第1章
  2、大阪地裁1009法廷

  <その3> 10.16閣議の不当への訴え            2000.1.10

 原告第4準備書面             平成12年1月21日

 先ず裁判の趣旨を説明し更にこの裁判の動機となった事実の確認を要求した上で私共の主張を項目別に申し上げる。

第1、 裁判の趣旨
 この裁判の対象となる出来事は今から54年前、太平洋戦争が敗北に終わった後、国が我々に加えた処置について異議を申し立てるのであって、現在の政府を非難しているのではない事を先ずご了承願いたい。

 我々がこの裁判に於いて現在の政府に要求することは、その当時の政府が我々に対し加えた処置が過っていたことを認めて、その当時の政府に代わってシベリア抑留者並びに一般国民に対して謝罪公告をして貰うことが第1であり、第2として本来蒙った被害は金銭にて評価できぬ程莫大ではあるが現在の国の財政状態等を考慮し、取り敢えず謝罪の印として一人当たり三百万円を支払って頂きたいことである。

第2 「昭和20年10月16日閣議の真相」の説明を求める。

 通常裁判に当たってはその対象となっている事実が正しいか、誤っているか、更にその事についての諸証拠の成否が争いの対象となるのであるが、被告は何の理由か知らないが、その事実の確認よりもさきにその依るべき法律が適用されるか、されないか所謂準拠法の検討を問題にしているように思われる。

 我々がシベリアに抑留されたことは周知の事実であるが此処に提訴するに至ったのは「昭和20年10月16日の閣議の存在を発見」したことである。これは平成4年6月19日に原告松本 宏が当時の新聞に社会状況が如何になっているかと思い朝日新聞の縮刷版を買い求めたる処、直に同年10月17日の新聞を発見し、その前日の閣議に於いてシベリア抑留を承認した事を承知したのであり、その後毎日新聞及び日本産業経済の紙面を入手した。

引き続き当該閣議の議事録を探していた処、原告木谷丈老が知り合いの人に頼みこの閣議の源となった同年10月16日付け陸軍省の閣議への報告「外地部隊ノ復員ニ就テ」を国会図書館で平成18年3月27日発見した。この両者を併せ見た処両者の内容が略同一であり、また当該報告の出処等によりこの閣議の存在が事実であることを確信したのである。

 しかしこの閣議の存在に関しては、政府は昭和20年10月17日の新聞発表以後、何等の発表もしていない。但しこの新聞発表は当時の東京5紙即ち朝日新聞、毎日新聞、日本産業経済、読売報知、東京新聞の東京版にのみ発表された如くにてその他の地区では発表されていないと思われる。当時の東京は敗戦後の混乱期にて一般の人達はこの記事を冷静に見る余裕なく、その他の地区ではこれを知る余地もない。更に現在、当時それを新聞記事として発表した朝日新聞及び毎日新聞更に日本産業経済の後身たる現日本経済新聞の各社長宛に「発見した経緯」について教えて頂きたいとお願いしたが何にも返事もない。

 原告は先ず上記記事が正しいか、正しくないかがこの裁判のポイントとなるので、被告はこれを認めるのか認めないのかはっきり回答されたい。そしてそれが事実であると判明した後で、それが何れの法律により処理されるかを検討すべきである。若しこの事実が真実でないならば、どの法令に合致するか等準拠すべき法令等の検討は全くの無駄になってしまうからである。まこれら新聞の報道を要約すると、
 1、
北鮮、満州、樺太、千島地区は87万7千、これはソ連との折衝によるが、南鮮に続いて許可されるとすれば大体23年8月ごろに終了する見込みである。

 2、  “ ある者は長年月帰還し得ずとせば、これらに対する処遇(精神的実質的とも)において低調ならんか、国内社会問題として重大なる結果を来たすことあるべきを憂いつつあり。“ と記し、さらにその法令化について “内地帰還に長年月を要する外地部隊軍人軍属に関する法的措置には特にこれが審議に苦慮しつつあるところにして、その研究の主対象もまたこれらの点に置き、実施しつつあり” と伝えている。

長年月帰還せずとはシベリア抑留者を意味するものと思われるが、この配慮に対し閣議は一顧だに与えなかった。もしこの配慮が実現されていれば我々の裁判はなかったであろうし、国家の品格を損なうことも避けられたであろう。

 これら閣議決定の報道は関東軍のソ連抑留を明らかにし、政府は「シベリア抑留」を無条件に承認したのである。この事実はこの裁判のポイントであるから第一に被告が認めることを要求する。

第3、原告が被告から受けた不法行為と財産侵害行為

一、原告が請求するに至ったシベリア抑留なる歴史的事実

 1、  国及び天皇の命により召集され関東軍等将兵となった原告は公務員であった。

 2、  昭和20年8月15日わが国が連合国に無条件降伏した結果、同20日から我国代表に手交された三文書のうち、我国が発令すべしとされた「陸海軍命令第1号」と同じ趣旨―関東軍等は極東に於けるソ軍最高指揮官に降伏すべしーの命令が関東軍総司令部に下りたるにより我が部隊はソ連軍に降伏した、従がって原告もそれに従った。

 3、  同9月2日正式に発せられた「一般命令第1号」により、更に同時に発せられた天皇の証書により「一般命令を遵守すべし」とする大御心に従い、(甲第6号証)

 4、  更に10月16日開催された閣議に於いてシベリア抑留が無条件に承認され

 5、  その結果原告はシベリアその他の地区において、3年から4年の間「奴隷的拘束の下で強制労働による苦役」に従事した。

二、ロシア及びソ連と日本国の歴史的関係

 1、  ロシア及びソ連との歴史を見れば1895年に締結された日清戦争の講和条約に於いて定められた遼東半島の割譲について東洋平和の維持のためにとロシアがフランス、ドイツを誘って日本に対し清国に返還をせまり、結局日本がその圧力に屈し返還をした所謂三国干渉以来、ロシアは日本に取って不倶戴天の仇敵となり、自今シベリア出兵なる事件を起した等、常に日本国軍隊の仮想敵国として陸軍が訓練し、軍備の増強を重ねて来た次第である。
 2、  原告は子供のころから「中国とロシアソ連は野蛮国」なりと童謡にて教えられ、特にソ連には強制収容所がありそこに入れば一生生きて帰ることはないと宣伝されていた。特に昭和14年春から夏にかけてはノモンハン事件を起し、太平洋戦争の直前にはドイツに歩調を合わせ「関東軍特殊大演習」の名目で大軍を集中し独ソ戦の後方に強圧をかけた事実がある。

 3、  日本がそのような態度であるから、ソ連側も日本を極東における敵と認めていたに違いないことは道理である。太平洋戦争の末期、戦争の継続に困難を感じた陸軍は、何を考えたのかソ連に講和の仲介を依頼する事になったが、時既に遅く米英両国との協調を崩せずご承知のような結果に終わった。

三、昭和20年10月16日の閣議の無条件承認の大きな過ち。

 1、  当時の閣僚は以上の事を宣伝していた側であり、当時のソ連の実情を充分知っていた筈であるから、関東軍将兵がシベリアに抑留されればどのような状態が起こるか知っていたに違いない。即ち関東軍等の復員状況の報告を請けた時に 直感的にこれは彼らがえらい目に会うと感じたはずである。

 2、  だからそれを防ぐことを考えなければならなかった。当時はマ元帥が連合国最高司令官として日本国の占領の主権者であったが、その地位は当然日本国の利益代表であったはずである。先ず誰でも考えることは「ポツダム宣言違反ではないか」−現在の日本国の首相は某氏の質問に答えてそれは違反であると明言しているー と、マ元帥あて異議申し立てすべきであった。もしこれに対し「これは全体の復員の最終時期に帰すのだから違反ではない」との言葉が返ってくるかもしれないが、それでもこのシベリア抑留は連合国全体の目に曝されることになり、少なくとも「奴隷的拘束の下における強制労働は免れた」と考える。更に連合国から返事があった場合には、何の理由、労働の種類、食事衣服の問題や期限の問題を協定すべきであった。更に現地の将兵等にその旨伝達方要求するとともに、内地の留守家族に通知し且つ社会全体に発表するのが大命により召集し戦争に参加せしめた国家としての当然の義務ではないだろうか。

 3、  しかしその頃は戦犯逮捕の嵐が飛びかっていたのか敗戦国の男がものを言うとどのようにされるか判らず、それを恐れて何も言わずそのまま承認してしまった。閣僚一同20名の命をかけて交渉していたら、この場合でも少なくとも「奴隷的拘束下の強制労働の姿は免れた」と考えられるが60万人の命を成り行きに任せ自分達の命を助けた事と考えられる。実際そのような努力をせずそのまま承認し、相手のなすがままに放任したこと、それらを防ぐ努力が全く見られないことが、シベリア抑留を「奴隷的拘束下の強制労働」に繋がったものとして、ここに裁判に訴え出た次第である。四、シベリア抑留は国の国民に対する完全な不法行為であった。

四、 原告は最初はシベリア抑留はソ連の一方的な行為なりと考えていたが、昭和20年10月16日の閣議の存在を発見し、以上のことを承知した現在においては @国家公務員たる関東軍将兵を A当の被害者には何も知らせず秘密裡に Bそれが何れの法律に基づくのか明らかにせず Cシベリアに送り出し奴隷的拘束の下で強制労働なる苦役に従事させ Dその後54年間経過した現在に至るまで本人、家族には勿論社会全体に発表しなかったのは、「国の国民に対する全くの不法行為を闇から闇のうちに隠そうとした。」と断定せざるを得ない。若しこの閣議が国民に何の引け目も感じないのであれば、その閣僚を堂々と発表し、その内容を詳細国民に知らせるのが民主主権の日本国家の政府の取るべき態度だったと考える。

五、被告のいう財産侵害行為

 被告は財産侵害行為の特定を待ってというが、原告の主張しているのはシベリア抑留という奴隷的拘束そのものであって、人間として自由な人格者であることを喪失させられた事に対する屈辱、悲哀であり、これを財産侵害行為というなれば、それは金銭に換算出来るものではなく、無限大であるといえる。

第4、原告が請求する原因ならびに法的根拠。

 被告は訴状の第1番に書いてある「憲法第18条」を無視しているが、原告は訴状に従い法的根拠を述べる。

一、被告の行為は憲法第18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」に違反する。

 1、  本条は「何人も如何なる奴隷的拘束も受けない。又犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と規定する。これについて佐藤幸治教授は著書憲法第3版にて次の通り述べている。「本来は米合衆国憲法修正13条1節に」由来するものであろうが、個人の尊厳を確立する前提条件として凡そ非人道的な自由拘束状態の廃絶を企図して本条が設けられたものと解されている。さらに奴隷的拘束とは自由な人格者であることと両立し難いような身体の拘束を言う。公権力がこのような拘束を加えることは絶対的に禁止されることは余りに当然のことである。」

 2、  シベリア抑留者は総て本人の意思とは関係なく収容所に入れられ逃亡せんとすれば射殺されるか重罪に処され、労働の能否についても日本側の軍医の診断によるのではなくソ連側軍医の一方的診断によるのであり、その状態は憲法第18条にいう全くの「奴隷的拘束下の強制労働即ち苦役であった。

 3、  閣僚は上記に延べたる通り防がんとすれば諸々の手段があったにも関わらずその閣議に於いて何も為さずにその抑留自体を承認した。

 4、  原告が憲法第18条に違反するというのはこのことによる。

 5、  これに違反した場合「いかにすべきかの問題となるか」と言えばこれは絶対禁止事項につき民法上その他の損害賠償をもって償うと言う訳に参らず、刑法的に刑罰として処罰するほかはない。しかし総ては54年も前の事であり当事者たる政府の要人はその時老齢であり既に死亡しており如何とも為しがたい。従って政府の業務を50年余に渉り引き継いできた現在の政府がこの事件を過ちと認め、謝罪の意を表すると共に当の被害者に適当な金銭を以って解決するのが「人間の道理」に叶った方法と考える

二、憲法第17条「国及び公共団体の賠償責任」に該当する。

 憲法第17条は「何人も公務員の不法行為により損害を受けた時は法律の定める処により国又は公共団体にその賠償を求める事が出来る」となっている。これに対し「国は同条の規定から明らかな通りプログラム規定と解して本条からは直接損害賠償権は発生しない」といっている。これに対し佐藤幸治教授は本条につきその著書「憲法第3版」において次の通りに書いている。

 「国家無答責の原則を否定している以上、立法政策的に形成されるべき領域は別として、およそ国家賠償制度の確信に関わる部分にかかわる領域については法律の定めがなくとも本条によって直接賠償請求権が発生すると解釈すべきであろう本条の基礎には少なくとも公務員の違法行為によって人権侵害をもたらした場合の救済規定たる趣旨があると解されるからである。」

 原告はこの解釈を正当と評価し直接損害賠償請求権が発生すると考える。

三、国家賠償法第1条に該当する。

 1、 
被告は国家賠償法は昭和22年10月27日に施行された法律であるから適用されないと主張する。しかし原告はこの法律は単独に出来たものではなく、憲法17条の補償義務を具現するものとして同条の付属法たる特別法として出来たのであり殊にこれは敗戦と同時に否定されたる国家無答責の法理に直接関係するものであるから当然憲法と同時期まで遡及すべきものと解する。

 2、  更にこのシベリア抑留はその最初の時だけの問題でなく、それが終わるまでの行為で、「刑法に言う逮捕監禁等と同じ性質の継続的行為」である。つまりこの法律が施行された時にその状態が残っていればこの法律が適用される。即ちこの法律施行の日にはシベリア抑留は続行中であったから施行と同時にそれを取りやめる努力をしなければ当然この法律に触れるのである。実際国はこの法律施行の日に何の処置もしなかったので、この法律は適用される。それとも国は例えばシベリア抑留が8年続いた場合でも何の責任もないと主張するのか、それなら全国紙にてその旨発表する事を要求する。

四、民法第709条に該当する。

 1、  被告は民法第709条等は「国等の権力的作用については適用なし」と言っているが、それは如何なる法律によるのか明らかにされたい。

 2、  国の権力的作用と三権分立の立場から行政上の権力作用を言うのであり、例えばシベリア抑留のごときは @如何なる法令によるかも明らかでなく A本人、家族や社会に公表せず B闇から闇に葬ってしまう、いわば闇且つ無法の行為は行政上の権力作用ではないからそれには当たらない。それでは国はかの大正12年9月1日関東大震災の時起こった朝鮮人大虐殺事件は国の権力作用であるから無罪というのであろうか。もし然りというのなれば全国紙にその旨公表してもらいたい。

 3、  また国は国家賠償法施行前には所謂「国家無答責の法理」即ち国家の行政上の不法行為の責任は問うことは出来ないとしているが、この法理は「旧明治憲法有効の時代限り」であると考える。つまり日本の旧明治憲法は昭和20年8月15日日本の無条件降伏の時にポツダム宣言に従い効力を失ったので国家無答責の法理はその日に効力を失ったと解すべきである。

 4、  国は国家無答責の法理に関し大審院時代の法例を援用しているが、これらは旧明治憲法の時代に限るもので、旧憲法が効力を失った後においては全く効力を失った。

 5、  何れにせよ「シベリア抑留は国の行政上の権力作用ではない」ので民法の規定は適用される。

五、シベリア抑留は単なる戦争犠牲や戦争責任ではない。

   被告は「原告はシベリア抑留に受けた被害に対する補償を本条に基づき請求している」と考えられるが、それは戦争犠牲ないし戦争損害であり、国民等しく受忍すべきものであってこれを認める余地は無いといっている。しかし原告は「シベリア抑留者の被害と一般の戦争被害とは根本的に異なる」と次の通り反論する。

 1、  戦闘のための行為であるのか、戦争終了後の任意的行為なのか。

 一般の戦争被害は太平洋戦争中の敵の純粋な戦闘行為により発生し、被害者を特定できない被害であるに対し、シベリア抑留の被害は昭和20年8月15日我国が無条件降伏してそれが受け入れられ9月2日我国が降伏文書を提出した後のいわば平和状態になった後の特定の人たちに起こった被害である。

 2、  天皇、国の命令により発生した災害であるのか、一般の被害であるのか、シベリア抑留は「天皇の命により、国の命により公務員たる者が即ち特定の人に起こった被害である。」に対し一般の戦争被害は例えば東京大空襲の被害もまた広島原爆の被害も「敵が戦闘行為として無差別に攻撃した結果の被害であり、特定した人に加えられた被害ではない」。また「東京大空襲や広島原爆は天皇及び国の命令により蒙った被害なるか」そうであれば全国紙にその旨発表されたい。

 3、  その行為を閣議が承認した後でも続行された継続した災害と単発災害。

 更に10月16日の閣議において我国が「その抑留を承認した後更に続行された災害である。」に対し、戦争被害は「単発の災害」であった。それとも「国はかの東京大空襲を我国が閣議において承認したのであるか、さらに広島の原爆投下も我国が承認したのであるか」ご回答願いたい。

六、主権が国民にある国としての法律の解釈のあり方。

 原告はかって公務員たる軍人として「軍人に賜りたる勅語」に従い専ら天皇のために国に尽くすを本分として奉仕してきた。一方現在の国の代理人たる皆様方は国家公務員法の第96条「服務の根本基準」即ち「すべて公務員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない」にしたがって勤務されておるものと信ずる。勿論この裁判の如く国民の利害と国の利害が対立の場合では、国の立場を守るにしても憲法その他の法律の適用に当たっては出来るだけ公平に国民の大多数が納得するであろう解釈「換言すれば特に我国の憲法学者が普遍妥当と認める解釈によるべし」と考える。何故ならば憲法とそれに関係ある法律は主権者である国民にとって一番大事な国家の基本的法律であり国に都合のよい解釈に従っていては、国民主権国家である日本国が成立しないからである。

第5 この裁判は今後の国の基本に関わる重大問題。

 最後に国を代表すべき行政機関の最高責任者に申し上げたい。

一、我々が今回裁判に訴えたのは単なる個人と国の、或いは団体と国の行政上の問題ではなく、かの太平洋戦争が我国の敗北に終わりたる際に起こった大事件、即ち関東軍将兵約60万余が、具体的には国即ち天皇の命により戦いに参加せしめられた公務員が、天皇及び国の命令に従いソ連軍に抑留されシベリアその他ソ連領各地において3年から4年の間、奴隷的拘束の下で強制労働させられ、結局約6万余の死者が出た所謂シベリア抑留と国の対応に関する問題であるからである。つまり関東軍等の将兵が天皇や国の命令に従い、さらに閣議においてその状態を無条件に承認されたものが結局奴隷の如く働かされ、そのうちの約一割の者がかの地で死亡し、漸く帰還してみれば、ご苦労であったと慰問の言葉で歓迎してくれるのとは反対にアカだ、アカだと世間から冷たい目で見られるも、政府はこれに対し何も慰労の言葉も述べず、結局この時の政府はシベリア抑留に対して一顧もしないで、且つ一文たりとも支給しなかった問題である。

 政府はこれに対し充分配慮したというであろうが、「シベリア抑留」を明らかに対象にして支給したものが一円でもあろうか、あるなら言って貰いたい。我々は日本の無責任なる軍国主義的戦争の賠償と考え、国家のために耐え難きを耐え 忍び難きを忍び、シベリア等における労働をしてきたのに、これに対する祖国は慰労の言葉はおろか一円の給付もないのである。少なくとも「貴方の犠牲により内地の者も生きていけた、ご苦労でした」といって貰いたかったのに何の対応も無い、やむを得ず裁判に踏み切った。

二、また我々が国の命令に従わなかったら如何になっていたか。勿論あの敗戦の時は我々は収容所に入らずに逃走しょうと思えば出来たしー関東軍等将兵87万7千人のうちシベイア抑留者60万人だからその差約27万余、即ち約3分の1が逃走したと思われるー収容所から逃げ出そうとすればそのように出来たし、また汽車に乗った後でも満州内である限りある程度の集団ならば逃走し得たはずだ。最後まで天皇や国の命令に従った者は、国の言うことを聞いていれば悪いようにはならないという国に対する信頼感があったのではなかろうか。これが間抜けであるのか。

 もし我々の全部或いは一部が脱走したら如何になったか。ソ連軍は一般居留民の中から「男狩り」によって補充したであろうし、またそれ以上となれば満州における日本人の混乱はいかようになったか予想も出来ない。−実際「男狩り」により高年齢の警察官や高齢の官吏、16歳の少年や女性がシベリア抑留者に交じっていたといわれるー

 少なくとも日本の降伏は大混乱となり、連合国軍のすべての国が日本本土を占領し日本国自体は存立せず幾つかの国に分断されていたに違いない。またソ連等の強硬的態度により現在における天皇制もなくなっていたに違いない。

 要するに我々が天皇、国の命令に従ってシベリアに抑留された事は国の存立や天皇制の存続にとっての大殊勲であって、その功績は勲一等の生涯年金に値するのではあるまいか。それが国と国民における道理というべきものである。

三、要は国の命令に従っていたらシベリアにて働かされ、帰ってみれば芥のように扱われ、うまく先に帰ったものは良い職に有り付き、またよい仕事を得てのうのうと暮らしている。何かものの道理に外れているようだが、一般の人が我々と考えを異にしているのだから最早いたし方が無い。

 我々が孫である若者や子供に、昔兵隊に取られたことやシベリアで働かされた話をしても、それなら逃げれば良いのだ、ボヤボヤしていたからそのようになったのだ など言われて話にならない。最早波長が違い話が合わないのである。 

 現在の政府の責任者の方々よ、そのような話のままでよいのだろうか。今の世界情勢と資本の支配層の考え方から見ればいつ我国が相手国から攻撃を受け、また同盟国の圧力に負けて戦いに参加することになるかは判らないのである。いざそのような事態が起こっても自発的に参加する人は少ないであろうし、結局は徴兵制になるであろうが、思ったように行くであろうか。我々が経験したように国の命令に従った者が不幸な目に会い、それに従わずうまく立ち回った者が得をするようであれば国の政策がうまく働くであろうか。

四、要するに我々老人5人が提起した事は国の命令に純情に従った者が国に如何に扱われたかという「将来の国民と国の大きな問題に直接関係する」のである。今までの国の代理人が言われる個々の法律が適用されるか否かの細かい問題ではない。今後この問題の扱いに当たっては最高指導者の問題として取り扱って貰い、これが回答に当たっては少なくとも最高指導者として検討しその考えを示して頂きたいとともに、当方はそれが最高指導者の考えであると受け止めることにする。

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