知っているのは骨の髄まで染み込んだ抑留の体験のみ、これだけは老いたりとは言え事実を正確に申し立てる自信を持つ。法的根拠が弱いから云々といって門前払い同然の請求自体失当をいうが、法的とは事実の存在をも凌ぐほどのものであろうか。以下は先頃の朝日新聞天声人語欄である。

 “末広厳太郎著「役人学3則」に 役人として出世するためには法規を楯にとって形式的な理屈を述べるがよい・・・・などと書いてある。その一節に、先ず社会があり社会生活があっての法律である というような考え方は役人にとって禁物である。” とあるが、事実の存在なくして法の出番はなく、確認された揺るがぬ事実に則して裁きは下されるものと信ずる。

原告が準備書面で返答を求めているのは別表のとおり19項であり、そのうち事実の認否を求めるのは僅かに6項に過ぎない。これをすら拒否するとは法廷に対する侮辱であろう。

2、  原告第5準備書面で述べている主題は、原告らをソ連に売り渡した事実の確認を求めるものである。これが明らかにされれば法のあるなしで片付く問題ではなく、犯した罪に相応する贖罪を以って充当されるべきものと信ずる。

被告の主張する如く法に無いからと言って請求自体失当を言い、それがため不利益を受けた者に償うこともせず不問に付すとは正義に反することであり、原告らは憲法、国際人道法、国際人権規約等の趣旨に基づいて主張し続ける所存である。事実認否を徹底的に進めれば争点も明確になり内容も充実し、審議のスピード化においても好都合であろう。また明らかにされた事実がどのような罪状に相当するかを決めるのは神聖なる裁判官の職責である。

3、  被告の見解ははじめから勘違いがあるのではなかろうか。

金銭請求に対しても法的根拠に乏しいとカネのことばかりを言うが、原告準備書面を紙背に徹して読めば真意は容易に判るはずである。敗戦当時及び直後における日本国の政策、大本営の方針、関東軍の在満将兵に対する指揮命令の内容等は厳しく糾明されるべきである。それら「シベリア抑留」の事実の検証とそれに対する被告の対応が社会正義の上から道理に叶った措置であるのか否か。

われわれに対しての然るべき謝罪と顕彰、及び忠良なる兵士としての名誉の回復が第一なのである。これが請求の趣旨の主眼であって、カネを惜しむ理屈を聞きに来ているわけではない。人に損害を掛ければ償いは当然のことだが、それは二義的に派生する問題に過ぎない。

4、  原告第6準備書面で申し述べている主題は “実際上は賠償であっても法的に賠償と認めたことは一度もない” と言う被告国の見解を正すものであり、事実と法的の著しい乖離に対し公正な司法の判断を仰ごうとするものである。

 四日市公害裁判において被告側はそれぞれ公害基準を充たしており、なんら違法がなかったにも拘らず敗訴となった。法律は更に高い環境汚染の次元を超えるほどの力は持たなかったからである。

第2、     

 第3、      選定代理人を決めてはどうか のお勧めを頂いたが、従来どおり各人に発言機会のある本人訴訟を求める。法廷ルールの尊重を心掛け、裁判官の審理指揮に従うことをは勿論である。

(別票  略)

 カマキリ裁判一年のご報告                       2000.4.23.

 平成11年4月1日提訴以来一年、その間に賜りましたご支援の数々はまことに有り難うございました。本訴は「シベリア抑留」とはいったい何であったのか、犠牲を強いられた者への国の非情、それらの責任を問う老兵最後のバンザイ突撃でありました。以下現状の報告を申し述べます。

1、  原告の主張1)     
原告第4準備書面で、国は敗戦直後の10.16閣議において「シベリア抑留」の事実を認め、“此等ニ対スル処遇ニ於イテ低調ナランカ国内社会問題トシテ重大ナル結果ヲ来タスコトアルヘキヲ憂イツツアリ。” としながらも、以後55年を経た今日まで何ら友好な手段も救済の措置もとることなく放置した責任は重大であり、これらは憲法17,18,29の各条、国家賠償法1、民法709条に違反する。

2)      原告第5準備書面で、「シベリア抑留」の主犯はソ連であるが、これに呼応したのは我国であり、この不法に対し心からの謝罪公告を要求する。

3)      原告第6準備書面で、原告らはソ連への莫大な賠償を国家と国民の身代わりとして完済した愛国者である。しかし国はこの事実を “そうではあっても法的に認めたことは一度もない。” という。事実と法的の二つに対して神聖なる裁判官はどちらに軍配をあげるのか、秋霜烈日の判決を期待する。

4)      原告第7準備書面で、1949ジュネーブ条約第6条に “締約国は特別協定を締結することが出来るが、この条約で定める捕虜の地位に不利な影響を及ぼし、又はこの条約で捕虜に与える権利を制限するものであってはならない。”と明示があるに拘らず、1956年「日ソ共同宣言」を締結したが、原告らが受け取るべき労働賃金等を踏み倒したままで成立させたのは同条に違反するものであるから無効である。これを解消するためには同条後文の“但し・・・・紛争当事国の一方もしくは他方が捕虜について一層有利な措置を執った場合は、この限りではない。”を活用すべきである。これらの法的根拠は1949年ジュネーブ条約第6、第7条及び憲法第98条である。

2、 被告の反論

1)      原告の主張はいずれも法的な根拠を欠き不十分であるから、事実が存在するか否かが問題となる以前に請求自体失当でありそもそも裁判をする資格がない。

2)      従って原告の言う事実認否を行うまでもなく、争うまでもない点を指摘するだけで済むことだ という。

3)      本件は最高裁まで行った全抑協裁判で決着がついていること、一事不再理で争いにならないと暗に言っている。

3、  現下の問題点

1)     裁判をする主権者は国民である、その原告に、ましてや年老いた同胞に答えるに、これほど冷酷無惨な言辞があるだろうか。早速原告第8準備書面を提示し、国は横綱らしく正々堂々と勝負しろ、法を弄するごとき小細工はみっともない と反論した。あくまで事実認否の正攻法を求める原告は、法律論のみに絞りたい被告の相反した主張に裁判長はどのような審議指揮をとるのか、大きな節目に立っている。

2)    “・・・・国家の国民に対する責任の最大のものは、国民の生命と財産を守るというのは自明のことであります。そしてまた国民もそれを期待するがゆえに・・・・” これは誰あろう石原慎太郎氏の「第三国人」発言の冒頭部分であるが、誰であれ国が国民を売るようなことが赦されて良いわけはない。これは万人共通の自明のことであり、法律がどうあろうと当たり前の道理である。しかし当たり前すぎて法律がないこともある。

3)    事実は申し述べられても法的根拠がうまく言えない訴人は請求の資格がないとはファッショの国の言い原告らの願いは事実を当たり前に、世界と歴史に通用する言葉での訴えだが、本訴は天網恢々でやって貰いたい、道理で裁いてほしいのだ。

4、  証人尋問

物的証拠の認否に応じないと言うなら、人的証拠の尋問を進めたい。次回6月には提示したい。

          * 第7回公判は 5月19日 午後1時〜 

        被告第4準備書面                  2000.5.19.

 原告らの平成12年2月15日付け準備書面(以下「原告第7準備書面」という。)、同年3月1日付け釈明書(以下「原告釈明書」という。)における主張に対して、以下の通り反論する。

1、  捕虜の待遇に関する1949年(昭和24)8月12日のジュネーブ条約(以下「1949条約」という。)66条に基づく請求について

 原告第7準備書面の主張は必ずしも明確ではないが、昭和31年10月19日の日ソ共同宣言は、1949年条約に違反し、無効であるとし、同条約66条を根拠に、被告は、原告らがシベリア抑留中に行った労働の対価を支払うべきであると主張するものと思われる。(原告第7準備書面21ないし25ページ、原告釈明書2ないし3ページ)。

 我国が1949年条約を国会において承認し、同条約を公布したのは昭和28年10月21日である。

 一般に、条約は、別段の意図が条約自体から明らかである場合及び別段の意図が他の方法によって確認される場合を除き、遡及的に適用されないものと解される。この点は、条約法に関するウィーン条約28条(条約16号)にも、「条約は、別段の意図が条約自体から明らかである場合及びこの意図が他の方法によって確認される場合を除くほか、条約の効力が当事国について生じる日前に行われた行為、同日前に生じた事実又は同日前に消滅した事態に関し、当該当事国を拘束しない。」と明確に規定されている。

 1949年条約二条は、同条約は締約国間に生ずるすべての武力紛争の場合について通用する旨規定しているが、右規定は条約適用の対象となる武力紛争の範囲を定めたものであって、適用の時間的範囲についてまで定めたものではないことは、その文言などから明らかである。したがって、右規定をもって1949年条約がその発効以前に生じた武力紛争にも遡及的に適用される旨を定めているものと解することができず、他に遡及的適用を定めた規定は存しないのであるから、同条約が第2次世界大戦の場合に適用される余地はないのである。

 この点、本件同様シベリア抑留者からの補償が求められた事案に付き、最高裁判所は、1949年条約が「我国とソヴイエト社会主義共和国連邦との間において効力を生ずる以前に捕虜たる身分を終了した者の法律関係の処理について、同条約を遡及して適用することはできないとした原審の判断は正当として是認することができる。」としている。(最高裁平成9年3月13日第1小法廷判決、民集51巻1233ページ)。

 原告らは、その主張によれば、1949年条約が我国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間において効力を生ずる以前に、本邦に帰還しており、捕虜たる身分を終了しているから(訴状4ないし7ページ)、右最高裁判決によれば、1949年条約を根拠として、被告に対してシベリア抑留中に行った労働の対価を請求することはできないことは明らかである。

2、  国際慣習法にも基づく請求について

  原告らは、「長い時を重ねて積み上げられた慣習国際法の中で確立した捕虜の権利   は、ユース、コーゲンス(強行規定)としての性格をもつもの」(原告第7準備書面24ペ   ージ)と主張する。原告らのいう「捕虜の権利」とは具体的にいかなる内容の権利である  かについて明らかでなく、またその権利に被告に対していかなる請求をしているかが明  らかではない。

   仮に、原告の主張が、捕虜の権利の内容は1949年条約66条と同様の内容であり、  同条約がそれを確認的に規定したものにすぎず、かかる1949年条約66条と同様内   容の慣習国国際法を根拠として、原告らがシベリア抑留中に行った労働の対価の補   償を請求しているものと考えても、以下述べるように、第2次世界大戦終了時までに、   かかる国際慣習法が成立していたとはいえない。

   そもそも国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」を  いう(国際司法裁判所規定38条1項b)が、国際慣習法が成立するためには、@国家   実行の反復、継続による均一の慣行(一般慣行)の存在と、A国家が特定の行為を国  際法上義務的なものとして要求されていると認識して行うという法的確信の二つの要件  が必要である。(山本草二、新版「国際法」53ないし57ページ、東京高裁平成5年3月  5日判決、判例時報1446号40ページ、東京高裁平成8年8月7日判決、訴訟月報43  巻7号1610ページ等)。

 原告らは本件において、国際慣習法に基づき、捕虜の所属国である我国に対して補償請求を求めているとすれば、個人が所属国の国内裁判所において、かかる補償請求を直接行い得るという法理を含む国際慣習法が成立していることについて、右のような一般慣行の存在や法的確信の存在を具体的に主張し、立証しなければならない。

 ところが、原告らは、「捕虜の労働の対価は支払わなければならないのであり、支払いの義務は抑留国、所属国の連帯責任であり、我々は第一順位に従って所属国から受け取るのが国際人道法の基本理念である。」と主張するのみであり(原告第7準備書面21ないし22ページ)、右のような一般慣行の存在や法的確信の存在を具体的に主張立証しているとは到底いえないのである。

 また、以下述べるように、1949年条約66条は、捕虜の権利に関する国際慣習法上の権利を確認的に規定したものではない。

 すなわち、第2次世界大戦中の捕虜については、「俘虜ノ待遇ニ関スル1929年7月27日ノ条約(以下「1929条約」という。)が締約国間で適用されたが、それでは十分にまかないきれない面のあることが明らかとなり、赤十字国際委員会は1929条約の改正作業を開始したものである。

 1929年条約24条2項及び34条5項は、抑留国は捕虜の開放時に捕虜に帰属する貸方勘定を当該捕虜に支払う責任を負う旨を規定していたが、第2次世界大戦終了時に大多数の国で制定された外貨輸入に関する法令がこの義務の遵守を困難にしており、また締約国相互で手続き細目に関する特別協定(83条)を締結しても、必要な証明書の交付や喪失とか記載金額の不備などにより、請求額が特定できないなどの事情が生じたために、政府専門家委員会や外交会議の長い討議を得て1949年条約66条の規定が設けられるに至ったものである。

 以上から明らかなように、捕虜の属する国が捕虜に対して責任を負う旨を定めた1949条約66条の規定は、従前の条約、すなわち抑留国が責任を負う旨規定していた1929年条約24条の規定を第2次世界大戦のもたらした結果に適用したのでは十分な実効性が得られないことが判明したために、1929年条約24条の規定に代わるものとして設けられたのである。したがって、第2次世界大戦終了時ころに、1949年条約66条と同内容の国際慣習法が存在し、これを1949年条約において確認的に規定したというものではない。

 かえって、抑留された捕虜の請求権はすべての捕虜の属する国が負担するとの国際慣習法が第2次世界大戦終了時ころに存在せず、かつ、抑留国が責任を負うことを定めた1929年条約24条の規定が十分な実効性を有しないにもかかわらずその当時なお有効な条約として存在したために、1949年条約66条の規定が新たに設けられるに至ったものである。

 したがって、右のような国際慣習法なるものが第2次世界大戦の終了時ころに確立していたとは到底認められない。

3、  日ソ共同宣言が無効との主張について

 原告らは、日ソ共同宣言が1949年条約或いは国際慣習法に違反して無効であると主張するが(原告第7準備書面22ないし25ページ)、前期のとおり1949年条約66条が第2次世界大戦の場合に適用されないことは明らかであり、1949条約発効前に同条約66条と同内容の国際慣習法が存在しなかったのであるから、日ソ共同宣言が無効とする前提を欠くことになる。

 原告らが日ソ共同宣言が無効であると主張することによって、原告らのいかなる請求権を根拠付ける意図かは明確ではないが、そもそも日ソ共同宣言は、原告らの権利を何ら侵害していないのである。

 すなわち、日ソ共同宣言6条2文により我が国が放棄した請求権は、我が国自身の有していた請求権及び外交保護権であり、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。ここに外交保護権とは自国民が外国の領域において外国の国際法違反行為により受けた損害について、国が相手国の責任を追及する国際法上の権利である。したがって、我が国が、日ソ共同宣言において、日本国民の有するいかなる請求権をも放棄していないのである。

4、  以上のとおり、原告らの主張は、いずれも根拠がなく主張自体失当であるから、本件各請求は、棄却を免れない。

  原告木谷丈老への書簡 2            2000.5.26.

 第7回の公判に森本さんの姿を見ることが出来ませんでした。心配して確かめたところ、“知らなかった、いつ案内をくれたのか? ” とあべこべに不足を言われ、がっかり。3月のときは傍聴席に座ってにこにこと、こっちだと誘っても原告の席に来てくれないこともありました。家族から特段の話がない以上 此方から聞くわけにもゆかず、まぁ皆さんに気が付かれないよう静かに見守りましょう。

 退院後の松本さんはお元気が過ぎてこの方こそ心配です。この人が新発見だと自負される“裁判はマッカーサー基準でやれ“ にはどうしても同意できません。この奇弁を次の準備書面にまとめて出すのだ と。 私は絶対に反対です。どうか以下をご検討下さって再考を促していただきたいのです。

1、  裁判の現状とその対策について

1)   弁護士Oさんの観測では今が一番大事な分かれ道、双方からほぼ争点が出尽くしたと見て要点整理をし、原告の希望する事実認否をやってくれるか、それとも審議せず結審されるか? 今回は次を8月25日と決めてくれましたが、この予約をしないときが結審のときだそうです。そうなれば泣こうが騒ごうがおしまいで、裁判官が独自で判決書を書き、それで万事終りです。

2)   そのためには新事実を次々と申し立てて引き延ばし、次にシベリアの現地調査の要請、さらに瀬島龍三ほかの証人尋問、学識者の証言など戦線の拡大を図ることが良策のようです。

3)   もう少しマスコミに訴え、世論の喚起に努力したい。

2、  松本さんの心境

1)      持論の「閣議決定」が不発で、二の矢の用意がないので焦りがあるようだ。

2)     
被告第2準備書面の「国家無答責の法理」への立腹。 (戦前戦中はおかみのなさることはどんな酷い損害であろうと泣き寝入りで、補償はされないとの法理。従って戦後の国家賠償法では「シベリア抑留」は駄目だと言う)

3)      それへの反論として考えられた理屈でしょうが、これは暴論で非常に危険です。

3、  これを出せば折角の裁判もぶち壊しです

1)      原告訴状の初めから松本さんは憲法17、18、及び国家賠償法1,民法709 と日本国の憲法、法律に基づいて提訴しています。それを今になってマッカーサーの法律でやれとは180度の変更で、これでは裁判のやり直しです。

2)      それはどんな法律か?と聞かれて具体的に答えられますか,相手は黙殺、裁判官は “それならアメリカの裁判所へどうぞ” と打ち切る危険があります。

3)      いやしくも我が国は独立国、その裁判所で外国人の基準でやれとは法廷侮辱で、世間に通用する話ではありません。

4)      同じ占領下でも直接統治のドイツと異なり、敗戦後も我が国の裁判は日本の法律で日本人がやっていました。決して無法になった訳ではなく大半は従来通り、逐次立法、または改正されて現在に至っています。ただし軍国主義、反民主的事案はGHQの目が光っていましたが・・・・

4、  カマキリは5人の合意で一本化を・・・・

1)   松本さんはカマキリの代表であり リーダーとして同志いずれも敬意を表しています。しかしカマキリは「松本商店」ではなく「法人」であり、われわれは松本さんの手代でも丁稚でもなく同志のつもりです。

2)   困難なことも十分討議し、合意を纏めてここまで戦いました。今後もこの割れない基本線を大切に進みたいと思います。松本さんは自説を絶対に譲らない人ですが、合意がない時は一歩引いて再考してほしい、これは私にもいえますが・・・・。

3)   外野ではあれ軍師であるOさんの意見を聞きましょう。オブザーバーだからと内部への立ち入りは避けておられますが、プロの見解は尊重すべきだと思います。

4)   木谷さんは副将です。このようなときの調整は貴方をおいて他にありません。

  5、  瀬島、朝枝、草地の三参謀を証人尋問に呼ぶ件は7月中に纏めたい、これには   鈍感なマスコミもきっと乗り出すことでしょう。

   6、  シベリアの現地調査は厳寒期でないと値打ちがありませんので来年1月を目指し    て努力いたしましょう。ただし予定の案内人の森本さんがこの調子では、代人が 必   要、私や貴方の中央アジア組ではダメだし、適当で元気な心当たりを探して下さい。

  *久しぶりで大台系の山を歩きました。みたらい渓谷を洞川まで、一泊して結界を曲が    り大台を右に見て稲村岳へ、・・・・駒鳥を聞きながら昨日帰りました。

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