第1章

  1、  提訴まで

  <その1> 今なぜ裁判を・・・・                  1998.6.19〜

今なぜ裁判を・・・・ 続 今なぜ裁判を・・・・

 今なぜ裁判を・・・・                       1998.6.19.

 私はこの一月に喜寿の祝いを済ませたところだが、一族郎党に囲まれて越し方のいろいろを振り返り、聊かの感慨にふけったことであった。

 戦争をはさんだ多難な時代をこの年まで、さして苦労とも思わず生き延びたのはわれながら上出来で、“いつお迎えが来ても不足はない” と言いたいところだが、どうしても合点が行かないことが一つある。 「シベリア抑留」だ。このことに対する国の無責任と被害者への冷たさ、そのうえ相手のロシアにひと言の文句も言えない情けなさ、これらを思うと如何にも無念で死んでも死に切れない。このありさまでは日露の友好や平和などまともに出来るはずもなく、子や孫のためにも黙っては居られない。

 もう半世紀以上も昔のことだから話題にもならないが、バビロン捕囚の再来だ、民族はじまって以来の屈辱だと嘆く人も多い。どんな事件であったのかは遭難者の一人だった高杉一郎氏が詳しく書き残している。

 “ 1945年9月から1956年12月まで、およそ60万の関東軍将兵がそれぞれ2年から11年にわたってソ連に抑留され、厳しい労働を強いられた。これは世界の憎悪の的であった日本の軍国ファシズムを叩き潰す役割を果たしもしたが、同時に戦火が消えた後の強制労働によってスターリンの大国主義の生贄に6万を超える日本人の生命を捧げる結果にもなった。”

 私もこの生き地獄を体験した一人だが、いまさら辛かった苦しかったは言いたくない。いま明らかにしたいのは どうしてこの事件がおこったのか、それは一体何であったのかの真実であり、その責任の取り方である。この隠しようもない歴史的事実をどうしてありのままに見、ありのままに考えないのか。これらは日露平和条約の大きな問題点であるにもかかわらず、ひと言の抗議もしないとは何事か、いまこそ過去を清算し、“ あぁ「シベリア抑留」の尊い犠牲のお陰で本当の平和がやってきた” と両国民がこぞって喜べる解決が必要ではないだろうか、未だ凍土に眠る6万有余の鎮魂はこれ以外にないはずだ。

1、「シベリア抑留」はどうして起こったか

 申すまでもなく主たる原因はスターリンの暴虐によって生じた悲劇である。わが国は「ポツダム宣言」を受諾して連合国に降伏したが、その第9項に “ 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的生業ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ“ とあるにもかかわらず、これを無視して強引に拉致したものだが、この暴挙に逆らいもせず目をつむり、60万を人身御供に提供したのはわが国である。

1)1945年5月には同盟国の独伊が共に敗れ、ムッソリーニ、ヒットラーの無惨な末路を知ったわが国中枢は浮き足立ってしまった。この上は一日も早く有利な和平をと、その仲介をあろうことかソ連に頼もうとしたのが世にいう近衛特使の派遣であり、準備された「和平交渉の要綱」の条件第1は “ 国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること” であり、第3のロに “ 海外にある軍隊は現地において復員し、内地に帰還せしめることに努めるもやむを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す。” であった。またその解説として “ 若干を現地に残留とは、老年次兵は帰国せしめ、弱年次兵は一時労務に服せしむること、等を含むものとす” そして第4の賠償及びその他のイに “賠償として、一部の労力を提供することには同意す” としている。国体護持のためには同胞を労役賠償に使うのもやむを得ず とはこの時すでに政府中枢の頭の中に存在していたことは明白である。

2)戦争末期「ポツダム宣言」の受諾をめぐり賛成派の宮内省と外務省、それに反対の陸軍省の間で激しい論争が演じられた。阿南陸相らが恐れたのは武器をなくした関東軍がシベリアへ拉致され、強制労働に賦役される危惧であった。すでにドイツ兵のシベリア大量労役は広く知られていたところであり、さすがに部下を奴隷に売るという行為だけは阿南の良心が許さなかったのである。双方決断のつかぬうち東郷外相が条約局第1課長であった下田武三に急ぎ作成させたものに「ポツダム宣言の検討」がある。8月9日付けの外務調書であり、一般に「下田調書」といわれる文書だがその第4款に “ ・・・・法律的には帝国に対しては独の場合の如く賠償に代わる労働力の提供の意味を以って兵員を敵国内労務のため拉しさる意図なきを示すものと解せられる。” として阿南らをたくみに懐柔した。終戦を急ぐための多分に希望的、作意的な解釈だが、ここでは相手に抑留の有無を確かめるべきであり、この手間を怠ったことが「シベリア抑留」を生む大事の原因となったのであった。土壇場でのこの失態の責任は重大である。

3)「ポツダム宣言」を受諾した後、1945年8月26日、大本営朝枝参謀起案の「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」に “ 武装解除後ノ軍人ハソ連ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ生活ヲ営ム如クソ連側ニ依頼スルヲ可、満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス” とある。

4)続いて1945年8月29日関東軍司令部瀬島参謀起案「ワシレフスキー元帥に対する報告」によれば “ 次は軍人の処置であります。之につきましても当然、貴軍において御計画あることと存じまするが、元々満州に生業を有し、家庭を有するもの竝に希望者は満州に止まって貴軍の経営に協力せしめ、その他は逐次内地に帰還せしめられたいと存じます。右帰還までの間に於きましては、極力貴軍の経営に協力する如く御使い願いたいと思います。” まさに棄兵棄民、これらを読んで腹が立たない抑留体験者が居られるなら、その方はよほどの聖人君子であられるか、もしくはお気の毒ながらアルツファイマーの疑いがある。後世に迷参謀の名を残すことになったご両人は不運だが、これを書かしめた本体は護持を図ろうとした国体の中枢で、われわれは彼らの保身のために蜥蜴のしっぽよろしく国に売られたのである。

2、「シベリア抑留」はソ連への役務賠償であった

 はじめから賠償やむをえずのわが国はスターリンの暴力に目をつむったまま、そのうえマッカーサーと連合軍もくちだしせず、かくして60万大軍団の強制労働ははじまった。どこから見ても天下公認の役務賠償だが、わが国政府と司法は未だにこれを賠償のバの字も認めていないのである。“ わが国としては日本将兵の「シベリア抑留」は賠償と認めたことは一度もない・・・・” (昭和55年3月4日衆院予算委答弁、山田中正外務審議官発言)政府の答弁は一貫してこれだが、賠償でないというならそれは一体何であるのか 教えてくれたこともない。

1)古来戦いに敗れれば賠償問題は付き物で、勝者の権利として当然のこととされ、領土、物、人(労力)がその対象となった。

2)1945年2月、戦後体制などをとりきめた「ヤルタ協定」5条対独賠償2−Cではドイツの労働力の使用を定め、約300万の将兵がソ連に抑留されて賠償労役に服している。なるほど日本の名はないが枢軸国の敗者である以上同じ運命をたどるであろうことは常識である。

3)スターリンは停戦直後「対日勝利宣言」を布告しているが、その中で日本侵者による被害について特別勘定(賠償要求)を有すると述べている。

これら内外の動向を考え合わせれば「シベリア抑留」が役務賠償であったことは明白であるにかかわらず、政府が “ 日ソ間に賠償の取り決めもまた話題もない。法的に賠償の事実はない。” と一貫して認めないのは補償を恐れるあまりのことであろうが、どうもそれだけではないように思われる。我々の血と汗と涙で償った労働の価値を主張し、交渉を有利に展開してくれるならまだ見所はあるが、ひと言も口にしない、実は出せないのである。国は「日ソ共同宣言」において大失態をやらかしている。その悔いと国民を売った恥、それらの自虐は闇から闇へ葬る以外 国に思案がないのである。

3、私は何を訴えたいのか

 以上のように「シベリア抑留」は天皇中心の国体を護持したいため、その必要からスターリンの赦しを乞いための犠牲であり、それがそのままソ連への役務賠償につながった。この事実を開かれた法廷の場で明らかにしたい、これが私の願いである。60万将兵の血と汗と涙が何のためであったのか、これをわかって貰いたいことが第1点、続いては苦難に相応する顕彰なり補償を求めたい、この2点である。

1)天皇陛下のご命令で苦難を受けたのであるから、相応の償いをして貰いたい

 戦争が終わって国民は復興再建へスタートしたが、我々はそれからが地獄のはじまりであった。1945年9月2日発令の「陸海軍一般命令」1−ロに“ 満州、千島の部隊はソ連軍指揮官に降伏すべし。尚その指揮官の命令には忠実且つ速やかに服従すべし。その命令に服従しない時は厳罰に処せられる。” とあり、我々はこの命令に忠実かつ速やかに服従したためひどい目にあった。反面命令にそむいて脱走した者は厳罰に処せられることもなく大半は早々に帰国してトクをし、正直者が馬鹿を見ることになったが、このままでは示しがつかないというものだ。その後命令の取り消し、変更または慰謝の詔勅でも出たのであれば教えて頂きたい。

2)人間働けば賃金が与えられる

 奴隷でない限りこれは天下の法則で、囚人でも倒産社員たりとも働いた賃金は必ず支払われる。シベリアでの未払い賃金の支払いは当該国たるソ連国、日本国の責任であり、なにはともあれ一旦は兵士の本国が支払うのが国際法の決まりである。戦勝国、戦敗国を問わず どの文明国であっても自国民自国払いであり、わが国も南方や中国から帰還した捕虜は母国から賃金を受け取り、独りシベリア帰りだけが未払いのままなのである。

3)被爆者には補償し、シベリアは放置とはいかにも不公平

 広島、長崎の下手人はアメリカであるのに、原爆被害補償のすべてを日本がやらされている。戦争の負け損だから仕方がないが、それではシベリアはどうか。これも負け損だが国はわれわれ被害者に何一つ対応せず、全く放ったらがしのありさまである。シベリアは単なる被害ではなく、国と国民の肩代わりとして役務賠償の大役を果たした愛国的な受難である。

4、「シベリア抑留」はタダ働きか

 “シベリア帰りには補償などする必要がない” などひどいことを耳にすると、せめて強制労働の賃金だけでも払え と言いたいのは当然のことであろう。その未払い賃金だがこれまた国は俺の責任ではないと言う。それではロシアかと訊ねても明言せず、とにかく俺ではない の一点張り、役所や役人では話にならない、このうえは法律を作らせるか裁判所の門を叩くか、そのほかに道があるなら教えて頂きたい。

1)未払い賃金はどこが払うのか

 日本かソ連のどちらかに決まっている、それをただすために裁判をやるのである。その物差しは1956年10月19日に調印された「日ソ共同宣言」第6項である。

“ ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。

 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。“

  2)双方の請求権はいくらか(推定)

    ソ連・・・・シベリア出兵、ノモンハン等被害、その他820億ルーブル(7.38兆円)

日本・・・・在満資産・・・80億ルーブルと「シベリア抑留」の未払賃金・・・1000億ルーブルで合計1080億ルーブル (9.72兆円)

 双方代表は「シベリア抑留」の事実や責任には一切触れることなく、以上の数字を腹芸で飲み込み相互放棄としたのである。その方が双方支配層に都合が良いからだ。

3)誰がトクをし、誰がソンをしているか

ソ連・・・・トク・・・・どの戦勝国も手にしなかった役務賠償の莫大な利益を独占した。(「シベリア抑留」の労働延べ日数8億日、約8兆円)

日本・・・・トク・・・・1億2千万の国民全員で負担すべき8兆円がゼロで済んでいる。

 シベリア抑留者」・・・・ソン・・・・強制労働で絞り取られた血と汗と涙。(無報酬)

三方一両ソンは大岡裁きだが、ここでは弱者ばかりの一方ソンである。

4)抑留者の賃金をなんの相談もなく放棄してしまった国は、その責任上われわれに代払いするのが当然だが、国はそうではない“ 双方が放棄した瞬間に請求権そのものが消えてなくなった” という。実に不思議な論法だがこれらは法廷での大きな争点となるであろう。

5、見習うべきドイツの抑留者対策

 私は抑留地でドイツの捕虜を知ったが、民族のプライドの高さ、簡単にはソ連に屈しない毅然たる日常には感心させられた。捕虜の資格や国際法も知らず、ひたすらソ連に引き回された当方に比べまことに立派な集団であった。偉いのは抑留中だけのことではなく、戦後処理の見事さは雲泥の差で、比較にもならない。シベリアでの強制労働はもともと国の担うべき賠償を肩代りしてくれた愛国的苦役として彼らは英雄とされ、さまざまな優遇を受けている。彼らには国際法も労働証明書も裁判も不要で、国は「帰還捕虜に対する援助に関する法律」など一連の手厚い補償で労苦に酬いている。アデナウアー首相をはじめ与野党国民が一丸となって占領弁務官やソ連と渡り合い、国の誇りと公正を保ちながら見事に戦後処理を終えているが、われわれが格段に見劣りするのは抑留中だけのことではなかったのである。

 斉藤六郎氏の全抑協裁判は不本意な結果に終わったが、新しい争点を見出して私は最後の正義を求めようと思う。「シベリア抑留」の真実を明らかにして歴史に加え、教科書に明記して次代に伝えたい。ここが死に場所のつもりだが情けないことに非力である。一両を預ければ日ごろの恨を晴らしてくれる仕事人はテレビドラマだけのことだろうか、老人に知恵と力を貸して頂きたい、特に法曹気鋭の正義あふれる助力を切望する。

  

 続 今なぜ裁判を・・・・                   1998.7.9.

 前回はながながと老愚の心情を書き散らしたが、繰り言の長いのはあまり格好の良いものではない。日頃の憂さを吐き出してそれですっきりしたかといえばそうでもなく、腹中いまだ沸々たるものが残りこのままでは成仏出来そうもない。腹を立てるのも一種の健康法だというから、それならいっそ このぼやきを続けさせてもらうことにしよう。幸い近頃はこの種の健康法のネタを探すのにさして苦労を要しない。

 わが国が公式に発する言葉のなかで “両国の間に一時期不幸な出来事がありまして、遺憾に堪えないところで・・・・” など他人事のように言うが、これを聞くとたいていの相手は気分を悪くする。黙っている方がよほどましで、このような心のこもらない 心にもない言葉は言うだけ損であることを我が国の偉いさんたちはご存知ないのである。その典型が国会語の永田町弁で、これを聞けば私の健康法はたちまち二倍に跳ねあがる。

1、「シベリア抑留」は国会でラチがあくのか

 昨年12月に参議院議員上田耕一郎氏が提出した質問趣意書の「シベリア抑留者に対する未払い賃金の補償措置に関する質問」に対し、内閣総理大臣橋本竜太郎の「答弁書」がある。これは最高裁判決後をめぐり抑留者の切々たる苦衷を代弁したもので、

1)“諸外国はソ連政府によって抑留された人々に対する補償措置を実に手厚く行っています。そのことは司法の場でも述べられていますが、政府自身ももっとよく調べて実情を明らかにして頂きたい。” と申し入れている。これに対してわれらが総理がなんと答えたか。 “ シベリア抑留に関し、諸外国が自国民捕虜に対して執っている補償措置について改めて調査をしたところ、第1審において述べられた以外のものは確認できなかった。” これを普通の日本語に翻訳すると “なるほどあんたが言うとおり、よその国の補償は行き届いていますな・・・・” の意。

 2)“なおドイツ連邦共和国の「元ドイツ人戦争捕虜補償法」については1993年1月に失効しており、現在は同法に基づく補償は行われていないことが確認された。” というが、 これがどういう意味であるかお判りでしょうか? 総理が親切に教えてくれているとおり現在ドイツでは一切補償は行われていません。なぜか、ドイツの抑留者は遠の昔に充分な補償を受け取り、すべて終了しているからであります。戦後55年いまだ何一つ酬いられない日本の抑留者に向かって、この底意地の悪い回答は普通の神経ではない。インギン無礼と言うよりインギン侮辱であり、関西でなら “おまえ、人をオチョクルのもいい加減にさらせ” と張り倒されるところである。

 3)以上は健康法だと思えば済むことだが、次の二つは短気な男なら首を絞めかねない。“「労働証明書」の賃金未払い分を南方捕虜と同じようにシベリアにも支払う措置を取れないか”と問うたに対して何と言ったか “「労働証明書」なるものを発行するのはロシアの問題で、それを日本が支払わねばならないという国際法の義務を負うことはない。” と。つまりその気はさらさらないよ と突き放したのである。また “未払い賃金の支払いを受けるには立法措置を講じてもらいなさい と最高裁が言っているから、老い先短い老兵のために早急に計らえばどうか” の要請には “すでに平和祈念事業で済んでいるから改めてやる必要はない” と総理は頬に冷笑を浮かべつつ抑留者の念願にきっぱり引導を渡したのである。

 私はもはや国会の場ではラチがあかないと思っている。長い間いくた先達が努力を重ねた運動も、この非情な政権党の下ではまったく見込みがない。ときには気を持たせて票を集め、ロバのように鼻面を引き回したあげくの果ての裏切り、あとは老兵の死に絶えるのを待つだけの政府、これらが関東軍60万をシベリアに送り込んだ権力の後裔であり、われわれは彼らの策謀に二度苦汁を舐めさせられているのである。

 4)ちなみにこの橋本竜太郎がイギリスの捕虜に対してはどのようにしたであろうか、天皇訪英の地ならしのため大衆紙「サン」に「お詫びの手紙」なる文書を寄稿し、戦時抑留中の強制労働への鄭重なる謝罪をした。その上日本への招待やその孫たちの日本留学奨励金などいろいろとゴマをすっている。彼らには既に賠償金を払っているではないか、講和条約に従って1955年、すでに支給している。彼たちはゼニ取ルマンの伝統に忠実で、もっとよこせと言い、わが方はそれに唯々諾々と応じているのである。同胞に対して補償はおろか詫びのひと言もいわない総理が、白人に対してはこのありさま、私がこうしてボロクソにこき下ろすのはこの男を怒らせたいためである。怒れ橋竜よ、エリツィンに同胞60万が受けた屈辱を抗議し、北方四島を見事取り返してこい。それでこそ一刀流免許皆伝の腕前というものだ。

 5)民主国家であるなら国会は最高の機関のはずだから憲法の精神に添った立法や諸政策を生むところとして国民が期待を懐くのは当然であろう。ところが民意はいなされすれ違い、容易に決め手を掴ませない。三百代言と平行線、いまや国会はソンかトクかの市場であって、予算の分捕りには走ってもカネにも票にもならない「シベリア抑留」などに耳を貸す与党議員は先ずいない。私はやはり裁判所へ行くことにする。

2、再提訴への取り組みについて

 さてその裁判だが、昨年3月最高裁の上告棄却によって「シベリア抑留」の正義回復は絶望的となってしまったが、この残念な結果が私に深い悔いと覚悟をもたらすことになったのであった。今まで呼び掛けには耳を貸さず、動かず、カネも出さずで、もっぱら食う方と子育てに追われて何の手助けもしていない。しかし伝え聞いた裁判には期待し、原告諸兄の献身努力にはひそかに声援を送り、これで何らかの決着がつくものと信じていた。そして16年、結果はショックだったがそれよりもあと幾許もない時間に愕然としたのであった。あぁこれでシベリアも闇から闇へ葬られ、60万の労苦はタダ働きで6万の人柱は犬死か。いかにも口惜しい限りである。私はこれら答弁書の底から “シベリアの老いぼれ達よ悔しかろう、どうだ、やれるものならやって見ろ” の嘲りの声を聞き、黙って居られなくなってしまった。もう一度提訴しよう、その突破口は・・・・

 1)「シベリア抑留」の役務賠償性を立証すること

 これさえ確立できれば万事は解決する。国と国民の身代わりとして賠償の労役に服した者に国が補償するのは当たり前のことである。“非はわがソ連にあり” と告白したキリチェンコの証言、またゴルバチョフの謝罪など、近頃は相手国ロシアのほうがよほど正直で、歴史の見直しも急速に進んで決定的な公文書もそのうち出てこよう。賠償であったと言う証言、状況証拠ならいくらでもある。

 2)捕虜の身分について

昨年暮(平成9年11月28日)に “シベリア抑留者は捕虜であるのか、否か” という問答が質問趣意書で行われている。質問者は衆議院議員相沢英之、答弁者は内閣総理大臣代理小渕恵三である。それによると “ 国内的には俘虜の取り扱いを受けなかった者と考えられるが、国際法上の問題としては捕虜の待遇を受け得る者” だそうである。わが国はこれら国際法に加入しているので、その条項を尊重するならば捕虜であることは明白であるのに、国内ではそうでないとは実に不思議な問答である。しかしこの二元論で国が捕虜の身分を認めた以上 “等しく受忍しなければならない一般戦争被害者” の範疇ではなく、われわれ捕虜の権利義務は国際法で裁かれるべきで、次の法廷はこれが主戦場となり、活路は大きく開かれるであろう。

3)「日ソ共同宣言」解釈での国の二枚舌

また質問二の答弁として “第6項の規定による請求権の放棄については、国家自身の請求権を除けば、いわゆる外交保護権の放棄であって、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない” といい、一方外国兵元捕虜の補償要求訴訟では “ すべての請求権は最終的且つ完全に相互放棄されている。” として原告主張を退けている。これは明らかな二重基準であり、それなれば放棄した責任上「シベリア抑留」の未払い賃金は日本国が即刻支払うべきである。

4)広く世界の「自国民自国払い補償」の実態を見よ

理屈はさておき世界の現状を直視されたい。前大戦の捕虜の処遇がいま結果としてどう行われているか。戦勝、戦敗国を問わず日本とソ連の捕虜を除いていずれの国も手厚い措置を終えている。

以上を中心に争点を組み立て、裁判官の心を激しく揺さぶる訴状を纏めたい。

3、労働証明書について

 争点のうち大事な「労働証明書」が抜けているではないか の声もあろうが、これについては私はいっこうに乗り気がしないし これを所持しても居ないのである。

1)   裁判官は “南方捕虜は持っていたから支払いを受けたが、シベリア捕虜は持
っていないからダメだ。” といった。何を言うか、紙切れ一枚を持っていないからと言ってシベリアに居なかった とでも言うつもりか。「労証」があろうがなかろうが私がソ
連に抑留されていたことは厳然たる事実である。その言い方は何だ、馬鹿にするな・・・・と最初から私は臍を曲げてしまったのである。

2)   私はわざわざソ連くんだりまで労働をしたいために行った覚えはなく、無理無体に拉致されて無理矢理にやらされた役務賠償の苦役であって、その労苦の結晶を勝手にルーブルに換算するとは何事か、侮辱である。

3)   またその賃金なるものは如何なる契約でどんな基準で誰の合意で計算したものか、はっきりしてもらいたい。それが一体いくらになるというのか?(1998年6月28日のレートは22円93銭) 9万円にもなりはしない、悪い冗談はよしてくれ。

4)   そもそもこれは労働高の証明ではなく抑留月数の証明に過ぎないシロモノで、その計算基準はつぎの通りである。

(<基本月給>456ルーブル<食費。給養費>351ルーブル)× 

(<抑留月数>○○月−<タイムロス>1月)= 支払われなかった賃金残高 

   *さらに略すると <抑留月数>から1を引いた数字に105を掛ければほぼその数    字がルーブルで出てくる。実に簡単。どれだけの仕事をしたというのではなく、何ヶ    月抑留した というだけの証明なのだ。舞鶴復員の日さえ判れば誰にでも弾けるも    ので、国に支払う気さえあればこんな紙切れ一枚がなくとも正確に、簡単に支払い    は出来るのである。

5)帰還時に「労働証明書」を発行しなかったのはソ連だけではない。国際慣習法に無知であったのは日本政府も同様で、わが国も抑留した外国兵捕虜に一枚の証明も出していないのである。(ロシアの問題だと非難するのがいかに滑稽か、橋竜さんお判りか?・・・・)この紙切れが無くとも世界の文明国はそれぞれ自国の方法で手厚く労苦をねぎらっている。要はその国の良心と誠意の問題であり、「労証」の有無などは無関係のことなのである。

6)私が望むのはドイツ方式である。賠償の肩代わり労役を果たしたシベリア捕虜に国家と国民が感謝し、復興途上の苦しい中にもかかわらず一人一人に手厚い補償を行ったが、彼らには裁判も「労働証明書」も不要であった。共にシベリアで苦役を舐めた受難者が片や愛国者であり英雄で、われは奴隷の捕虜もどき、同じ人間を遇するにこの差別は受忍しがたいことである。

4、おわりに・・・・

 「シベリア抑留」は華々しくも格好良くもなく、愚であり鈍とそしられても致し方がなかろう。われわれは民主人権の時代を知らず権力には無力で従順であった。抑留中は屈辱、分裂、内ゲバ、密告、吊し上げ、それにスターリンへの感謝状まで出して愚鈍なロスキーに馬鹿にされ、帰ればアカだとさげすまれ、失業難、分裂、敗訴と、結果として政府与党に翻弄されて泣き寝入りとは、後世に「もっとも不運で愚かな軍団」とそしられても仕方がない。それがいかにも口惜しいのだ。実はわれわれほど国のお役に立った軍団はないのである。皇軍と称した集団は各地を侵略し、方々で恨みを買い、そのあげく国を滅ぼしたが、シベリア軍団は国の償いを一手に引き受け、国民に代わって大きな借りをソ連に返済した。その辺りの事情を明らかにしたい、駄目は駄目でも戦う姿勢を崩さず、死ぬまで異議を唱えた男も少しは居たらしいと後世に伝えたい。

私はそれだけを生き甲斐にもう一度訴えを起したいのだ。

  

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